経済・政治・国際

2012年7月26日 (木)

悪者や人を欺く者は決してそういう顔をしていない。だからこそ誰もが騙される。

タイトルは我ながらいい台詞である。実体験によって導き出された産物とも言える名言を、自画自賛ついでに再度書いておくとしよう。

「悪者や人を欺く者は決してそういう顔をしていない。だからこそ誰もが騙される」by天野べラ

亡くなった父は人を疑うことを知らない人間だった。そんな父は、池澤ショーエンバウム直美氏が拙宅に入り浸るようになったのとほぼ前後して知り合った平塚の「マアブリック」という不動産ブローカーの社長こと高尾芳雄という在日韓国(朝鮮)人から、言葉巧みに騙され、欺かれて、不動産を詐取されてしまったのだ。人生の最晩年になってのことであった。

長年住み慣れた家・屋敷を失った父の落胆はいかばかりであったろうか。財産を築いたこともなければ築く力量も技能もない私には、到底量り知ることなど出来ない。だが、それでも、明治生まれの気骨で、私たち家族が何不自由せずに暮らせるだけの財産を残してくれたのだから、最後の最後まで見上げた男であった。

「愉快にやれよ!」「明朗にね!」これは生前、父がよく私に掛けてくれた言葉である。飲み会の中心で、座持ちが良く、みんなに気を遣って、お金も使って、それが楽しいのか、いつも人を笑わせては自分も笑っていた父。他人との争いや対立とは無縁の存在だった父。そんな父が、人生の最後に、一度だけ民事訴訟を起したのが、前述した在日韓国人(朝鮮人)高尾に対する損害賠償請求事件であった。父の後を継ぐような気持ちで、私が個人を相手に起こした民事の本人訴訟は、池澤ショーエンバウム直美氏と、同級生の嘘つき暴言魔という在日韓国人(朝鮮人)を相手どった2件である。「在日韓国人(朝鮮人)とは徹底的に争おう」このポリシーが、父から残された遺言のように感じられる。

ちなみに、5行削除。

高尾との訴訟において、当然の如く父は勝訴したが、高尾の会社はペーパーカンパニーであったことが発覚し、高尾は本国(?)へ逃げてしまって行方知れずとなり、詐取されたお金が戻って来ることはなかった。

年老いた父が高尾を信じたのも無理はなかった。まず、当時、父が顧問を務めていた会社で最も親しかった部下の方のお名前が高尾さんだったこともあり、父は「あんたも高尾か!」と気を許し、呼び捨てで話すようになるのに時間はかからなかった。今考えれば「高尾」という名前は偶然などではなかったと思う。父に取り入るための手段の一つであったのではないか。通名を使えば名前などいくらでも替えられることを私が知ったのは、そうとは知らず、在日の街に住むこととなり、在日韓国人(朝鮮人)について、主人とともに研究するようになってからのことだった。http://tuuna.web.fc2.com/

高尾は、直美氏同様、仕事抜きで拙宅に足しげく通っては長居をするようになっていき、ゴルフ好きな父をゴルフに誘い、緑色のゴルフセットを父にプレゼントした。私や母にと最も大きなマキシムドパリの「ナポレオンパイ」こと「苺のミルフィーユ」をくれたりして、女子どもの気を引くことも忘れなかった。このようにして、高尾は、徐々に、老人の心をほぐしていったのだった。

「九仞の功を一簣に虧く」という言葉がある。念のため説明すれば、長い間積み重ねてきた九の努力が、たった一つの失敗から総て無駄になってしまうという意味である。これとは逆に、ワルの在日韓国人(朝鮮人)は、九の笑顔と可愛らしい態度、褒め殺しの甘言という努力でターゲットとする日本人に取り入り、日本人の家庭に、まるで新しい家族がひとり増えたかのような親しさで近づき、家庭に入り込む。悪知恵を駆使して、愚かな日本人をすっかり信用させておいて、最後の最後になって隠していたまったく別の顔を見せ、目的を達成し利用価値無と見るや、一瞬のうちに背を向けて一気に走り逃げ去る。その素早さと変り身の速さは、蜂の一刺しの如く強烈で、体験した者の心身のダメージはあまりにも深く、信じ難い思いに茫然とし、震撼とさせられるのである。

30行削除。

2012年6月13日 (水)

「その女在日につき」出版記念!外国人には通じないのか?!阪神・マートン選手の暴言問題

「アイ・ドント・ライク・ノーミサン」

その暴言は6月9日甲子園で吐かれたそうだ。

通訳は慌てて「冗談ですから」と火消しに努め、

「乱心」とも「問題発言」とも書かれ、

厳重注意を受けたそうだ。



日本人社会では、どんなに嫌いな人に対してであっても

決して面と向かって「嫌い」とは言わない。

言ってはいけない禁句だからである。

こんなことくらい常識中の常識であり、

大人の世界における当然の礼儀でもある。



外人にはなぜ悪いのかがわからないようだ。



在日コリアンの同級生も、マーチンと同様。

否、それ以上の暴言を私に向かって吐き続けた。

嫌がっていることを承知していながら、
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平気で何度も暴言を繰り返したその女。

その女は暴言魔を超えた悪魔であろう。

<つづく>

2012年4月28日 (土)

隣のザイコちゃん、実家のザイスケくんを斬れてこそ、本物の反在日!

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日本に住み日本の恩恵にあずかっていながらも、内心では日本人を憎み反日感情を募らせている……存在そのものが矛盾しているため揺れに揺れて自家撞着の罠に陥っている、それが在日ではないだろうか。日本人に似た姿形をしているだけに、日本人なのか、在日なのかの判別がつかないことも深刻で困難な影を落としている。

 

 

「この人、在日なのかしら……」相手にそんな疑惑を持った時は、悪い在日について、嫌な点を具体的に話してみたらどうだろう。その人が、一緒になって話に同調し個人的に叩くのか、それとも、悪い在日だと伝えているのに、不自然な敬語を使ったり、つい持ち上げたりして、自然と擁護する側に回っていたりはしないか。それが踏絵になると思う。

 

 

自分の親や子ども、兄弟や姉妹、そして友人や仲間の同胞を愛してやまない在日には、威勢よく「反在日」の立場を示し「在日は日本から出て行け!」と叫んで大きくざっくりと在日を斬ることは出来ても、隣のザイコちゃんや実家のザイスケくんといった身近にいる在日を例に挙げながら、いかに不躾な酷い人間であるかをつまびらかにする個人的糾弾は、一生出来ないのではないか。

 

 

具体的に悪質な創価学会員の名前をツイッターに挙げて攻撃し、口汚い言葉で思いきり罵倒している活動家がいる。その男性とは面識があるが、選挙戦に出馬したかと思えば名誉毀損で逮捕された経験もあるツワモノで、「明るく・楽しく・ねちっこく」といった標語を掲げていたことが印象に深い。

 

 

なぜなら、この「ねちっこさ」こそ在日に大きく欠落している資質と考えられるからである。在日は、しつこいように思われがちだが、悪い意味での執拗さこそ認められるものの、その実、粘り強さはまったく認められない。例えば最近の格闘技を私は観ていないが、こと昔の格闘家に限って言えば、外人は最初こそ必死になって戦いを挑み、手も足も多く出して来るものの、その後なぜかあっけなく勝負を投げ出すことが多かった。

 

 

それに比して日本人は、我慢強く粘り強い。もうダメだと周囲が見ていられなくなっても戦う日本選手は、タオルが投げ込まれるまでファイティングポーズを取り続けて勝負を捨てない。

この粘り強さは、日本男児ここにありという感動を伴って幼い私の胸に迫り、泣きながら日本選手を応援したものだ。かつての日本選手たちのしぶとさは大和魂そのものであり、現代の若者が時々用いる「折れない心」という言葉に置き換えることが可能なものであろう。

 

 

そこで、私の知るリアルの悪い在日について言えば、執着心が薄いと言えば聞こえはいいが、概して根性がなく、瞬間湯沸かし器の如く短気で喧嘩っ早い。すぐにキレて、感情のおもむくまま、手当り次第の暴力的言動をぶつけて攻撃して来る。だが、その後処理が出来ずに困って、責任を取ろうとせず大きな組織に泣きつき、集団の中にもぐりこんでだんまりを決め込み、何ごともなかったかのように取り繕って逃げる弱虫ばかりだ。

 

 

もし、日本人が悪い在日に苦しめられていることを知り、日本を護るために在日叩きなり在日斬りをすると決めたならば、まっしぐらに突き進む矢のように、ブレも迷いもためらいもなく、明確に叩き斬ることが肝心であろう。たとえ標的が個人レベルに下がったとしても、個人を罵れないようなら、そんな在日叩きなど自己欺瞞に過ぎず、本物ではないから止めた方が良い。

 

 

反在日を高らかに掲げていても、個人的には決して悪い在日を叩こうとせず、悪い在日とは面識がない、個人的恨みもないなどと至極真っ当に聞こえる逃げ口上によって酷評するのを避け、歯切れが悪く及び腰となる態度がどうにも解せない。執筆についても、私的な内容はダイナミズムに欠けるといった理由をつけては、個人的な在日叩き斬りを避けて通る。日韓弁護士協議会や自民党という強力な組織がバックについている悪い在日に敬語を使い、誤字の洪水についても「意味は通じています」などと書いて、ついつい悪い在日を擁護し「大物」と持ち上げたりする。「ミセス・デシャバリーノ」こときれいごとセレブのインターナショナル在日直美氏を叩いても反撃はされないだろうから叩くけれど、こと話題がガラッパチ・ジャージ暴言族の在日に移れば、たちどころに紳士的になって煮え切らなくなる。敵のバックを十分知っているせいなのか、相当恐れているのだろうか、そうだとすれば納得もいく。

 

 

欲を言えば、活動家の男性として一目置かれようと思うなら、悪い在日のバックにいかなる権力者がついていようと、恐れることなく物ともせずに書けるくらいであってほしかった。反在日を唱える覚悟があるのであれば、徹底的に反在日を極め、どこまでもねちっこく悪い在日談義に花を咲かせ、相手が暴言を展開させたなら、暴言を奨励するつもりはないが、それに屈せず、かえって悪口雑言を駆使して罵るくらいでなければ本物の日本男児・大和魂の持ち主として悪い在日と互角には戦えないだろう。

 

 

そのためには、ワルの在日たちに接して、徹底的に嫌な思いをさせられることが必要なのかも知れない。悪い在日ならではの「お金が総て」といった人を人とも思わぬやり方、心無い言動、狡猾さ、逃げ足の速さ、人をおちょくった態度、利用した後で舌を出す悪辣さ、平気で約束を破る、毎回遅刻をする、恩を仇で返す、礼節に欠ける、人海戦術等などにとことん嫌というほど接し、在日の近所に住んで早朝や深夜に大きな騒音を立てられ、通行妨害を受ける等などのありとあらゆる嫌がらせを体験するのが本物の反在日となる早道であろう。

 

 

実体験を経れば、自ずと、活動を粘り強く支える核となるものが生まれるであろう。そして、やっと一生を賭して在日を追及しようとする者と想いを分かち合えるのではないか。私憤が存在しない限り、その活動はどこまでいっても他人ごとでしかない。人ごとに過ぎない以上、本物の抗議行動ではなく、単なる人助けであるから、スタンスの違いと割り切って、執着なくさらりと中途で放り出すことが可能となる。

 

 

もっと言えば、個人を叩かずに超大物ばかりを叩き斬ってばかりいるような人は、そういう活動を繰り返している限り自分の身や立場は安泰で、毎夜枕を高くして眠れることをよく知っている。身近にいる悪い在日を斬るのとは異なり、いくら強く激しい論調で叩いたところで、フランスのサルコジ大統領や元復興大臣の松本龍氏が自分を相手に反撃をしかけて来ることも、敵に回すこともないとの計算が働くからだろう。

 

 

そんな『ぬるま湯活動家』でいたいのなら仕方ないが、そうではなく、本当に日本を護りたいと考える信念があるなら、こと悪い在日に対しては、男女の別なく、容赦せず、自ら訴訟を起こすくらいの構えであってほしかった。私が訴訟を起こしたことによって浮上した敵のバックに対しても、その存在におじけない逞しさで立ち向かい、時に「この●ババアが」と書けるくらいの口汚さをも備えていてほしかった。

悪い在日に対しては、具体的かつ個人的な闘いが出来てこそ本物の反在日。

私はそう確信している。

 

2012年4月12日 (木)

暴言同級生の訴訟代理人・立教大学卒鈴木利治氏が所属する「日韓弁護士協議会」とは?

「日韓弁護士協議会」とは?

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日韓弁護士協議会所属 鈴木利治氏

http://www.keelson.jp/jp/jk/jk2.htm

1977.6.3.韓日弁護士協議会設立準備委員会発足

在日韓国人の権益擁護・生活安定・文化向上等を効率的に達成するため差別撤廃運動と併行して在日韓国人の幅ひろい苦悶と隘路を解決する生活相談問題の大部分が法律問題であるのに鑑み、その弁護活動の体系確立のため日本弁護士たちの韓国民団法曹協会を組織しましたが日本弁護士のみでは解決しがたい問題がありましたので、これを側面的に支援すると同時に韓日友好増進のため両国法律家たちの積極的な協力介入が要請され、1977.6.3.韓国民団法曹協会の相馬達雄会長と山崎忠志弁護士・平木純二郎弁護士・末永善久弁護士・谷正道弁護士ならびに民団大阪地方本部洪正一民生部長等が訪韓してその意を伝え、文仁亀弁護士外多数の韓国弁護士が積極的に賛同しソウル第一弁護士館(当時)で韓国弁護士協議会設立準備準備委員会を開催し、創立総会を1977.9.15.日本大阪に於て開催することとなったのが韓国側事情により延期された。

 

 

上記より明らかなように、「日韓弁護士協議会」は、当初「韓国民団法曹協会」という名称であった。

設立目的は、在日韓国人の権益擁護・生活安定・文化向上等を効率的に達成するため、差別撤廃運動と併行して、在日韓国人の幅ひろい苦悶と隘路を解決するため、在日韓国人の生活相談問題の大部分が法律問題であるのに鑑み、その弁護活動の体系確立であり、そのために、日本弁護士たちが韓国民団法曹協会を組織した。

 

 

つまり、「日韓弁護士協議会」は、在日韓国人の法律相談ならびに弁護活動の体系確立を目的に、「韓国民団法曹協会」として組織されたのであった。

 

 

日本弁護士たちが韓国民団協議会を組織した」との表現には、違和感を覚えざるを得ない。

通常『日本人弁護士』と書けば済むところ、『日本弁護士』という言葉で記されていることに特に留意する必要があろう。

何とも微妙な表現に、複雑な意味がこめられていると深読みするのは私だけではあるまい。

<つづく>

2012年4月 7日 (土)

伏竜鳳雛の若者よ、猛虎伏草の英雄たれ!

 

薬餌に親しむ私が惰眠を貪っている間にも

伏竜鳳雛の若者は、精力的に執筆をつづけていました!

拙い意見を2つのブログにご紹介いただきました。

「人権救済法案の疑似体験例!」

http://ameblo.jp/arikadodaisuke/entry-11215691206.html


 

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近隣トラブルを仕掛けてきた防犯カメラ撤去訴訟の原告には、

「実害は特にありません?!それなのになぜ訴えたの?!」と

うかがいたいです。

 

 

本人訴訟の体験者として最も申し上げたいことは、

本人訴訟が権利として許されている以上、弁護士でなくとも

主尋問と反対尋問の機会は、公平に与えられなければならない

ということです。「証拠申出書」による本人尋問の申立ては直ちに却下され、本人訴訟の原告でありながら、弁護士を付けた被告に対して、直接証拠調べをすることが許されないのです。

高裁では、地裁の1.5倍という手数料を支払わされ、裁判官が三人官女のように同じ服を着て高いひな壇に雁首を揃えたかと思えば、たった一回の期日だけで結審として、本人訴訟の当事者の異議を認めず、瞬く間に後方に逃げるように立ち去ってしまうのですから、「第二審による公平な機会」など有名無実の文言的残骸物に過ぎません。

 

 

原告でありながら、自らが起した訴訟を有利に展開させるための証拠調べをさせてもらえないという不条理は、あからさまに在日を擁護する偏向訴訟において、いわば約束事となっているようです。

 

 

支払の約束を反故にした在日コリアンに対して提起した「契約不履行訴訟」においても、私たち夫婦は、日韓弁護士協議会に所属する鈴木利治弁護士に擁護された同級生について、初回から「被告は出て来ません」と裁判官から申し渡され、証拠調べとして必要な本人尋問の申請をしても却下されて、直接尋問をすることが出来ませんでした。

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                    日韓弁護士協議会に所属する鈴木利治弁護士

 

私には、被告と交わした電話での会話や、被告が書いていたブログの文体や表現などから、過去に拙宅に届いていた私への「脅迫状」は、被告が作成し送付したものであるとの事実を裁判所に認定させるに足る、確たる証拠がありました。

 

 

また、私と被告が従前は友人関係にあり、(私が)腸の病で療養中であることを、被告が私から伝えられており、(私が)体調不良であると知り得ていながら、被告が意図的に暴言を反復・継続させた悪意ある人物であるかどうかについては、被告が出廷し、裁判官が実際に被告の姿を見て、被告の声を聞いて、被告の態度に直接ふれてみないことなしには、判断など出来るものではありません

そうお思いになりませんか?!

 

 

法曹界のみならず、在日韓国・朝鮮人の自由と人権ばかりが手厚く保護され擁護される世の中の仕組こそ、日本が在日本帝國と化している動かぬ証拠であると私は考えています。

 

「愛国帰化人から疑え!」

http://blog.livedoor.jp/samuraiari/archives/51829994.html

こちらにも少し掲載していただいております。

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採り上げてくださりありがとうございました。

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2012年3月20日 (火)

解明できない言動の背後には「宿命」が大きく横たわっている!

立教女学院の同級生タイガの結婚式と披露宴に私は招かれた。結婚式は当時AVACOブライダルホールに併設した早稲田教会、披露宴は椿山荘で開かれた。

タイガについては昨日拙ブログに記した。

 

 

披露宴での出し物を頼まれた私は、ノブくんとの結婚を望んでいたタイガとタイガの母親ルイちゃんの望みを叶えるためタイガの誕生日で熱弁を奮ってノブくんを説得した結果、見事超スピード結婚に漕ぎ着けたという感動の秘話(笑)を面白おかしく話して大爆笑を獲得しようと考えていた。

 

 

ところが、既にお笑い仲間ではなくなっていたタイガは「アマノがくっつけたってことだけは絶対に言わないでくれよな!」と真顔で私に強く念を押したのであった。

 

 

それ以外に話すことなどなかった。タイガから好きになったこと、結婚したいと思ったのもタイガの方、だから私はガンガンプッシュして、その日のうちに結婚が決まった。一連の事実は、おめでたい席をさらにおめでたくする笑い話に過ぎないものであろう。仮に私がタイガの立場だったら、自分が一目惚れして好きになるほどのいい男なら堂々と真実を公開して憚らない。だが、タイガは自分がノブくんを好きになって、私という友人にその感情を告白し、協力をも依頼して結婚したという事実を知らしめたくなかったのだ。

 

 

それならば仕方がないと当日は差し障りのないゲーム形式のインタビューを新郎新婦にして、そこそこの笑いをとった。

今でもはっきりと覚えているが、披露宴でのタイガはゴールドのドレスをまとい、同色の大きな王冠をかぶったようなきらびやかな姿で壇上にいた。まるでどこかの国王とみまがうような絢爛豪華さに驚いたが、ふくよかで貫禄のあるタイガだったから、衣装に負けず堂々と着こなせたのだろう。

私は、母とともに参列し出席した結婚式と披露宴での写真、そして、新婚旅行の写真や土産話などとともに、タイガが拙宅にやって来るのを心待ちに、楽しみにしていた。

 

 

ところが、待てど暮らせどタイガからの連絡も訪問もなかった。ぜひとも見たいと思っていた披露宴での豪華な写真や、全員で教会の前に集合して撮影した記念の写真一枚すら届かず現在に至っている。このブログを書くにあたって検索したところ、神奈川県の教会で牧師をしているノブくんの姿がその教会のホームページに認められた。

 

 

それ以前に、45歳で同窓会を開くにあたってタイガの実家に連絡をした時、思いがけずご両親と話がはずみ、タイガの父親シュン氏から「実は〇〇子(タイガの実名)の結婚式の時、うちの会社の社長の息子も出席していて、アマノを見初めちゃってね、どうしても紹介してくれって言われてたんだよ!」と暴露された。

 

 

私は玉の輿にまったく興味がない。だが、そういう話があったとすれば、その時に伝えるのが自然ではないか、何十年間も秘めたままにしたシュン氏の感覚には違和感を覚えざるを得なかった。なぜなら、タイガの父親である彼にとって私は「娘の結婚を実現させた友」だからだ。それに、そんな実績のない単なる友人であったとしても、「僕が務めているホンダの子会社の社長の息子が、あの時の披露宴に来ていてね、アマノを紹介してほしいって言っているけど、どうするかね?」と虚心坦懐に告げてくれてもよさそうなものだが。

 

 

タイガやシュン氏に限らず、軽々しく人にものを頼み、気軽に他人を動かす人ほど、自分は他人のために動かない。

 

 

逆に、私が結婚までの道筋をどなたかにつけてもらったとすれば、新婚旅行から戻ったら当然のように、海外の菓子等ささやかでも気持ちのこもった手土産とともに写真やビデオ類を持参して、報告や挨拶に出向かずにはいられない。ところがタイガは、結婚後まるでノブくんと夫婦になったことを恥じてでもいるかのように踵を返し、私に背を向けて連絡を絶った。

 

 

もしかするとタイガは、高校時代同じクラスだった親友たちに、真実とは逆のストーリーを伝えていたのかも知れない。そうだとすれば、私の存在がうとましくなったとしても無理からぬ話であろう。思い出したくない忌まわしい過去でもあるまいし、頭をめぐらせても当時の私には、何一つ思いあたる理由はなかった。

 

 

余談だが、タイガが育った家庭は夫婦別姓で、タイガの母親ルイちゃんの姓を弟のテツ氏が名乗り、タイガは父親のタイガ姓を名乗っている。沖縄に住んでいるというタイガの弟のテツ氏は、姿を見たことも紹介されたこともない。立教女学院時代に私がタイガの家に遊びに行っていた頃、ルイちゃんは自宅の隣にレコード店を開いており、五木ひろしさんの大ファンで、ひろし、ひろしと言っては追っかけに熱中していた。家にはルイちゃんのお母様が同居していらして、放し飼いにされたお猿さんがキイキイ鳴いていた。動物好きな私はまったく意に介さなかったが、今にして思えば、風変わりで複雑なご家庭だったのかも知れない。

 

 

若いタイガが恋愛の醍醐味も知らないままひたすら結婚を焦ったこと、結婚を機にすぐさま異国へと飛び出したこと、弟のテツ氏が沖縄に移り住んで自宅を顧みなくなったことには理由がある。それは、ルイちゃんやシュン氏のせいではないだろう。

そして、ノブくんと結婚したタイガが私を避けた理由、それも、タイガやノブくんのせいではなく、在日という宿命のせいだ。

今の私はそう確信している。

<つづく>

2012年3月19日 (月)

日本におけるキリスト教は、在日の、在日による、在日のための宗教!

あなたはキリスト教式の結婚式に参列した経験がおありだろうか?

私はある。

なぜなら、その日結婚式を挙げた新郎新婦にとって私は実質的な仲人であったから。

このエピソードについては拙著「ルサンチマンは女の宿痾」に記した。

 

 

立教女学院時代、お笑い仲間の友人にタイガという面白い女がいた。私達の会話は男言葉で交わされることもしばしばあり、人なつっこいタイガは、私の両親からも可愛がられていて、拙宅によく泊まりに来ては遊んでいた。

高校を卒業した私たちは、それぞれの道を歩み始めて疎遠になり、クラスも違ったため次第に会うこともなくなっていった。

ところが、ある日のこと突然タイガから連絡があり「アマノ教会に来てくれないか」と誘われた。

 

 

切羽詰まった様子に何ごとかと思って聞けば「好きな男が教会にいるんだ」とのこと。恋愛とは無縁と思われたタイガからの意外な言葉だった。そのうえ「ぜひ協力してくれ!」と頼まれれば、世話好きな私が、何もせずにいられよう筈がない。

 

 

私は日曜日を待ちかねて指定された教会に乗り込み、タイガから狙いをつけられた哀れな仔羊ならぬ果報者(?)を探した。

ノブくんと呼ばれるその男性は聖職者であった。ウエイトリフティングをしていたというだけあって太めであんこ型の体格は、剣道有段者のタイガがぶつかっていったとしてもそう簡単にはやられそうにないと見た。前髪を垂らしメガネをかけ、内気で口が重そうなはにかんだ様子も、口から先に生まれて来たように陽気なタイガとは好一対だった。

「これはくっつけなきゃ!」考えただけで私は浮き浮きしてきた。

 

 

二人を交際に導くためのきっかけづくりが、重要なカギであった。

大食漢で特に肉には目のないタイガは、拙宅に来ては母を名前の愛称で呼び、「〇ちゃん、肉!肉!」とせがんだ。誰の懐にも飛び込んでいくのがタイガの良さであったが、ノブくんだけは例外であったようだ。それが恋愛というものだろう。

その時にタイガが「俺の誕生日、〇月のニクの日だからたのむよ!」と言っていたのを思い出した。運良くその月の29日が真近に迫っていた。これだ!私は思った。「誕生会を開いてノブくんを呼ぼう」

 

 

誕生会の提案には、タイガばかりでなくタイガの家族全員まで喜び勇んでのって来た。タイガはなぜか早く結婚したい様子で、タイガの母親ルイちゃんも早い結婚を望んでいた。

そこで、紹介も兼ねてタイガの自宅にノブくんを呼び、手巻き寿司パーティを開く運びに決まった。

 

 

私はノブくんに電話をかけた。何としてもその席に来てもらわなければならなかったから仕方なくつとめて女性らしく話しかけた。ノブくんは照れた様子で「はい……はい」と繰り返し、私ひとりがしゃべっていた。「ノブさん、ぜひいらしてくださいね。お願いしますね……」懇願するように言うと、「わかりました」と明るく答えてくれた。落ち着きのある静かな声だなと思いながら大喜びで電話を切り、タイガに報告した。

 

 

何も知らないノブくんは緊張してやって来た。タイガはいつも通り冗談を言って笑っていた。ご家族も上機嫌で楽しい会ではあったが、このふたりは体格が良いせいか食べては飲むだけで、肝心の話はいっこうに進まなかった。そこで私はノブくんの隣に座ると、タイガの長所や美点ばかりを必死に売り込み始めた。ノブくんは杯を重ねるに従って上機嫌になり嬉しそうな顔つきを見せ、何とその場のノリで、当日のうちにタイガとの結婚を約束したのだ。世界最短とも言える婚約決定記録達成。この快挙こそ、タイガに私が贈った最高の誕生日プレゼントであろう。

 

 

後日ノブくんから拙宅に葉書が届いた。

「あの日から、何かにはじかれたように人生が動き出しました」と書かれていた。ノブくんはタイガと正式に結婚を決めご養子として迎えられることとなった。ノブくんの住所は、私が誘われて行った教会でありかつ後に二人が結婚式を挙げたアバコブライダルホールと同じ新宿区西早稲田2-3で早稲田奉仕園と書かれていた。青いインクの万年筆で、丁寧な縦書きの文字が並んでいた。

 

 

早稲田奉仕園は、新宿区西早稲田2-3-1に存在し、添付地図上同じ敷地に広がる2-3-18には、日本基督教団・日本キリスト教協議会・日本バプテスト同盟・在日大韓基督教会・日本キリスト教会館・在日韓国人問題研究所(RAIK)・財団法人基督教視聴覚センター・外登法問題に取り組む全国キリスト教連絡協議会・難民・移住労働者問題キリスト教連絡会・アジア基督教教育基金・キリスト教学校教育同盟・(社)キリスト教保育連盟・日本基督教奉仕団(社会福祉法人)・AVACOブライダルホールなどがある。一瞥しただけでもこの場所は、さながら、キリスト教と在日コリアンが結婚して誕生した、こどもたちの楽園のようである。

http://www.hoshien.or.jp/map/map.html

 

 

2005年7月には、「女たちの戦争と平和資料館 アクティブミュージアム」が日本キリスト教会館隣のAVACOビル2階に設置され、そこは「戦時性暴力、『慰安婦』問題の被害と加害を集めた日本初の資料館」との呼び声によって、過去に「中学生のための慰安婦展」を開催し、右翼団体とひと悶着あったとされている。資料館には、どういう女性が慰安婦にさせられたかなどが展示してあるようだ。

http://www.wam-peace.org/index.php/ianfu-mondai/qa

 

さらに、同じ敷地内で、日本キリスト教会館52号室にあるとされている在日大韓基督教会のホームページを開くと、総会長を務める大阪西成教会の名誉牧師金武士がこのホームページが、皆さまに必要でかつ、在日の正しい情報だけでなく、キリストの福音を伝えていける場にもなればと願います。」と述べている。

この括りの言葉から、このホームページは、あくまでも在日の正しい情報を伝えることが中心であり、キリストの福音という言葉などまるで付け足しの如きものであることがわかる。

http://kccj.jp/intr/soukaityou_aisatu

 

 

日本におけるキリスト教とは、在日の、在日による、在日のための宗教である。

こう断言する根拠ならば、山と揃っている。

<つづく>

2012年3月18日 (日)

「汝の同胞を愛せよ」?!キリスト教精神に基づいて取組み、支援しているものは何か?

 

昨日拙ブログで紹介した日本聖公会が設立した団体が発行する機関紙の中には「同胞がいるところなら何処までも支援物資を届けに行く。(朴 思 柔ぱくさゆ)」と書かれていた。

 

 

これは、在日韓国・朝鮮人の本音である。彼らにとって被災地への救援や支援とは日本や日本人への救援・支援ではなく、あくまで被災地にいる同胞への救援であり支援に過ぎないということであろう。

 

 

また、キリスト教の宗派である日本聖公会について調べているうちに「エキュメニズム」という言葉を知った。

これは、キリスト教の超教派による結束を目指す主義であり、キリスト教の教会一致促進運動を指す。教派を超えてキリスト教を広める宣教活動をしていこうとすることと解される。こうしたエキュメニカル運動によって1941年に日本基督教団が設立され、1948年に日本キリスト教協議会(NCC)となった。

加盟団体には、日本聖公会、在日大韓国基督教会などが含まれており、日本キリスト教協議会の議長は、日本聖公会に所属する輿石勇司祭が務め、冒頭に述べた機関紙「ウルリム」に寄稿が見られる在日大韓基督教会の許伯基(ほぺっき)牧師が書記を務めている。

 

 

日本キリスト教協議会議長である日本聖公会の輿石勇司祭は、「難民・移民労働者問題キリスト教連絡会」の代表も務めている。この団体は教派を超えて難民や外国人労働者の問題に取り組んでいるとされ、ホームページには「キリスト教精神に基づき、在日難民、外国人労働者の支援を通して、多民族多文化共生社会を目指しています。」と書かれている。次回の活動として「改訂入管法『在留カード』とは?」「だれもがわかりやすい『在留カード制度』の学習会」と題する会の開催が予定されており、講師は在日韓国人問題研究所(RAIK)所長であり立教大学兼任講師の佐藤信行氏という人だそうだ。

 

 

さて、日本キリスト教協議会がそして日本聖公会が、キリスト教精神に基づいて目指しているものは何か、そして支援しているものとは何なのか?

 

 

この問いについては、日本聖公会によって設置された「聖公会生野センター」という団体とその発行する機関紙の内容、日本聖公会の声明ならびに抗議文から読み取れるその主張と活動、さらに日本聖公会ならびに在日大韓国基督教会を加盟団体に含む日本キリスト教協議会の活動内容をも知ることによって、その基本姿勢を理解することができるだろう。

 

 

学生時代に習ったキリスト教では「汝の敵を愛せよ」と説いていたような気がするが、私の思い違いであったのだろうか。

それとも同胞以外の者は総て敵である。「汝は同胞だけを愛せよ」と改竄でもしているのであろうか。

限りなく隣人を赦す慈悲深い印象。何にも増して博愛主義といった平和的な印象がキリスト教には強い。ところが、穏当さに欠けた暴力的なチャプレンやクリスチャンと接したことによって、その印象は崩れ過激な迫害主義の偽善者という凶暴な印象へと転じた。

「右の頬を打たれれば左の頬をも差し出せ」と習った気もするが、私が知るクリスチャンの男女の頬など、もし叩こうものなら、一体どんな目に遭わされるか……そう考えただけで天に召されそうだ。

 

ご参考までに各URLを下記に貼る。

NCC設立の経緯

http://ncc-j.org/modules/pico/index.php?content_id=37

加盟団体

http://ncc-j.org/modules/pico/index.php?content_id=6

日本キリスト教協議会(NATIONAL Christian Council in Japan)

http://ncc-j.org/modules/pico/

NCCの基本姿勢1.NCCは、日本国家によるアジア・太平洋地域への侵略戦争に協力した日本基督教連盟から続く過去の歴史を自らのものとして受け止め、神とアジア・太平洋地域の人々になした罪責を告白し、正義と信頼に基づいた平和な関係を築く努力を続けます。

難民・移民労働者問題キリスト教連絡会

http://members3.jcom.home.ne.jp/nankirensato/

難キ連は教派を超えて難民や外国人労働者の問題に取り組む任意団体NGOです。私たちは、キリスト教精神に基づき、在日難民、外国人労働者の皆さんの支援を通して多民族多文化共生社会を目指しています。

講師略歴
◆佐藤信行(在日韓国人問題研究所[RAIK]所長、立教大学兼任講師)1974年から、在日コリアン一世の文学者・研究者が編集する『季刊三千里』編集部に勤務。創刊号から終刊号(197587年)まで編集に携わる。1980年代から在日コリアンの人権活動に関わり、19884月から、在日大韓基督教会の付属研究所である在日韓国人問題研究所(RAIK)スタッフを経て、現職。その他在日外国人の人権擁護に関わる「外国人学校・民族学校の制度的保障を実現するネットワーク」、「外国人人権法連絡会」、「外登法問題と取り組む全国キリスト教連絡協議会」等の運営を担っている。

参考
「似て非なるもの 住民基本台帳法」(2008-02-06『民団新聞』)
 http://www.mindan.org/search_view.php?mode=news&id=9261
「外国籍住民に対する人権保障の現状――多民族・多文化共生社会をめざして」(200777日 於:広島市まちづくり市民交流プラザ研修室A) http://www.geocities.jp/hg_net2003/foreigner.html
記念講演「日本の外国人政策の現在と、子どもの教育権」(200762日 於:神奈川県教育会館) http://blog.goo.ne.jp/yshmuto/e/25f144bafbdd3fe7087eb876fe1f73c6

<つづく>

2012年3月17日 (土)

日本聖公会による日本国政府への抗議内容とは?!

「日本聖公会管区事務所」のホームページを開くと、上から4つ目に、声明・要請・決議文「聖公会は主張する」という項目があり、政府などへの声明・要請・抗議文や、教区や教会への声明・アピール文を読むことができる。

そこには、日本聖公会から日本政府への、死刑執行と靖国参拝に対する抗議文が掲載されていた

http://www.nskk.org/province/seimei_seifu1.html

内閣総理大臣 菅直人様

法務大臣 千葉景子様

2010年7月28日、東京拘置所において尾形英紀さん及び篠沢一男さんに死刑が執行され、尊い2人の生命と償いへの道が失われたことに対し、強い落胆と憤りを持って抗議致します。

死刑執行抗議

内閣総理大臣 麻生太郎様

法務大臣 森英介様

2009年7月28日、大阪拘置所において山地悠紀夫さん、前上博さん、そして東京拘置所において陳徳通さんに死刑が執行されたことに対し、強い憤りを持って抗議致します。

日本聖公会 正義と平和委員会 委員長 主教 谷 昌二

日本聖公会は、総会で、政府に対し死刑執行の停止を求める決議を行うとともに、死刑制度そのものに反対して参りました。今、兄弟を失うという悲しみの中で、死刑の執行に強く抗議いたします。また、再び死刑執行という人間の尊厳に対する蹂躙を行わないよう、死刑制度そのものの廃止を強く要請するものであります。

抗 議 文

わたしたちは、小泉首相が靖国神社にいかなる時期、いかなる形式であれ参拝することに反対し、抗議することを決議します。

2002年5月30日 

日本聖公会第53(定期)総会 議長 首座主教 古本純一郎

http://www.nskk.org/province/seimei_pdf/2002_0530.pdf

 

 

次に、日本聖公会が1992年に設立した特定非営利活動法人「聖公会生野センター」について考察すると、日本聖公会によって設立されていながら「日本」の文字が削除されているし、教会でもない。この聖公会生野センターとは何かをネットで検索した。すると、主に在日韓国人・朝鮮人を対象にした施設と書いてあった。そして、日本聖公会では、総会の決議決定により、この「聖公会生野センターの働きのための礼拝」を主日に加えている。

ここで、「主日」とは、ウィキペディアによれば、キリスト教で日曜日を指していう言葉であり、主イエスキリストの復活の日であるそうだ。主の日ということで主日と呼ばれ、教会で必ず礼拝を行なうべき日とされている。

また、「日本聖公会東京教区」には「正義と平和協議会」が設置されており、「聖公会生野センターと共に歩む会」という団体も存在する。この活動は、聖公会生野センターのための協働及び支援であり、日本聖公会に占める聖公会生野センターの位置づけが自ずと知れるところである。 

日本聖公会管区事務所のホームページから、総会の決議決定により、この「聖公会生野センターの働きのための礼拝」を主日に加えたと案内する文を見てみよう

http://nskkshinse.blog116.fc2.com/blog-entry-52.html

聖公会生野センターの働きのため主の御名を賛美いたします。今年も31日(1919年の三・一独立運動の日)に近い主日、本年は3月4日大斎節第2主日の信施を「聖公会生野センターの働きのため」、祈りのうちに覚え、おささげくださいますことを感謝申し上げます。
日韓併合から100年以上が過ぎました。この30年近くの長きにわたり日韓聖公会共に歩んできた和解の働きは両聖公会の「次の100年」が共生の100年に向かっていると存じます。このことは昨年の東日本大震災の際、即座にお見舞いと祈り、そして支援の手が大韓聖公会から捧げられたことからも見ることができます。
聖公会生野センターは、日本近現代史の中で、朝鮮半島への侵略によって犯した多くの罪に対する懺悔とそれに対する和解への思いが、在日韓国朝鮮人の多い大阪市生野区における働きとなって、「聖ガブリエル教会」の存在と共に、目に見える形をもって結実した小さな社会宣教体の一つです。
聖公会生野センターは1992年の開設以来今年で20年の年を迎えることになり、それを記念した取り組みも計画中です。NPO法人となって8年目、新拠点も与えられて5年目を迎え、社会宣教としての活動の幅も広がり、地域社会の人々との出会いと学びと交わりの場所を提供しています。韓国語教室、在日のお年寄りの集い、昼食サービス、障がいを持った人たちの美術教室や障がい者への支援活動、落語会など、多くの大切な活動がなされています。
「互いに愛し合いなさい」という思いと信仰によって地域の人々と共に歩んでいく働きを、生野区の地域福祉委員会、教区の在日韓国朝鮮人宣教協働委員会、管区の正義と平和・日韓協働プロジェクト、大韓聖公会の分かち合いの家などとの連携と交流を一層深めながら更に進めていきたいとスタッフ一同、心から願っております。
不況の下、財政的には大変厳しい聖公会生野センターの働きですが、神に喜ばれ、福祉の狭間で生きる人々と共に歩む働きをこれからも続けてまいります。皆さまの熱いお祈りとご支援をたまわりますよう、心よりお願い申し上げます。
2012年2月13日
聖公会生野センター
理事長 主教 大西 修
総主事 呉光現
http://nskk.org/ikuno/

 

 

設立趣意書は次のとおり。http://www.nskk.org/ikuno/nakami/seturitusyusi.html

 

 

 

聖公会生野センターの機関紙「ウルリム」の記事には、反日感情渦巻く内容が見られ、韓国・朝鮮の話題でもちきりである。前回拙ブログで紹介した「君が代は伴奏できない」という井田泉牧師の記事は、ここにも掲載されている。各記事の抜粋を下記に紹介するが、本日拙ブログ冒頭に掲げた、日本聖公会による日本国政府への抗議文ならびに、日本聖公会が聖公会生田センターへの祈りを総会の決議によって主日としたと案内する文書、さらに日本聖公会が設立した聖公会生田センターの設立趣意書、聖公会生田センターが発行する機関紙などを一瞥すれば、日本聖公会がいかなる教義を説くキリスト教団体かよりも、いかなる主義主張を持つ団体であるかは言わずと知れよう。

特に前述の設立趣意書において、「キリスト教」という文言は、「日本社会に対し、キリスト教精神に基づき、」という箇所だけであることに留意すべきである。日本聖公会によって設立されたとの大義名分を保つため、申し訳程度にキリスト教精神に基づきと書かれてはいるもの、いみじくも、キリスト教関係者が発信する文書として中心に据えられていなければならない筈の「キリスト教精神に基づき」という文言がとってつけたように浮いていてまったく意味を成しておらず、書かれていなくても何の不都合もない。むしろ、「日本社会に対し」という言葉が不可欠と感じられるようでは本末転倒である。つまり、日本聖公会は、日本の朝鮮植民地支配により形成され日本の敗戦後も差別社会にさらされてきた在日韓国・朝鮮人が最も多く居住し、暮らしているとされている大阪・生野区をわざわざ選んで、「聖公会生野センター」を設立し、日本社会に対し、キリスト教精神に基づいて、在日韓国・朝鮮人が抱えている諸課題に取り組み、主日礼拝を捧げ、生野センターと共に歩む会という団体が、支援をもしているのである。

私は、日本を『在日本帝國』へと向かわせている中心的存在には、牧師や司祭など聖職者とクリスチャン及び教会関係者の全員が含まれていると確信しているが、その一方で、私の考えが一主婦の推認であることを願っている。なぜなら、「気に入らない日本人になら、どんなに無礼なふるまいをしようが、いかなる不躾な口のきき方をしようが、祈れば主が許してくださる」といった、過激で身勝手で神をも畏れぬ傲岸不遜なクリスチャンが後をたたなくなれば、平安な世の中など望めなくなってしまうからである。

 

以下は機関紙からの抜粋である。ご参考までに。

http://www.nskk.org/ikuno/nakami/gazou/ururimu/PDF/ururimu54.pdf

「いっしょに歩く」という祈り 加藤 博道 (かとう ひろみち 日本聖公会東北教区主教

「『共に生きる』なんて言うけれど、共に生きることなんて出来ていないじゃないか」。今から20年も前、一人の在日韓国人神学生の口から出た言葉でした。しかし続いて彼はこうも言ったのです。

「だから、その共に生きることなんか出来ていないという現実を、一緒に見ていこうじゃないですか」。

大地は揺れても、笑顔でいこう! 朴 思 柔 (ぱく さゆ 小さな声 低い視線 コ マ プ レ ス)

同胞たちは、沿岸部の津波被害がひどかった地域までくまなく回り、(朝鮮)総連、(韓国)民団の区別なく、同胞がいるところなら何処までも支援物資を届けに行く。もともと仲の良かった日本学校や地域住民の方々は、「災難の中、近所にこんなお隣さんが居て良かった」と言いたいのか、炊き出し中の同胞の手を握る。そんな中、宮城県の村井嘉浩知事は、朝鮮学校への補助金を来年度から交付しないことを決定した。その理由として宮城県があげた言葉は「県民感情」。●「東日本大震災東北朝鮮学校の記録2011.3.15 3.20」山形国際ドキュメンタリー映画際にて上映 日本のドキュメンタリストとして世界的にも名声が高い、故小川紳介監督を中心に作り上げられた山形国際ドキュメンタリー映画際で、今年は『東日本大震災復興支援上映プロジェクトCinema With Us ともにある』が、急遽編成されたという。今回大震災の時、日本学校や避難所には来てくれた給水車が当然のようにハッキョ(学校)には来てくれなかったことからわかるように、朝鮮学校は、そこに何十年も前から地域の一構成員として存在してきたのにも関わらず、まるで居なかったようにされている日本の現実。『在日』って言葉その通り、『日本に居る』存在であるはずなのに、まるで『居ない存在』として否定されている不条理な現実。仙台のど真ん中に『在日』が、『朝鮮学校』が存在して、地域の日本住民の方々のために、全員お昼なんか抜きにしながらもお米や食糧をわかちあって支援してきたことや、大震災に在日がどのように向き合ってきたのか、そのありのままの記録を世界に発信しなくてはと、あわてて編集に挑む。 さすが、山形映画祭。締め切りが終わった時点にも関わらず、『朝鮮学校の大震災記録も是非上映しなくては』と、緊急に編成を組み直す。10 12 日、山形映画祭閉幕式の日、震災プロジェクトの末尾として「東日本大震災 東北朝鮮学校の記録2011.3.15 3.20」上映! 東北ハッキョの校長先生が自ら山形まで駆け付け、上映後コマプレスと共に観客の質問に答える。『県民感情のため、宮城県が補助金を切った、という字幕が出ていたが、本当に県がそんな事をいってましたか』という質問に、校長先生は、『県民感情』とはっきりいってましたと証言する。ご年配の女性観客は『日本人としてすごく恥ずかしい。これは日本の恥で、人権問題です』と力を込めておっしゃっていました。日本の著名な映画評論家は『パリで見せますよ』と映像を一部コピーして行った。東京や横浜、大阪など日本各地から、この『東北朝鮮学校の記録』を観るために来てくれたという日本市民の方々は、『是非地元で上映会を行いたい』と宣言。 北海道の朝鮮学校に住みながら撮影した映画『ウリハッキョ』の金キム. ミョンジュン明俊監督も『是非とも韓国で上映会をしたい!』と熱く語る。今回一番大きい収穫は、大震災と向き合った同胞の姿と、朝鮮学校の置かれている日本社会の現実を世界に発信出来たこと。オーストラリアの映画関係者は『英語字幕を入れて送って欲しい』と名刺を渡してきた。●校舎は撤去され、瓦礫だけ残り 東北ハッキョの校舎は取り壊しが決まり、新校舎建設に向けての険しい道のりが始まっている。子どもたちは、大きな重機が校舎を壊し始めた途端、泣き出したという。『だから出来るだけ子どもたちに解体現場を見せないようにしてます』という先生。東北朝鮮学校の出身も多いこの学校の若い先生方は、10 年以上学んだり、教えたりした校舎が解体されていく様子を、毎日近いところから見届けながら胸を痛んでる。しかも再建費用の半額を負担するという決定があったものの、日本の行政は不透明な態度を見せている。ハッキョの子どもたちが一日でも早く安心して民族教育を受けられる環境をつくるために、市民連帯の力で、持続的で柔軟な支援をお願いしたい! 大地は揺れても、笑顔で行こう!《募金の宛先》仙台銀行 八木山支店(普通)1891841 学校法人宮城朝鮮学園 理事長 金進弘

震災の中で思ったこと 許 伯 基(ほ べっき 在日大韓つくば東京教会 牧師)

東北・関東のどの教会も非常事態に瀕していたことは間違いない。しかし、在日韓国教会の抱えていた問題は、特有なものだった。それは、原発事故による放射能汚染を恐れた韓国人信徒たちの大量帰国であった。私の仕える教会では、大震災発生から2週間の間に6割の信徒が教会から消えた。同僚の牧師たちに聞くと、どの教会も状況は似たり寄ったりで、信徒の8割が一時帰国した、という教会もあれば、そもそも牧師自体が韓国に避難してしまった、という教会もある。おそらく彼らは、自分たちを苦難から救われた神に、感謝の祈りを捧げたことだろう。

日本聖公会、東日本大震災被災者支援「いっしょに歩こう!プロジェクト」池住圭(いけずみ けい 運営委員・外国人被災者支援担当)

外国籍住民を特別視することなく地域に迎え入れ、言語や生活習慣の異なる人たちが安心して、豊かに暮らせるような、地域に応じた仕組みを作り直すことや、政府、地方自治体に提言していくことも、被災者支援を通して外国籍住民の一人ひとりに出会った私たちが、今求められていることではないかと思います。

人こそ最大の支援 金 光 敏(きむ・くぁんみん 特定非営利活動法人コリアNGOセンター事務局長/ 教育コーディネーター) 

「多様性教育」を被災地の教育復興のテーマにしてはどうか。宮城県の大学を訪れた際、ある教員が「学生らと祖父母世代間で言語の共通性が損なわれている」と述べた。東北の言葉が次世代に引き継がれず、日本の歴史多様性を象徴する一つである東北文化でさえ東京発の均質文化に染まっている。私は東北の独自性を復活させることで「多様性」を蘇らせてほしいと考えている。

“日本”への祈りを中村 香(なかむら かおり 韓国在住)

2011 年3月11 日、私は神戸にいた。テレビで津波に飲みこまれる東北を見ていた。15 日には予約してあった飛行機に乗って、韓国に戻った。日本は福島第一原発4号機が水素爆発をするかしないかで緊迫していた。家を出る直前までテレビを見ながら、どうかこの爆発を止めてくれるように、放射能が漏れないようにと、祈っていた。韓国に戻るのはまるで日本を捨てて行くようで、上空でビールを飲みながらジュルジュル泣いた。自分は何ともなかったのに、神戸は何ともなかったのに、東北が、日本が痛みに合ったとき、自分も痛いことに驚いた。自分が日本の一部であり、日本人であることを痛感した。韓国に着いた。リムジンバスに乗った。バス前方のテレビに映っていたのは韓国ドラマだった。当たり前だ。当時日本では緊急生中継しかしていなかった。定時になってニュースが始まった。4号機がボッカーーンと爆発した映像だった。私はその場で声を押し殺して号泣した。バスの中は韓国人、外国人がいて、おしゃべりしている人、携帯電話で話している人、寝ている人、様々だった。しかし今、この日本のニュースを見ている人は誰国に住むということだ。分ってはいるつもりだが寂しくて悲しく、ああ、私は韓国に戻って来てしまったんだという実感に、おいおい泣いた。

金時鐘四時詩集『失くした季節』(藤原書店)磯貝治良(いそがい じろう 在日朝鮮人作家を読む会代表)

金時鐘氏の詩集を紹介する内容。金時鐘氏は、1929年生まれ。在日朝鮮人の詩人であり、朝鮮文学者。1949年6月5日、密航船に乗り込み、神戸沖(須磨付近)に上陸した。

齊藤 壹 「鶴橋に住んでるんやけど‥」(さいとう はじめ)

「齊藤君、牧師になってよかった?今どこにいるの?」なんて尋ねられ、待ってましたとばかりに、「良かったと思ってるよ。・・今、焼肉の町・鶴橋にいるけど・・来たことある?コリアンタウンも近いよ。」

ウルリム機関紙 編集後記(ぴっくぁんちゃ

10 月に済州島にいった「在日済州島人1 世故郷訪問事業」のつきそい。28 年ぶりの姉妹の再会を目の当たりにし、故郷の空気のためだろうか?元気に踊り出したり、帰りたくないとだだをこねるハルモニの姿を見て8 年前に亡くなった済州島1 世の母を思い出した

<つづく>

 

2012年3月16日 (金)

日本聖公会京都教区で活動する立教大学卒の牧師の考えなどについて

本日は、日本聖公会京都教区で活動する立教大学卒・井田泉牧師の考えを紹介する。日本聖公会京都教区についての説明は、まず、関西弁で書かれた下記のURLからご覧頂きたい。

http://www.nskk.org/kyoto/kyoto/index.html

日本聖公会京都教区とは:

日本聖公会の要覧によりますと、日本聖公会11教区の中で京都教区は北から数えて7番目に位置してるんどすえ。

京都教区には42の教会があります。これは日本一どすえ。2番目が東京教区の33教会ですから、まぁ言うたらダントツでんな。でもな、主教はん1人と、司祭はん28人、執事はんが2人で、合わせて31人の聖職がいてはりますねんけど、この数は、東京教区、横浜教区に次いで3番目ですねん。信徒はんらの数(現在受聖餐者)が東京は4800人程、横浜は3300人程に比べて、おおかた2000人程ですねん。この数は大阪(2200人)にも負けてます。早い話が、京都教区の諸教会の目立つ特徴は、幼稚園や保育所など多くの施設を併設して、地域社会に貢献していることどす。幼稚園と保育所の数は合わせて30個所、他の教区とは比べられまへん。

 

 

次に、この日本聖公会京都教区では、被害女性が小学4年生から高校3年生に至るまでの間、礼拝堂その他で牧師が「姦淫」の行為を繰り返したという破廉恥な事件も過去にはあったようだ。

http://www.geocities.jp/asshor15/seikoukai.html#no04

7.立教大学小宮山理事長殿

武藤主教が立教チャプレン長を辞任す!

(2007年3月31日付け)

日本聖公会京都教区の人権侵犯事件の責任を問う (性的虐待で司祭が敗訴、慰謝料500万円支払い)これほど悪質な100年に一度あるかないかの司祭による性犯罪は聞いたことがない!その性犯罪事件の対応を誤り、被害者に3重の苦しみを与えた!その最高責任者の武藤主教が立教大学の総長の上に平然と座っていて良いのか?

立教学院理事長・総長へ手紙 20068.12更新

 

 

京都聖三一教会の井田泉牧師は、下記のような日本聖公会の戦争責任に関する宣言ならびに2011530日声明文「『日の丸・君が代』の強制に、私たちは信仰に基づいて反対します」と日本聖公会平和ネットワーク代表として発表し、「君が代」は伴奏出来ないとブログに書いている。

 

 

日本聖公会の戦争責任に関する宣言

2011815日に池袋聖公会で行った講演「悔い改めからの出発──日本聖公会の戦争責任に関する宣言1996」の抜粋(全体の2/3程度)が池袋聖公会のHPに掲載されました。http://blog.livedoor.jp/izaya/archives/51825996.html

http://www002.upp.so-net.ne.jp/izaya/NSKKSensekiketsugi1996.pdf

 

2011530日声明文「『日の丸・君が代』の強制に、私たちは信仰に基づいて反対します」

私たちは、大阪府の施設における「日の丸」掲揚と、大阪府立学校及び府内の市町村立学校における教職員に対する「君が代」の起立による斉唱を義務化する条例案を可決しないことを求めます。
<大阪府知事および大阪府議会議員全員に送付しました。>

https://sites.google.com/site/seikokaiheiwanetwork/what/satatement/20110530

「君が代は伴奏できない」-東京都人事委員会を傍聴して

http://www002.upp.so-net.ne.jp/izaya/kimigayobanso201111.pdf

さらに、井田牧師は、安重根という人物についても書いている。

安重根は、1909年10月26日伊藤博文が、日露交渉のために満州のハルピンを訪れた時に射殺した韓国人である。井田牧師は、韓国で英雄視されるこの安重根についての論文を立教大学在職時に書いており、安重根がクリスチャンであった事実をブログに書いた。

「安重根と千葉十七」より抜粋。

今から26年前の1984年、立教大学の助手時代に「安重根とキリスト教」という論文を書いた。(立教大学キリスト教学会『キリスト教学』第26号)

彼(安重根)が徹底的に真摯なキリスト教徒であることを発見して大変驚いた。

http://blog.livedoor.jp/izaya/archives/51691663.html

 

 

ちなみに、安重根の遺言は下記のとおり。
私が死んだ後、遺骨をハルビン公園の近くに埋めておき、国権が回復した時に故郷に返葬してほしい。
私は天国に行っても*また、国権の回復のために尽くすつもりだ。君たちは帰って同胞に、皆が各々国のために責任を負い、国民としての義務を果たし、心を一つにし、力を合わせて功労を立て業を達げるようにと、伝えてくれ。大韓独立の声が天国に聞こえてきたら私はきっと踊りながら万歳を叫ぶだろう。
*筆者注:安重根は洗礼を受けてキリスト教徒であった

安重根義士紀念館

http://konotabi.com/seoulprison/6anmuseum/prison6anmuseum.htm

 

 

日の丸・君が代の反対署名運動には、日本聖公会東京教区の前田良彦司祭も堂々と名をつらねている。この前田良彦司祭は、1947年7月22日立教女学院聖マーガレット礼拝堂を聖堂として杉並区松庵に設立、認可された「聖マーガレット教会」で活動をしている。

http://www.nskk.org/tokyo/church/margaret/rector/index2011.htm

 

「日の丸・君が代」法制化反対! 7・23大集会 呼びかけ人

http://www.kotani-j.com/madonna/other/demo.html

前田 良彦(日本聖公会司祭)

森山つとむ(キリスト教「日の丸・君が代」法制化反対署名運動センター代表)

小河 義伸(キリスト教「日の丸・君が代」法制化反対署名センター事務局長)

大島 孝一(キリスト者政治連盟委員長)

大津 健一(日本キリスト教協議会総幹事)

徳善 義和(日本キリスト教協議会議長)

 

 

また、日本聖公会東京教区が発刊した「日韓教会交流史」を見ると、日本聖公会には、韓国への「悔い改め」と「謝罪」が求められており、「赦し」と「和解」を経て救いの恵みに与かる道を進むことが出来ると書かれている。さらに、日本聖公会には、韓国への献身が求められているとも記されており、本当に日本人が書いたのかとの疑念を禁じ得ない。http://www.nskk.org/tokyo/data/0103nikkan/nikkan_p.pdf

日韓教会交流史

序―――

東京教区の日韓交流プロジェクトが、『日韓交流史』を発刊され、大変嬉しく思っています。

日本聖公会にとって、その宣教の使命を遂行するために、韓国との関わりを常に振り返り、またこの関わりを保ち続けることは必須の事柄です。日韓関係の歴史には、日本聖公会が、「悔い改め」、「謝罪」、「赦し」、「和解」という、救いの恵みに与かる道を進む福音の根本的要素が含まれているからです。

方承熹氏の『韓日聖公会交流史に関する考察』の結びの言葉の中で両教会が「献身を土台」としていかなければならないことを書いておられます。この〔神の派遣〕(宣教)の業への献身は、特に日本聖公会にとって求められていることであると思います。本書が東京教区にとって、この課題に取り組む手がかりになることを期待します。

主教 竹田 眞

 

 

さらに、次に紹介する「国家保安法撤廃のための篭城支持声明」に至っては、まさに日本聖公会は韓国と一体で活動しているとしか考えられない内容である。「日本聖公会」という名の下に、彼らはどういう活動をしているのか、こうした声明文がキリスト教の布教活動や教義を広める伝道活動なのかと首をかしげざるを得ない。

キリスト教を司る者たちは、一般の社会活動家や政治家たち以上に緊密に結びつき、教会を中心に、政治的・社会的活動をし、意見を表明する集団ではないか。そして、彼らを結びつける強い絆のひとつが『反日感情』であることは間違いない。

 

http://www.rikkyo.ne.jp/~kayama/mokusou/sijiseimeidec22.htm

URL内に rikkyoの文字が見える

国家保安法撤廃のための篭城支持声明

 

私たちは、2004年12月13日、大韓民国国会前において、大韓聖公会正義と平和司祭団が国家保安法撤廃のための断食篭城を開始したとの知らせを受けました。私たちは、国家保安法の無条件即時撤廃を要求する大韓聖公会正義と平和司祭団の皆様と、国家保安法の撤廃を要求し断食を行う1000余名の兄弟姉妹に連帯と支持を表明します。私たちは御子の御降誕にあたり、正義と平和を願う韓国の兄弟姉妹の切実なる祈りを受け止め、ともに正義と平和の御国の実現を切望するものであります。

正義と平和、和解と希望の福音に生きるキリスト者として、自己犠牲をいとわぬ預言者的使命へと召された聖職者として、民主的で自由な開かれた社会の実現を希求する市民として、皆さんが国家保安法によって弾圧され殺されていった先達を想起し、来るべき南北統一に備え、半世紀にわたる暴力と人権弾圧の元凶であった国家保安法の撤廃を要求するために祈り行動されることは正当にして当然のことです。

私たちは日本の地にある同僚、兄弟姉妹として、皆さんの行動と連帯し私たちの課題と取り組むことをここに表明します。平和の君、御子の降誕による祝福が皆さんとともにありますように。

2004年12月22日

日本聖公会正義と平和委員会委員長 主教谷昌二
東京教区正義と平和協議会議長 司祭香山洋人
聖公会生野センター
司祭柳時京(宣教師、東京教区)、司祭任大彬(大阪教区)、執事李民洙(宣教師、東京教区)、司祭丁胤植(宣教師、中部教区)、司祭朴美賢(宣教師、沖縄教区)、司祭成成鍾(宣教師、沖縄教区)、司祭西原廉太(中部教区、NCCJ副議長)、司祭八木正言(東京教区)、呉光現(聖公会生野センター総主事)、
司祭井田泉(京都教区)、司祭前田良彦(東京教区)、司祭小林聡(京都教区)、松浦順子(東京教区、NCCJ女性委員会委員長)、司祭野村潔(中部教区教務局長)、司祭山野繁子(東京教区)、司祭秋葉晴彦(北関東教区)、楡原民佳(東京教区)、菊池邦杳(北関東教区)、小山俊雄(横浜教区)

<つづく>

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