訴訟制度

2018年2月14日 (水)

求釈明に対する回答書は、「訴訟に取り組む真摯さの欠如」?!-訴訟記録は、秘密部分に配慮して、すべからく公開すべし-

「怒りん坊将軍」とでも命名したい澤藤統一郎弁護士氏。

 

2月10日の記事においても怒りの筆を奮っておられた。

 


同記事は、澤藤弁護士側の光前弁護団長以下55名の大型弁護団(初戦は136名もの超大型弁護団)による求釈明に対して、DHCの訴訟代理人弁護士1名が、僅か1枚の準備書面を回答として提出した職務態度(訴訟態度)に対する憤りの公開だった。

 


都合の悪い質問にはダンマリを決め込んだまま無視して、決して回答せず終わりという弁護士もいるのだから、「たとえ1枚であっても、回答の書面を提出してきただけマシなのではないでしょうか?」と申し上げられないこともない。

 


こんなことで怒っていたら……と思うこともある。

 


だが、訴訟に限らず物事に真摯に取り組もうとすればするほど、物事を真剣に突き詰めて考えれば考えるほど、怒りや憤りが伴うご時世であることは確かだ。

 


さすれば澤藤弁護士による日々連綿と続く憤怒のブログは、同氏が真摯に訴訟に、物事に、取り組んでいる証であろう。

 


真実を追求して真相を解明し、紛争の適正な解決を実現する目的を達成しようとする愚直な訴訟活動を嘲笑い、多数の証拠を提出する丁寧な立証活動を嫌って、精査・確認を怠り、自家撞着した手抜きの書面を提出し、金員奪取にばかり熱心で、決して尋問は申請せず、素早く判決をと詰め寄るせっかちな弁護士らが跋扈する中にあって、澤藤弁護士のガラス張りで実直な訴訟への取り組み方は貴重である。

 


同氏の2月10日付け
記事「反訴被告DHC・吉田嘉明の応訴態度をよくご覧いただきたい」から抜粋して下記に引用しよう。

 


まずは、下記DHC・吉田側の準備書面をご一読いただきたい。文字通り、ペラ1枚のものだが、これが2月9日付で正式に裁判所に提出された書面である。

 


これはいったい何なのだ。これだけでは分りようがない。何を言っているのかという内容についてだけではなく、DHC・吉田側の訴訟に取り組む真摯さの欠如についても、だ。下記の反訴原告・澤藤側の求釈明準備書面と併せて読むことで、はじめて、DHC・吉田の応訴態度がよく見えてくる。

 


http://article9.jp/wordpress/?p=9904


訴訟当事者は、すべからくブログやツイッターを開設すべきである。


ただし相手方当事者を侮辱し誹謗中傷する記載部分、及び相手方当事者のセンシティヴなプライバシーすなわち重大かつ私的な秘密部分、例えば「急性骨髄性白血病」、「
化学療法をはじめた」、「骨髄移植を考えている」、「鬱病」、「頭の中にチップを埋めた」といった病名や治療法、服用中の薬品名が具体的に記載されていれば、その部分は黒塗りにするなど配慮して、公開前に注意を払うべきであろう。

 


だが、秘密部分以外の訴訟記録、つまり裁判所の下した判決書、裁判所が理由ありと認めた申立に対する決定、訴訟当事者双方が裁判所に提出した訴状、準備書面、陳述書、証拠・証拠説明書等をありのままの紛争の事実及び結果として世間一般に公開する行為には公共性があり、公益目的もあり、社会的に意義のある行為と言えるのではないか。


なぜなら、裁判所では密談の如くひそやかに、闇を縫うように、誰にも知られないコソコソとした訴訟が毎日繰り返されていて、アジトにおける裏取引のような形で何十万、何百万という多額のお金が日常的に動いているからである。

 


裁判所の粗雑な審理を経て多額の金員がいとも簡単に非課税で奪取されている現実を知れば、裁判はもっと透明化されるべきであり、訴訟行為(訴訟活動)及び訴訟記録は、もっともっと広く一般公開されるべきと痛感させられる。

 


訴訟行為(訴訟活動)や弁護士らの職務態度(訴訟態度)、訴訟記録等をことごとく秘匿して訴訟自体がなかったかのように秘密部分以外の全てを隠蔽しようとする権力や圧力に抗わないとすれば、真実は藪の中へと葬り去られ、悪徳裁判官・悪徳弁護士らの思う壺となるばかりではないか。

 


訴訟活動をインターネットから一般公開してはならないとして、秘密部分に配慮した訴訟記録の公開までが封じられた結果、裁判の公平性・公正性はますます担保されなくなり、不当判決に抗議し、判断の誤りを明るみに出そうとする行為は不可能となろう。

 


さすれば、裁判所の風通しは一層悪くなり、元裁判官らに「絶望の裁判所」、
「裁判所の正体 法服を着た役人たち」、裁判所が道徳を破棄する」、「狂った裁判官」、「司法は腐り人権滅ぶ」と題する著書を上梓され、「裁判所の門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ!」と著書の帯に明記されてしまうような、一縷の望みもない、暗くて陰湿な場所と化すのは当然であろう。

 


実体験に基づき、不当判決、不当訴訟について9年に亘り検証を続けているジャーナリストもいる。

 


第2東京弁護士会に申立てた懲戒請求の内容も下記の記事には公開されており、同記事は「今後も検証は続く」との決意で締め括ってある。

 


http://www.kokusyo.jp/oshigami/10707/

 


秘密部分に配慮したとしても訴訟記録の公開が禁じられ、時間・労力・費用を投じて闘った訴訟活動の全てが公開を禁じられるとすれば、フリージャーナリストが9年間も検証し続けている言論の自由も不当に封じ込められかねない。

 


私は実体験から、裁判所には不当な圧力がはびこって充満しており、権力(
最高裁事務総局)による強制的な支配が横行していると強く感じている。

 


私たち夫婦が被告とされた1回目の訴訟(原告訴訟代理人は小町谷育子弁護士)では、第一審で、裁判官が変更されて原優裁判長が光臨し、判決言い渡しから約2か月後に、民事局長に就任、その後、千葉地裁所長を経て現在名古屋高裁長官である。

 


http://www.e-hoki.com/judge/3206.html?hb=1

 


さらに私たち夫婦が被告とされた2回目の訴訟(原告訴訟代理人は弘中絵里弁護士)では、第二審で、小川
秀樹前民事局長が裁判長として光臨し、私たち夫婦が控訴を取り下げた僅か2週間後に、千葉地裁所長に就任している。

 


http://www.e-hoki.com/judge/4779.html?hb=1

 


裁判所を、ひいては法曹界を腐敗させているのは、裁判官らによる

 


①裁判の公開とは名ばかりの、秘匿・隠蔽・非公開体質

 


②絶対的権力による強制的支配体制

 


③出世に根差し、圧力に阿った判決及び決定

 


④法曹界仲間に対するあからさまな擁護

 


ではないだろうか。

 


私はそう思っている。

2016年10月 7日 (金)

あなたの義憤を眠らせるな!-弘中惇一郎弁護士に懲戒を申し立てた、日本最強の弁護士?!-

「法律事務所ヒロナカ」をまったく恐れず、確実に勝てる弁護士とは?

 


私なら真っ先に澤藤統一郎弁護士の名前を挙げるだろう。

 


弘中惇一郎弁護士に対する懲戒請求に踏み切ったことを、澤藤統一郎弁護士は、ご自身の過去のブログ「澤藤統一郎の事務局長日記」における高額賠償提訴という業務妨害戦術」と題する記事において公開している。

 


高額賠償提訴という業務妨害戦術」と題する記事の
文中には、「腹に据えかねるところがあった」,「やはりこのままでは捨て置けない」,「もちろんあきらめない」,「許せない」などと述べられており、筋の通った、重みのある、立ちのぼるような義憤が、歳月をものともせずに伝わってくる。

 


懲戒請求のハードルは高い。

 


弘中惇一郎弁護士に対する澤藤弁護士らの懲戒請求は認められず、決定に対する異議申し出も棄却されたと公開されている。

 


http://www.jdla.jp/cgi-bin01/jim-diary/sd_diary_h/200410.html

 


だがそんなこと問題ではない。

 


問題は、請求や申し出が法曹界関係者に認められるかどうか、棄却されるかどうかなど、相手の顔色や采配の匙加減をうかがい結果を気にして自らの行動を控えてしまうような、その程度の矮小なことがらとはまったく別のところにある。

 


「こんなことまでされて、到底、許すことなどできるものではない」と強く唇を噛みしめる自らの尊厳、「できることは何でもやっていこう」と奮い立つ固い意思、揺るぎない決意である。

 


その怒りや憤りすなわち義憤がどれ程までに真剣で、どの程度の力で漲っているかということである。

 


民事訴訟を提起して、訴訟活動であることに藉口して、大ウソや捏造を、これでもかとばかりに訴訟資料に羅列されて応訴活動を余儀なくされた者たちが、それらの文字を「さあ読め!」と義務を課せられることの、何と横暴であり、何と理不尽なことか

 


読まない自由や人権はないのだろうか?!

 


ふつふつと湧き上がってくるのは、民事訴訟を悪用した暴力的な訴訟活動つまり訴訟活動の名を借りた攻撃目的の言動に対する果てしない義憤であり、長く続く微熱のような不快感を伴うやりきれない義憤である。

 


それは「キレた」「チョームカつく」といった一過性の刹那的な無差別ヒステリー症状とは異質の、威厳ある義憤である。

 


義憤とは「
道義に外れたこと、不公正なことに対するいきどおり」である。

 


いま感じている憤りが真実であるならば、決して眠ることはない。

 


そしていま感じている義憤を断じて眠らせてはならないのである。

 


平成28年(2016年)10月6日、「DHC・SLAPP訴訟」において、澤藤統一郎弁護士の勝訴判決が確定された。


さぞお喜びのことであろう。

 


10月6日のブログ記事で、澤藤弁護士は、下記のように述べている。

 


「私の言論は、その内容において政治とカネをテーマとする典型的な政治的言論であり、強者の横暴を批判する言論であり、消費者の利益を擁護する言論であり、社会的規制を無用とする乱暴な行政規制緩和論を批判する言論であり、かつ民事訴訟を強者の横暴のために濫用してはならないとする言論にほかなりません。憲法21条は、まさしく私の言論を擁護しなければなりません。」

 


表現の自由とは、誰をも傷つけない言論の保障ではありません。無害な言論なら保障の意味はない。私のブログの表現は、DHC・吉田を攻撃して、打撃を与えているが、そのような言論は憲法21条が保障するところだということなのです。公権力を持つもの、公権力に関わろうとする者、社会的な影響力を持つ強者が民の側からの批判の言論を甘受すべきは当然のことなのです。」



太字にさせていただいた箇所は特に素晴らしい。

 


我が意を得たりと胸のすく、力強い筆致である。

 


http://article9.jp/wordpress/?p=7524

 


「SLAPP訴訟」の定義には諸説あろうが、具体的には、

 


①社会的な影響力を持ち、権力や人脈を有する強者が、

 


②弱者である相手が公開した、強者にとって都合の悪い批判の言論を、

 


③弱者の口を封じて黙らせ、今後一切強者について書かせなくする目的で、

 


④直接の抗議や削除請求など事前の交渉は眼中にないから割愛し、

 


⑤オフィシャルサイトや数件のブログを公開していたとしても、強者はそこからの対抗言論を一切差し控えて公開せず、

 


⑥相手の言論が委縮しては、請求金額が減ってしまうから、相手が書いた記事を強者やその弁護士らが読んでいることを決して知らせない目的で、旅行や食事などのブログ記事を毎日公開するなどして、強者が訴訟準備中であることをおくびにも出さず、長きに亘りだんまりを続けて、出来るだけ相手に多く記事を書かせて記事の数を増やさせておいて、

 


⑤いきなり民事訴訟を提起して、ぶ厚い訴状を叩きつけ、相手の記事が原因で仕事を依頼されなくなった、友人たちを失った、会社を閉鎖した、たび重なる無言電話がかかって来た、夫宛に嫌がらせの英文の手紙が数通届いた等などと、言いがかりの損害をいくつも追加して、

 


⑥ふつうではない金額を算定し設定して、好き勝手な超高額のお金を請求し、(年金生活者であり無名の老夫婦である私たちの場合は、前後訴訟併せて何と
6千万円!が請求されている)

 


⑦気に入らない相手を恫喝して、脅かし、強者にとって都合の悪い言論の委縮を謀る、不当きわまりない民事訴訟。

 


私はそう思っている。

 


http://beraamano.cocolog-nifty.com/blog/2015/08/post-6590.html

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