学問・資格

2015年7月10日 (金)

「渡来人」とは?

「渡来人歴史館」のホームページには、

 


-正確で客観的な東アジア関係史の学習を-と書かれています。

 


「渡来人」さんについて、正しい知識を有していたいものです。

 

私はそう思っています。



http://www.t-rekisikan.com/10_aisatu/index.html

 


http://www.t-rekisikan.com/20_event/rireki.html

2013年1月20日 (日)

上智大学名誉教授のお誕生日に。2013年1月20日(日)

 

先生、お誕生日おめでとうございます。

お空の上でお祝いなさったのでしょうか。


上智大学での4年間、それはあまりにも短かくて……

もう一度、教壇に立たれる先生を仰ぎながら、

総てのご講義を拝聴させていただきたいです。

叶うものならば。


先生のご講義「理論政治学」では、自ずと深く頭を垂れ、

居ずまいを正して、片言半句もお言葉を聞き逃すまいと、

早くから教室に入り一番前の席で耳を傾けておりました。

それほど、何ものにも代えがたい、忘れ得ぬご講義でした。


とりわけ、本論に入られる前に先生が板書なさる

修身のお話や名言の数々には心が湧き立ちました。


卒業後、どこに行っても私は「真面目過ぎる」と言われました。



部下を悪く評価しなければならないIBM人事の、

かつて私が見たことも出会ったこともないような、

それはそれは意地悪な上司やその飼い犬たちでさえも、

私については「能力がある」と評価せざるを得ませんでした。


それは、私が先生のご講義を受けさせていただいたことによって、

真摯に学ぶ姿勢と真実を探求する強さが培われたお蔭であろうと

ありがたく思いながら、この姿勢と力とを大切に生きております。


先生からは、「読書好き」「勉強好き」とのお言葉を賜りました。

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自分について、大きく風呂敷を広げたり、誇張して書くことは気が引けますので、なるべく書かないようにしておりますが、

某大学研究室の通信会員となって学びを続け、今年で早十年となりました。

粛々と同じ勉強を続けるかたわら、近年は新たな勉強も細々と重ねるようになりました。



学ぶことは、私にとって息をすることと同じであり、私の人生においてなくてはならない、生きる力のひとつでもあります。


先生は、私に、「人をひきつける力をもっていますね」ともおっしゃってくださいました。



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そんなお言葉に、日々勇気づけられ、励まされています。


私の処女作を三度も読んでくださった先生は、この本には、

私の「知恵」と「優しさ」があふれていると書いてくださいました。


御恵贈下さいました御本は○○さんの知恵と優しさがあふれております。何度も読んでおります。会社勤めをしたことのない温室育ちの私には、会社員の精神的肉体的苦労を知りません。○○さんの情に流されず、正直な赤裸裸な様子をきいておどろくばかりです。つらかったでしょう、つらかったという言葉以上のつらさだったと思います。ホッブスの「各人の各人に対する争」(理論政治学八二頁)だったのですね。


私は、先生の温和さ、あたたかさ、とげとげしさのないおっとりとした温泉のようなお優しさがとても好きでした。


尊敬する先生からは、「学力」「人格」ともに優れた方ともおっしゃっていただきました。




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それは、先生ご自身が、「学力」につきましては当然ながら申し上げるには及びませんが、そのうえに稀有のご人格者でいらっしゃったということにほかなりません。

 

だからこそ、まっすぐな気持ちで先生のご指導を仰いだ結果、「学力」と「人格」が磨かれたのでしょう。


上智大学での私の毎日は、心理学において、チクセントミハイがいう「フロー」の状態にあったと申せましょう。


密度の濃い学びの時に没入し、知のせせらぎに全身を浸し潤す喜びを知ることが出来ましたのも、紛れもなく先生のご指導の賜物です。


一度きりの人生をともに歩むと誓った主人との生活を最優先に守り、学びの精神と、人格の陶冶を心に掲げながら、残り少ない人生を生きてゆきたいと、先生にお約束いたします。


やすらかにお眠りください。



***





母親から「漫画ばっかり読んでないで勉強しなさい!」と叱られ、老人になっても漫画を読んでいるような女が、「勉強好き」「読書好き」と言われることもなければ、ひとりでいられない女が、「勉強好き」「読書好き」になることもないでしょう。

なぜなら、「勉強」も、「読書」も、基本的にひとりですべきものであり、ひとりで行なうことによって、力がつくと思われるからです。


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漫画という文学、漫画という歴史!!

http://blog.platies.co.jp/article/33531593.html

「漫画ばっかり読んでないで勉強しなさい!」

 

***

読者の皆様からのメッセージ

http://www.ne.jp/asahi/kawaii/fuu-fu/amanofuufu/11/message14.html

 

No.62天野さん、精魂こめてお書きになられた『ルサンチマンは女の宿痾』は○月○日拝受しました。内容がすばらしいので三度も読みました。あとで、また述べます。

○○さんは最愛の尊敬する御両親を、ほとんど同時に失い独りとなったのですね、悲しかったことでしょう。忘れようとしても到底忘れられませんね。泣けるだけ泣かれたことでしょう。御両親は○○さんを理性の人、知恵の人と思っていただけに目に入れても痛くないと見込んでいただけに、どんなにか苦しかったでしょうと思うと私も涙があふれてきます。ふいてもふいても涙がとまりません。心からお悔み申し上げます。御冥福を祈り上げます。

すばらしく美人のお母さまが、お父さまに会って、知って、愛して、来世までも変わらない夫婦の約束を結ばれてから幾十年だったでしょうか。それがほとんど同時に未知の世界に旅立たれました。こんなに悲しいことは他にありません。お釈迦さまは、人間は死ななければならないと言っております。御両親様がすばらしい囲碁の名人を、われわれの代りだと思って、えらんで下さったのですね。お仕合わせですね。御多幸を祈ります。

御恵贈下さいました御本は○○さんの知恵と優しさがあふれております。何度も読んでおります。会社勤めをしたことのない温室育ちの私には、会社員の精神的肉体的苦労を知りません。○○さんの情に流されず、正直な赤裸裸な様子をきいておどろくばかりです。つらかったでしょう、つらかったという言葉以上のつらさだったと思います。ホッブスの「各人の各人に対する争」(理論政治学八二頁)だったのですね。

御著を三度以上も読みましたが、特に第二部の「女友だちとどう付き合うか」は、○○さんの情に流されず、正直にお書きになられたところは、私には未知の世界だったので、非常に色々と教えられました。明文ですね、すばらしいですね。私のことまでお書き下さって恐縮しています。これからも、色々と教えて下さいね。(東京都・I様) (注:○○さんは天野ベラの本名です)

 

 

フローとは

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC

人間がそのときしていることに、完全に浸り、精力的に集中している感覚に特徴づけられ、完全にのめり込んでいて、その過程が活発さにおいて成功しているような活動における、精神的な状態をいう。

 

***

2012年4月18日 (水)

学び続けたい日本語

小学生の頃から国語が大好きでした。

 

折に触れ学んできたつもりですが、奥が深く、

馬齢を重ねても初心者の域を脱しきれておりません。

 

良質の書を読み、語彙豊富な文に触れ、

正しい日本語のやりとりを重ねて日々鍛錬するよう心がけています。

 

 

 

そんな私ですから、誤字だらけの文に触れるとがっかりします。

 

下記の文は、立教大学卒の50歳以上の方が書かれたようです。

さて、誤字はいくつあるでしょうか?

 

 

 

気持ちのいい秋晴れとなった10月1日午後2時から、稲城・多摩立教会主催による、香山リカ立教大学教授講演会がも催されました。会場となった若菜大駅前の稲城市立iプラザホールには、開場時間前から聴講するお客様が即即と集まってこられ、受付から会談へと長蛇の列か伸びてしまったのです。

 

http://inagitamarikkyokai.org/news.html

 

 

 

 催されました。

 

 若葉台駅

 

 続々と

 

 階段

 

 列が

 

ではないでしょうか?

 

 

 

とあるコメント欄にはこんな誤字が見つかりました。

 

>僕いらはいつも

 

>採光です

 

>本日試合がった

 

 

 

文化が違えば誤字の指摘さえ「揚げ足取り」と解釈され、

 

こちらがワルモノになってしまいます。

 

日本人は怪物ゴジラにならないよう注意いたしましょう。

2012年1月 3日 (火)

受け難きは師の『薫陶』

一月で九十五歳になられる大学時代の『恩師』は、

ご自筆でお手紙もお年賀状も書いていらっしゃる。

読者の方々へのお年玉として(?)本年元旦に

賜ったばかりの最もありがたいお年賀状を公開しよう!

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いつもながら嬉しいお言葉をいただく。

巷は「先生」であふれかえっている。

料理、美容、楽器、カラオケ、ネイル、

例え元手のかかっていない自己流であろうと、

人数を集めて、何か教えるなり

知り合いの顔や体をいじくるなりして、

もっともらしい講釈を加えれば

「お金」がとれる世の中である。

だから、「先生様」がそこかしこに出来上がる。

だが、他人から「先生」「先生」と呼ばれて

のぼせ上がっているくらいなら可愛いものだ。

中高時代から、尊大で偉ぶっていた「何様?女」は、

自分で自分のことを「先生」とブログに書いていた。

さすがに、ここまでの大馬鹿ぶりを露呈する者は

数多あるブログを見渡してもほとんど存在しない。

「先生は、」「先生と〇〇さん」と自称する愚かさ、

己のくだらなさ、醜悪さを、

指摘されるまで気づかずに続けていたのだから、

『おめでたい』のはどちらなのだろうか。

こうして、情報によって得た借り物の知識を、

自己流にアレンジし、伝達するにとどまる

家族だけで住むのはもったいない、有効活用として

自宅スペースを切り売りまでする

「見せたい住宅発信型成金メッセンジャー先生」や

他のサロンの施術など知らず、

持ちつ持たれつだからと溜息をつきながら、

『義理』の二文字だけで訪れる『友人』という名の

まったく違いのわからない素人相手に、顔や体をさわり、

最後に必ずと言っていい程、ハーブティーをすすらせる

「カリスマめかした口八丁施術師先生」。

「師」に有って「先生」に無きものは何かと考察する時、

『薫陶』という言葉が重要な手がかりとなる。

ここで、【薫陶】とは、
 香をたいてかおりをしみこませ、土をこねて形を整え陶器作る意から、

人徳品位などで人を感化し、よい方に導くこと。である。

女子会の延長としか見えないような面々で、輪の中にいるのは、

態度と料金だけはお高いが、お安くて軽薄な「先生」である。

そこには、『薫陶』という言葉を発する手前に吸い込むための

空気すら見つからない。

お金儲け至上主義のインスタント「先生」の中に

『師』を見出そうとする者などいないのだろうが、

学びに出かけるからには、施術を受けるからには、

心構えとして少し調べても良いかも知れない。

口だけで信用してはならない。エビデンスが必要だ。

免状も免許も提示することなく、一方的に肩書きが

プロフィールに貼り付けられている場合、

眉唾ものの可能性も高いから、事前に確認し、

出来れば、実際の免状や免許を見せていただき、

体験された訓練や修行について尋ねてみた方が良い。

昨今の趣味は、たやすく実益へと変身してゆくが、

自己投資をして、時間とお金をかけて学び、

何らかの免許を取得したのであれば、

その免状のブログへの提示を義務づけるなり、

何時間かの実技を経た後に開業を認めるなど、

何らかの基準を設けるべきであろう。

私の知る女性は、お金を支払って何かを学んだ経験がない。

お花やお茶はもとより、料理学校に通ったこともなく、

料理を基礎から学んだ経験などただの一度もない。

もちろん、修行は積んでおらず、名人芸や技術もない。

お正月のおせち料理など一度もつくったことがないそうだ。

それなのに、料理教室を開いているのだからお笑い草だ。

さらに、世界的な著名人であり名士を自称する女性が

その時々の気分でつくる風変わりな料理の会もある。

一斉に集合をかけられた利益共同体の似た者信者たちは、

それぞれの手によって作らされた珍食を飲み食いさせられ、

指定された金額を支払っている。

私は疑問を感じる。

この集まりが「有料」の「レッスン」なのだろうかと。

「年寄りの道楽にお付き合いくださってありがとうございます」

と礼を述べて感謝とともに歓迎しなければ

申し訳ないくらいではないかと。

家庭(自宅)に友人・知人をお招きして無料で開く「お集まり」

教室(自宅)に一定の人数を呼び寄せて有料で開く「レッスン」

そこに一体いかなる差があるというのか、

まったくわからない。

最後に、自分のことを「カリスマ」「セレブ」「マドンナ」などと

平気で書ける者も、「先生」と自称する者同様、

自分を買い被った自己評価の過大な調子づいた驕り女である。

「何十年も前の肩書を名刺に書いて差し出すのはダサイ」と批判していたが、

その者自身もまったく同じ穴のムジナであることを明確に指摘して、

本日は終えることとしよう。

2011年11月23日 (水)

A friend to everybody is a friend to nobody.

A friend to everybody is a friend to nobody.

「皆の友は、誰の友でもない」

 聞いたことがおありという方も多いでしょう。

 

「多数の友を持つは、ひとりの友も持たず」

「八方美人頼むに足らず」

 とも訳されるこの言葉は、

 アリストテレスによることわざとされており、

「修辞学」に述べられているそうですが、

 名言であり、正しいと思える内容です。

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