映画・テレビ

2017年8月 2日 (水)

誰もが好きなおやつ……それを食べ過ぎた後に失う物はとてつもなく大きい。

実はテレビが好きだ。

 



パッと点けた時に流れていた画面が、その時の自分に少なからず影響を与えることもあり、テレビ占いのように感じられる時がある。

 



先日は往年の美人女優、星百合子さんの主演されていたドラマ「
緑川警部VS殺人トランプ」の再放送が画面に映し出された。

 



「お母さんはお金としか暮らせない人」との厳しい非難の声とともに、星百合子さんの子供たちが、星さん演じるところの資産家と思しきやり手の人物から、次々と立ち去って行くシーンに変わった。

 



車椅子に座った星さんは、多くの富を抱えながらも、空疎で貧相な役どころを演じていらした。

 



今日も作業の手を休めてリモコンを握りパッとテレビを点けてみた。

 



すると、今日は往年の歌手、橋幸夫さんが何とコメンテイターとしてワイドショーに出演していて意見を求められていたのだった。

 



フリップには、松居一代さんがお金に執着心が強いという話題が提示されていて、橋幸夫さんは、松居さんはお金にこだわり過ぎたから、船越さんが逃げちゃったのではないでしょうか、お金、お金では、男は嫌になりますよ、といった趣旨の発言をされていたようだった。

 



これはかなり前の話になる。

 



主人と私は、就業時間が終わるのを待ちかねて、IBM本社からほど近い溜池のケーキ店に、当時アルバイトをしていた若い女性たち3名を伴って、美味しいスイーツを求めて行った。

 



好物のチョコレートパイを堪能しながら得意の馬鹿話トークを炸裂させて女性たちを笑わせていると、ひとりの女性が手をあげてコーヒーをお代わりした。

 



ああ、コーヒーのお代わり、無料なのねと気づいた。

 



それからもその女性は、さほど長居をした訳でもないのに、5~6杯どころではないお代わり注文を、こまめに繰り返したのだった。

 



帰り道で、いくらタダだからって、ちょっと……いただけないよね。と主人が軽くつぶやいた。

 



お代わりの手を挙げ続ける女性が、いささか不快に映っていたようだった。

 



桜の花の枝を無料配布する仕事に回った人が、「ひとり1本だけですよ」と注意されても聞かず、1回もらった桜の枝をどこかに置いて再度並ぶ者、もっといい枝に代えようとする者などを見ていて、「こういうあさましい連中にだけはなるまいと思った」と強く憤りを伝える記事を読んだことがある。

 



また、他者の家に招かれ、今が旬の貴重な食べ物を提供されて、「1回〇個までにしてください。でないと、お腹をこわします」と言われても聞かずに、食べたいだけ食べた者の記事もあった

 



これは何も本当に食べている人のお腹具合を気にして与えた注意ではないと思われ、もしかすると、そのご家庭やご家族にも少し取っておかれたい、残しておきたいお気持ちもあり、残しておいて欲しくて「お腹をこわしますよ」と注意を呼びかけたのかも、釘を刺したのかも知れない。

 



或いは、いくら美味しいからといって、個以上も頬張ってはレディとしての慎みに欠けますよ、と婉曲にやんわりと伝える大人のメッセージだったのかも知れない。

 



自分の姿にはなかなか気がつかないものだが、桜の花も食べ物も、無料で提供されているからこそ、配布者からの注意や、提供してくださっている家主さんからの注意には素直に応じて、感謝とともにありがたくいただきたいものである。

 



閑話休題。冒頭の松居一代さんの話題に戻ろう。

 



一連の離婚騒動についての報道で、私の目に留まった出来事があった。

 



それは、2010年2月にお妹さんを、7月にお母上様を、船越栄一郎さんが、次々と亡くされたという、無常の風が吹きすさぶが如く酷な出来事であった。

 



船越さんは、一時、顔面神経痛を患ってしまわれたとの報道もあった。

 


ウィキペディアには、同年4月、妻である松居さんは、「愛媛女子短期大学健康スポーツ学科特任教授に就任。「マツイ棒」の作り方や夫の操作術、ピンチ脱出法などを「ライフスタイル研究1」講義で伝授する。」と公表されている。

 



教授に就任したばかりで浮き足立ち、ビジネスに頭と神経を集中させるあまり、船越さんのご心情に寄り添って過ごす時間がどうしても少なくなってしまわれたのではないだろうか。

 



本来は、お掃除が大好きな、明るく賢い奥さん、しかも悪態をつきながらも根本は、船越さんのことが大好きだからこそ過度の焼きもちを焼いていると伝わって来るだけに、おおらかで、聞き上手な、やさしいご主人と何とかもう一度やり直せないものかと、他人事ながら思えてならない。

 



又、これも昔パッと点けたテレビだったが、渡辺篤史さんが聞き手となって、素敵なお宅を訪問して回わり、間取りなどを見せていただくという番組「渡辺篤史の建もの探訪」の中で、お料理上手な奥様が開く料理教室用のとても広くて使いやすそうな快適なキッチンと大きなテーブルが置かれた部屋が眼下に見渡せる小部屋の中からの映像が映し出されていたことがあった。

 


小部屋には小さなガス台が置いてあり、メガネをかけた若いご主人は、料理教室の間はそこでカップラーメンなどを食べて過ごすと言っていた。

 



毎日のことではないにしろ、こうした光景を見るにつけ、どこぞの女性議員ではないが、「違うだろー」と私の心が小さく叫ぶ。

 



一体何が大切なのだろう。

 



大切なものはお金だと言い切る人もいる。

 



だから、お金という誰もが好きなおやつを差し出されると、主人の好きな時代劇でもなく、私の好きな西部劇でもない、今の御時世、おやつを持っていない人物などくるりと背を向けて寝返られ、考えるいとまもなく、いくつでもおやつを差し出してくれる相手方へと躊躇なくつき進んでゆくことを、私は知らされた。

 



だが、調子に乗ってこのおやつを食べ過ぎた者を待っているのは、使い古された台詞だが、金言どおり「お金では買えないもの」を失った時の空しさであろう。

 



お腹はいっぱいで、満たされている筈なのに、心は乾き、愛に飢えている自分の痛みを知った時、はじめて愛を、情を、そして何よりも大切な、人々の心を置き去りにして金と欲に走ってきた自分をいやという程知り、後悔の念に苛まれるのではないか。

 



私はそう思っている。

2017年1月17日 (火)

どうしようもない人が母親だった時、子どもはどうすればいいか-「愛を乞うひと」を視て-

テレビドラマ「愛を乞うひと」を視た。

http://www.ytv.co.jp/aikou/


どうしようもない母親を、どうしようもなく愛していました」との宣伝文が、実話をドラマ化したこの作品を簡潔ながら言い得ている。


虐待は私の想像をはるかに超えた世界であり、残念ながら同情することも共感することもできない。


愛情がない筈はないのだから内心は虐待母も辛かっただろうなどと思いながらも、到底理解するには及ばなかった。


だが親と子については考えるところがあった。


子どもが見ているのは親の背中のみではない。


子どもたちは親の総てをじっと見つめている。


親の表情やしぐさから、考え方や言動に至るまで、その総てを子どもたちはつぶさに観察しながら日々成長していく。


親がどうしようもない人間で、常人には太刀打ち出来ないような桁外れの悪性があった場合、それを子どもが反面教師として覚めた目で冷静に捉えず、取り込まないよう努力もせず、抵抗せず無批判にやり過ごしてきたとすれば、その子どもは親の悪性を受け入れたも同然である。


その結果、許し難い親の欠点をそっくりそのままその子どもが受け継ぐ事態になりかねない。


このドラマ(実話)の場合、母親の悪性が「虐待」というわかりやすい形で顕著に露見していたため、子どもは「虐待は恐い」「虐待によって死ぬことがある」「虐待は何よりも残酷である」「虐待はきわめて悪質な行為だ」と自らの実体験によって明確に認識することが可能であった。


もしかすると虐待された子どもたちの中には「虐待は悪」と認識していながら母親と同じように我が子を虐待する道を辿ってしまう者もいるだろう。



だがドラマの子どもは強く賢かった。


初めてのお給料を片手に、勇気をもって、虐待母から逃げ出したのだ。

 もっとも逃げ出した原因は、その子のお給料を「出しな。給料日だろう、出しな」「仕事に行くんだからさぁ、とっとと出せって言ってんだよ!」と声を荒げながら、虐待母が夜の仕事に出かける前に、その子の給与袋ごとむしり取り、中から硬貨だけをお小遣いと称して畳の上に叩き付けたことにあり、取り戻そうとしたその子に暴力を振るって、大きなたらいの水を頭からかけたことにあった。

 

死に物狂いでお給料を取り戻しそのまま逃げようとするその子に、異父きょうだいにあたる弟が必死で手を貸したお蔭で、何とかその子は逃亡に成功した。


逃げ出したその子は苦労が報われて、心優しい男性と結婚し、やがて授かったひとり娘と打って変ったように心穏やかな日々を過ごすようになる。


努力と忍耐力の甲斐あって、波風の立たない平穏な日々を獲得したのだ。


虐待母の下から逃げ出したその子は、虐待母の子どもでしかなかった人生から、配偶者にとっての妻として、ひとり娘にとっての母親として、女性としての新たな人生を自力で切り開いた。


猛々しく荒々しい母親と同じ血が流れている事実を実体験によっていやでも知り得ていたその子は、母親の持つおぞましい人間性を振り払って微塵も譲り受けていないしとやかな女性に成長した。


人生に疲れた風情こそ残ってはいるものの悟りを得たように静かで和やかな女性となった姿に安堵するとともに、「このまま何ごともありませんように……」と祈りたい気持ちでいっぱいになる。


何気ないながらも配慮に満ちた母と娘の会話、だらりとした姿でゆらゆらと並んで歩いている母と娘の姿は、「ああ、平和とはまことにこうしたものだ……」と感じ入る瞬間だ。


かつてその小さな両の手に、包丁をしっかりと握り締め、まだ発達していない小さいその顎に、刃先を突き立てて自死をも決意させるほどまでに追い込まれ、殺気立つ修羅場と化した家の中で何度となく死の危険に直面させられてはその都度それらを乗り越えてきた後に、亡父の祖国であり、お世話になった亡父の親友の故郷でもある台湾の茶畑を、ごく普通の服装をした、気負いもなく、衒いもなく、ゆったりとした自然体で、母娘が訪れる場面を視ていると、そこで再会した木村多江さん独特の何とも言えない憂いある情感と相俟って、涼風が漂ってくるような光景へと変わっていった流れは、視ている者にとっても大きな救いであった。


後味の悪い思いもなく、総てを払拭することができたからだ。


主演の篠原涼子さんは胸元を強調したセクシーな若い母親役から老女役そして二役の女性(成長した娘)役までを見事に演じきった。特に最後に見せてくれた白髪交じりのロングヘアーを束ねて生活に疲れ果ててやさぐれた老け役は実にあっぱれであった。


親と子に限らず、教育を論じる時に思い浮かぶのは、「人に授けるに魚を以ってするは、漁を以ってするに如かず」(
「授人以魚 不如授人以魚」)という老子の言葉である。


これは「誰かに魚をあげれば、その人はその日一日は食べ物に困らないだろう。

だが、魚釣りのやり方や、魚の捕り方を教えてあげれば、その人は食べるのに困らなくなるだろう」といった内容だと思う。


欲しい物を親から与えられて、もらってばかりだった甘えっ子は、いつまでたっても親の力をあてにして成長するであろう。



教えて学ばせるより何でもしてあげることの方がずっと簡単であり、欲しがるものは何でも与えてあげる方がよっぽど楽で手間もかからない。親が無条件で子を助け、親の力を貸し続ける限り子どもと言い争うことはなく、揉め事もなくて済む。



だがそこで敢えて親が手を貸さず子どもを突き離して物事のやり方を教えるにとどめ、後は子どもの努力によって子ども自身にやり方を学び取らせ、正しいやり方を習得するのに必要な忍耐力を養わせ身に着けさせることに教育の意味があると私は解釈している。


私の亡き母の話をしよう。


亡母は『京都のホテル王』と呼ばれた故西彦太郎氏の秘書を務めていた。


勤務先は一流ホテルであったから、ちょっとコーヒーや紅茶などをいただくだけでも母が用意するのではなく、それどころか選ばれた礼儀正しいボーイさんが恭しくやって来て、母の分まで銀の食器やスプーンとともに供してくれるなど環境も待遇も良かったそうだ。



西彦太郎氏が亡くなられた後は京阪神から応募者が詰めかけて殺到したというロート製薬の社長秘書に私の母が選ばれて面接を受けた結果ひとりだけ見事採用されたとの報せを受けたそうだ。親族らなど周囲が喜んでいたところ、何とかして母と結婚したいと願っていた私の父が強く反対し、その後結婚することになったそうだ。


父との結婚を決意した母は、周囲の誰からも惜しまれながらきっぱりと仕事を卒業した。



そして潔く家庭に入り、それ以来、悩んでいる人たちへの奉仕は惜しまなかったが、西彦太郎氏の秘書を退いてからは一度たりともお金をもらう仕事をしたことはなかった。



母はいつも家の中にいた。



何ごとにおいても人一倍優れた母は、目立つことや派手なことを嫌い、自分で編んだセーターや白いブラウスにカーディガンなど質素な服装で、私たちのために、いつも家の中にいてくれた。



英語が堪能だった母が米国人パイロットのジェニー氏と流暢に話す姿は私の目にも馴染み深いものだった。当時は身近に英語を話せる女性などいなかった時代だったから幼な心にも鼻の高い思いがした。



だが何よりも私の母は書道の大家であった。


ホテル王と呼ばれた西氏の依頼を受けて、三笠宮親王や、ライプツィヒ大学四羽烏として西氏と親しくされていた武者小路実篤氏や鳩山一郎氏、他1名は誰だったか忘れてしまったが、そうした著名な方々に巻紙に毛筆で頻繁に書状を書かされたそうだ。


そんな亡き母だが私に書を教えたことはなかった。


小学校低学年になった私は、昔住んでいた家の近所に現在もある町民館、今で言うところの地元のコミュニティスペースのような所で開かれていたごく普通の書道教室に毎週欠かさず通った。


和服を召されて髪をアップに結われたご年配の女性の先生と、そのお隣にはやはり和服とお年の両方をお召しになり、眼鏡をかけられた枯れた感じの男性の大先生のお二方が高いお席に並んで正座をしていらした。


与えられた二文字又は四文字の言葉を書いて、まず女性の先生に見ていただく。


女性の先生は、オレンジ色の朱墨汁をたっぷりと含んだ筆で、赤ペンならぬ朱筆を入れて直してくださり、正しいきれいな形にして、半紙を返してくださる。


直していただいた部分を見ると、確かにこう書いた方が正しく美しいと即座に納得のいく素晴らしい文字であった。


後方の席へと戻り、座わり直して居ずまいを正し、注意を守って今度こそはと気合を入れて書き直しては又お直しをしていただく。さらに書いては又、白い半紙がひらひらしないようにと気をつけながら畳の上をすべるように前進する。


このように座敷の後方から高いお席への移動を何回も繰り返すことになる。


それを根気があると呼ぶべきか、はたまた極めて我慢強かったのかは不明だが、ほとんど何をさせても「飽きる」ということのなかった私は、他の子どもたちが途中で私語を話し出すようになり、お菓子をもらったりしなければ硯に向かって真っすぐに座わらないようになってもなお同じ練習を苦も無く繰り返すことができたのであった。


そうこうしているうちにようやく女性の先生が「良くできました」と微笑まれ、大先生にお見せなさい、さあさあ隣にどうぞと態度で示してくださる時がやって来る。


勇んでお隣まで移動すると、大先生は、筆を高く上げられて全部の文字に大きな二重丸をつけてくださった。


さらに「ここは勢いよくハネる、ここをもう少しタメて長く書くと、さらに力強くなって、より良くなりますね」などと丁寧なご説明とともに見事な朱筆がお手本としていただけるのだ。


お教室が終わると二重丸のついた半紙を少しでも早く母に見せたかった私は、長い坂道を弾丸のように転がり下りて帰宅した。


この時も母は家の中にいて喜んで私を迎えてくれた。


ほんの少しでも遅くなると心配して門の前に佇んでくれていて私の居る場所まで迎えに来てくれることもしばしばであった。



美しい母の姿とりわけ母の笑顔を見ることは私にとって最大の喜びであった。


ある時、年賀状だったのか?お月謝か何かの連絡であったのか?御礼状だったのか何であるかは不明だが、何らかの形で母の書いた物が書道教室の女性の先生のお目にとまったことがあった。


女性の先生はたいそう驚かれると同時に「あらまあ!あなた、お母さまから習われたらいいのに!」と恥ずかしそうにおっしゃった。


小学校低学年の書き初め大会が始まるようになると、大人さながらの達筆な文字が揃って講堂に貼り出された。その時も或る先生からこっそり「お母さんに書いてもらえばいいのに…」と、何故あなたはそうしないのかと言わんばかりの不思議そうな面持ちで囁かれたことがあった。


母に書いてもらいさえすれば確かに毎年最優秀賞が取れるだろう。

だが私は一度も母に書いてもらったことはない。


母に書いてもらってまで賞を取る気もなかった。


習字は、鉛筆を尖らせるだけでノートに書けるような手軽な文字とは訳が違う。


だから、ろくに練習もせずいきなり習字の上手く書ける達筆な子どもなどいない筈であり、黒板やノートに書く字は下手なのに書き初めの習字ばかりがたいそう立派な子どもの作品は、本来なら誰が観賞してもおかしいと思われる筈である。


それでも当時の私はこうした行為を特におかしいと感じることもなく違和感を覚えることもなかった。それは、同じ作業を続けることつまり少しずつ練習を繰り返すことによって基礎的な力がつき必ず上達するということ、積み重ねによって実力が養えるということを既に書道のお教室で自ら実践し体得していたからであった。



小学校高学年になると、未熟な作品ではあったものの毎年入賞するようになり両親を喜ばせた。


母は「ママは崩した書体で早く書くばっかりだから読みにくいでしょう?ベラちゃんはきちんとした楷書が書けるから羨ましいわ」と遜って私の字を褒めてくれた。


アラビア石油に入社してすぐ新入社員だった私は大量の書類を渡されてお清書を任された。入社した当時はワープロもない時代だったから大急ぎで何枚も書かなければならない仕事が多くあり書き損じは許されなかった。


お蔭様でIBMの意地悪な人事部長からも「あなたの字はきれいだ。電話メモも丁寧で読みやすいね」と文字だけは褒められた。


中学・高校時代のお笑い仲間に誕生日プレゼントを伊勢丹から贈った時、配送伝票の送り状を見て「アマノの字、学生時代から全然変わってないね~。筆圧が強くてしっかりしてて。肩に力が入り過ぎなんだよ!ハハハハ!」とからかいながら礼の電話を掛けてきた。


文字は性格を反映しているといえそうだ。



最も身近な存在である親に甘えて与えてもらうばっかりで育った子どもは、努力せず、飽きっぽく、忍耐力に欠ける。


物質的にも、精神的にも、他人に与えることを知らないまま成長した子どもは、欲張りながめつい大人になるだろう。


そして、いくつになっても他人に甘えては上手に他人を利用する手口ばかりが増えることになってしまうだろう。


例えば芸能人が手軽に整形を重ね、小顔に見せるため頬や顎の骨を削る、気軽にレーザー光線をあてて色白に見せるなど、ビジュアルにばかりこだわり、小手先のテクニックを駆使してその場を凌げば、努力せずともキレイに見せかけることは可能であろう。


そうすれば、出し物の数ばかりが増えていき、いかなる手法で数打とうと、常連の取り巻き連中にしても、一体どこが、どのように良かったかなど具体的かつ的確な感想を述べることが出来ず、ただ諸手を挙げて無条件で5つ星をつけて誉め称えるだけという、見る目がなく、聴く耳をもたない座頭市や耳無し芳一ら烏合の衆たる偽りの常連賛美者たちばかりが追随する結果となり、何ら実のあるアドバイスは届けられず、今後の成長のためにも将来の発展にも繋がらない。


贋作に酔い痴れる愚か者はいくらでも存在するだろうしそうした者たちをだますテクニックを示すことも至極簡単であろう。


だが基礎から鍛錬した結果、その者自身が学び取り掴み取ったもの、何年もコツコツと積み上げて自ら習得したものが何ひとつとして存在せず、本格的なレッスンも受けず、定期的な練習に通って訓練を積むこともなく、総て気分次第の自己流を押し通して、お金も支払わず、時間もかけず、手っ取り早く目立つことや小銭を稼ぐことばかりを目指して活動をしてきたとすれば、本当の自信を持つことなど一生かかってもできはしないだろう。


親の力に限らず、実力ある者に頼り、権力ある者に依存して、他人の力に縋っては利用してきた者は、何度檜舞台に立とうと素人の域を離れず、自信に満ち溢れた輝かしい気持ちで観客に臨むことは困難であろう。


最後の最期まで暗雲に覆われたまま、澄みきった爽やかな晴天を仰ぐこともなく、コソコソと弁解や言い訳に満ちた言葉をいくつも並べなければ振り返ることもできないような後ろ暗い生き方ばかりしてきた結果であろう。


畢竟、何であれ自分の力で出来ることは極力自分ですべきであり、みだりに人様の力(やお金)をあてにすべきではないということだ。


そしてもしあなたの母親に、他を圧するほどのとてつもない悪性を見出したならば、そのような母親の力など決して借りてはならない。


そのような母親を頼りにせず、その悪質な血をせめて自分の中にまで取り入れないよう精進し努力するしかない。


そして、母親の悪しき血が自分にも流れており,母親の悪性を自分も宿しているという、動かし難い現実から目を背けることなく受けとめて向き合い対峙し、意識してその悪い血を受け継がないよう忍耐強く自分をコントロールしていくより他に生きる途はないであろう。


それが「どうしようもない母親」を持ってしまった『どうすることもできない子ども』の宿命であり宿痾ではないだろうか。


私はそう思っている。

2016年8月27日 (土)

フォトギャラリー・冷淡な乾いた時代を憂いて-「なれど、こらえきれなんだわ」-

時代劇・鬼平犯科帳に「おれの弟」と題する作品があります。


この作品には、剣の道ひとすじの高潔な男性と、美しくしとやかな女性とが織りなす哀切な純愛のみならず、


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義侠心、

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非道(果し合いでのだまし討ち)、

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親の権力を盾にした悪事とその隠蔽、

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敵討ちなど、

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時代を問わず日本人の心に沁み込むと思しき内容が凝縮されています。

 


鬼平こと長谷川平蔵の思いがこめられた台詞を一部ご紹介いたします。


悪者:「石川源三郎と知ってのことか」



「去年のことを覚えていような」

「わしも生まれて初めての敵討ちじゃ、しくじりはせんぞ」

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   悪者:「敵討ち?」



「弟の敵討ちじゃ」

「おのれに弟をだまし討ちにされて、怒りを鎮めようとしたが、なかなか鎮まらん」

「おのれのような奴を生かしておいては、後々庶人が迷惑をする」

 

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   悪者:「おい、源三郎の父は御側衆を務める石川筑後守なるぞ」



「なればこそ、なおさらに生かしてはおけん」

 

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「お役にある者のなすべきことではなかったやも知れんな」

「なれど、こらえきれなんだわ」

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他者の心情を慮る暇などない、真意を理解するよう努める必要などないとばかりの冷淡な言論が横行し、ドライアイならぬ「ドライハート」が際立つ昨今の風潮を遺憾に感じ憂慮しています。


インターネットを検索して次から次へと最新の情報を得るのも、ゲームに明け暮れるのも結構ですが、時には映画、テレビ、スポーツ、音楽、文学を観賞し、血沸き肉躍る熱き思いに駆られ、失われた情緒、枯渇した感性、他者の考えに共感する心、他者を称賛する言葉を育てる時間が必要ではないでしょうか。

 


私はそう思っています。

2015年5月12日 (火)

「品格のない人間関係」とは-「久米書店 ヨクわかる!話題の一冊」で、「女性の品格」の著者は、何と語った?-

2015年5月10日(日)午後5時30分(通常は午後6時から)からBS日テレで放映された「久米書店 ヨクわかる!話題の一冊」に、「女性の品格」の著者・坂東眞理子氏が登場した。

 


店主役の久米宏氏と店員役の壇蜜氏が毎週作家を招き、ご著書について語り合う。

 

http://www.bs4.jp/kumebook/

 


久米氏のテンポ良く快活な歯に衣着せぬ話術と、壇蜜氏のおっとりと丁寧な傾聴が好相性で、内容的にも、知識が増えたり、参考になったり、笑ったり、視聴して良かったと満足することが多く、しっとりとして物憂げな壇蜜氏の朗読も聞き心地がいい。

 


今回のゲスト坂東眞理子氏は、壇蜜氏が卒業した昭和女子大学の学長でもある。

 


ちなみに壇蜜氏は
日本舞踊の師範で、英語の教員免許と調理師免許も正式に取得している努力家だ。


ウィキペディアには「銀座のクラブでホステス」とも書かれており、20代の頃、銀座の高級クラブに勤務していたようだが、この実体験は壇蜜氏の血となり肉となって見事に昇華されているから、偏見を持つ者はいないだろう。

 

4月28日からは、週刊新潮で、「だんだん蜜味」という連載も開始された。

 


この番組では、壇蜜氏が、毎回黒板に著書のポイントを書いてまとめる。



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拙ブログでは、「品格のない人間関係」について、著者自身が語った内容を反訳して下記に貼った。

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参考にしていただきたい。

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*****

久米 「品格のない人間関係」って、これは何ですか?

 

坂東 それはね、もう絶対ね、この人と仲良くなると得だなあとか、この人にすり寄っていると良いことがありそうだっていうことを前提とした人間関係というのは、私は品格がないと思います。変な言い方だけど、昔、大宅さんが、あの、男の顔は履歴書で、女の顔は請求書っていうことを言ってましたけど、まあ、女性、


久米 大宅壮一さんですか。

 

坂東 うん。そう。あの、どんどん、その請求書、請求書、請求書、もっとこの人と近い、仲良くしておけば、色んないいことしてくれるんじゃないかって、心の中に請求書があると、卑しい人間関係になるんじゃないかなと思います

 


久米 男の顔は履歴書、女の顔は請求書。

 

坂東 うん。だから、女性も、請求書じゃなしに、履歴書の人間関係を作ろうと

 

CM

 

坂東 普通ね、色んなお世話をしても、あの、お世話をされる時、されるまでは、みんな「よろしく」、「ありがとう」、「よろしく、よろしく」なんて言うんだけれども、それをしてあげて終わったら、もう、その後、あの、音沙汰ないっていうことが多いんですよね。どうなってるっていうような、あの、報告も殆どないっていうことが多いのに比べると、「お世話していただいたお蔭で、今こんなふうになってます」とか、「進捗しました」とか、「成功した」とかって、ちょっと一言ね、言って頂くと、とても嬉しい。それはやっぱり「ありがとうございました」という言葉が、気持ちが、伝わってきますよね。

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壇蜜氏プロフィール


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%87%E8%9C%9C

 


http://fit-fan.co.jp/artists/danmitsu/

 


http://npn.co.jp/article/detail/32105016/

2013年12月 6日 (金)

好きなものには理由がありました

実は結構TV好きだ。

 

 

先日TVをつけたら「FNS歌謡祭」だった。

 

止せばいいのに、最後まで聴いてしまった……

 

 

 

そのうち一緒に大きな声で歌い出して

 

コグちゃんの真剣な作業を邪魔した(笑)

 

 

 

欧陽菲菲さんは相変わらずパワフルだった。

 

河村隆一さんの歌を聴くのも久し振りで。

 

背広の上着が大きくてサイズの合っていない歌手がいたり、

 

松下奈緒さんのピアノを弾く姿は絵になっていた。

 

 

 

音楽は、聴くのも、歌うのも大好きだ。

 

時間が出来たら思いっきり歌いたい。

 

 

 

そして、明日は「刑事コロンボ」がある。

 

 

 

応訴に忙殺されてつい忘れていたり

 

見られないことも多くなってきたが、

 

昔から大好きな番組だ。

 

 

 

時間が出来たら全作品をじっくり観たい。

 

 

 

刑事コロンボの犯人は、まさしく「インターナショナルセレブ」である。

 

そのへんにうろついている芸能人崩れの紛い物セレブなどとは訳が違う。

 

 

 

邸宅や庭園の広さ、豪華絢爛な内装、家具、

 

自宅に併設されたプールにテニスコート、高級外車の数々。

 

身に着ける品物から会社のデスク周りや調度品に至るまで

 

贅の限りを尽くした人物が毎回必ずと言っていい程登場する。

 

 

 

往年の大スターである「サイコ」のジャネット・リーや

 

「ダイヤルMを回せ」のレイ・ミランドが登場することも、

 

「スクリーン」や「ロードショー」という映画誌を毎号読んでいた

 

古い映画ファンである私にとって大きな見どころである。

 

 

 

そして、何よりも好きなのは、

 

そうした権力者や金の亡者たちとはまったく別の世界に居て、

 

自分の能力だけを信じ、納得のいかない点を、どこまでも

 

粘り強く、恬淡と、時にはユーモラスに調査し、深く探って

 

解き明かしていく、コロンボさんの姿である。

 

 

 

ポンコツの車やよれよれのレインコートを馬鹿にされても、

 

「髪の毛がボサボサの醜男が来ただろう?」と陰口を叩かれても、

 

「あいつは精神異常だから担当者を変えてくれ」などと

 

ロス市警の上層部に圧力をかけられても、お構いなしで

 

悪モノどもに密着し、黒だと思う相手への追及を緩めることはない。

 

 

 

こういう不屈の精神が大好きだ。

 

こういう精神に私は魅かれる。

 

 

 

日本IBM株式会社に中途入社して以来、

 

「権力者」とその権力の行使振りが大嫌いになった。

 

 

 

そんな私だから、権力者たち、とどのつまりは金の亡者たちに対して

 

ダサい格好で、乱れた髪をかきながら、駄犬を可愛がり連れ回して、

 

どこにでもあるような、安いお豆のスープを美味しそうに飲み、

 

どこにでもいるような定食屋のマスターと、世間話をしながら、

 

一歩も引かずに闘いを挑んでいるコロンボさんの

 

自然体の姿が好きなのである。

 

 

 

銀幕やTVのヒーローたちはいつもまっすぐな瞳で権力者に切りこみ、

 

瞬時に動揺する汚れた者の一挙一動を、決して見逃すことはない。

 

 

 

金に転び、権力に媚び、人脈・金脈に阿る卑しさ……

 

コグちゃんも、私も、そんな人間でなくて本当に良かった。

 

心からそう思っている。

 

2012年5月 6日 (日)

渦中の二股俳優にも劣る存在

旅行中ホテルの部屋でテレビをつけると、同じ話題でもちきり。

それは、塩谷瞬さんという男性俳優が、園山真希絵さんという料理研究家の女性と、国際的に活躍するトップモデルの冨永愛さんに、二股をかけていたという騒動であった。

 

男性俳優はまだ29歳だから、本当にこの人でいいのかどうかと迷い、結婚に踏み切りかねた気持ちはわからないでもない。

年上でおっとりした印象の料理研究家の女性と結婚の約束はしたものの、彼女とまったくタイプの異なる個性的なモデルが目の前に現われて、そのモデルも、男性俳優に対してまんざらでもない様子。

お互い、短期間のうちに恋愛モードに入ってしまったとすれば……どうするだろう。

仮に私が男なら、料理研究家との結婚話が煮詰まってきているとすれば、それだけに、急速に魅かれつつあるモデルにも結婚話を持ち出して打診するかも知れない。

だが、それ以前に、男性俳優は、その程度のいい加減な気持ちで結婚をとらえていたからこそ、今回のような悲劇が起きたのだと思う。

 

 

結婚をなめている人間が多過ぎるということだ。

「結婚は人生の墓場」とはある意味正しい。

こう聞けば、誰でも腰がひけてしまうことだろう。

だが、相手を唯一無二の存在として、病める時も、健やかな時も、お互いに支え合って生きていくと、多くの人々の前で宣誓し合うような人間関係が、人生において他にあるだろうか。

 

 

誰に強要された訳でもなく、自分の心に正直に立てたこの誓いという行為に、少しは責任を持っていただきたい。

結婚前ならば、お互いに誓いをもって認め合うような人間関係は結婚しかないということを。

結婚後ならば、多くの人々の前で誓った時の感動を、いつも心に留めていてほしい。

自分が、自分の人生の中で、たったひとり選んだ異性なのだから、どんなに大切にしても大切にし過ぎることはないと思えなければ嘘である。

逆に、このくらいの強い覚悟がない限りは結婚すべきではないし、結婚話を持ち出すべきでもない。

 

 

モテる人は、恋愛遍歴を繰り返して、徹底的に遊びたいだけ遊べば良い。それはそれで素晴らしい人生だ。

そして、恋愛体質の人がいるように、結婚に向いている人もいるのだから、女性は、相手がどちらのタイプかを見極めて、結婚したければ、結婚向きの男性とお付き合いしていくよう心がければ、傷つくリスクも少なくてすむだろう。

 

 

二股騒動が発覚した男性俳優は、「きちんとお別れしましょう」とモデルさんから呼び出されて、「きれいにお別れ」し、その後料理研究家さんとも連絡がついて「きちんとお別れした」と取材陣に答えていた。

つまり、男性俳優は、自分の至らなさから傷つけた二人の相手と直接会って、話したうえで、お別れをしたということだった。

 

 

ネットという仮想空間を通じたやりとりの希薄なメル友といった関係ならともかく、男女に限らず、古くからの友人であったり、一時は恋人であったなど両者が何度も顔を合わせていて、かりそめにも一定の期間は交流があり、共通する友人・知人が存在したり、同窓であったり、同じ職場や趣味のサークルで顔を合わせる者同士という関係があったとすれば、けじめのある終わり方を望むことは、人として当然なのである。

 

 

後々のことを考えれば、嫌なことがあった相手とこそ、きれいに、きちんとお別れすることが必要不可欠である。

今回、モデルの冨永愛さんのように、自ら働きかけて相手と話し合いの場を設け、お互いに納得したうえで次のステップに進もうとした考え方について、私は至極まっとうだと思うし、勇気をもって実行に移した彼女は実年齢以上に大人と感じられた。

 

 

それに比して、同い年の男性俳優には、やや非常識で幼稚なところが感じられる。

冨永愛さんは、そんな相手だと知っているからこそ、今ここで話して、聞いて、きれいに、きちんとお別れしておかないことには、いったい相手がどんなことを考えていて、今後何を言ったり、したりされるかわからないといった危惧があったのかも知れない。

 

 

最終的に申し上げたいことは2つある。

いかなるケースであれ、リアルの人間関係における顔見知りの者同士に、今後の縁を切らなければならないようなトラブルが発生した場合、まずは、冷静にお話し合いをしましょうと持ちかけること、そして、お別れするにしても、理解し合ったうえで、きれいに、きちんと解決しましょうと伝えることが大切であるということがひとつ。

もうひとつは、ごく常識的で当たり前の、きれいな、きちんとしたお別れの申し出にすら反発し、どこまでも喧嘩腰の態度を貫き、反復・継続して暴言を吐いた、50歳過ぎのガラッパチ在日女は、29歳の二股俳優にも劣る幼稚で未熟な人でなしということである。

 

 

結婚よりも離婚の方が大変だと聞くが、トラブルもしかりである。

怒りにまかせた穏当を欠く行為でトラブルを発生させて人間関係を壊すのは簡単だが、いざトラブルが勃発した時、心の傷を深めることなく、体調を増悪させずに、これまでの関係をきれいに、きちんと終わらせるためには、現在のみならず将来をも見据えて、円満な人間関係の解消を求め早期解決を望む勇気と、成熟した大人の対応が当事者双方に望まれることは言うまでもない。

 

 

トラブルに際しては、話をそらしたり、逃げたり、言い訳をすることなく、出来うる限り早い時期に誠意をもって話し合い、すっきりと清々しいお別れをして、一刻も早く忘れる方がいいに決まっている。

風邪をこじらせないようにと早めのパブロンを飲むように……

 

2012年4月29日 (日)

主人にお願いした録画-美輪明宏氏の言葉を聞いて考えたこと-

4月8日の「ソロモン流」という番組で、美輪明宏氏が紹介されると伝えていた。

いつもは観ていないのに、なぜか、その日は観たいと感じた。

だが、その時間は他にしなければならないことがあったので、

主人に録画をしておいてもらって、28日にやっと観ることが出来た。

 

 

女装のはしりだった美輪氏は、激しいバッシングを受けた時、

いったいどのように考え、いかにして切り抜けたのだろうか。

それについては、次の5枚の写真に示された同氏の発言から

知ることが出来る。

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さらに、同氏は、裁判官や弁護士など法曹界の人間に対して、

「卒業試験として3年間は、水商売でバーテンやボーイでも

して働きながら多くの老若男女を見るべきであり、そうした

体験を経てこそ人が裁けるし、色々なことがわかると思う」と

説いていた。次の5枚の写真である。

 

Picture01

Picture02

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Picture04

Picture05

美輪氏がこの番組で、人生という壮大な切り口の中から、特に強調して採り上げ、語ったのが、バッシングを受けた際の具体的な切り返し方と法曹界の人間たちについての戒めとも思える言葉であった。

もしかすると、この言葉を聞くために、私は、主人にこの番組の録画をお願いしたのかも知れないと思った。

なぜなら、主人に番組録画を依頼することはたいそう珍しく、筋書きの良さを知っていて、残しておきたい古い映画ぐらいだからだ。

 

 

長い人生の中には、美輪氏ほどの才能に恵まれていなくとも、根拠不在のいいがかりをつけられたり、一方的な暴力的言動によって口汚く罵られたりすることがある。

そんな時、美輪氏のように考えてみることが必要であろう。

相手には、私にひどいことを言うだけの資格があるのかどうかと。

 

 

相手の外見はどうなのか?

容姿・容貌はいいのか?普段着・外出着はどんな服を着て、身だしなみはどうなっているのか?持ち物は?靴は?どういう店に出入りしているのか?

そもそも、相手は、女性らしい立ち居振る舞いの出来る人間なの?

マナーやエチケットはどうなっているの?

成績は良かったのか?

頭はいいのか?知性や教養はあるのか?

それ以前に、相手は、何かを真剣に学んだり、考えたりしてきた人間だったと言えるのか?

 

 

美輪氏は、バッシングをしてきた相手について、才能やルックス、成績など知能程度に言及していたが、それにとどまらず、生い立ちから生まれ、育ち、学歴、職歴、過去の履歴や実績、結婚・離婚歴、借金の有無、現在の経済状態、親友はいかなる人物か等、一方的にバッシングしてきた者・暴言を吐いてきた者と、酷いことを言われた自分とを、考えうるありとあらゆる面において、何から何まで総てを比較して考えてみるといい。

きっと、その相手は、総ての面において、自分より上回っている点のない、口だけの人間であることに気づくであろう。

2012年3月27日 (火)

失望した「トワイライトエクスプレスの恋」

うちのコグちゃん(私の主人)はテレビが大好き!
従って私の最大の家族サービスは、もっぱら主人の横に座わり、手をつないでテレビを見ることに尽きる。



主人から「これは面白いよ!絶対だよ」などと誘われて、本当は見たくない(主人には内緒ネ)ありきたりの筋書きの2時間ドラマを仕方なく鑑賞するため、飲み物とともにソファーに腰を沈める。謎解きの頃になると、肝心の主人がスヤスヤ寝ていることもしばしばで、「犯人を知らずして何の2時間ドラマか……」と嘆かわしく思わない訳ではないが、安心して眠るコグちゃんの姿を見ていると、こういうひとときが最も幸せなのだろうとしみじみ感じ入り、私もやすらぐ。

 

 

ところが、静養のためホテルにこもる前日に主人から見せられた「トワイライトエクスプレスの恋」は、失望の連続という作品であった。http://www.tbs.co.jp/program/dramasp_20120320.html

佐藤浩市さんは、警察学校の教官を演じた時は貫禄があってクールで見て良かったと思えたが、ラブストーリーにはまったく不向きな俳優と知った。見せ場ひとつつくれないまま、一貫して魅力のないつまらない男で終わった。しかも、中山美穂さんの役柄は、夫と子どもを残してまで佐藤浩市との逢瀬を求めて家を飛び出して来た女性という設定である。せっかく来たのに、こんなにも無愛想で、表情が貧しくて、女の気持ちも汲めず気の利いた会話もできないような男と寝台特急の中にふたりきりで長い時間を過ごすくらいなら、さっさと降りて静かなホテルに泊まり見知らぬ街の夜景でも独りで楽しむか、もっとつまらない夫の待つ自宅にでもすごすごと戻った方がいくらかましであろう。

 

 

浩市が(呼び捨て失礼)女性の魅力をひきだせない不粋な男のせいか、中年になったとはいえ清潔な輝きを備えた中山美穂さんの美しさも、画面からは伝わりにくかった。双方がラブシーンは控え目にしたいと希望したとすれば、その分、思いをこめたしぐさや素振り、表情など魅せる演技で補ってほしかった。

 

 

仮初にも熟年不倫カップルの最後の旅という設定なら、それぞれの胸に秘めた激しい情熱や、どうしても別れなければならないという切なさ、辛さ、割り切れない感情を打ち消すように明るく振舞う健気さといった繊細な感情が随所に流れ、溢れていなければ嘘だろう。みかんを剥いて食べる、寒いからブーツを履く、缶コーヒーを蹴りながら長々と歩く、視聴者が求めたのは、決してそんなシーンではなかっただろう。

 

 

ラブロマンスのドラマなのに、キスシーンも、それ以上のシーンも拒否という条件で出演したならば、せめて浩市が美穂さんの長い髪をほどいて愛しそうに撫でるとか、しっかりと胸に抱きしめて「なぜ別れなければならないのだろう」と万感胸に迫る中年男のビターな表情で酔わせるとか、2人ほど大物のキャスティングが可能となったのであれば、素人の私にだって、2人ならではの、心に残る小粋なラブストーリーがつくれたと思う。

 

 

トワイライトエクスプレスはまだ走っているのだろうか。http://www.jwfsn.com/twilight/

雪景色と冬の海、番組を流れる音楽が素晴らしかっただけに、観るに堪えない内容に落胆した。

「トワイライトエクスプレスに未熟な訳アリのカップルが乗り込むと、こんなにも退屈で、ひとたび誰かに姿を見られた時は途中下車するしかないのね……」伝わったことはこの程度であった。

コグちゃん!次回はもっと面白い番組を鑑賞させてくださいね!

2012年1月17日 (火)

ハードボイルドな女たち

余貴美子さんは気になる存在だ。

 

昨夜のドラマを観ても、特別な存在感がある。

 

考え深い目、心と直に、まっすぐつながっているような声。

 

黙っているだけでも、ただものではない気配が漂う。

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「私は泣いています」という歌でヒットを飛ばしたりりぃさんが、

 

久々に銀座のママさん役で出演していて、こちらがまた渋い演技で

 

画面に緊張感を与えていた。

 Dsc00892

寡黙で、軽くはない。いい加減でもなく、底が浅くもない。

 

機が熟すまで、何年も辛抱し、培われた意志の重みが

 

自ずと伝わってくる。そういう年長女性には憧れる。

 

ハードボイルドな性格になりたいと望んでいる

Dsc00897

余貴美子さんも、りりぃさんも、いわゆる甘い容姿ではない。

 

張り詰めたような硬さや表面的な冷たさが感じられる。

 

第一線で活躍する女たちは、容姿にすら甘えを許さない。

 

軽々しい言動で他人に迷惑ばかりかけて平気でいる女は、

 

いい年をしても間抜けな顔つきをしているし、

 

嘘つきの女は、いくつになっても、つまらない自慢話ばかりを

 

油紙に火をつけたように羅列し、題材に困れば架空のつくり話と

 

心にまったく響かない付け焼刃の知識を差し挟んでやり過ごす。

 

そんな嘘つき女の虚飾と偽善に妥協することなく斬りこむこと。

 

それが私のハードボイルドである。

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