情操豊かな美女が好き -等身大の追悼文に、誠実さを見る-
人は婆さんに生まれるのではない。
婆さんになるのだ。 (天野ベラ)
これから書くのは昔々のお話……
その女性と偶然再会したのは
「ワットアルーン」だった。
当時、六本木のロアビルに入っていて、
個性的な色とデザインの靴が揃っていた。
初めて会ったのは、確かその前の週だった。
大蔵省に勤務するE氏主催のパーティには、
高級官僚ばかりでなく、著名な政治家や
ベンチャー企業の起業家たちも集っていて、
世界を動かす勢いで気炎を吐いていた。
そんな集いに、彼女の姿を見つけた。
一輪差しに活けるのが似合うような、清楚な花。
たおやかで、ほの白い、やわらかな人。
そんな第一印象だった。
テレビで観るイメージとまったく違う彼女は、
目を細めながら、静かに微笑み、
背筋を伸ばして、そっと、
消え入りそうなくらい控え目に
男性たちの脇に立っていた。
目が合うと、またしても、大きな目を細めて、
ゆるやかな微笑みを反してくれた。
この時、私は山咲千里さんを好きになった。
だから、「ワットアルーン」に入って来られた時は、
迷わずに声をかけた。
だが、千里さんは、限られたプライベートタイムである。
挨拶とともに、IBMの名刺を手渡して、
音もなく、足早に、私は店を立ち去った。
すると、早速お手紙が届いた。
鋭角に整った文字に、細やかな神経が伝わってきた。
「最近では、女性から声をかけてもらうことも珍しくはありませんが、ベラさんほど感じ良く話しかけてもらったことはありませんでした。
私は、よくベラさんの会社の前を、するするとドライブしております。これからもよろしく。」
同封されていた千里さんのお名刺には、
当時のご住所と電話番号にFAX番号、
自動車電話の番号まで印刷されていた。
これだけの小道具が与えられながら、
仲良くするなと言う方が無理であろう(笑)
当時の私は健啖家で、特に仏料理が大好きだった。
美食家のS氏や、アラビア石油の同期の友人たちと「グルメツアー」と称しては、会社から歩いて行ける距離に点在する銀座の名店を中心に食べ歩いたものだった。
現在は閉店したお店も多いと思われるが、当時の記憶をたどれば、豪華な内装の「アピシウス」、たくさん食べてもまったく胃にもたれなかった「ベルフランス」、高い天井が印象的だった「レカン」、親友S子ちゃんのお父様にご招待いただいた「ロオジェ」、螺旋階段があったっけ……きらびやかな「マキシムドパリ」。
気軽な「パリの朝市」や「ビストロシェモア」にも足を運んだ。
デジタルカメラがあれば、美しいお料理の数々を、写真に撮影していたことだろう。
会社がお休みの日も、食事会にデートにと、出かけなかった日はない。
赤坂「馮」、六本木「イゾルデ」、芝の「クレッセント」には、リンカーン・コンチネンタルに乗っていた某氏にご招待され、どうしても行きたいと言う親友のKちゃんも連れて行った(笑)
http://www.restaurantcrescent.com/#/top/
千里さんとお食事をご一緒したお店もたくさんある。
「キャンティ」「グリル満天星」「カメリア」……
会社帰りの気軽な待ち合わせやTV局にご一緒した帰りに話しこんだお店もあった。
フルコースも、スイーツも、すんなりと体内にしまいこむことが出来ていた昔々のお話だ。
そのうち思い出す仏蘭西料理店は、3か所だろうか。
二人だけで出かけたのは、当時のホテルセンチュリーハイアットに入っていた「シュノンソー」。千里さんは、ワゴンで運ばれて来たチーズがお気に召したようだった。今は「トロワグロ」に代わっている。
http://www.gnavi.co.jp/cenhyatt/info.htm
「会わせてくださいよ!!」と、アラビア石油の後輩TちゃんとSにせがまれて出かけたのは、「オテル・ドゥ・ミクニ」。お店の雰囲気に違わぬ優雅で甘美なお食事が、ウェイティング・バーで食前酒をいただいた時から約束されていた。
食後、六本木のホテルアイビスにあったカラオケ店で、4人は大いに盛り上がった。千里さんが歌うと、他の部屋の人たちまで覗きに来た。
http://www.oui-mikuni.co.jp/hoteldemikuni/
そして、鉄人・坂井宏行シェフの「西洋膳所 ジョン・カナヤ麻布」。
何だかとても暗い佇まいで格調の高いお店だった。
千里さんは親友の男性と、私は三井物産に勤務していたN氏と、テーブルを囲んで談笑した。
その男性と千里さんは、本当に親友だったようだ。
お互いを見つめる目と睦みあう様子は、まるで、お手玉をしながら縁側でじゃれ合う無邪気な兄と妹のように色気のない自然なものだった。
「西洋膳所」で同席した千里さんの親友の男性は、遠方まで「ポロ」を観戦に出かけた時にもご一緒だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AD
終始にこやかで、お洒落で、決して他人を傷つけないその男性とは、私も会話を交わしたのに、何ひとつ覚えていない。
それほどまでに、不思議なくらい自己主張と存在感とアクのないその男性は、まさに美の裏方と呼ぶにふさわしい人であった。
或る日、その男性が亡くなっていたことを千里さんのブログから知った。
親友の死に接してどんなに悲嘆に暮れているかを、露骨に大袈裟に書くのではなく、さりとて、冷淡でも事務的でもなく、時にぎこちなさすら感じられるほど誠実な弔意が表現されていた。
http://ameblo.jp/senri-blog/entry-11493936106.html
忙しかった時も、いつだって千里さんは、身にまとう一着のドレスを選ぶように言葉を選び、表現に迷っては立ち止まり、言葉と言葉の組み合わせに逡巡した後で、そっとお手紙を投函してくれたように感じていた。
そこには真心が感じられた。
手抜きのない千里さんからいただいたお手紙を懐かしく思い出す時、永遠に情操の豊かな女性を求めてあきらめない自分のいることに、あらためて気づく。
嘘のない誠実な情緒が、静かな湧き水のように、尽きることも涸れることもなくこんこんと体内に満ち溢れているような、そんな女性と今後知り合うことはできないだろうか……
はんなりとしとやかで柔和な女性と、人生の交差点でしばし袖擦り合った若き日……目を細めつつ振り返った土曜の昼下がりであった。