恋愛

2016年1月29日 (金)

お誕生日おめでとう。会いたいよ

本日は亡き母の誕生日。

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応訴作業に明け暮れ、

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お墓参りに行くこともできないが、


限りなく深く優しく、おっとりと、見守っていてほしい。

 

 

いつものとおりにね……

 

 

母にコグちゃんを紹介することが出来たなら

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安心させ喜ばせてあげられたのに。

 

そう思うと残念でならない。

 

 

父とも会ってほしかった。

 

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グルメだった父のこと、きっと「コグくん行くぞ!」と

 

しっかりと肩を組み、笑いながら、あらゆる店に主人を

 

連れ回し、紹介して歩いたに違いない。

 

 

家族全員を失い、目の前が真っ暗だった時、

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私の新しい家族になってくれたコグちゃん。

 

 

その家族が驚くほどいい人であったという

 

想定を遥かに超えた感動。

 

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コグちゃんとの歴史は、私の心を熱く

 

温かい思いで日々満たしてくれている。

 

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亡き両親の子どもとして生を受けたこと。

 

そしてコグちゃんの奥さんであることは、

 

私の最大の誇りである。

 

 

2012年1月29日の記事↓も併せてご高覧いただければ幸いです。

 

不言実行の「まことに小さな男」

 

http://beraamano.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/post-7e8e.html

2013年5月 2日 (木)

結婚に絶望しないために……-相手に望むばかりの女たち・「こうしてほしい!」「こうしてくれたら嬉しいな」から、「こうしてあげたい!」「ああしてあげたら喜んでくれるかな」へ、心の切り替えを-

好きで読んでいる女性のブログがいくつかある。

全員私と面識のある人たちで、決して若いとは言えない女性たちだ。



共通する特徴は、第一に夫婦仲が良く、ご夫婦で過ごしている時の楽しそうな写真が、ブログに掲載されていることである。



老いゆく女性に美しさを感じるとすれば、それは、若い頃のような弾力のある素肌でもなく、シェイプアップされたボディでもなく、柔らかく、穏やかで、人を和ませ、慕い寄りたいと思わせてくれるような、優しい表情ではないだろうか。



これは男性も同じかも知れない。



「好々爺」という言葉があるが、こぐちゃんが、2006年に囲碁段位七段、2007年に最高峰の八段段位を認定された時、それぞれ、関西棋院前理事長の塩川正十郎先生から、お免状を授与された。

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七段授与式の会場は、ホテルニューオータニ大阪、八段の授与式は、リーガロイヤルホテル東京で開催され、八段段位を授与されたのは、こぐちゃんただひとりだった。

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ご一緒に記念撮影をとお願いすると、2回とも大変お優しくご快諾いただけて嬉しかった。まさに「好々爺」そのものといった印象であった。

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八段認定の際にサインとともに頂いたご著書によれば、塩川先生は、昔、かなり気短でいらしたようだ。

 

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E5%B7%9D%E6%AD%A3%E5%8D%81%E9%83%8E

若い時代に破天荒で型破りな生き方をしていたり、闘志溢れる激しい活動を力一杯実行していたとしても、紆余曲折を経て穏やかな老後を過ごしている老人男性は、その姿に「我が人生に悔いなし」「思い残すこともなし」といったおおらかさをたたえていて、人を包み込む豊かさに溢れている。



老女もかくありたい。




某所で、知人女性の写真を見つけた……



カメラを意識していない表情だった。



険のある、とげとげしい姿。



人を寄せ付けず、人を受けつけず、

過敏に反応し、過剰に嫌悪して、はじき出す。


誰も幸せにしない外見が、そこに見えていた。

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その女性のブログには、結婚に、絶望したと書かれていた。


昔から、わかっていなかったようだ、そして今も……



理解してほしい、のなら、その前に理解すること。



こうしてほしい、ではなく、



まず、相手に、こうしてあげたいと思うこと。



こうしてくれたら嬉しいな、ではなく、



こうしてあげたら、喜んでくれるかな、と考えること。



そういう配慮がない。相手に対する気遣いがみえない。



つまりは、他者への愛情が足りないということであろう。



理解されたい、わかってもらいたい、こうしてほしい……



いつだって、相手を慮ろうとせず、自己犠牲も払わずに、ただただ、理解してほしい、わかってほしい、こうしてほしいと、せがみ、ねだるばかりの女たちは、努力が足りないばかりでなく、我慢も、忍耐力も足りない。



甘えと幼さが目立つ。

自分のこととなれば、些細なことにもこだわり、理屈っぽく、「力んで主張」し、「うんとうんと しつこく」言う人だ。



ブログにおいても、テコでも譲らないガチガチの頑固さを見せていて、口角泡を飛ばすようにむきになり、塩がどうだの、ゲーテがどうだのと、寄せられたコメントにいちいち反応しては、肩肘を張って対抗し、僅かでも自説を曲げない。



子供たちを実験材料にして、風変わりな持論を必死で提唱してきたにもかかわらず、その人の教えに従う賛同者はいないようだし、平日にほぼ毎日ブログを書いていて、手づくり品の展示会に出かけているようだから、ご商売が繁盛している様子もうかがえない。



御身ご大切で、自分の食事に人一倍気を遣っているようだから、さぞ長生きすることだろう。



だが、頑固で、我儘で、突き抜けるほど強い自我を抱えている限り、「おバカなプライド」を宿した「可愛くないおんな」の表情と姿とはついて回るであろう。



いつまで長く生き伸びようと……

2013年4月23日 (火)

「命短し、恋せよ人々!」 しからずんば、人生の後期に突然破滅する恐れあり。

週末は寒かった。



昨日も風が冷たかった。



着ぶくれた私の姿は、「ローマの休日」ならぬ「老婆の外出」であった。



きらびやかな化粧品売り場を避け、ひたすら生活必需品を買い込み、脱兎の如く帰宅する、それが私の算段であった。

 

すると、泣かせることに「こぐ坊」が(笑)


「何かほしいものあるんじゃなかった?買って来てあげるよ」と、


大きな瞳で私の顔を覗き込むではないか。


かくして、ほしいものを伝えた私は、デパート内各階の片隅にそっと置いてある高齢者用の椅子に座して、こぐちゃんの戻りを待つことと相成ったのであった。

 

そして、こぐちゃんに買って来ていただいたのが、これ。

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おわかりかな?

 

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心まで上向きにしてくれるコスメと言えば?



正解は「マスカラ」だ。

 

マスカラ1本を購入しただけでも、申し訳ないほど色々とサンプルを付けてくださるから、次の購入品を検討することが出来て嬉しい。



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このマスカラを気に入ったのも、サンプルで試したからであった。



http://www.guerlain.com/jp/ja/base.html#/ja/make-up/the-creations-2/eyes/the-mascaras/untitled-443.html


世の中は、私のような老婆の心をもときめかせてくれるさまざまなモノと現象に満ち溢れている。



もし、若い方々の中に、鬱々・悶々としている人がいるとしたら、それはあまりにももったいない。

私の偏見かも知れないが、どうも、若い男女が盛んに恋愛をしていない様子が感じられるのだが、的外れの勘違いであってほしい。


妙齢の男女は、電車の中でも歩行中でも、しきりに携帯を片手にしてメールや電話をしているし、ツイッターやブログに熱中し、FBにまで記事を載せているようだが、遅い時間になってもデートをしているようなつぶやきはほとんど見かけない。



池澤春菜氏のツイッターは、その典型であろう。



決して結婚を焦れとは言わないが、40歳近い健全な女性であれば、それなりに異性への欲望もあり、それなりの異性への欲求も生じて来ると思うのだが、朝起きてから夜寝るまでのつぶやきに、まったくと言っていいほど異性と過ごす時間が不在なのである。



これが私には信じられない。



単に、プライベートな部分をひた隠しに隠しているというのなら話は別だが。

 

10代や20代のアイドルでもあるまいし、30代後半で、食欲に偏った日常生活を続けていけば、精神と肉体の欲求が正常に機能せず、ホルモンのアンバランスは避けられないであろう。

 

恋愛を抑圧し、色気抜き、性欲抜きの生活が続くと、知らず知らずのうちに、女性はヒステリックになっていく。


例によって、私の実体験を述べよう。


10代から、誰より早く赤ちゃんが産みたいと公言して周囲を驚かしていた知人は、愛のない結婚をして、「性欲の塊」となり、その言葉通り、若さに任せて次々と子どもを産んだのであった。


その知人の親友が私に言ったことには、



「あんな男に抱かれたくない」。



その知人は、結婚前から、そう言って泣いていたと言う。

 

 

その知人は、「血」の流れていないブログを書いている。



文は人なりと言うが、その知人に「愛」は感じられない。



「ユーモア」がない。今も昔も「可愛らしさ」はどこにもない。



皮肉なことに「健康」を追求していながら、彼女のブログそのものが「病的」なのである。


脳味噌の足りない仲間を洗脳し強引に共感させようとして、データの中から「対象年齢」と「報告率」が違うと発言している専門家による反論を無視して、持説にとって都合の良い部分だけを一方的に切り取って、太字でブログに貼り付けていた。



これは、特定の思想へと導く情報操作「プロパガンダ」のひとつ「カードスタッキング」の手法に近いものである。


その知人は、何人もの子供たちを奪うようにして引き連れて家を飛び出した挙句、思春期にあった子供たち全員の名字をも強引に自分の旧姓に変えさせてしまったという。

 

現在その女性は美容の商売をしているが、高齢になっていきなり始めた商売でありながら、驚くほど料金を高く設定しているから、店には閑古鳥が鳴いているそうだ。


月に一度だけ髪をカットに出かけるそうだが、その他は日がなYouTubeを見てはブログを書いている。


その知人は、徐々に子供たちに巣立たれて、「頼られているうちが花だった。ひとりになったら、どうすればいいのだろう」とこぼしており、現在も愛のない生活に身を委ねているようだ。


また、健康を謳いながらその知人は、激しい肩凝りに悩まされているという。


それは、取りも直さず、彼女の人並はずれた偏屈さと病的なまでの頑固さ、つまり、自我が強く、気難しく、人とは反対のことをしては耳目を集めようとする人と同調しないつむじ曲がりの性格が原因で、その名のとおり「頑固な凝り」となって発病するのであろうと私は思っている。


知人女性のように、若い時代を「性欲」に任せて暴走した結果、晩年になって枯れ尾花のような生活に陥るケースもあれば、女性にとって性欲のピークと言われている35歳前後に「愛犬とパンケーキ」というアンバランスな禁欲的日々を過ごしていると思われる池澤春菜氏、どちらのケースも、不健全と言えるのではないか。


もっと言えば、この二人は、どちらもテレビを観ないようで、ブログにも、ツイッターにも、テレビの話題が登場しない。


これは私見だが、テレビを観ないという人には「普通でない者」が多く、特にユーモアの通じないヒステリックな者、自己主張の強い変わり者が多いようだ。


恋愛は、それが激情的なものであれ、仄かなものであれ、異性を見る眼を養ってくれるうえに視野が広まり、時に誰もが詩人となり、時に魂の飛翔すら覚えさせてくれる不思議な体験でもある。

 

振り返れば、社会勉強や人生勉強として大いに価値あるものだから、何を差し置いても、すべき時に恋愛をしなさいよと、若者の背中を押してけしかけたい。


さもなければ、人生の後期において、それまで意識下に抑圧させていた劣等機能が働いて、破壊的な形で暴発させてしまうといったことも多々あるからだ。


恋愛は、いかなる人との間にも発生してしまう曰く言い難い避けられない感情であり衝動だが、性欲と食欲と睡眠欲の三角形が年齢に見合った形でバランス良く築けている人が健全なのであり、恋愛とはまったく別に、伴侶とすべきは、偏りも頑なさもない、素直なごく普通の人であろう。


命短し、恋せよ、人々。



されど、選ぶべきは、健全で、可愛げのある、普通の人。



これが私の結論である。

2013年2月14日 (木)

-2013バレンタインデーに寄せて- ともに生きる毎日が嬉しい!結婚は、「一年中バレンタイン」でいられるお相手と……

例年ながら、伊勢丹はすごい人だった。


「メンズ館に行って、セーターでも買う?」と言ったら

「もう着る物ってほしくない……」と答えたこぐちゃん。



私も同じ気持ちだ。

昔はあれ程着道楽で、お洒落で、

欲しい服ばっかりだったのに、

今は防寒服で着ぶくれている。


ならばと地下の食料品売り場を歩き出せば、



ジャンポールエヴァンの前には長い列。



ゴディバにむらがる老若女性たち。


お惣菜売り場で顔馴染みになった定員さんによれば、

今日はまだいい方とのこと。昨日は歩けなかったそうだ。


人波には酔いそうだし、商品は多すぎるし……

決めかねて、主人に食べたいチョコを選んでもらった。


こぐちゃんは、私と違って迷わず即決するタイプ。


素早く、可愛いハートチョコの4個入りを選んだ。

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http://www.belamer.jp/pdf/2013_sv_02.pdf

 

 

日持ちのいいお菓子を、家庭用にいくつか求めた。

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あっさりした「あずき餅」は、最近のお気に入り。

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朝の定番「エシレバター」の仕入れも欠かさずに。

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熱いお茶を淹れて、優しいお味の甘味を食べながら、

ソファに並んで座り、こぐちゃんと手をつないで

テレビを観たりしていると、ほんわかとしてくる。

 

嫌なことなど何ひとつない生活空間、

それが「家庭」でなければならない。


大好きな人と二人きりで

ゆったりと過ごす時間。



それこそが何よりの幸せなのに。



失ってみないことには

気がつかない人たちの何と多いことか。



こぐちゃんと私の出会いは少し遅かった。

その分、残された月日を、限られた時間を、

出来るだけ長くこぐちゃんと一緒に過ごしたい。



そんな私にとって、

こぐちゃんと暮す毎日がバレンタインデー。


どうか、未婚の皆様は、

ご自分をしっかりと見つめて

ご自分にぴったりのお相手が見つかるまで、



探し、探し求めて、選び、選ばれて、

迷って、迷い抜いて、決めてほしい。



それでこそ、生まれて来た甲斐があるというもの。



ひとつだけアドバイスさせていただけるとすれば、

いい「結婚」をするために必要なことというのは、

良い「生活」の出来る相手かどうかということ。


「恋愛」ならば「生活」という言葉を念頭に置かず、

「感情」の赴くままに、「好き」という指令に従って、

心のまま、まっすぐに進むのがいいと思う。


だが、「結婚」は、ともに生き、ともに活動するための

「生活」という言葉を抜きにしては語れないものである。



だから、「結婚」のお相手は、

ご自分が、より良く生きて行くために必要なお相手であるとともに、

お相手にとっても、ご自分が、補い、助け、支えられることの出来る人間かどうかをよく考えてみることが重要であろう。



お互いの欠点や弱点まで丸見えになるのが「結婚」「生活」だ。



そういった面を見せ合っても、笑って補い合えるお相手かどうか。

逆に、欠点でさえも可愛らしいと思えて、微笑ましくなってくる、

総てが笑いへと変換されていくような、そんな「結婚」もある。

 


私には、こぐちゃんの嫌なところが見つからない。



結婚したばかりの時、こぐちゃんは私に笑顔でこう言った。



「これから忙しくなるよね!



だって、ぼく、ベラちゃんの旦那さんだけじゃなくってさ、



お父さん、お母さん代わりにもなるしね!


それと、コロちゃんの代わりだってするんだから。



ひとりで4役もこなすんだよ!」


まっすぐで、努力家で、几帳面で、

厳しいけれどあっさりしていて、男らしい。


おっとりしていて、まったりしていて(笑)

何よりも、可愛らしいこぐちゃんが大好き。


命の終わる時まで仲良く生きて活きましょう!

2012年12月 3日 (月)

外国人の写真を食事中でもお構いなしで無断撮影しまくり、自身のブログに載せる、池澤ショーエンバウム直美氏は、非常識な、マナー違反の無礼者!

買い物に入ったデパートや、行きつけの美容院が入っているビルで、主人と昼食を取ることがある。

そこには、私たちと同じくらいか、やや年齢の高い老夫婦が食事をしている姿もちらほらと見受けられる。その様子は、会話のある夫婦とない夫婦、行動の先に相手の姿がある夫婦と相手の姿がない夫婦に大きく分けることができるようだ。

会話をしている夫婦の様子は、どれも似通っている。時折よそのテーブルをチラリと見ることはあっても、主に目の前に座っている配偶者であろう相手を見て、会話を交わしている。

相手の食事が来れば、それが食べやすいように置かれるよう、にこにこと見守り、食事が始まればお互いに「美味しい?」と声をかけ合って尋ねているようだ。

食事が終われば、相手にコートを着せかけたり、手荷物を分け合いっこして持つなど身支度を整えながら、相手が忘れ物をしていないかどうか、キョロキョロしながらお互いに確認し合って、お店の人に「ごちそう様でした」と頭を下げながら退出する。私たち夫婦がそうだ。


ところが、せっかく向き合って座っているのに、何一つ会話することなく、お互い膝の上に手を乗せ、黙ったままで他のテーブルの人の顔をぼーっと眺めているお爺さん、お婆さん夫婦もいる。



どちらも概してやせており、ユーモアのなさそうな暗い表情をしている。ご主人が本を広げていて、奥さんが取り残されたような風情で、外の景色を眺めているケースもある。



会話のない夫婦は、食事を始める前も、食事が終わってからも、相手の様子に注意を払わず、気にもとめずに、まるでひとりひとりが別の村かどこかからやって来た住民かと思えるほど足並みを揃えず、出口の方だけを見ながら大股で食事の場を立ち去る。

その結果、どちらかがかけていた眼鏡だの、椅子の上に置いた帽子だの、膝の上に拡げていたガーゼのタオルなどを忘れたままとなることが非常に多い。

忘れ物が顕著なのは、混んでいるおそば屋さんや病院の中の喫茶室や食堂のように感じる。

老いた身体は、外出先で長時間を過ごすだけでも疲れてしまうから、ちょっと腰を下ろして休憩をしたり、取り敢えず薬を飲むための軽食を外で取ることが多くなる。

おそば屋さんや病院内の食堂は、そんな、ちょっとした間にあわせの場、休憩の席として利用されることが多いようで、そんな場では、相手に気をつかわず、疲れている表情をそのままに打ち出したぶっきら棒な態度を取る夫婦の姿が、多く見られるのではないか。

その結果、相手の顔も見ずに会話もなく食事をし、相手の行動も見ず、席も振り返らずに出て行ってしまうのかも知れない。

会話のない夫婦が席を立った後を見ていると、相手への配慮に欠けた人だけあって、注意力が散漫になっているせいか、忘れ物が多いようだ。

しかも、「お忘れ物ですよ」とお店の人が慌てて追いかけて行っても、表情を変えず、御礼もろくに言わない者も多い。それもその筈であろう。目の前に鎮座している、縁あって連れ添ってきた配偶者に対して、礼儀もなく、注意も払えないような人間が、通りすがりの店員さんに、感じの良い態度を取る筈がないからだ。

配偶者に気を遣いたくないならば、結婚などするなと私は言いたい。

直美氏は、夫トマス氏とレストランに入っても、目の前の配偶者と会話を楽しむことなく、他のテーブルについている人たちのことばかりブログに書いている。しかも、それらの人々が食事中の様子を、許可も得ずに撮影しまくって、無断でブログに載せているのだ。


外国だからといって、無断で他人の姿を撮影する行為が慎むべきものであることくらい、常識があれば誰にでもわかることであろう。

主人と私は、見知らぬ他人や他人の家、私物などが写真に入ってしまった場合、それらをぼかすように配慮してブログに載せるようにしている。

ところが、直美氏は、広場や大通りでもなく、レストランという室内で、しかも食事をしているというきわめてプライベートな姿を、いきなり写真に撮って自らのブログに載せ、好き勝手に全世界に発信しているのだ。


これは、直美氏が産まれおちてから現在に至るまで貫き通して来た、自分さえ良ければ他人はどうでも良いという本性が見せたひとつの行為であろう。

この指摘を読んだところで直美氏は、軽率で配慮に欠けていたと反省することもなく、通りすがりの旅の途中で、その国の人の姿を撮影したところで、スペインの人たちが、日本まで苦情を言って来たり、顔写真の削除を求めて来ることなどないと高をくくっているであろう。


相手にわかりさえしなければ、バレさえしなければ、法律で罰せられさえしなければ、誰に何と言われようと構わない、何をしたって平気と居直るのが関の山であろう。

常に強気で新たな刺激を求めて止まない過活動老女の直美氏にとって、同じテーブルについている目の前の静かな夫トマス氏との時間は空疎で物足りないのだろう。

だからこそ、直美氏は、プラド美術館の絵画について、知的な夫から印象について話を聞いたりすることもなく、スペインに来てまで他の人々の様子を気にして、7つのテーブルを見渡して、どういう人たちが座っているかを写真とともに逐一下記のようにレポートしているのだから、幼稚と言うしかない。

同じページに「ドミンゴ」という単語を題名も含めて合計8つも載せているのもくどく感じられる。

大きなテーブルを囲む8人は、父親と母親と二人の子供、ひとりはまだ赤ん坊です。そして、彼らを囲むようにして、二人のグランパと二人のグランマがいます。泣き出した赤ん坊をみんなであやしたかと思えば、向き合った人たちや、隣り合った人たちが、それぞれの会話を楽しんだりもしています。

正方形のテーブルに向かい合った初老の男女は、長年連れ添った夫婦だけが持つ落ち着いた余裕の中で、静かに会話を続けます。ご婦人の首からかかる長いパールのネックレスと男性の首のネクタイは、ドミンゴだからでしょうか。

かと思えば、隅っこのL字型の席ではお年を召した男性がひとり、背中を丸めるようにしてフルコースのお食事を召し上がっています。ひとつお皿を終えると満足げにナプキンで口をぬぐい、次のお皿を待ちます。

若いカップルと母親の3人が囲むテーブルもあれば、父と娘が向かい合うテーブルもあり、女同志、男同士で興じるテーブルもあります。

直美氏が見つめるべきは、直美氏と一緒に居る人、今、直美氏の目の前に居る人であって、他のテーブルの人たちではない。

直美氏は、今後の人生を自分がどう生きるべきか、自分がどこで過ごすべきか、自分が誰と会いたいかだけしか考えていないようで、海外に住む友人たちも、それぞれの立場からだけ直美氏の問いに回答しているようだが、配偶者であるトマス氏の存在をどこかに置き忘れていることには誰も気づいていない。


直美氏が本当に大切なことに気づくために最も必要なのは、子離れをして精神的に自立し、自らが選び選ばれた相手である夫との生活が今のままでいいかどうかを見直すことであろう。


そして、たとえどんなに手持ち無沙汰のつまらない時間であろうと、他人を撮影して回るような恥ずかしい真似をする代わりに、インタビュアーにでもなったつもりで教養の持ち主と喧伝して止まない夫トマス氏の口から、とびきり知的な発言を引き出すよう努めて、読んで良かったと思わせてくれるような内容を、ブログに書いてはどうだろうか。

そうでなければ、今後、直美氏の旅行記を読み続けるのは、私を含めた読者にとって、あまりに退屈過ぎるだろうから……

<つづく>

***

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それぞれのドミンゴ それぞれの幸せ

http://blog.platies.co.jp/article/60487676.html 大きなテーブルを囲む8人は、父親と母親と二人の子供、ひとりはまだ赤ん坊です。そして、彼らを囲むようにして、二人のグランパと二人のグランマがいます。泣き出した赤ん坊をみんなであやしたかと思えば、向き合った人たちや、隣り合った人たちが、それぞれの会話を楽しんだりもしています。

正方形のテーブルに向かい合った初老の男女は、長年連れ添った夫婦だけが持つ落ち着いた余裕の中で、静かに会話を続けます。ご婦人の首からかかる長いパールのネックレスと男性の首のネクタイは、ドミンゴだからでしょうか。

かと思えば、隅っこのL字型の席ではお年を召した男性がひとり、背中を丸めるようにしてフルコースのお食事を召し上がっています。ひとつお皿を終えると満足げにナプキンで口をぬぐい、次のお皿を待ちます。

若いカップルと母親の3人が囲むテーブルもあれば、父と娘が向かい合うテーブルもあり、女同志、男同士で興じるテーブルもあります。

2012年12月 1日 (土)

今よりも幸せな時代っていつ? 本当に大切なことってなに? 「完璧に幸せな時代へのセンチメンタルジャーニー」を続ける、池澤ショーエンバウム直美氏の終着駅はどこ?!

今年の夏、老齢の夫トマス氏が、突然腸閉塞という重病に見舞われた時、さまざまな思いが去来した、本当に大切なことが鮮やかに浮かんだと、直美氏はブログに書いていた。

降って湧いた異変の中で、直美氏は、「おさえてきた愛や怒りや悲しみが頭をもたげます」と書いている。

救急病院で点滴に繋がれた物言わぬトマス氏を前にして、愛と悲しみが心に満ちてくるというだけならば話はわかる。だが、このような状況で、「おさえてきた怒り」とは穏やかではない。

トマス氏に対して直美氏が、何らかの怒りを宿していることが窺い知れ、「笑中に刀あり」の喩が瞬時に私の頭をよぎった。

もう充分にわかっていたはずの本当に大切なことが、ますます鮮やかに浮かびもします」とまとめているが、直美氏がわかっていたはずの本当に大切なこととは、いったい何だと言うのだろう。

直美氏が書けないのならば、私が代わりに書いてあげよう。それは、夫のトマス氏が、直美氏より必ず先にこの世を去るということであろう。

だから、直美氏は、結婚前にも、近い将来先に亡くなるであろう老齢のトマス氏と、限られた残りの時間を、その日その時まで、ともに悔いなく生きていこうと誓ったのではなかったのだろうか。

今から4年前、トマス氏と結婚して3年目の頃の直美氏は、自らが立てた誓いを忠実に守ろうとしているようであった。それは、「一緒に食べる」ことと「一緒に寝る」ことという、夫婦であればごくごく当たり前の基本的なことがらに過ぎなかった。だが、自分で立てたごく普通の誓いでさえ、直美氏の強過ぎる欲望と言う名の自我の前には、脆くも崩れ去ったのであった。

トマス氏との結婚において、「一緒に食べる」「一緒に寝る」という誓いを自ら立てた直美氏は、その誓いを守るどころか、大前提となる「一緒に住む」というルールでさえもいつしか打ち破ったのであった。

会いたい人がいます」とひと言啖呵をきることによって、夫の住む米国を離れ、これ以上会う必要がどこにあるのかと吐き気がするくらい執拗に、日本の家族たちと、やれディズニーランドだ、ディズニーシーだ、高尾山だ、日光だと、若い男女が恋人に会うかの如く会い続ける直美氏。トマス氏は、その都度別居生活を余儀なくされている。

さらに、現在スペインを旅行中の直美氏は、トマス氏と、4時間もかけてプラド美術館を見て回ったそうだ。直美氏は、過去にも、前夫の池澤夏樹氏とともに、長女を連れてプラド美術館を訪れたという。若き母親であったその時代の訪問を、今のトマス氏との鑑賞に比べて、11月22日のブログにこう書いている。

好きな物を好きなだけ見ることができる今よりも、それは幸せな時代だったかもしれません。

そうだ。直美氏はいつでも比べている。前夫であった池澤夏樹氏と過ごした時代と、今のトマス氏との生活とを。

父親が危篤となり急遽ギリシャから帰国した直美氏が、前夫であった池澤夏樹氏および長女と取り急ぎ住んだのは、川崎市であった。川崎市は、現在もなお、良い在日さんも悪い在日さんも含めて、とにかく、在日さんが犇めくように住んでいる。

東京に引っ越して来る前に、直美氏は、在日の街として名高い川崎市を選び、そこに住んでいた。そして、トマス氏と結婚して5年目の2010年2月27日のブログに、当時のことを直美氏は、こう述懐している。

完璧に幸せな時代でした。

これでは、トマス氏の立場はないのではないだろうか。再婚して、ホームパーティと外食、そして旅行をともにしているとは言え、心は常に、逃げ出した前夫との時代をさまよい続けている直美氏。本当にトマス氏が比類なき知性の持ち主であれば、とっくの昔にそのことに気づいているに違いない。そして、たとえ直美氏の本心に気がついていたとしても、悲しいかなトマス氏は、現在の直美氏との生活を不満に感じていたとしても、老いているがゆえに、それを覆すだけの力はないのであろう。

老・病・死へと向って行くばかりの凍りつくように寂しい心を抱えながら、トマス氏は、直美氏不在の米国で活字とにらめっこをするよりほかになすすべはないのではないか。

今はもうすっかり諦めてしまったとしても、直美氏に対して、自分は忘れられているのではないかと不安に苛まれた日々も、過去にはあったのではないだろうか。

直美氏のブログを読むたびに、直美氏が、今なお前の夫である池澤夏樹氏という過去の亡霊とともに暮らしていて、現在の夫であるトマス氏との暮らしを生きていない様子がひしひしと伝わってくる。

フランスの作家であり詩人のアンリ・ド・レニエは、「女は自分を笑わせた男しか思い出さず、 男は自分を泣かせた女しか思い出さない。」という名言を残した。

直美氏が、寂しい時そばにいてくれて、再婚相手となった男をないがしろにし、他に女性と子どもをつくって、直美氏に離婚を強要し、直美氏を離婚に応じさせた男しか思い出さないとすれば、これほど不幸なことはないであろう。

直美氏の旅行記に、写真とともに快晴に恵まれていると綴られていても、曇り空のように浮かないのは、そんな直美氏の心の空が、行間に描き出されているからではないだろうか。

本当に大切なこととは何なのか、直美氏がはっきりと答えを出す日は来ないだろう。

いついつまでも二つの姓を名乗り続けるという奇妙奇天烈な直美氏は、米国と日本を、そして、池澤夏樹氏と過ごした時代とトマス・ショーエンバウム氏と過ごしている今とを比べながら、未練と見栄との二人三脚で、どっちつかずの無様な生きざまを見せていくのだろうから……

<つづく>

***

20120727

「いつか」なんて風のひと吹きで

http://blog.platies.co.jp/article/57270784.html                           切り詰めた睡眠の中でさまざまな思いが去来します。おさえてきた愛や怒りや悲しみが頭をもたげます。決して書くまいと思ってきたやるせなき思いに急かされもします。もう充分にわかっていたはずの本当にたいせつなことが、ますます鮮やかに浮かびもします。

20081023

早寝早起き朝ブログ

http://blog.platies.co.jp/article/21693618.html          本当はここで勢いに乗って深夜ブログに突入したいのですが、一緒に暮し始めた時に自分で立てた誓いを守らぬわけにはいきません。「一緒に食べる」ことと「一緒に寝る」こと。なんたって「寝食」というぐらいですからこの二つは日常生活の基本です。ごく単純なことですが基本の二つをできるだけ一緒にするというのは夫婦にとって、とても大切なルールだと思います。

20121122

マドリッドの秋~また来ればいいのだから

http://blog.platies.co.jp/article/60224362.html                           もう随分昔のこと、私たちは歩き始めるようになったギリシャ生まれの娘を連れて、ギリシャ人たちとの団体旅行で、ここスペインにやってきました。

「いつかまた来ればいいのだから」とスプーンを持って、プラドの入り口の向こう側の世界を憧れと共に思い描く、若い母親でした。好きな物を好きなだけ見ることができる今よりも、それは幸せな時代だったかもしれません。

 

20100227

完璧に幸せな時代へのセンチメンタルジャーニー

http://blog.platies.co.jp/article/35729576.html ギリシャから帰ってきて、私たちはローンで小さなマンションを買いました。都心から30分ほど電車に乗った場所の、6階建ての建物の601号室でした。 私たちの家は、白い漆喰の壁に緑の扉。どことなくギリシャを思わせるものでした。 そんな暮らしが数年続き、その間に次女が生まれました。そして、長女が1年生を過ごした小学校を訪ねました。暗くなり始めた中で、ポッと明かりが灯る教室がありました。門をあけて、校庭を横切り、教室の扉をあけてみたい、、、、あの時、授業参観に行ったように、、、、、そんな思いを打ち消して、やはり背中を向けました。

たくさんの、たくさんの思い出が切なく心をよぎります。
長いこと思い出すことさえなかった数々の思い出たちが。
完璧に幸せな時代でした。

2012年11月 4日 (日)

なにげない 日々の暮らしの ありがたさ 時に噛みしめ 感謝をつづる

風が冷たくなると、家で温かいお茶を飲む機会がふえて来る。


そんな時に、ちょっとしたお茶受けのお菓子があると嬉しい。

 

最近のお気に入りは「FLAVOR(フレーバー)」というメーカーの

チョコレートチップックッキーとブラウニー。

Dsc02795

デパートに行くと、それぞれを2個ずつ買って帰って来る。

チョコレートが例えようもなく濃厚で、一度に1個食べ切ることが困難なのが悲しいところだが、素朴な味がいい。

私は紅茶のシフォンケーキが好きなのに、人気がないようで、商品をあまり見かけない。先日ジオラマ展に行った帰りに日本橋高島屋の地下食料品売り場で、こちらの「アールグレイティーケーキ」を見つけて買ったのがきっかけだった。

ややパサパサしていたものの、紅茶の味が感じられてなかなか美味しかった。

朝食のパン替わりにもなりそう。また購入したい。

http://www.flavor.co.jp/

先日も目についたクッキーを買ってみた。

Dsc02790

サダハルアオキと書いてある。

有名なパティシエの方なのだろうか?

まだ食べていないので味については語れないが、最適なサイズで個別包装なのが嬉しい。サイトを見ると紅茶のクッキーもあった。

http://www.sadaharuaoki.jp/top.html

http://www.sadaharuaoki.jp/demisec.html

 


そして、主人も私も大・大・大好きな「ジョナゴールド」!

Dsc02793_2


どうしてこんなに美味しいの?!



Dsc02148


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さっぱりした甘さがたまらない。

 

さて今日は、冬物の重いコートを何枚か出したり、着ない洋服をしまったりしたせいか、右肩がひどく凝り、疲れてしまった。

そのため、いつもながら、お買い物の荷物は主人が持ってくれて、ジョナを剥いてくれて、水回りの掃除や家事も代行してくれた。

最後にお味噌汁に入れる三つ葉までが、細かく綺麗に切ってまな板の上に置かれていて、入れるだけにしてあった。

何でも私より上手。


お味噌汁の写真を撮ってブログに載せてもいい?と主人に尋ねると、駄目だよと言われた。まともな大人の男性の回答である。

 

さっき、シャツをめくりながら(笑)お互いの肩に湿布をはった。

こぐちゃんは「これが本当の貼り愛だ。張り合いがあるね!」と言いながらハハハと笑った。


昨日ネットスーパーから届いたトイレットペーパーは、期間限定でクリスマスの絵柄に変わっていた。

「可愛いねー!」と顔を見合わせながら、しばし二人で微笑んだ。

 

心がほんのり明るくなる、心がほっと和らぐ、

安らかな、ささやかな、なにげない日々の暮らし。

こぐちゃん、いつもありがとうございます!

 

次回は、図図しく、世知辛い、池澤ショーエンバウム直美氏の

「タカリ根性」と「ゴリ押し」について、具体的に書こう。

 


***参考資料***

図図しいの類義語

横風 破廉恥 靦然たる ・ ずうずうしい ・ いけ図図しい 僭上 憎々しい 驕傲 不遜 野面皮 図々しい 恥しらず 僭越 ・ 生意気 不遠慮 厚かましい 押強い かさ高 太太しい 野太い いけ図々しい 厚顔 暴慢 鉄面 驕慢 押し強い 猛々しい 無遠慮 白しい 不躾け 不埓 不埒 鉄面皮 図太い 猛猛しい 僣上 ・ 太い ・ 不届 不躾 専横 大風 僣越 不仕付け 旁若無人 恥知らず 傲慢 白々しい 無恥 大柄 厚皮 無礼 たけだけしい 臆面もない 小癪 しゃあつく

世知辛い(せちがらい)

金銭的に細かい ・ (誰もが)勘定高い 打算的 抜け目ない 生き馬の目を抜くような(世相) ・ シビアな(金銭感覚) ・ 暮らしにくい ・ 生きにくい(世の中) ・ (経済的に)余裕がない



ゴリ押し
ごりおしとは、

どう考えても理にそぐわないことを強引に押し通すことである。

概要

辞書的には「無理押し」ともいい、理に合わないことを分かっていながら考えを押し通すことである。

2012年7月23日 (月)

「打算婚」の報い-必ずやって来る「離婚」の二文字-

結婚相手を見れば、ある程度その人物がわかると私は思う。

結婚の相手選びには、自分のコンプレックスがそっくりそのまま投影されていることが多いからである。自分に欠けた部分を異性に求める力が本能的にはたらくせいもあると思われる。美女と野獣の組み合わせなどはその最も顕著な例であろう。

では、池澤ショーエンバウム直美氏が、最初の結婚で欲しかったものは何だろう。それは、開成中学・一高・東大というエリートコースを辿り、学習院大学教授でありかつ作家としての地位も確立していた「福永武彦の息子」という池澤夏樹の「血筋」にほかならなかった。直美氏が大学卒業を待ちかねるようにして池澤夏樹と結婚したのは、在日韓国人(朝鮮人)という出自、祖母がやっていた家業など、直美氏自らの「血筋」という、どうすることも出来ない強烈なコンプレックスが存在したからである。

直美氏の告白によれば、池澤夏樹と知り合った当時、池澤夏樹は他の女性と交際中であったそうだ。直美氏がその女性から池澤夏樹を奪い、いち早く結婚へともちこんだ背景には、自らの血筋というコンプレックスがあり、「福永武彦の息子である池澤夏樹」と結婚したいという打算があったのである。

打算に基づく結婚であった事実を覆そうとするために、直美氏は、池澤夏樹についてこう書いている。「当時はもちろん、将来の予測もつかぬ風来坊でした」と。「今では押しも押されもせぬ大作家になりましたが」との前置きは、池澤夏樹を大作家へと育て上げたのはこの私と言わんばかりで、いかにも自画自賛の好きな直美氏らしい。http://career-cafe.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/12_c736.html

だが、池澤夏樹はもともと翻訳という執筆の仕事をしており、文学の素養があったうえに、高名な作家の息子という確固たる血筋もある。さらに、福永武彦の息子という恵まれた立場は、文学者を目指す名もない多数の者たちより圧倒的に有利であったのだから、池澤夏樹が二世作家として活躍する姿は、作家を志す他の者たちに比してたやすく予想のつく姿であったろうし、翻訳者であった池澤夏樹が、大作家となって活躍する場所は、最初から開かれていたともいえよう。

だが、直美氏は、福永武彦の息子であるという動かし難い事実には触れることなく、ただ「将来の予測もつかぬ風来坊」であったと池澤夏樹を形容し、そんな池澤夏樹を、純粋な感情から好きになって結婚したと世間に思いこませようとして書いた。いついかなる時でも計算をはたらかせずにいられないところが、直美氏の直美氏たる所以である。比類なき大食漢である直美氏がまったく太らないのは、絶えず休みなく計算をはたらかせているせいであろう。

ちなみに、池澤夏樹のウィキペディアには、

1993年に沖縄に移住。1999年7月に直美と離婚。直美との間には春菜とその妹の2女がある。同年8月、歳の離れた編集者と再婚し2児をもうけた。

と記載されているが、この記載は事実に反する。直美氏との離婚が成立するずっと前の別居期間中に、編集者とされる女性との間に2児が誕生したのである。沖縄での同棲を経て再婚した女性が、私と同い年であることや、直美氏との離婚が成立する1999年より以前に、沖縄で誕生した2児が二人とも女の子であったことについて私は、当時親しかった直美氏から、直接聞かされて知り得ていたからだ。

直美氏の2回目の「打算婚」は、歌舞伎町のスナック「琥珀」に勤務していた当時の直美氏が専ら年老いた社長相手にサービスしていたことからも察しがつくように、贅沢な暮しをするためのスポンサー探しであった。スポンサーとは、出資者、後援者であり、パトロン、保証人のことである。それに加えて、今度は浮気されて逃げられないようなお堅いご老人、さらに、派手好きな直美氏がやれパーティだ、やれ飲み会だと騒いでも、我関せずで地下牢にひきこもって本を読んでいられるような我慢強い学者という新たな条件が加わったようだ。

話がそれて恐縮だが、真偽のほどはともかく、直美氏は、米国の老人である夫君が昔取ったとされる杵柄をいいことに、別荘を借りたり、大名旅行を繰り返しているようだが、直美氏が心ある人間ならば、米国や香港で世話になっている人々を日本にお呼びして観光案内せずには心苦しくていられない筈である。ところが、そんな配慮を見せることは一度もない。

先日、香港のリュージン氏に案内された水上レストランで出されたお料理のすべてを直美氏が酷評している料理ブログの記事を読んだ私は、直美氏は何と失礼で嫌な女だろうとあらためて感じた。香港の人がこのブログを読む筈はないと高をくくってこきおろしているのだから、まさに計算づくであろう。

http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku/e/45d0b7f5327e197f74f78fb867a44f34

相手がご好意で案内してくれたレストランの料理にけちをつけることなど出来るものではない。そこまで言うのなら、2回お世話になったのだから、来年は、己らが宿泊させてもらった香港のホテルと同等のホテルを東京でおさえて、リュージン氏と奥様のビンさんを日本にご招待し、和服でも着て抹茶と和菓子をふるまい、毎度毎度お馴染みのお寿司屋さんを自宅に呼んでふるまうか、一流の料亭で会席料理か天ぷら、しゃぶしゃぶでもご馳走したり、温泉巡りや歌舞伎の鑑賞でもして返礼をしては如何かと思うのだが、書くだけ無駄なことを私は知っている。

常に書いてきたとおり、直美氏は、他人を利用し搾取するだけ、他人の権力や恩恵にあずかるだけ、大盤振る舞いや奉仕はバカのすること、奉仕はチャリティの形で自らが主催して出来る限り多くのお金を集めそれを自由に使える時だけ、何よりも、自分よりお金持ちでお金を出してくれる人とだけ付き合え。と考えているからである。

閑話休題。見栄を張り、自らの生活水準を上げるためのスポンサーを結婚相手に求める「打算婚」は、遅かれ早かれ必ず破綻する。実は私は或る結婚を怖れながら見守っている。その結婚とは、初婚でありながら、決してその子の好きなタイプとは思えないバツイチと噂される男性とのデキ婚である。産まれた子どもを溺愛している様子だけは伝わるから、ネグレクトや虐待をしていなくて良かったと胸を撫で下ろしてはいるが、夫との関係はと言えば、いかにも夫の稼ぎと実家の資産だけが目的の「打算婚」としか思えず、薄氷を踏む思いで見つめている。バツイチと噂される男性をお相手に選んだのは、自分と離婚してバツ2になったら、勤務先にも居づらくなるだろうし、周囲の評判も悪くなる、だから、自分が多少わがままを言ったところで、この男はおいそれと離婚はしないだろうとの打算に裏打ちされた選択ではないと思いたい。

その子のブログに、その子が本当に好きなタイプと思われるタレントの溝端なんとかや、旅行先で出会ったワイルドな原住民、ガイドさんが登場する度に、双方の浮気は大丈夫かと感じる。妻が、遠く離れた異国に出かけて、誰とどう過ごそうが構わないという夫は、子どもが一緒だからと妻を信頼して送りだす寛大な夫ではなくて、妻が誰とどうなってもいいと考える愛情のない無関心な夫なのではないか、逆に妻が不在の間に夫はどこで誰と何をしているのだろうかなどと老婆心ながらつい心配してしまうこともある。

この子のデキ婚が「打算婚」なのかどうかは、ひとえに、今後「離婚」するかどうかにかかっている。離婚の危機を避けるためには、子どもを大切にすることは言うまでもないが、一度きりの人生の相手として、自分を選び、自分との生活を望んでくれたたったひとりの夫君の人生も、子どもと同じように大切にしてあげることに尽きると思う。夫君とはあたたかい会話のある毎日を積み重ねて愛情を育て、物質面よりも心豊かに人生を過ごしてほしいと切に願っている。

2012年6月 7日 (木)

「目は心の窓」は真実である

大学時代、私は現実の恋愛を求めていなかった。

いいなと思ったのは、

引き続き俳優の勝野洋さんと、

ゴダイゴのスティーヴ・フォックスさんくらい。

 

 

では、私はどんな男性をいいなと思うのか。

過去から現在に至るまで一貫しているのは、

「目の綺麗な男性」ということだ。

「目つき」でも同義であり、

「目の状態」ということでもある。

 

 

おどおどして定まらず泳いでいる目、

陰湿な悪巧みを潜ませた細い三白眼、

底意地の悪さをうつす濁った沼のような目、

まともに視線を合わせることも出来ない謀含みの目、

狭量で人望のない砂に埋もれたシジミのような暗い目、

捲土重来を狙う狂気の野望を秘めた窪んだ黄色い目。

さまざまな男の目を見て来た。

 

 

いかに真面目な善人を装おうとも、

目つきが悪くきわめて目の汚い男は、本性が腐っている。

何をしても不平不満を漏らすだけで大成することはない。

師事した人間に背き、行動すら共にしなくなってゆくだろう。

真心ある弟子に恵まれない師匠は、健康面、仕事面において、

衰退の一途を辿ってゆく運命にある。

 

 

3か月間みっちり対峙すれば、正体が露見する確率は高い。

執筆でも、電話でも、

書くだけなら、口だけなら、

いくらでもうまいことが言えるし書ける。

密室での二人だけのやりとりならば、

巧言で惑わすことはもっとたやすい。

自分しか読まないメールボックスに届く、

歯の浮くような甘言、

褒め殺しの文章には要注意だ。

たらしこみ、煽り立てて、

何を引き出そうとしているのか。

男の正体を見極めて、

白日の下に晒すことだ。

 

 

例えば、ボランティア活動のように

純粋な善意から派生した行為であったならば、

相手の役に立ち、喜んでもらえればそれだけで良い筈であり、

感謝や称賛の言葉、御礼の贈り物程度で満足できる筈である。

だから、純粋な善意からの活動であるならば、その行為は、

見返りを望むことなく、喜びとともに続けられる筈なのだ。

善意からの活動でなく、例えば本来の目的が私たち爺婆から

募金なりカンパなりを引き出すことであったとすれば、それが

達成しないことに苛立って、自ずと馬脚を現し正体が露見する。

 

 

教訓として言えることがいくつかある。

あまりに不自然な形の異性の接近には、

必ず何らかの意図や目的が隠れている。

 

一度うまくいかなくなった人間関係は

よっぽどのことがない限り

二度とうまくいかない。

 

今の世の中には、善意だけで動く人間など

いるわけがないと思っていた方がいい。

 

目つきの悪い男

口のうまい男

急に反転する男

これらは三位一体であることが多く、

最も油断してはならない。

 

 

加えて、私の軽蔑する男とは

老夫婦や女など弱い者や自らに影響のない大者ばかりを叩く男

警察や政党など権力に金で買われてこそこそと動く偽善者の男。

最も低劣であり醜悪である。

 

 

何よりも、「恒産無き者は恒心無し」ということだ。

つまり、一定した生活ができるだけの収入のない者は

心が定まらず、節操がなく、何をしでかすかわからない。

男と接する時はこのことを肝に銘じておくべきであろう。

<つづく>

2012年6月 4日 (月)

人間は実体験からこそ学ぶ生き物

寮長ことTさんへの私の関心はすっかり失せていた。

ギョッとするような第一印象を父に告げられて

驚いたせいもあったが、

Mさんから「見せつけた」と誤解されたことも

暗く重くのしかかっていた。

そんなつもりは一切なかったのにという後悔の念と

見せつけではないことを証明したい気持ちがあった。

加えて四谷キャンパスでの変化に富んだ毎日が楽しくて、

わざわざ他の大学の学生に会うのは面倒くさいと

考えるようになっていた。

 

 

「Tさんに就職を頑張ってほしいからね、

 電話がかかって来ても取り次がないでね!」

私は母に言った。

「パパに言われたからじゃないの?」

母が聞いた。

「それもあるけどね、

Mさんに見せつけられたって言われちゃったし、

でも、そんなんじゃないし。

それに、会いたくなくなっちゃったし!」

 

 

不思議なほど未練めいた気持ちがなかった。

Tさんのことも、私は好きではなかった。

母と話しながら、そうはっきりと感じた。

私は、ダンスと話術、そして絵画に酔わされたのだ。

どれも私にとって未知の世界というだけのことだった。

口の悪いMさんと父が、剥き出しの言葉で

私を冷静にさせて、気づかせてくれたのだ。

 

 

「それならいいけど……」

母は言った。

「ママはどう思った?」

「そうね、馴れた感じの人だわね」

「なれたって?!」

「世馴れたと言うのかしらね」

「ああ、そういう意味」

「お靴……」

「靴?」

「ホテルだから、どちらかと言えば

運動靴じゃない方が良かったわね……」

婉曲に、控え目に、口ごもりながら母が伝えた。

「運動靴だった?!」

まったく気がつかなかった。

「パパがね、

4年なら背広の一着くらい

持っているだろうって。

それに運動靴だぞって……」

母は遠慮がちに言った。

その当時スニーカーというハイカラな名称はなかった。

「就職も控えているんだから

 そのくらい自分で気づかなきゃダメよね」

 

 

ダメ出しに同意しながら私は大人の目を恐いと思った。

人の振り見て我が振り直せ……自ずと頭に降りてきた。

TPOにふさわしい身だしなみが必要ということだった。

それが出来るよう心がけねばいけない……

この時、身に沁みて知らされた。

 

 

もしかすると、人間は、

こういう実際の出来事からしか

学ぶことも覚えることもできないのではないか。

知らない人は一生知らないままで、

何の不都合も、痛痒も感じぬまま、

その一生を終えるのだろう。

となれば、これは、確かに

私にとって必要な

ありがたい実体験であった。

<つづく>

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