心と体

2013年12月13日 (金)

烈しい「痛み」をどうしますか?

薬が切れて、予約なしで病院に行った。

 

 

 

総ての長椅子が高齢者で埋まり、微動だにしない。

 

消化器内科が最も繁盛する季節と実感させられる。

 

 

 

2時間と15分、待った。

 

 

 

それでも、担当医との会話に心和むひとときがあった。

 

 

 

「これ、大腸内視鏡検査前の食事ですが、ご参考までに」といただいたのが、

 

食べてよいもの 避けていただきたいもの」のチラシだった。

 

 

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「ありがとうございます。食べていいものは、好きなものばっかりです。


山芋は昨日お味噌汁に入れました。」

 

 

 

「山芋のお味噌汁ですか、美味しそうでいいですね」(微笑まれる先生)

 

 

 

「食べ物にはすごく気をつけています。迷惑をかけたくないから……」

 

 

 

「すごく優しそうな旦那さんですよね……大丈夫ですよ」

 

 

 

豆腐も、食パンも、御粥も、りんごも毎日食べている。

 

おそばはあまり良くないようだが、うどんより好きだ。

 

天ぷらやあげものは、体調がいい時に少しだけ食べる。

 

 

 

私の拙い体験から、安心して食べられる食べ物・飲み物は、

 

あまり濃くない緑茶、紅茶、ヨーグルト、りんご、豆腐、

 

みそ汁、梅干し、鮭、蒸しケーキ、カステラの類である。

 

体調が悪い時はこのどれかを召し上がっていただきたい。

 

 

 

好きだった脂こってりのうなぎや冷たいお刺身は絶対ダメ。

 

あの痛みさえ訪れなければ、何でも食べたいところだが……

 

正岡子規の「病牀苦語(びょうしょうくご)」を読んでいただければわかるだろう。

 

まさに、「地獄で鬼の責め苦を受けるような」「泣くしかない」という「痛み」である。

 

お腹と背中がくっつきそうな、骨と皮の身体全身を、痛みが駆け抜けるのだ。

 

 

 

「イタイ、イタイ、イタイ、イタイ」と顔をしかめて、泣きながらフローリングをのたうち回る姿を、一体何度コグちゃんに見せて来たことだろう。

 

きっと、ホラー映画の何倍も恐かったに違いない。

 

 

 

嫌な顔ひとつせず、速やかに自分の身支度を整え、黙って着替えと履物を用意して、

タオルを私の手に持たせてくれて、マスクをかけてくれて、バッグから保険証や診察券を確認し、戸締りをして、一緒に救急車に乗り込み、どうにもおかしな時間に、寒い待合室で、じっと待っていてくれるコグちゃん……治って一緒に帰る時も、入院することになって、独りで家に戻る時も、疲れた様子は微塵も見せず、ほのかな微笑みすらたたえた顔つきを見せて、安心させてくれる。


家族とは言え、出来ることではない。

 

 

 

「この痛みを取り去るためなら何でもしてください」

 

私の頭の中はそれしかない。

 

我慢など出来るものではない。

 

 

 

以前は頓服の「ブスコパン」を飲んで凌げたこともあったが

 

とっくの昔に経口薬では無理なレベルまで増悪してきた。

 

注射か点滴に「ブスコパン」を混ぜてもらわない限り、どうにも痛みは消えない。

 

 

 

その「ブスコパン」には副作用があり、注射を受けると動悸が強まり、心臓が苦しくなるから、体重の軽い人が使う時には要注意だ。

 

かかりつけ医以外の医療機関に運び込まれて診ていただく時は、量を加減してもらうよう、指示書を携帯しているといい。

 

 

 

「ブスコパン」は有難い良薬だが、目がチカチカするという副作用もある。

 

服用後は、車の運転、パソコン、携帯電話の操作を控えなければいけない。

 

「ブスコパン」が効かない時は「ペンタジン」を点滴に混ぜていただいた。

 

これも劇薬だからお勧めはしないが、私にはよく効いた。

 

 

 

烈しい痛みをともなうからこそ病気は恐ろしい。

 

 

 

癌も、心筋梗塞も、くも膜下出血も、烈しい痛みを伴う。

 

 

 

癌は、亡くなるまで痛みの苦しみが消えないと言われている。

 

肝臓癌や胃癌、肺癌は、さほど痛くないと言われているようだが、亡くなる2週間前になると、7割の患者さんが激しい痛みに襲われるとの情報もある。

 

これには、抗癌剤の副作用による痛みや、骨などに転移した痛みも含まれるのだろう。

 

モルヒネ(医療用麻薬)を用いるか、神経ブロック(局所麻酔)をするか、それくらいしか、素人の私は、痛みの対策に明るくない。

 

 

 

健康な人が「病気」について語る時、大きく欠落しているのが「痛み」の問題についてではないだろうか。

 

 

 

発病し、患者となれば、実際に最も苦しいのがこの「痛み」であることを知るだろう。

 

 

 

それについても併せて考えなければ、机上の空論で終わってしまうのではないだろうか。

 

 

 

我慢することのできない「痛み」

 

 

 

それをどうするか。

 

 

 

それとどう闘うか。

 

 

 

最も重要な点はここにあるのではないだろうか……

 

 

 

望みとしては、痛みを感じることなく、或る日突然ぽっくりと(?)逝きたいものだ。

 

 

 

残り少ない人生を、後悔のないよう、いつも大好きなコグちゃんと一緒に過ごしたい。

 

 

 

そして、コグちゃんには、ぜひとも私を看取っていただきたい(笑)

 

 

 

そのためには、一日でもコグちゃんよりお先に逝かなければ……

 

 

 

私はそう願っている。

2013年12月12日 (木)

この時期に心がけたいこと

「風邪は万病の元」。


この季節は何よりも風邪をひかないようにしたい。

 


電車の中でしきりに咳をしている人たちがマスクをかけず、

ウィルスをとりこまないよう予防する人がマスクをかける。

 


何につけ、ワルがのさばり、まっとうな者が追いやられる。

そんな気がするこの時代……

 


身体は極力冷やさないように。

特に首まわり、喉まわりは包んで守ろう。

飲み物や食べ物も温かいものにして、内臓から温めよう。

 


この程度のことは、皆様も既にご承知のことであろう。

 


そこで、私なりに心がけている注意事項を書くなら、

ドアノブや、スイッチなど、外出先から戻って来て

よく触る場所を、除菌ティッシュで拭くこと。

 


冷蔵庫の取っ手やパソコンのキーボードも時々拭くといい。

手ばかり洗っていても、予防には足りないからだ。

 


この時期は、トイレや洗面所もこまめに掃除をする。

 


当然ながら、マスクをかけ、厚手の部屋着を着て、

掃除の後はすぐにその部屋着を洗濯機にかける。

 


また、毎日では空腹を感じるかも知れないが、

時々は熱熱のおかゆを食べるようにしたい。

汗が流れる程、身体があたたまりお勧めだ。

滋養のある具を入れたおみそ汁は毎日飲んでほしい。

 


そして、この時期は、身に着ける物の素材にも特にこだわりたい。

毛布やタイツ、下着は、素材によってまったく暖かさが違うからだ。

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やせていて、いいことなどほとんどない。

 


何を着ても似合うとは言うものの、貧相だし、

風邪はひきやすいし、何よりも寒い。

 


今年は、昨年よりさらに一枚多く着こむようになった。

 


ウィルスを99%ガードするマスクもかけている。

 


それでも、12月は救急車に乗り込む確率が高い。

 


今年の6月も耐え難い腹痛に襲われ、

外出先から脂汗とともに救急病院へ直行した……

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生鮮食料品を買い込んでデパ地下を出たすぐ後だったので、

救急車を呼んでくれたコグちゃんは、

大荷物を両手に持って、私を介抱しながら、

救急隊員が到着するまでの間、

さぞ困惑したことだろう。

 


こんな迷惑、二度とかけたくない。


あんな激痛、二度とご免だ。

 


こうした事情から、デパートの地下で、

人一倍着ぶくれている婆さんを見かけたら、

見ないふりをして、通り過ぎていただきたい。

 


私はそう願っている。

2013年12月10日 (火)

「お金のためなら何でもする人たちにも多い人格」とは?

コグちゃんに、故郷からの名産品がたくさん届いた。

 


残念ながら、今年ばかりは、どうにも時間が取れそうにない。

 


そこで、早速、毎年忘年会を兼ねて食事をして来た友人にお裾分けをした。

 


どんな友人かと言えば……

クールで知的。地味で堅実。

本物の勉強家で読書家。

落ち着いていて約束を守り信頼に足る。

そんな人格の持ち主。

 


で……すこぶる頭の良い女性だ。

だからこそ、長続きしているのだろう。

 


頭がいい女性だと、付き合うのが楽でいい。

 

手紙をもらっても、この文章は何かな?一体どういう意味なのだろう……とか思い患うことはまるでなく、春の小川のようにサラサラ流れる、読みやすくわかりやすい文章が、癖のない美しい文字でスラスラと書かれていていい。

 

私が手紙を書く時にも、こう書いてもきっと理解することは出来ないだろうななどと悩みながら言葉を選んだりもしなくてすむ。

 


そんな彼女は、笑うことが好き。

そして私は、笑わせることが大好き。

このあたりのバランスも取れている。

 


身体にいい食品を彼女にもお送りして、

今年は一緒に食事をしたつもりで我慢。

 

そんな年もあっていい。

 

 

さて……今日はそんな知的な友人とは真逆にあり、対極にある

常人には内心を把握することが不可能なタイプの人間について

少しだけ書きたくなった。

 


それは、私の興味と関心の泉を枯渇させることなく、

追いかけさせて止まない謎であり、常に理解の範疇外にあり、

何故そうなったのか、どうすればそういう発想になるのかなどと

信じられない思いとともに考察し、分析する対象として実在する

或るひとつの人格の形についてである。

 


いくら時間をかけても足りない。


いくら考えても、考え抜いても、わかることはないだろう。

 

それが、その人格について私が言えることのすべてである……

 


その人格とは……

犯罪心理学者である<ロバート・ヘア>は


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BBD%E3%83%BB%E3%83%98%E3%82%A2

その人格を以下のように定義しているので、熟読玩味していただきたい。

  • 良心の異常な欠如
  • 他者に対する冷淡さや共感のなさ
  • 慢性的に平然と嘘をつく
  • 行動に対する責任が全く取れない
  • 罪悪感が全く無い
  • 過大な自尊心で自己中心的
  • 口の達者さと表面的な魅力

 

近代精神医学の父と呼ばれる<エミール・クレペリン>によると

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%9A%E3%83%AA%E3%83%B3


「空想虚言者」との類型もあるようだ。

  1. 【想像力が異常に旺盛で、空想を現実よりも優先する】     

一見才能があり博学で、地理・歴史・技術・医学など、何くれとなく通じていて話題が豊富であるが、よく調べるとその知識は他人の話からの寄せ集めである。

  1. 【弁舌が淀みなく、当意即妙の応答がうまい】     

好んで難解な外来語や人を脅かす言説をなす。

  1. 【人の心を操り、人気を集め、注目を浴びることに長けている】     

自己中心の空想に陶酔して、他人の批判を許さない。


自ら嘘をついて、いつのまにかその嘘を自分でも信じ込んでしまう。


さらに解説を読めば、「お金のためならなんでもする人たちにも多い」とも書かれているのだから、納得させられてしまう。

 


心理学を学ぶ過程で「ソンディテスト」というテストが登場するのだが、私はそこに出て来る多くの写真を見ているうちに恐ろしくなって来て、途中で見るのを止めてしまった。

白黒のせいもあるのかも知れない。


勇気のある御方は、ぜひ「ソンディテスト」と入力して、検索しご覧いただきたい。

 


「ソンディテスト」を見ていた私は、或る人物が、インターネットに登場して来た写真に、初めて遭遇した時のことを思い出した。

 


そこには不自然なつくり笑顔があった。

 


どうにも不快で虫唾が走った。


「ニタリ」……そう吹き出しをつけたい顔だった。

 


「笑中に刀あり」……


そんな感じもした。

 


どこか不気味な印象の笑顔に接して、びくっと、ぞくっと感じたら


それは、この人格を持つ者のサインかも知れない。

 


そして、どうか気をつけてほしい。


あなたも……

2013年11月21日 (木)

ジム氏の病名は「鬱病」だそうです

「ジム」と実名を挙げて、「鬱病」と、具体的にご友人の精神的な病を公開し続けることの出来る神経が、私には理解できません。

 


別記事の「薬をやめて、頭の中にチップを埋める療法にしたのがよかったのね。」との奥様の発言の部分は、指摘したことによって、現在削除されています。

 


なお、記事によれば、家に閉じこもりがちで、人と話すことを避けたくなり、言葉少なく、静かなのが、実際の「鬱病」患者のようですね。

 


http://blog.platies.co.jp/article/31445090.html

 

2013年11月19日 (火)

言葉の「意味」を正しく「理解」し「記憶」していますか?

今日は、或る「精神の病」について調べた。

 

なぜなら、

 

「精神の病」になった。その「精神の病」の薬を処方された。

 

などと、いきなり知らせて来た、鳴海氏(仮名を使わせていただきました)

という人がいるからだ。

 


但し、真偽の程は定かではない。

 


鳴海氏は、

几帳面でもなければ、

真面目な性格でもなく

責任感も強くない。

 


神経質でもなく、むしろ、いい加減で

何をするのも億劫どころか、

誰かに会いたい、話したい、

外出したい、食べたい、飲みたいと

どこまでも活動的な人だから、

 


「その病」に罹るとは思えないからだ。

 

しかしながら、専門家のサイトを見ると、



「その病」の人というのは

「人の話が分からない」

「人の話を憶えられない」という「脳の働き方」をするそうだ。

 


その情報が正しいとすれば、確かに鳴海氏は「その病」だろう。

 


さらに、

正常な「認知」と正常な「認識」が記憶されない限り、

脳は、一生、死ぬまで「その病」か「分裂病」の行動を

繰り返して、病気を深刻化させるとも書かれていた。

 


すなわち、

「言葉の意味」を記憶できない「脳の働き方」が「その病の実態」だと書かれていた。

 


さらに、

「言葉の意味」を全く記憶できなくなるとも書かれていた。


そして、

「秋葉原、無差別大量殺人事件」では、「仕事の言葉の意味」を分かることができず、記号としての言葉の号令や命令の話し言葉も聞こえなくなるという「その病特有の状態」に陥っており、与えられている仕事の義務や責任という秩序を自ら壊して、孤立に陥り、この孤立の「その状態破り」として、「誰でもいいから人を殺す」という「バッド・イメージ」による快感を求めて走ったという恐ろしい内容が書かれていた。

 


言葉の使い方がおかしい

言葉の持つ本来の意味が理解できない

 


こちらの言っている話がまったくわからない

こちらが言った話をまったく記憶していない

 


認知症でもないのに極端に記憶力が衰えている

同じ話を何度も繰り返して顰蹙を買うようになった

 


等などが顕著な人がいるとすれば、

 


その人も「その病」かも知れない。

 


「その病」であるとすれば、鳴海氏がいかに外出好きであろうと、
仕事場や会合など人の集まる席に積極的に参加して快感を求めて衝動的な行動に出ることなど無きよう、家族やブレーンは強く警戒すべきであろう。

 


前述のとおり鳴海氏は、常に超ハイテンションで、沈んだ気分などない。




人一倍精力的かつ活発に飛び回り、「やる気・元気・勝ち気」で、脅威の胃袋を誇り、お酒も強く何でもござれ。

 


食欲と活力でみなぎり、会合とパーティに耽溺し、「その病」の患者さんの姿とは対極の存在に見える。

 


それだけに、「その病」と伝えられても、俄かに信じることは出来ない。

 


だが、実際に「その病」であるとすれば、何も知らない周囲の者が、意図せず被害に遭うようなことなどあってはならない。

 


鳴海氏が「その病」であることを伝える必要があるとすれば、それは、私たち夫婦ではなく、鳴海氏が定期的に出入りしている団体や協会等の関係者や、
親しい友人・知人など鳴海氏とごく近しい、周囲に居る人々であろう。

 


私たち夫婦だけに報せてきたとすれば、邪な目的に依拠するものと考えられる。

 


「その病」が仮病で、実際の鳴海氏は枕を高くして眠り、晴れやかに目覚め、日々高らかに笑い、平素どおり外食・飲酒・会合を楽しんでいるとすれば、私たち夫婦のみならず、本当に「その病」に罹っておられて、苦悩しつつ、必死に治そうとして処方されたお薬を飲み、実際に病魔と闘っている「その病」の患者さんとそのご家族たちをも愚弄した大罪によって、必ずや天罰が下るに違いない。

 


私はそう信じて疑わない。

2012年8月 9日 (木)

心ない女は、同じ過ちを繰り返すばかりで、悔い改めることなどない。

まずは、池澤ショーエンバウム直美氏の「パソコンから離れて」というブログを読んでいただきたい。

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パソコンから離れて

 大切な人が心臓発作で倒れ、まだ夜も明けきらぬうちにハンドルを握って高速を飛ばすことになりました。私のできることはとにかく傍らにいて、ベッドの上の愛する人が、自分の置かれた状況も認識できないままに、身体につながれたたくさんのチューブを外してしまわないよう堅く手を握っていることぐらいでした。いつも働かせている部分の脳は完全にお休みさせて、判断や諸々の措置はテキパキと立ち働く若いナース達におまかせです。
 全てのアポは昨夜のうちにキャンセルしたり、事情を話して他の方々に変わっていただきました。たまっている仕事はあっても病人の枕元でパソコンを叩くわけにはいきません。観念して、手を離すことの許される時間があれば、持って行った本をひたすら読んでいました。それも仕事に全く関係のない瀬戸内寂聴さんの「源氏物語」と吉本ばななさんの「アムリタ」。あわてて無作為にカバンに入れたものがなぜかこの2冊だったのです。
 病人に目を配りながらの落ち着かない読書でしたが、いつもとは全く違う時間と頭の使い方ができました。そして常日頃いかに自分がパソコンという小さな物体に依存し支配されているかがわかりました。日頃ごくあたりまえのように仕事をしている状況が、実はとても恵まれたものだということもわかりました。
 今日が山場と言われていた病人は奇跡的にも急場を脱し、私は15時間滞在した病室から出て、深夜の高速を走って再び東京に戻ってきました。

posted by 池澤ショーエンバウム直美 at 23:34| Comment(0)| TrackBack(0)| 日記

 

最初にこの記事を読んだ時、「大切な人」「ベッドの上の愛する人」「山場と言われていた病人」と書いているのに、直美氏が、仕事をキャンセルしたことや、代行を依頼したことを不満気に書き連ね、「病人の枕元でパソコンを叩くわけにはいきません」などと当然のことが書かれていて、違和感を覚えた。しかも、「観念して」という書き方に至っては、大切なのは直美氏の目の前にいる病人ではなく、直美氏自身の時間と仕事としか読み取ることができなかった。

病人の手を、直美氏は仕方なく、嫌々握っていたようだが、「今日が山場」と言われた重病患者が、たくさんのチューブを身体につながれて、風前の灯の如き命を絶やすまいと懸命に闘っている。そんな姿を実際に目の当たりにしたなら、ずっと手を握り、絶えず呼びかけて、とても手を離せるものではない。


なのに、そんな枕元でもパソコンが叩きたいとは、一体どういう神経であり人間性なのだろうかと、深くため息をついた。

そもそも、「病人に目を配りながらの落ち着かない読書」とは、一体どういうことか?私には理解不能だった。

落ち着いて読書をすることがメインであるかの書き方に、瀕死の病人への目配りや気配りなど、心を持たないこの女にとってはどうでもいいことなのだろうと、心の凍る思いがした。



最後に「15時間滞在した病室」と時間までも強調して述べ、やっと病室を出られてせいせいした様子すら伝わって来た時、このような恩着せがましい書き方を「大切な人」や「ベッドの上の愛する人」にはできないだろうと感じた。



ところが、直美氏が同じ月に書いた「昇る朝日と沈む夕日」という記事で、上の記事の「大切な人」が、「直美氏の母親」であったことが明らかとされていた。

直美氏は、実の母親の命が消えるかも知れない瀬戸際の時、生死の境をさまよっているとされているまさにその時でさえも、仕事をキャンセルしただの、誰かに交代してもらっただの、手を離すことが許されたから本を読んだ、落ち着かない読書をしたとか、たまっている仕事だとか、パソコンを叩くわけにもいかないなどと、よく言えるものだと呆れて言葉を失い唖然とした。



今日が山場」とは、明日でも明後日でもなく、今、この日、この時が最も重要という意味であり、今日は、母親が最も緊迫した状況にあり、生きるか死ぬかの予断を許さない日ということだ。

だとすれば、2冊も本を持って家を出たこと自体おかしい。動転し、取るものも取りあえず、着のみ着のままで出かけるのが本来の姿ではないか。

死にかけている母親の枕元でパソコンを叩く?病室の外に連れ出して、冷たい水で顔を洗ってから出直して来い!と言ってやりたい。

15時間?それが何だというのか!何日も宿泊してもいいくらいだ。むしろ、日頃の不義理や無沙汰、放置を思えば、その日くらい病室や付き添い室に泊まるのが当たり前と言えよう。

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昇る朝日と沈む夕日

http://blog.platies.co.jp/article/23326954.html

一夜明けての祭日、私は海辺の故郷の病院まで高速を走りました。心臓発作で倒れ、命を危ぶまれていた母が、持ち前の体力から奇跡的に持ち直し、今では車椅子で昼間の時間を過ごせるようになったのです。



「面倒くさいことは大嫌い」とブログに書いている直美氏は、実父の介護も看病もしなかった。母親の介護も看病も実の妹さん任せであった。直美氏の母親は2009年10月8日に亡くなったが、母親が亡くなった日も、その翌日も、直美氏は毎日料理ブログを書いていた。http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku/e/585ad83346fe7fc4b0f1416f8a7118bb


命が消えかかり、まさに母親が亡くなったその日のブログに、ハートやクロスがピカピカと光る絵文字や、目がハートの顔文字をあしらったブログを書くことの出来る神経は常人のそれではない。

しかも、実の母親が亡くなる直前まで、直美氏は台湾で遊んでいた。

http://blog.platies.co.jp/article/32784159.html

 

http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku/e/bbb4b00faae3c7075668792c5d2c5485

 

 

そんな女だから、急病の老夫の面倒など親身になって看ていられる訳がない。黙って夫の傍にいて、体調や顔色を看ながら、その時々の状態に合わせてつくるのが食事というものであろう。



私が腸の病気で退院したばかりの療養中の時、主人は、私の加減を見ながら、「今日はモロゾフのプリン買って来てあげようか?」「そろそろ味噌汁に何か入れてみる?豆腐とかジャガイモならいいよね?」「はい、りんご、よく噛んで食べてね!」「ポカリは美味しいよね、だけど冷蔵庫から出してすぐたくさん飲んじゃだめだよ。お医者さんからも、おちょこに少しずつ飲むような気持ちでねって言われたでしょ」などと、塩梅に応じて、言葉をかけながらその日その日の食べ物や飲み物を代えてくれた。主食も、おかゆだけでなく、お昼にカステラが食べたくなる日もあれば、味のついていない食パンだけが欲しい日もある。傍にいる人の顔や声も治療になるという眼に見えない大切なことが、心を失くした人にはわからないのだろう。

 

夫の名代で出向かなければならない場所が本当にあるにしろ、つくり話にせよ、「腸閉塞」という病名を出せば中止できるだろう。米国に住む70代で、退院したばかりという病気療養中の老人が出向かねばならない日本での急用などあるだろうか。

また、「会いたい人たちもいます」と、押しつぶしたように強く主張しているが、なぜ、夫が完全に回復してから、その人たちと落ち着いてゆっくり会ってはダメなのだろう?

直美氏の会いたい人たちが日本にいるという都合で帰国するために、同じ食事を大量に作りだめして置いて来たからと言って、前述のとおり、それは病人にとって決して嬉しいものではない。

ところが、直美氏は、こんなにたくさん夫のための食事づくりをして帰国するなんて、自分は何と素晴らしい妻なのだろう!と、例によって自分の姿に酔い痴れた。そこで、皆に良妻ぶりをアピールするため、総ての食事づくりの様子と完成した料理、そして、料理の名前を書いて冷蔵庫に貼ったポストイット類を撮影して、ブログに載せているが、勘違いも甚だしい。美味しくもなさそうな、誰も見たくないような記事を載せた目的は、既に述べたとおりである。

http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku/e/b87f133f57b69dabe1ba18bbd3509b84



老夫婦には体調の急変もあるから、出来る限り傍にいることが望ましいと思う。まして、どちらかが病気療養中ならば、なおさら、相手の表情を見て、希望を聞いて、体調によって新鮮な食べ物を与えることが、早い回復にもつながると思う。

ほんの少し容態が安定したと見るや、病気療養中の夫のもとを直ちに離れてまで「会いたい人たちもいます」と居直る直美氏の姿が、私には信じられない。70歳過ぎという高齢の病気の夫を残してでも「会いたい人たち」とは誰か。もしかすると、しょっちゅう会っている人たちではないか。容易に想像はつくが、もし年齢だけは重ねていても、ただ旅行や外食をして遊びたいだけの、子離れ出来ていないような未熟児であるならば、年の離れたご老人との結婚などしなければ良かったのではないか。

 

かくして、自分の都合と損得ばかりが先に立つ図図しく身勝手な妻は、自分の自由な時間を完全に確保出来ることと、老夫と過ごしてそのお金で飲み食いして遊び惚け、海外旅行に同行し米国に自分の家を所有出来るという二つの選択肢を、人のせいにばかりして、理由をこじつけては気分次第でワガママに渡り歩くのだろう。

そのツケと、因果が、大きく、直美氏や、子どもたちに、さらには孫にまわって来ないという保証はない。

 

2012年7月28日 (土)

70歳を過ぎた財布代わりの老夫は、猛暑の中、鬼嫁にこき使われていた?!-ブログ命!不満だらけの共同生活-

2月15日付拙ブログ「惜しみない同胞への愛その4-同胞でも家族でもないショーエンバウム氏は池澤直美氏の“walking wallet”!」に、私は下記のとおり書いた。

夫ショーエンバウム氏の世話をするより、何としてもブログが書きたいというのが直美氏の本音である。だったら結婚などしなければ良かったのではないか。老夫の世話が嫌なら離婚すれば良いではないか。

名刺代わりのお飾りインターナショナル・ダーリンは欲しい。夫の庇護は受けたい。経済的恩恵にも浴したい。だが、自己犠牲などまっぴらご免というギブアンドテイクを知らない人間性を有している直美氏は、ブログでも自認しているとおり,いつでもどこでも結局自分が一番楽をしていたいという女なのである。

何時に寝てもいい、何時に食べてもいい自由な生活は、調子が乗ってくればたとえ明け方までだって仕事をすることができます。多少家の中が散らかっていようが、「どこかでまとめて片付けましょう。」ぐらいの乗りで、家というものを好き勝手に使うこともできます。

けれども、共に暮す人がいればそうも行きません。先に帰って来る人のために、快適な空間を準備しておかねばなりませんし、運転手も、管理栄養士も、料理人も、掃除屋さんも、時には秘書だってやらねばならぬ複業の身となります。花だって枯れたままではいけません。公私を問わず、ユニットで顔を出さねばならない場もしばしば出てきます。

>一緒に暮し始めた頃に、ごく基本的な2つのことを守ろうと自らに誓いました。ひとつはできるだけ一緒に食べること、そしてできるだけ同じ時間に眠ることです。当然ながら、1人の時は深夜に没頭していた仕事が早朝仕事に変じます。それでも時として、自分ではどうにもできない番狂わせが起こります。

たとえばこのブログ、書きたい思いは募っても昨夜はどうしても時間がありませんでした。思いのほかに外での仕事に時間を取られ、思いのほかに料理に時間がかかり、思い通りに積もる話に時間をとられているうちに、あっという間に深夜です。

「それでは失礼」 と自分の仕事部屋に閉じこもるわけにもいきません。潔くあきらめて、それなら早起きで挽回しようと思っていたら、「明日はちょっと早く出たいんだ。7時頃でもいい?」と来ました。

朝は「グローバルキッチン」 、夜は「ナオミライク」というリズムが狂い始めています。その発端は、一昨日の新年会からの深夜帰り。

一人暮らしなら、そのままの乗りで何時になろうがいっきに書いてしまうところ、いえ、むしろそうしたいところが、共同生活となるとそうは行きませんしかも、一人で出かけて、一人で楽しんで、一人でおいしいものを食べて帰ってきた身にとっては、同じ一人でも冷蔵庫の中から残り物を暖めて食べていた人に対しては、妙に肩身が狭いものです。帰るやいなやPCの前にすわるわけにもいきません。
心残りながらも、あきらめて眠りに就くことにして、翌朝、したためたのが、昨日の「超早朝ブログ」 でした。なんだかしっくり来ない朝書きから、やっぱり夜書きに戻します

一人ならこのまま眠い目をこすってでも書き続けるところなのですが、共同生活ともなればそんなわけにも行きません。

>一緒に食べる、同じ時間に眠る、という共同生活のルールは、気ままにやっていたのとは全く異質の時間を作ります。「まとめて片付ければいいや」と、ほったらかしの散らかし三昧にすることもできなければ、「面倒くさいからコンビニで食べ物買ってきちゃおう」と手抜きもできなければ深夜にワイングラスを手元に置きながら、いい感じでブログを書くこともできなくなりました。

共同生活も初めのうちは、なかなかペースがつかめません。ついつい二人であっちに行ったり、こっちに行ったりしているうちに時間がどんどんと過ぎていきます。昨日の昼間も、大切な家族や友人たちとの嬉しい集いがありました。静かになった夕方、「さあ、落ち着いて机に向かおうか」と思った矢先に、「ナオミーっ! 電気ストーブが壊れた。」の一声で、今度は買い物に(笑)。
 そして気づけば二人とも、とっぷりと疲れていました。ひとりならば「疲れているなんて気のせい、気のせい」とばかりに、カツを入れて仕事部屋に戻ることもできますが、共同生活ではなかなかそうもいきません。

自分の妻がこんなことをこっそりブログに書いていたら、甲斐性と気概のある男なら、「結婚したのだから当然だろう。仕方がないじゃないか!」「好き勝手・自由気儘がしたいなら、離婚すればいいだろう。結婚を何と心得ている!」と憤慨するに違いない。或いは前夫芥川賞作家池澤夏樹氏のように黙って遠くの島へ逃げ出すかも知れない。

 

ところが、異国の老人であるショーエンバウム氏は、直美氏のブログを見ることはない。見たとしても日本語がわからないから理解できない。だから、直美氏が好き勝手にショーエンバウム氏をブログに登場させていようと、同氏との共同生活の憤懣を語り、制約を綴ろうとも知る由もない。

http://beraamano.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/walking-wallet-.html

現在ショーエンバウム氏は、急病で物が食べられないご容態とのことだ。真偽の程は定かではないが、持ち直したとでもいうのならともかく、夫が死ぬか生きるかという状況でも直美氏は、看護に集中せず、救急病院の写真を撮影してブログに載せ、料理ブログまで更新する始末である。これが60歳を過ぎた分別ある女の姿であろうか。直美氏は待っている。「ほうら、困っている様子を知らせれば、私の下僕たちは、競うように私に何かしてくれるんだから」そして、必ずこう書く。「沈み込む私に、○○さんが真っ先にこう書いてくださいました」「すぐに慰めの言葉をかけてくれたのは△さんでした」「×ちゃんはこうも言ってくれました」「□□さんは自宅に、段ボールでこんなにたくさん送ってくれました」「こんなことをしてくださった人だっています」と……

http://blog.platies.co.jp/article/57270784.html

>物を食べられない夫の体力は日に日に衰えているように見えます。なぜ、あのまま押さえつけてでも日本に居る道を選ばせ、すぐに入院をさせなかったのかと、わが身の不甲斐なさが悔やまれます。


70歳を過ぎて、物を食べられずにいる老夫を、すぐに入院させなかったとの判断は、鬼嫁の殺人行為に近い。高齢なのだから、たとえ日本の保険に入っていなかったとしても、どんなに高額の費用がかかろうとも、すぐに入院させ、点滴によって水分と栄養を十分に補給し、何日でも安静にさせておかなければならなかった。なのに、12時間という長い時間のフライトで米国に飛ぶなど、もっての外であろう。なぜそうまでして急いでアメリカに移動させなければならなかったのが解せない。

さらに直美氏は、この猛暑の中、70歳を過ぎた老夫を買い物に行かせていたことが、連日のブログから判明した。昨今は、夕方になっても暑さのおさまらない日が続いており、全国的に熱中症で搬送された人が多く、亡くなった人もいることくらい、子どもでも知って注意している。朝は駅まで新聞を、夕方にはスーパーまでチーズやうなぎを買いに行かされ、日曜日には庭(実際には庭というよりも小さな植え込みに過ぎないが、見栄を張って常に庭と書いている)いじりをさせられ、土曜は友人夫婦と表参道の洗練されたレストランで(本当ならば、なぜ写真入りで料理ブログに紹介しないのかと不思議でならない)何本ものワインを開け、その前のいずれの日には夕方からの会合もあったとすれば、ショーエンバウム氏ならずとも、いかなる70代男性であっても体調を崩すのではないだろうか。

http://blog.platies.co.jp/article/57170090.html

ところで、昨夜、フェタとトマトと玉子を使った料理を作ろうと思ったら、常備品のはずのフェタがありません。あわてて、夕飯前のお散歩に出る夫に「フェタを買ってきて」と頼んだら、二つも買ってきました。隣り合ったもう一つのスーパーに行けば、別メーカーの安いものを売っているのに、、、、このお料理、一袋の半分もあれば十分なのに、、、、などと心の中で思いましたが、ま、いいでしょう。確かにギリシャ支援の一環かもしれませんから。

http://blog.goo.ne.jp/naomiwakuwaku/e/ddf0dc1281edcf2345e5cadd3825dfd0

ウナギ好きなアメリカ人の夫までそわそわとしてこんなウナギパックを買ってきました。
「ナオミ、1つで足りる? もうひとつ買ってこようか?」

http://blog.platies.co.jp/article/57270784.html

>日曜日にはスコップやホースやごみバケツなど、ごく普通のものをごく普通に買いに行き、ごく普通に一緒に庭で働きました。こちらの端と向こうの端に蚊取り線香を置いて、しめった土から雑草を引っこ抜き、新しい花の苗を植えました。

いずれにしても、直美氏は、ショーエンバウム氏を、おだてに乗せていた。

http://blog.platies.co.jp/article/47966848.html

>「毎日の運動が大切ですものねえ。You are great! 行ってらっしゃい!」
夫はそんなおだてに乗って、ますます勢いつけて走り始め、ポケットの小銭で毎朝新聞を買ってきます。

また、直美氏は、他人の病気や死をまったくもって軽く考えており、死を前にした末期癌とのジャクリーンさんとの、最期の約束も守らずに破っている。

http://blog.platies.co.jp/article/28648166.html

http://blog.platies.co.jp/article/28094928.html

さらに、直美氏は、昨年胃カメラと乳ガン検診を終え、11月には大腸内視鏡も受けているが、ショーエンバウム氏については何も書かれていなかった。ショーエンバウム氏と一緒の人間ドック受診は、2009年6月が最後のようである。

http://blog.platies.co.jp/article/29639543.html

http://blog.platies.co.jp/article/52441760.html

 怠け者のわが身に言い聞かせていることがあります。
「胃カメラは半年ごと、乳がんの検査は1年ごと、大腸カメラは2年ごとに」
その最後の「2年ごと」が今年に当たりました。胃カメラはすでに今年の分を2度済ませました。乳がんのマンモグラフィーも先月済ませました

最も危険なのは、直美氏が、賞味期限切れの食品を捨てず、他人に出す料理であっても平気で使うという悪癖であろう。73歳の石川愛氏という日本秘書協会の理事長に出すお料理にも、賞味期限が5年も前に切れているタルト台を使用したほどのツワモノである。高齢者に腐った食品や缶詰、古い材料を使った料理を与えることは禁物である。最初は何ともなかったとしても、徐々に内臓を壊していくのではないだろうか。高齢者ほど口に入れる物には気を使ってあげないと、嚥下困難で詰まらせてしまったり、熱いまま、冷たいまま飲み込んで、お腹をびっくりさせてしまうことがあるから、もしも、ショーエンバウム氏がお元気になられて、物を食べられるまでに回復した暁には、心を入れ替えて、お食事によくよく注意し、ご老人の胃腸に優しい食べ物をつくってあげてほしいと真摯な気持ちで忠告しておきたい。

ちなみに、下記は実家で1996年の缶詰を見つけた時の春菜ちゃんのブログである。

http://halunahime.blog13.fc2.com/blog-entry-2.html

>かと思えば……私はこんな缶詰を発見してしまいました(-ω-;)
アヲハタのポークアンドビーンズ。
はがれかけた半額のシール。
褪せた缶の印刷。
そして……サビ。
おそるおそる製造年月日を確かめると……96年。
2096
年かしら?
嘘です……1996年でした。あぁ2008年になったお正月に、こんな前世紀の遺物を発見してしまうとは。
どうしようか迷った末、そっと元あったところに戻しました。
アメリカから帰ってきたママがこれをどうするのか……たぶん、気づかずに、そのまま来世紀まで持ち越しかもしれない。
私のお正月の行事に「アヲハタのポークアンドビーンズがまだあるか確認すること」を追加しておこう。

http://halunahime.blog13.fc2.com/blog-entry-33.html

>賞味期限は1ヶ月半ほど過ぎていますが、一応冷凍庫にて保管しておりました。

池澤一家は、人様にお出しするお料理や飲み物であっても賞味期限を気にしないようだが、それは自分が飲んだり食べたりする物の時だけにしてほしい。人の口に入るものは、一歩間違えれば全身に回る毒にもなり得るからだ。

世の中には、自分たち一族と違って、デリケートな胃腸を持つ繊細な人間が存在するということだけは、忘れずにいてほしい。

自分以外の他人の病気や死について、まったく軽く考えている直美氏には、猛省を促したい。

2012年7月20日 (金)

死にかけていたとしても、気力を振り絞って、書き続けたいこと

2年前から激しい腹痛で、ためらいつつも救急車のお世話になり、そのまま入院を余儀なくさせられることが多くなってきました。

ご近所のお医者さんが開いている時間に駆け込んでも、「救急病院に紹介状を書きます」と言われて、そのお医者さんが救急病院に電話をかけてくださり、タクシーを飛ばして向かうこともあります。

救急外来に到着してからは、急いで体温や血圧を調べていただき、血液検査をしてくださることはあっても、体重を聞かれたことは一度もありません。少し不思議な感じがするのですが、脱水症状によって体重が減少しても、血中のミネラルやカリウムが減少していなければ生命は維持されるのでしょうか。現在、私の体重は36キロしかないので気になるところですが、医療機関ではさほど体重を重要視していない様子なので、あまり気にしないでも良いのかも知れませんね。体重を増やすためには、家庭的な主人が取り寄せをしてくれたり、野菜たっぷりのお味噌汁をつくってくれたり、大好きなジョナゴールドというりんごをむいてくれていますので、ありがたいことと深く感謝しながら御礼とともにいただいています。

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救急外来では、取り急ぎブスコパンという痛み止めのお薬を注射してくださり、点滴の中にもブスコパンを混ぜてくださいます。このお薬は、最近では薬局にも売られておりますので、名前を聞いたことのある方もいらっしゃるかも知れません。安心して服用出来るお薬ですが、緑内障の方にとっては禁忌薬ですので、ご注意ください。

それでも痛みがおさまらない時には、かなり強力な、ペンタジンというお薬を点滴に混ぜていただくとどうにか楽になります。このように私は、激しい痛みとともにかなりの憔悴を繰り返している老体ですから、いつ亡くなってもおかしくありません。そのため、遺しておきたい魂の声は、書けるうちに、書ける限り、この「天野べラのブログ」に綴っておかなければなりません。

このブログを読んでくださっている方は意外に思われるかも知れませんが、本来の私はテンションの低い薄ぼんやりした人間です。静かに暮らしたいと願う平和主義者でもあり、常に周囲の方々を楽しませたい、恥をかかせないようにしなくては、何よりも悲しみのうち、失意のうちにある人こそ私の友と考えて、最優先で手を差し伸べて来たと自負しています。他人が困っている時は何とかしてあげなければと気を配り、回りに気を遣いながら生きてきた事実については、本名のリアルな私を知る友人・知人なら誰もが頷いてくれると思っています。

私が気遣いをするようになった背景には、亡き両親の威光のお蔭で、幼い頃から周囲の方々によくしていただいてきた家庭環境が大きく存在しています。私は何も偉くないのに申し訳ないと恥じ入る気持ちと、ありがたいことと頭を下げる気持ちが強く湧き、こんなにしてくださってと、却って肩身を狭くする卑屈な思いもありました。現在とは異なり昔は貧富の差が一目瞭然だったのです。そんな時代に、亡き父と、亡き父に熱烈に請われて強引に結婚させられた(笑)亡き母のお蔭で、私は、たまたま裕福な家庭環境に育たせてもらうことが出来たのです。ですが、それは父の力であり、家庭を守り支えてくれた母の力であって、そこに誕生した私の力とはまったく無縁のものであると、私は常に自覚し、意識して、自分とは切り離して行動してきました。

私を知る多くの方から「腰が低い」「庶民的」と感心されるにつけ、父はちょっぴり不満だったようです。ですが、私は、虎の威を借りるような人には強い拒否反応を示します。例えば、愛情のかけらもないのに相手の肩書きだけを手に入れようと躍起になり苦心して策を弄し、計算づくで結婚にもちこむような人は、全身から悪臭を放っていますから、顔をそむけて逃げ出します。

また、首尾よく結婚にこぎつけるやいなや、それまで赤の他人であったお相手が住んでいた家を、直ちに「私の家」「どこそこにある私の家」と呼んではばからず、ここぞとばかりにTVやネットで世間に大きく喧伝してまわるような人は下賤で卑しい恥知らずであり、軽蔑の対象です。

さらに、池澤ショーエンバウム直美氏のように、幼い頃から憧れていた国際結婚に成功するやいなや、自分の姿に酔い痴れて舞い上がり、「我こそはインターナショナルセレブ」と吹聴してまわり、挙句の果てには、「インターナショナルセレブレッスン講座」の講師として、鳴り物入りで世の中にうって出た人は虎の威を借りて世間を渡ろうとする輩の最たるものでしょう。赤恥企画の「インターナショナルセレブレッスン講座」は、結局、参加者が集まらず、講座は開設されず、大失敗という大恥の結果に終わりました。

ところで、この「インターナショナルセレブレッスン講座」開設のお知らせを見た時、そして、そこに添付されていた直美氏の、ご自分に都合良く改竄された偽りのプロフィールを読んだ時、それは、私が長年に亘り黙ってこらえてきた直美氏への怒りが爆発した瞬間でもありました。

宣伝し、開催を呼びかけ、予定されていた講座に人が集まらず、開設されずに中止されれば、通常の神経の持ち主であれば、かなり落胆し、赤面もすると思われます。ところが、事実を事実として謙虚に受けとめることなく、反省や今後の自分への戒めとして心に刻むこともしない直美氏は、自分の失敗や過ちから目をそらして、「ふん、インターナショナルセレブレッスン講座が開設されなかったおかげで、馬鹿な客に私のご尊顔を拝させてやらずにすんで良かったわ」などと、例によって例の如く負け惜しみをほざくのが関の山と思われます。失敗を甘んじて受けとめ、そこから学ばないからいつまで経っても愚行を繰り返すのです。いくつになっても幼稚な直美氏は、脳内アンチエイジングに成功しているようです。

話が脱線しましたが、私のように、我慢強く、その場の雰囲気を大切にしたいと考えて、嫌だなと感じることがあっても周囲に気兼ねをして黙って飲み込んで耐えてしまったり、言いたいことがあっても言えずに溜め込んでしまうような性格の人は、胃腸の病に侵されがちな傾向にあると言えるでしょう。

それを防ぐためには、少しずつで構いませんから、なるべく早いうちから思いの丈を表現するよう努力していくことが肝心です。私はこのことに気づくのが遅過ぎたと後悔しているからです。

私は口下手なうえに、たとえ恨みは骨髄の池澤ショーエンバウム直美氏であったとしても、相手の顔を見ると、面と向かって怒りをぶつけることの出来ない気の弱さがあります。情けない自分を知悉している私に残された方法は、腸(はらわた)が煮えくりかえる思いをこのブログに書き連ねることだけです。

先日原発の集会に参加された著名人の中に、瀬戸内寂聴さんのお姿がありました。車椅子で参加しておられた瀬戸内氏は、「たとえ相手が聞かなくても、言い続けましょう」「たとえ聞いてもらえないとしても、この時期に、反対していた声があったことを残しておきましょう」と話していらして、有意義なご意見であると思いました。

私もまったく同じ考えです。たとえ、口のうまい直美氏に、だまされる人たちばかりであるとしても、私は伝え続けていきます。

「池澤ショーエンバウム直美氏にだまされないでください!」

2011年12月 4日 (日)

最近のお気に入りフォト

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柔らかい表情なので結構気に入っています。

かわうぃ~!とまでは申しませんけれど(笑)

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