ペット

2012年12月10日 (月)

・号外 -「死別」と真正面から向き合い、忘れない心を -亡くなった愛犬への感謝の気持ち -一日たりとも、忘れた日はありません-

13年前の今日は、私の愛犬が、静かに天に召された日です。

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それまでは、父が選んだ大型犬ばかりを、継続して家の外で飼ってきました。

天の邪鬼(あまのじゃく)にひっかけて、父が「ジャック」と名付けていた頭のいいシェパードを、長いこと飼っていたそうです。ジャックは、年を取って、或る日いなくなったと思って捜したところ、縁の下で亡くなっていたそうです。賢い犬は、死んだところを飼い主に見せないよう姿を隠すとの話を知って、胸を打たれました。

 

柴犬の「タロー」は、ひょうきんで元気一杯の凛々しい美男子で、長生きしました。私が帰宅すると、大喜びしながら走り回って、毎日歓迎の舞いを見せてくれました。丈の低い笹の葉に身体をぶつけながら何周も庭を走った笹の葉の音色、「タローちゃんすごいねー」と手をたたいてはやされ得意気になっていたタローの顔が、心に刻まれています。


小型犬との出会いは、私が社会人になってからでした。

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買い物先でひと目惚れをした母が、急に拙宅の子どもとして連れて来たのは、小さくて真っ白なマルチーズの赤ちゃんでした。

その可愛らしさといったら……真ん丸の大きな目、小ちゃなお口、白っぽいピンクのお腹を見せてぐっすり寝ている様子、おどけて舌を出した表情、柔らかくてふんわりした毛並、どれも、これも……お掃除してあげた耳、そっとブラシをかけて梳いてあげたしっぽ…ぐらぐらになった歯を抜いてあげたこともありました……

人間も、動物も、産まれるのも、亡くなるのも独りに決まっているのですが、たったひとりで、そっと命を落とした愛犬が、かわいそうでたまらなくなります。


どうすることもできない愛しさがこみあげてくるのは、愛犬が、ともに生きてきた家族であったからにほかなりません。

 

小さな小さな愛犬は、私たち家族と10年以上もの間、強く、深い愛情とともにいつも一緒に過ごしてくれました。

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そして、この小さな小さな愛犬は、私たち家族に、はかりしれないほどの喜びと、数えきれないほどの笑顔を、変わることも、裏切ることもなく、毎日毎日もたらしてくれたのです。

 

愛犬の可愛らしさに、どうすることも出来ず、完全にお手上げとなり骨抜きとされた私たち家族は、しばしば愛犬を連れてのバス旅行や、ワンちゃんと一緒に泊まれるホテルを探して宿泊しました。

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母や私に負けず劣らず愛犬を溺愛していた父は、愛犬を抱っこしながら、参ったと言った調子で、こんな表現をしたこともありました。


「とんでもないものをしょいこんじゃったなぁ……」


逆説的な言葉ではありますが、実にうがった表現で、母と私は大きくうなづきながら、苦笑したものでした。

天使のような愛犬は、小さな存在でしたが、確かに、私たちの人生を大きく揺るがした、「とんでもない存在」であったからです。

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私たち家族の愛情を小さな身体いっぱいに受けとめながら、いつもいつも、力の限り家の中を明るく照らしてくれていた、和やかに、そっと灯ったあかりのような、小粒ながら鮮やかな輝きを放つ線香花火の光のような愛犬は、現在の住まいに引っ越して来て、母が初めて連れて行った近くの獣医さんが打ったお注射一本で、そのまま天に召されてしまったのです。

この死別について、その獣医さんを恨む気持ちはありません。

ただ、私が会社に行っていた時の死別であっただけに、たったひとりで、愛犬との予期せぬ別れに直面した時の母の衝撃はいかばかりであったかと、今さらのように悔やまれます。

 

その日……仕事を終えた私は、伊勢丹に立ち寄り、男性用品の新館に繋がる通路の手前にある本館の薬売り場に、いつものように、呼吸が苦しい愛犬のためのポータブル酸素を買いに行きました。

 

すると、当時顔なじみだった白衣をまとった薬局のおば様が、こう言ったのです。

「先ほどお母様からお電話がありましたよ。今日は酸素、必要ないそうです」

その言葉に、私は総てを悟りました。

でも、どうしても信じたくなかったのです。


当時、薬局の真後ろにあったジューススタンドの脇に設置されていた公衆電話に、テレフォンカードを差し込みました。携帯電話が普及していなかった頃のお話です。

電話で話すまでもないと思い直した私は、テレカを抜き取ると、そのままタクシーに乗り込み、急いで帰宅しました。

そこに、生きているものは、もう何も、誰も残っていませんでした。家の中が、部屋中が、文字どおり死んでいました。

3人用の長いソファーの真ん中には、ちっちゃく、ちっちゃく、まったいらに、ぺしゃんとつぶれて、変わり果てた姿の愛犬が、動くことなく、目を閉じて横たわっていました。

愛犬のかたわらに座った母は、「こんなになっちゃった……」とささやいて、静かに泣き伏しています。

こんなにも辛い死別でした。

 

父が亡くなってから、その影響もあったのでしょうか、心優しい愛犬は、喘息のようにひどい呼吸をするようになり、時には発作まで起こすようになりました。
その日は特に激しかったそうで、たまりかねた母は、いつもの動物病院の先生を訪ねたのですが、たまたまご不在だったため、近くの獣医さんを調べて行ったそうです。私が連れて行ったばっかりにと、母は繰り返し自分を責めていました。

 

いつも利用させていただいていた動物病院には、優しいトリマーのお嬢さんも常駐されていたので、しばしば愛犬のシャンプーやカット爪切りなどをお願いしておりました。おとなしくて性格の優しい愛犬は、そちらの皆様からもとても可愛がられており、先生やトリマーさんとも親しくさせていただいておりましたので、愛犬の死をご報告させていただきました。


すると、すぐに、先生が拙宅にいらしてくださったのです。

亡くなった愛犬の姿を見るや、先生は、「洗いましょう」とおっしゃってくださって、ご自分の病院に連れて行ってくださいました。そして、まるで生きていた時と同じように、ふわふわの、見違えるようなきれいな姿にして、拙宅に連れて戻って来てくださったのです。

 

元通りの毛並みになった愛犬は、動いていないということだけを除けば、何の変わりもなく、誰よりも可愛いいままで、私たちの家に帰って来ました。

立ち去ろうとなさる先生に、どんなにシャンプー代や交通費を支払いますと申し上げても、先生はお受け取りになろうとはなさいませんでした。それならばと、父が亡くなってから誰も飲まずに置いてあったブランデーと日本酒のにごり酒を、お酒が大好きな先生に、「お持ち帰りいただけませんか」と懇願しました。

すると、「ではこちらを」とおっしゃって、にごり酒の方だけを、袋にお入れしますと申し上げる間もなく先生は、片手にかついでお帰りになりました。

 

通りまでお見送りする私に、「また来てくださいよ」と先生はおっしゃってくださいましたが、二度とペットを飼う気になれないこと、すなわち、先生とお会いするのはこれで最後であるということを、その時の私は知っていました。

 

使い古された言葉ですが、ペットは家族と同じか、時にはそれ以上とも言える存在です。

家族との死別は、誰が何と言おうと、辛く、苦しく、悲しい体験であり、「亡くなって良かった」などと思うこと自体が奇を衒ったおかしな発想なのです。死別を「良い経験」とポジティブにとらえなければならない必要はありません。死別は「前向きに」解釈してとらえられるものではなく、無理に明るい方向へこじつけるつもりなど私は毛頭ありません。

 

当時、近隣のワルい在日と思しき柳(ユウ)さんというお爺さんが、愛犬の死を知って、私にこう言いました。


「うちのカミさんが、死んだ動物は、ゴミ清掃車に頼めば引き取ってもらえるってさ」

愛犬をゴミとして出せ???!!!

その時、やはり、何かが大きく違うと、足元から全身が、強く震撼させられるのを感じるとともに、あきらめに近い軽蔑の念と悪寒とが、私の全身を瞬時に走り抜けていきました。


 

ユウさんにとどまらず、人の死や、動物の死を軽んじ、疎んじる人間は、他人の心の動きに鈍感で、無神経で、冷淡であり、非情で野蛮な人間です。

そうした非情で野蛮な人間ほど、きれいごとばかりさえずり、御身ご大切で自分の手は汚さず、自己愛だけは人一倍強いものです。


自分が傷ついた時には人一倍大声で騒ぎ立て、わめいて、泣きながら足しげくやって来ては同情や歓心を買おうとしたり、おねだりをしたりするくせに、こと他人の心の痛みとなれば、あなたの不幸や不運が、この私にまでとりついてたまるものですかとばかりに素早く背を向け、完全無視した池澤ショーエンバウム直美氏は、人生というチーズのおいしいところだけをかじりながら生きている、こすっからいネズミのようです。

直美氏とその長女は、私が知る人間のうちで、最も強い自己愛を有する、自己愛肥大症ここに極まれりと感じる典型的な存在です。

 

直美氏の長女は、食欲と物欲の権化であり、40歳近くなっても、きのこの帽子を頭に乗せている写真を公開する、幼稚きわまりない、未成熟な、アラフォーの脳足りんワガママ姫のようですが、やがて、同居しているペットが亡くなる日が来れば、少しでも他人の心の痛みを知ることが出来るかも知れないと、一縷の望みを抱いています。

 

自分の祖母が亡くなっても平気、川上とも子さんが亡くなっても平気だった直美氏の長女には、遅きに失した感はありますが、死別というものがどんなに酷であり辛いものであるかを体験し、無常の風の冷たさを実感して、あたたかい心を有してほしいと思っています。

 

人生において避けては通れない病、老い、死に接した時、それらからすぐに目をそらしたり、強引に良い方向へと転じさせたり、無理矢理遠ざけて見ないようにするのは人間のつとめに反していると、それらとまともに対峙できない人間は、人間以前の人非人であると、最近つくづく感じます。

 

困難や苦悩に直面した時、そこから逃げることなく、しっかりと受け止めること、そして、自然に乗り越えられる時が来るその日まで、悲しみと共存しながら生きていくこと、悲しみや苦しみに満ちた感情を、風化させる必要はなく、悲しい思い出を、無理に忘れ去る必要もまったくない。私はそう思っています。

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