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2018年4月22日 (日)

ウソつきの背中を強く押して金儲けをする『ウソつきのサポーター』こそ最大の癌!-「真っ赤なウソ」も積もれば「赤っ恥」となる-

テレビを視るとそこかしこに「ウソ」が蔓延している。

 


録音テープという動かぬ証拠を突き付けられても、

それが何だと言わんばかりの態度には驚かされる。

 


倨傲な憮然とした態度を取り、何が何でも上から目線を崩さずに、

「名誉毀損で訴えてやる」、「訴訟にすれば100%勝てる」

と恫喝までやってのけているのだから最早付ける薬もなさそうだ。

 


まともに取り合う価値もないような詭弁と開き直りによって、

果てしなく自己を正当化して恥じない鉄面皮ぶりに辟易する。

 


この期に及んで……と呆れ果て、とことん見下げ果ててしまう。

 


平気で「ウソ」をつき続けるこうしたやからは確実に存在する。

 


自分のついた「ウソ」の責任を、陥れた相手に負わせようとして「ウソ」に「ウソ」を重ね、さらに、相手の発言をまことしやかに捏造して「ウソ」の上塗りまでする者もいるのだから、なおさら許し難い。

 


究極のウソつきは、「ウソをつく行為或いはウソを書く行為」から卒業することなどない。

 


究極のウソつきは、「ウソをついたところで罰せられることなどない」と高を括っている。

 


自分がついた「ウソ」が原因で、多くの人々を巻き込み、長きに亘り大騒動や大紛争が展開されていようと、表に出て来ることもなく、責任を感じる様子すらなく、むしろ「私は被害者」と認識しているような人物もいるのだから救いがたい。

 


究極のウソつきは、胸を痛めることもなく、いけしゃあしゃあと従前どおりの生活を続けていられるのだろう。

 


ウソつきが「ウソ」を指摘されても動じずにウソをつき続ける理由を考察すると、

 

①権力者である(命令・忖度によるウソ)

②ウソをついてまで守りたいもの・得られるものがある(虚栄・強欲によるウソ)

③ウソをついても言い逃れができると思い込んでいる(自己過信によるウソ)

④良心がない(愛着不在の冷淡な人間性によるウソ・ゲーム感覚でのウソ・攻撃目的のウソ)

 


これら4点が即座に思いつく。

 


②のウソをついて得られるもの、ウソをついてまで守りたいものとは?

多額のお金を得る。保身に走る。外聞や体面を取り繕う……

 


政治家や大企業の社長といった権力者にはウソつきが多いようだが、著名な権力者の「ウソ」は、注目され注視されているだけに発覚しやすく、お偉方が横並びで頭を下げている謝罪会見の映像を見ることも珍しくない。

 


「ウソ」をつき或いは「ウソ」を書き通してまで名誉を守ろうとし肝心の実力は伴わないが虚栄心だけは人一倍というウソつきや、出来るだけ上手に「ウソ」をつくか或いは出来るだけ上手に「ウソ」を書くことに成功すれば多額の利益(お金)が得られることを知る、人並はずれた強欲さを持つウソつきは、おしなべて、過度の虚栄と強欲によってこれまでの地位を築き、安易・安直に財を成してきたと言わんばかりの、悲劇的末路を辿るようだ。

 


つい最近、7年の実刑判決を言い渡された、会社役員らから1億7700万円をだまし取ってタイで逮捕された63歳の若作り女性詐欺師の事件は、過度の虚栄と強欲に好色さまでが加わった例であろう。

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熊本地裁の溝国裁判官は、判決理由で「集めた金の一部を遊興費やぜいたくな生活費に注ぎ込み、発覚を防ぐためうその投資話を次々と作り出した。常習的な犯行で、厳しい非難は免れない」と述べている。

 
さらに、③の「言い逃れ」について述べれば、究極のウソつきには、ウソつきの背中を強く押して支援する利害関係者(「利害奸計者」と書くのが相当だろう)が必ずくっついている。

 


利害奸計者は、「いくらでも言い逃れできる」との卑劣きわまりない武器によって、整合性の伴わない、幼稚で一貫性に欠けた子どもだましの「ウソ」を、その場の気分次第で平気で吐き散らし或いは自由に書き散らかし、「ウソ」を盛りに盛り上げることにより、いよよ荒唐無稽でマニアックな「ゲテモノ」にまでエスカレートさせていく。

 


ウソつきの利害奸計者は「ウソ」を強気で主導する。

 


ウソつきの利害奸計者こそ鉄面皮の最たる者である。

 


ウソつきの利害奸計者つまり『ウソつきのサポーター』は、「ウソ」の応酬活動を重ねてきた結果培われた「言い逃れスキル」を駆使する百戦錬磨のツワモノだ。

 

つまり『ウソつきのサポーター』は、「ウソ」を「ウソ」とも思わずに生きてきた、普通ではなさ過ぎる精神及び神経の持ち主といえるだろう。

 


そうだ。

 


己の「言い逃れスキル」に酔い痴れる『ウソつきのサポーター』は、ウソつき以上に悪質かつ狡猾な不正・腐敗の元凶である。

 


もちろんウソつきは諸悪の根源だ。

 

だが、ウソつきに手を貸し、ウソつきの背中を強く押してお金儲けをする『ウソつきのサポーター』こそ最大の癌であろう。

 


「ウソ」をつかれた被害者が「幼稚なウソ」、「悪どいウソ」、「仕組まれたウソ」と指摘して繰り返し訂正を求め、「あり得ないウソ」と論理的に批判したところで徒労に終わるだけだ。

 


なぜなら『ウソつきのサポーター』は、図図しく無視を決め込むからだ。

 


「ウソ」を指摘されても両耳を塞ぎ両目を閉ざし、眉ひとつ動かさず表情ひとつ変えない仏頂面で、時が過ぎるのを最後まで黙って待つ姿には、良心の欠片も感じられない。

 


一定の時間さえ過ぎればそれで済むとのふてぶてしさと倨傲さ、金儲け以外のことには総じて怠惰で丁寧な作業や他者への配慮を惜しむ根気の無さのみならず、「私が言っているんだからさっさとやりなさいよ」、「この私が来たんだからすぐに対応しなさいよ」など一刻も待てないとの倨傲な態度で、自分の希望が直ちに叶えられなければ一気にぶち壊してしまう、積木崩しの如きキレやすさと不良性も同居しているようだ。

 


『ウソつきのサポーター』は、「言い逃れスキルも能力のうち。私の才能です」と自画自賛しているから、ためらいなく「ウソ」を吐いては「ウソ」を書き続け、決して「ウソ」をやめることなどない。

 


ウソの被害者たちが「よくもこんな大ウソが述べられたものですね」と憤りながら詰め寄っても、痛くも痒くもない図太い鋼の神経が備わっているようだ。

 


だが「塵も積もれば山となる」とのことわざを軽んじるべきではない。

 


真っ赤なウソ」が積もって「赤っ恥」に代わる日は必ずやって来る。

 


『ウソつきのサポーター』が積極的に応援し、或いは主導して書かせてきた「ウソ」と「ウソ」であることの証明を、エクセル等で一覧表にしてプライバシーに配慮して「乙山花子」「丙川草子」などの匿名を用いて公開すれば一目瞭然でわかりやすいのではないだろうか。

 


やがて「あの人は、あんなにも多くのウソつきを応援してきた人物」、「あの人は、舌先三寸で、根拠なくウソつきの背中を押し続けては莫大なお金を得てきた人物」と認識されることであろう。

 


「あの人物は、多くのウソつきたちをサポートしてウソを真実であるかの如く改竄し、捏造まですることによって、巨万の富を得てきた人物」である事実が世間に知れ渡ったとすれば、かろうじて聞こえだけは良い職業を保ち、品位を害する行為によって得たお金だけは満ち溢れて裕福な生活をするとしても、その汚いやり方、阿漕で卑劣な言動、思い立ったら5分待てないキレやすさ等により、やがて信用を失い、私生活は空疎で、味わいのないものとなるに違いない。

 


一方で、「ウソ」をつかない者或いは「ウソ」による被害者は、その生き様、実力、能力、資産、容姿、人間性などトータルな等身大の現在の自分つまり「ありのままの自分の姿」に満足し、自分の生まれ育ってきた環境や家族など、これまでの来し方にも十分満足しているものである。

 


だからこそ、「ウソ」をついて人を陥れてまで、何かを奪う必要などどこにもないのである。

 


人間にとって最も必要な、あたたかく深く限りなく許し合う人間同士の真の愛情を得て、固く心結ばれた人と暮らしているとすればその人物は、現在の生活に確実に満足しているはずである。

 


ところが、学歴・経歴・職歴に負けないだけの真の実力が備わっていて、虚栄心がなく、日々豊かな愛情を育んでいて、強欲ではなく、活き活きと生きているという「言い逃れスキル」に長けた『ウソつきのサポーター』を私は知らないし、見たこともない。

 


『ウソつきのサポーター』は、裁判所の長い廊下のように絵もなく花もなく色もない、法廷のように冷たく暗い無味乾燥な生活を、日々繰り返しているだけなのではないか。

 


私はそう思っている。

2018年3月17日 (土)

「ツイートやコメントを紹介したに過ぎない者たち」に対して、いきなり名誉毀損訴訟を提起し、多額の損害賠償金を請求する行為には、私怨があるのではないか。

あるツイートを作成し公開して名誉毀損となる原因を作出し発生させた者以上に、同ツイートをリツイートして公開しただけの者を攻撃する行為、さらに、あるコメントを作成してブログに投稿してきて名誉毀損となる原因を作出し発生させた者以上に、同コメントを承認し公開したブログ主やコピー&ペーストして紹介しただけの者たちを攻撃する行為、つまり「問題となったツイートやコメントを作成した者」についてはさておき、「ツイートやコメントを紹介したに過ぎない者たち」に対して、いきなり名誉毀損訴訟を提起し、多額の損害賠償金を請求する行為には私怨があるのではないか。

 

元大阪府知事の橋下徹弁護士が、ジャーナリストである岩上安身氏のリツイート(しかも削除済の1件とのこと)に対して、いきなり110万円の損害賠償金を請求する名誉毀損訴訟を提起した事件は、誰の記憶にも新しいだろう。

 

この事件は、被告の岩上氏による東京簡易裁判所への移送申立てが平成30年2月5日に却下された結果、事件番号平成29年(ハ)第34687号損害賠償請求事件として大阪簡易裁判所民事7係に係属していた。


http://hashimoto-law-office.jp/information/2018/02/post-116.html

 


同事件の進展は明らかにされていないが、現在は平成30年(ワ)第1593号として大阪地方裁判所第13民事部に係属しているようで、4月19日(木)14時に本館1010号法廷において傍聴可能との情報を得ている。

 


岩上氏は、橋下氏からいきなり提起された同事件に対して、下記の主張を公開している。

 


https://iwj.co.jp/wj/open/archives/411329

 


橋下氏は、元のツイートの内容が名誉毀損にあたると主張しながら、元のツイートの投稿者ではなく、リツイートしたにすぎない私を訴えてきました。


これは、私を狙い撃ちにすることで、私の言論活動を萎縮させることを狙ったスラップ訴訟に他なりません。

 
そもそも、リツイートとは、ツイッター上で誰かが発信した内容を紹介する行為であって、リツイートが即、ツイートそれ自体への「完全な同意」を意味するわけではありません。

 


似たような実体験があるだけに、私には岩上氏の主張を理解することができる。

 


元のツイートの投稿者ではなく、リツイートしたにすぎない私を訴えてきました」、「リツイートとは、ツイッター上で誰かが発信した内容を紹介する行為であって、リツイートが即、ツイートそれ自体への『完全な同意』を意味するわけではありません」との2点については完全に同意する。

 


私の場合=>削除


岩上氏をいきなり提訴した訴訟行為について糾弾された橋下氏は、「
近代国家においては訴える自由が原則であることを忘れてはいけない。」と反論した。

 


しかしながら、橋下氏は、前記の反論に続けて、「まあ、これは裁判を飯のタネとしている弁護士稼業特有の視点での意見と思われるかもしれないけどね。」と吐露した。

 


http://president.jp/articles/-/24379?page=3

 


橋下氏には、自己分析し、自覚し、自認するだけの冷静さがあるようだ。

 


「裁判を飯のタネとしている弁護士稼業特有の視点での意見」すなわち「訴訟をビジネスとしている弁護士稼業特有の視点での意見」をそのまま訴訟行為として実行に移し、事前の交渉を省き、普通の生活において必要とされる普通の人間同士の当たり前のコミュニケーションを避けたまま、いきなり民事訴訟を提起する弁護士たちは、いくら批判され、非難されようと、こうした「いきなり訴訟」のやり方を変えることはないだろう。

 


「面倒くさい真実の追求」を棚上げし、「手っ取り早くお金が欲しい」と先走るビジネス訴訟に特化した弁護士らがいるとすれば、そうした弁護士らには、当然のことながら、法律の知見がある。

 


それだけに、確実に不法行為として認められる行為について知悉したうえで、ターゲットを狙い撃ちにすることが十分可能であるということだ。

 


PRESIDENT (プレジデント) 2018年3月19日号の
「橋下 徹」通信[46]には、「リツイートしただけで名誉毀損になるのはこんな場合」と題する記事が公開されている。

 


http://www.zasshi-online.com/magazine/ProductDetail/?page=1&dcode=p_president3180226&dpage=1

 


弁護士である橋下氏は、「リツイートしただけでも名誉毀損となる場合がある」ことを知悉していた。

 


だからこそ、ツイートの作成者以上に、そのツイートをリツイートしただけの岩上氏を、いきなり提訴したと思われる。

 


そうだとすれば、橋下氏の訴訟行為には、岩上氏への私怨が混入されているのではないか。

 


私はそう思っている。

2018年3月11日 (日)

××として参加している××の席を、華やかに彩る、日本からの撤退が決まったグッズたち

==削除==のため、足しげく東京地裁に通っている。

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「年金で生活している老夫婦」すなわち天野コグ・ベラ夫婦と、



××××××



××××××

 


××××××

 


××××××

 


一方で、私は、今年日本からの撤退が決まった「ローラアシュレイ」の製品が気に入っており、少しずつ買い集めてきた。

 



https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20180310-00161836-hbolz-bus_all

 



撤退と知って一層購買意欲が高まり、先日もまとめ買いをしたばかり。

 

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シートクッション、ミニタオル数種、耐熱性のコップ、クリアフォルダー、ノート。

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そして、××の席にも鮮やかな文具を持参することにしている。


無味乾燥な灰色の×××××にあって、私の手許は花が咲いたよう(笑)

 
××ではないのだし、少しばかり小物が派手でも悪くはあるまい

 


私はそう思っている。

2017年7月 9日 (日)

安心して叩ける者を叩く言論は無価値である-松居一代氏への集中攻撃に加わるような,誰にでも書ける言論を書くことなかれ-

7月になった。早いね…

 


このところ,芸能人や政治家等安心して叩ける者への集中攻撃が目立っている。

 


この行為は「みんなで叩けばこわくない」という集団リンチの感覚に似ている。

 


「みんな」から叩かれている人を躊躇なく叩く言論は,どれも似たりよったりだ。

 


https://twitter.com/kazuyo_official/status/883388165578309632

 


松居一代氏は,今や可愛さ余って憎さ百倍になってしまったが,もともとは最愛の夫であった船越英一郎氏から裏切られた,船越氏を偽善者と感じているようである。

 


だから,多くの人たちに船越氏の実態を知らしめたいとの強い思いで,同氏の「裏の顔」を暴露する行為に躍起になっているように見える。

 


そんな思いが炸裂した松居氏のブログや動画を批判することは容易い。

 


だが,ツイッターの投稿の中に,少しでも投稿者自身の実体験が盛り込まれていて,そうした体験に基づいた投稿でもあるならば,それは読むに値すると思うが,そうした建設的な意見や斬新な指摘,鋭い批判,何らかの意味のある投稿はほとんど見られない。

 


だったら,「みんな」に叩かれている人をよってたかって叩く,似たり寄ったりの言論など,「みんな」に任せておけばいい。

 


多くの非難が集まっている芸能人や政治家を選んで叩いている限り,名誉毀損として訴えられるリスクは低いだろう。

 


そうした意味においても,「みんな」で松居氏を叩く言論を投稿することは,あまりにも容易い。

 


だが,そんな言論の表明に一体何の価値があり,いかなる意義があるのだろう。

 


ある時,質屋さんが共同で開催しているバーゲンセールがあると,テレビのニュースが知らせていた。

 


画面には,ヴィトン柄の大小さまざまなバッグが山と積まれている会場の一角に多くの女性たちが群がり,手に取っては選び,とっかえ,ひっかえしている姿が映し出されていた。

 


持ちたいのだろうか?



みんなと同じものを?

 


そう感じた。

 


これは、ツイッターで松居氏をバッシングする夥しいコメントに対する感覚に近い。

 


書きたいのだろうか?



みんなと同じことを?

 


との冷めた思いである。

 


私が男性だったら,それも西部劇に登場するクリント・イーストウッドのような男性であったなら,書き込もうとしている者にこう言うだろう。

 


「誰にでも書けるようなことは書くな。そんなこと,他の誰かにやらせておけ。」

 


そして酒場の柱にマッチを擦りつけて煙草に火をつけると,黙って立ち去る。

 


実際に価値ある言論とは、権力批判の言論である。

 


権力者や社会的強者に対する批判であり,そうした者たちによる気づかれていない悪事,悪徳,不正に対する正当な批判であり,世間に知らしめなければならない巧妙な偽善,偽装,虚偽などに対する誠実な糾弾である。

 


叩いても安心な者や弱っている者を選んで叩く言論は、ズルくて小さい,つまらない言論である。

 


しかも,匿名で,袋叩きに安心して乗っかって言論を表明している者は,叩かれている人よりずっとカッコ悪いことを知るべきであろう。

 


さらに,「
『日本に帰ってきてすぐに豊田議員の(報道を)見て大爆笑。その後、松居一代さんで大爆笑!なんか“ババアの熱い夏”みたいな!(って)』と豪快に語った。」と野沢直子氏が発言したと報道されているが,これにも呆れた。

 


片や傷害事件,片や離婚調停から訴訟に及ぶ事件であり,どちらも大爆笑できる問題ではない。

 


そもそも,野沢直子氏も54歳。決して若いとはいえない。

 


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170707-00000078-dal-ent

 


デイリースポーツは「豪快に語った」と記載するが,この種の発言に「豪快」の表現はそぐわない。

 


「毎年夏休みになると出稼ぎ帰国することが恒例となっている」野沢直子氏が,
叩かれている女性たちの「モノマネを練習中だと明かした」との報道もある。

 


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170707-01851657-nksports-ent

 


だが,夫婦間にいかなる理由があるにせよ,最愛の夫から離婚の申し出を突き付けられて別居を余儀なくされ,苦悶の渦中にある女性や,傷害罪として被害届まで受理された加害女性を,お笑いの材料にするならば,非常識きわまりない。

 



日本に出稼ぎ帰国して動画で見た人物のモノマネを練習中だとすれば,それは取りも直さず「よしもとエージェンシー」所属のお笑いタレントとして出し物に飢えているということであり,常日頃から芸を磨いていないから,芸の引き出しがないということではなかろうか。

 



私はそう思っている。

2017年6月30日 (金)

人格も容姿も生き方も、総てが美しかった小林真央さん、どうか安らかにお眠りください-豊田真由子議員の暴言は、心を殺す殺心罪!・度を超した野心家の女性は凶暴である-

先週は対照的な30歳代の女性2人の、驚くべき出来事が報道された。

 

ご立派なのは学歴と肩書だけとしか思えない、美から遠くかけ離れた豊田真由子議員のどす黒くも腹黒い暴言事件。

 


そして、そっと散った白い薔薇の花びらのような、小林真央さんの急逝である。

 

このところ名優の方々や才能ある美女が次々に身罷られて落胆させられる。

 


小林真央さんは、若く美しく才能もありながら、自惚れていい気になっているところもなく、調子づいているような浮ついたところもなく、嫌味な発言も全くなく、自然体で誠実な印象を持った。

 


誰もが憧れるニュースキャスターの職に就き、「ニュースZERO」という高視聴率のサブキャスターを任されるようになってもなお背伸びをせず、良くできた可愛らしい、どこか古風なお嬢さんの枠を超えず、悪い噂も聞かず、どこまでも健全かつ純真であり続けた。

 


そのうちに、何と、平成の色男などと呼ばれるあの市川海老蔵氏から求婚されて妻となり、潔く仕事を止めて裏方に回わることを決意し、海老蔵氏を支えるようになった。

 


真央さんの清潔な美貌が単独で視られる回数はほとんど消え、歌舞伎座に青い色無地の和服で向かわれる姿や、海老蔵氏暴行事件における謝罪の姿など、海老蔵氏と伴に生きている姿しか視られないようになった。

 


でも、みんな、実はもっと真央さんの、あの笑顔、作り声ではない自然な声、大きな瞳、長い髪、心がそのまま映し出されたような悪気の微塵もない態度、常に自然体だった姿、

 


そして、巧まざる完璧な可愛らしさと、何よりもその根源になっている澄み切った心の清らかさに触れて、笑顔になり、ずっと活躍を応援していたかったのだろう。

 


そんなみんなに対して、時にあまりにも意地悪で、どこまでも残酷な神様は、こんな形で、真央さんが最後の最期まで可愛らしく、そして勇敢であり強くもあった姿を、応援し、たくさん見る機会を与えられたということだ。

 


闘病中の真央さんを応援せず、真央さんの急逝を悼まない者はいないだろう。

 


これは、日本全国が心をひとつにしたということであり、小林真央さんが、容姿も、人格も、生き様も総て美しかった証であろう。

 

 

真央さんはごく自然に注目され、目立つべくして目立ち、有名になるべくして有名になり、自ずと脚光を浴び、歌舞伎の大スターまでが惹きつけられ、日本国民のほとんど全員から惜しまれつつ亡くなったのである。

 


真央ちゃん、いつも主人とそう話していたから、そう書かせていただきます。

 


これからもずっと忘れません。美しい真央ちゃんのこと。

 


ゆっくりとお休みになってください。

 



さて…真央ちゃんに比べて、豊田真由子議員といったらどうだ。

 


豊田真由子議員の同級生は、下記のように語っている。

 


何か自分が目立ちたい、有名になりたい、カッコよくいたい思いが強い人

 


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170627-00010009-jprime-soci&p=3

 


そうだ。

 

 

暴言を吐く者は、目立ちたい、上に立ちたい、長が欲しい、先生と呼ばれたいという欲望と野心の強過ぎる者が多い。

 


支配力、名誉欲の強さで他を圧倒しているという事実があり、真実である。

 


2010年1月17日、中止を求めても暴言を繰り返して止めないという被害を受けた経験が私にはある。

 


「体にも悪いし」「それはもうよくわかったから」と懇願して暴言の中止を求め、「きれいにお別れしましょう」と低姿勢で呼びかけ、和解したうえでの決別を伝えても聞き入れず、「よく何回も言えるね」と私が呆れてもなお、「言えるよ、何回だって!」、「何回でも言うよ」と嫌がらせの暴言を吐き続けたのだ。

 


豊田真由子議員ほどの学歴も地位もないが、この暴言同級生も、目立とう精神だけは桁外れに旺盛で、とにかく偉そうであった。

 


中学になると、誰から推されたわけでもないのに、早速、生徒会の役員に立候補した。

 


何で〇〇〇が出るの?と思うほど同級生から人気はなく、友人もいなかったから、案の定、他のクラスから推されて出馬した同級生が当選し、暴言同級生は大差をつけられて落選した。

 


暴言同級生の父親が、とある学校の教員をしていたせいか、とりわけその学校に関して暴言同級生は偉そうで、より高圧的・好戦的な態度を示し、その学校の文化祭に出かけたおとなしい同級生と、当時私が入っていた手芸料理部の後輩にあたる口下手な下級生をロフトのような作りの角部屋だった中学3Dクラスの教室前の廊下に呼び出して謝らせ、大泣きさせるという信じ難い出来事を発生させたこともある。

 


そんな暴言同級生は、中学の生徒会選挙に落選したとはいえ、中高一貫校という特性から、大々的な選挙活動によって名前が売れていた。

 


つまり、実情については知られていないが、知名度だけはあったというわけだ。

 


そこで、高校において、再度懲りずに生徒会役員に立候補し、既に〇〇がその役員に名乗りを上げて立候補していたにもかかわらず、成績優秀で難のない〇〇ちゃんを担ぎ出して対抗させることによって自分の売り込みに利用したのかどうかは判然としないが、「〇〇ちゃんと〇〇〇をよろしく!」とセット販売の形で名前を連呼しながら上級生のクラスを回って来たと後に親しい先輩から伝えられて驚いたこともあった。

 


その結果、同級生からの人気はなかったものの、下級生や上級生からの票を得て、ようやく長年の夢と希望と憧れであった生徒会役員の座を暴言同級生は3年越しで叶えたのであった。

 


目立とう精神はクラス別の合唱祭においても遺憾なく発揮された。

 


暴言同級生は、当然別クラスの指揮者にも名乗りを上げたという。

 


クールな生徒の多かった別クラスでは、指揮者をやりたがる者は誰もいなかったそうだ。

 


暴言同級生はすんなりと指揮者になれた。そこまでは思い通りだっただろう。

 


だが、ここでもあまりにも意地悪で、どこまでも残酷な神様は、暴言同級生への思いもよらないしっぺ返しを、こともあろうに晴れ舞台の当日与えられたのであった。

 


講堂に置かれた台に上がった暴言同級生は、客席に尻を向け、癖のあるくねくねとした前屈姿勢で手を上げ始めた。

 


すると、その度に、黒く長いスカートの中から、少女らしい可愛らしい花柄やリボンのパ〇〇ではなく、何とも古めかしい、大正生まれであった私の亡母でも履いていないような、長い、ズロースとでも呼べばしっくりするような下穿き(したばき)が、客席に座っていた他のクラスの同級生全員に丸見えになってしまったのだ。

 


「愛のわざ」という合唱曲を観賞するどころか、前世期の遺物といえる何とも言えない代物を観賞させられる羽目となり、客席からは小さな笑い声すら漏れ出す始末で、一度きりの晴れの舞台は、敵ながら思い出すのも気の毒な赤恥の結果に終わったのだった。

 


何につけ、上に立ちたい、目立ちたい、長が欲しいという、支配力の強い暴言同級生は、自分のことを『先生』と呼び、ブログにも自ら『先生』と記載して公開するようになり、最後の電話での通話中に、私が「普通に話せない?」と伝え「落ち着いて」と呼びかけた時も、「昔から『先生』落ち着いてるよ」と語り呆れ果てたものであった。

 


暴言を吐く者の特性として、相手を自分より「格下」と見下して、軽んじていることが挙げられる。

 


だからこそ、この豊田真由子様に向かって、先生と呼ばれるこの私に向かってといった根拠不在のまま、自分の方が上に立っている、自分の方が学歴がいい、自分は議員で先生と呼ばれている、社会的身分が上いう差別意識を全面に押し出して、相手を威圧するのである。

 


相手を格下と見下している者は、相手の意見や立場に耳を傾けよう、相手の言い分も理解し尊重したうえで、和解して気持ち良く袂を分かとうといったスポーツマンシップに近い喧嘩の治め方を知らず、落としどころを計りながらの知的な冷静さを宿した会話を交わそうとせず、平和的解決を目指す心のゆとりもない。

 


単細胞で暴力的に一方的な感情論をぶつけるだけである。

 


暴言を受けた際、もはやこれまでと、電話で縁を切った。

 


ところが、暴言同級生は、縁を切ってもなお私宛に手紙を出し続けたのであった。

 


2010年1月27日に1通。

 


2010年2月 6日に1通。

 


身体に悪いので開封せず、そのまま縁を切った暴言同級生宛に差し戻した。

 


すると、


2010年3月19日には、さらに2通の手紙が届いたのだった。

 


2010年3月19日に届いた2通のうち1通には、封筒の裏に、手紙を受け取れと義務なきことを強要する文言が、暴言同級生の直筆で記載されていた。

 


中学時代から見慣れたこの文字は、私にとって特に恐ろしいものであった。

 


かつてどこの誰からも受けたこともなく、男性からであっても、パワハラ上司からも聞いたことのない、アクの強いドスのきいた声による暴言による通話時の苦痛だけでも想像以上に強く、7年以上が経過した今でも夢にうなされる程の衝撃が残っている。

 


きわめて悪質と感じられる行為は、電話で確実に縁を切る約束を交わしたにもかかわらず、暴言同級生が、その約束を守らず、1月から3月まで4通の不必要な手紙を送り続けて来て、手紙の受取りを拒否したにもかかわらず、最後には封筒の裏にまで受取りを強要する文言を記載して見せたことである。

 


電話で確実に縁を切ったにもかかわらず、さらなる嫌がらせとして4通の手紙まで送りつけられたことで私は体調を崩し、食欲も失くなり、食事が徐々に喉を通らなくなっていった。

 


その結果、2010年8月26日には「虚血性腸炎」で10日間の入院をすることになった。

 


当時の激しい腹痛と下血は、とりもなおさず心が殺された証であり、暴言によって心身が受けた傷の深さをあらわしている。

 


暴言は、確実に、人の心を殺す。

 


暴言は、いつまでもトラウマとなって心に残る、殺人罪ならぬ殺心罪(さつしんざい)である。

 


格下と見る相手に対して弱者の心をブルドーザーで弾き殺すような暴言を吐いて平気でいられる女性は、おしなべて『嚢中の錐』と呼ばれる存在ではない。

 


人気がなく、目立ちたくても目立たず、推されて自然とその立場や地位に就いた訳でもなく、上に立ちたい、長がほしい、先生と呼ばれたいという邪悪な野心ばかりが大きく空回りしひとり歩きをして膨れ上がった結果、何とか先生と呼ばれたとしても、実力、人間性、一般常識が伴っていない。

 


だから、内面の自信の無さ、余裕の無さによって、暴言を吐くのである。

 


偉そうな女性から許せない暴言を吐かれて、心身に深手を負わされたら、迷わず傷害罪で訴えることだ。

 



傷害罪の時効は10年。

 


それにしても、今回「週刊新潮」に元秘書であった男性が暴言による被害を通報するまでには、100人もの秘書が同様の被害を受けて辞めて行っていたというのであるから信じ難い。

 


豊田真由子議員の悪性を知りつつ野放しにして容認し、いい気にさせ続けてきた100人の秘書たちにも、多大な責任があるのではないか。

 

私はそう思っている。

2017年6月16日 (金)

バタバタと忙しがっているのは、まことに品がない、分別のない老人との、自戒をこめたエッセイが忘れられません。-野際陽子さんのご冥福を心よりお祈りいたします-

アクション映画やドラマが好きな私は、日本では千葉真一さんが好きだった。

 


だから「キイハンター」も好きで、よく見ていた。

 


当時箱根にあった別荘を訪れて、早雲山からロープウェイに乗る時はいつも


「途中で止まっても、千葉ちゃんが助けに来てくれるから大丈夫ね!」と
言って、


両親や同行した友人たちを笑わせた。

 


フランス人のような野際陽子さんの美貌と、エンディングに歌われる気だるいテーマ曲も魅力的であった。

 


いつからか、野際さんが母校である立教女学院中学・高校の大先輩であることを知り、親近感から誠実な関心を寄せて出演される番組を視るようになった。

 


今から10年前の2007年4月、ある小冊子のエッセイに、


野際陽子さんは、
香り高き老後を目指して」と題され、

分別のない老人-を副題に、

 


仕事は定年がないのをいいことに、相変わらずバタバタと忙しがっていて、まことに品がない。

 


今年こそ何とか“脱・分別のない老人”を目指し、一日一日を噛み締めながら品よく生きていきたいものだ。

 


などと記載して公開なさっていた。

 


野際陽子さんは、NHKのアナウンサーから女優に転身されて以来、女優業ひと筋に専念され、その演技力を買われて次々とお仕事が舞い込み、最晩年に至るまでお忙しく過ごしていらした。

 


アナウンサーや女優になりたいと必死になって頑張ってみたところで、声も、顔も、頭も良くなければ、アナウンサーにも女優にもなれないのだから、自己顕示欲だけは人一倍強く、目立ちたがりで出しゃばりだが実力に欠けた女性にとって、野際陽子さんは大いなる嫉妬の対象であったことだろう。

 


知的で、美しく、誰の目にも上品にうつり、野際さんでなければ演じられない役どころを選ばれて、お仕事をされていたと感じられるが、それでも野際陽子さんは、「定年がないのをいいことに、バタバタと忙しがっている」老人の姿を、「まことに品がない」と自虐的に語ることによって、それとなく戒められたのかも知れない。

 


そして、「分別のないバタバタ老人」から脱して、「品よく生きていきたいものだ」とエッセイを結んでいらした。

 


やれアンチエイジングだ、やれダイエットだ、とビジュアルにばかりこだわって、少しでも若く見せなければならないと必死になって、少なくなったまつ毛にまでエクステをつけに飛び込むような、過度の若づくりをする老人がいる。

 


休みなくはたらけることは恵まれている、生涯現役で仕事を続けることこそ生きがいだと掲げて、必死になって、ここと思えばまたあちらとばかりに、五条大橋の牛若丸のように、あたふたと、ハイテンションで、忙しなく、過剰な活動に奔走する老人もいる。

 


当のご本人は、いつまでも若々しく見えて、忙しく、休みなくはたらいている自分の姿を他の者が見れば、間違いなく幸せに見えると盲信している。

 


だが実際には、「えげつない」、「そうまでして…」、「品がない」と他人の目には痛々しくうつっているものである。

 


「年甲斐」を辞書でひくと、「
年齢にふさわしい思慮や分別」と解説されている。

 


野際陽子さんはクールな外見に相応しいエッセイで、



加減の良い強さで吹く風のように、


「誇り高い老後を目指すには」、

 


「アンチエイジングやダイエットも結構ですけれど、年甲斐だって必要ですよ。」

 


「年齢にふさわしい思慮や分別をお持ちなさいな」

 


と示されて、

 


颯爽と天国に旅立たれたのではないか。

 


私はそう思っている。

2017年3月15日 (水)

防衛大臣の稲田朋美氏も「魚座」だった!-偉そうな者たちの発言こそ記憶しておくべし-

先日うお座の「う」は「ウソツキ」の「ウ」と私は書いた。

 
だが、うお座の「う」は「胡散臭い」の「ウ」でもあったようだ。

魚座の特徴

身を守ろうと、極端な裏工作をしたり、嘘をついたりもできます。

http://www.japan-horoscope.com/astrological-signs/zodiac/pisces.htm

 

稲田朋美氏。1959年2月20日生まれ。魚座。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E7%94%B0%E6%9C%8B%E7%BE%8E

 

 内田茂氏。1939年3月15日生まれ。魚座。元東京都議会議員の樺山卓司氏が自殺し、その1年後に見つかった遺書には、「これは全マスコミに発表して下さい!! 内田、許さない!! 人間性のひとかけらもない内田茂。来世では必ず報復します! 御覚悟!! 自民党の皆さん。旧い自民党を破壊して下さい。」と書かれていたと公開されている。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E7%94%B0%E8%8C%82

鳥越俊太郎氏。1940年3月13日生まれ。魚座。刊文春による過去の淫行疑惑報道に対して、名誉毀損として刑事告訴し、自身では釈明せず。説明責任も果たさなかった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E8%B6%8A%E4%BF%8A%E5%A4%AA%E9%83%8E

 

2月20日うお座の稲田朋美氏には、従前から、その経歴にも役職にもそぐわない妙な違和感を覚えた。

 
重みがないと言うか、教養が感じられないと言うべきか、心が見えないと言うか、感情が伝わってこないと言うのか……何とも名状し難いのだが。

誤った記憶に頼って断定した物言いをする前に、稲田氏は、十分精査・確認をする必要があり、それから答弁すべきであった。


精査・確認を怠り、偉そうに、自分に都合の良い答弁をしたということである。



これは天野ベラの私見だが、嘘つきな者ほど、断定して物を言い、記憶力は悪い。



そして、嘘つきな者ほど、問題とされる発言を忘れてしまったかの如く振る舞い、過去の発言の責任を他人から追及され、指摘され、批判されると、直ちに過剰反応して逆ギレし、居直って開き直り、倍返しの不当な逆襲に打って出る。



正にどなたかのブログに書かれていた『悪党の言ったもん勝ち』との言い得て妙な言葉の実践者であり、言い終わったが勝ちの態度で、発言に伴って発生する責任などどうでもいいと言わんばかりに、過去の発言を振り返ることはない。


さっさと後ろ足で砂をかけて豹変して行くのだから、覚えている方としては、たまったものではない。


その場の気分次第で、いかようにも、そのよく動く口に任せて、春の小川が流れるようにさらさらと虚言を吐き、おめでたい人々を欺く行為が慢性化して中毒になり、もはや宿痾になっている人もいるようだから、よっぽど心地良いのだろう。


指摘され批判されようと物ともせず、何の根拠もなく、断定的な物の言い方をもって、さらなるその場しのぎのウソや、登場人物の言葉を加えて信憑性を演出するなどしたまことしやかな高度なウソを塗布しては切り抜けていく者もいる。


あたかも、ウソをついているのは自分ではない、ウソを指摘し批判している当の相手であると言わんばかりに、不合理に変遷させたウソを重ね、自己矛盾に気づかない振りをして、「記憶に誤りはない」などと豪語して憚らず、涼しい顔をして、最後まで虚言を押し通すのだから、始末が悪いことこの上ない。



稲田氏の場合は、大臣クラスの大物にまで成り上がった結果、野党からの厳しい追及を甘受しなければならなくなったが、中途半端な立場に身を置くウソつきどもは、過去についたウソを次々と忘れて進むことのできる都合の良い記憶力を武器に、誰からもお咎めなしで、出たとこ勝負の場当たり的な生き方を続けていく。



畢竟、記憶力が悪くてウソつきな者たちは、覚えておかれては困る言動を次々と重ねながら生きていくこととなり、自分の失敗や頓挫は他人のせいにして、自らが歩んで来た人生という過去の歴史を振り返る行為を極端に嫌悪する。



だから、履き違えたポジティヴシンキングを掲げて、不自然きわまりない前向きな生き方ばかりを目指さざるを得なくなる。



天性のウソつきどもが懲りずに実行し、繁殖を続けるウソのウィルスによる個人攻撃は、主として、幼少時に人の言動を疑わず天真爛漫に育ったような、信じやすくお人好で、記憶力の良い生真面目人間、どちらかと言えば融通の利かない実直な者たちを選別して襲い掛かるようだ。



ウソという卑劣極まりない言葉の暴力によって、徹底的に人体を破壊され、忘れようとしても忘れられないほどの痛手を受けた人々がいるとすれば、私は敢えてこう言わせていただきたい。



忘れずに、繰り返し、抗議せよと。



なぜなら、ウソつきにとって最も嫌なことは、取りも直さずその者の言動を、いつまでも覚えていられることだからだ。



人生50年を過ぎた私には、許せない「敵」と呼ぶべき者が2名存在する。



そして、その2名が、何と私に対する評価としてまったく同じ発言陳述をしているからだ。



1つ目は「ひと言、ひと言をよく覚えていて、あなたはとっても頭のいい人だと思うよ」というもの。



これは、大人気なく過激で不審な言動を見せた同級生に対して、お互いの言い分を話し合い、理解し合ったうえで、「きれいにお別れしましょう」と提案の電話をした際の通話中の、その者の発言である。



2つ目は「××」というもの。



これは、××である。



これら2つは、決して私を褒めている内容ではない。


何で覚えているのだとの憎しみに満ちた皮肉である。



だが、恨みは骨髄と感じられる相手への理不尽さを、何年も記憶に留めて、繰り返し書き残しているのは、何も私ばかりではないようだ。



ネットには、10年近くに亘り、過去の訴訟における不当かつ理不尽な判決内容に対して、毎年検証を重ねているジャーナリストの男性がいる。



ブログのカテゴリーに、相手の名前とともに、「死んでも許すことは出来ない」「天罰を」とまで明記して、よっぽど嫌な思いをさせられたと思しき相手への理不尽な思いを切々と公開し続けて苦しんでいらっしゃる女性もいる。


たとえ相手から「未だに執拗に絡んで来る」などと反省なき決まり文句で反撃され、相手が涼しい顔をして、偉そうな発言をしたり顔で語り、口先だけのきれいごとをさえずっているとしても、信念を貫き、決してブレてはならない。

ひるむことなく、何年経とうと変わらぬ思いを主張し続けることだ。



黙って我慢はナンセンスであり、相手の思う壺でしかない。



狡賢い者たちを増長させるだけである。




何の罪もない主人をも巻き込んで襲いかかって来た、一方的で獰猛な謂れの無い、やくざ紛いの数々の暴言。



何の罪もない両親ともども与えられた、度を超した裏切り行為、忘恩、許されない非礼や非道など、忘れようとしても忘れられない、癒えることのない心の深手を負わされた相手に対しては、折に触れ、その理不尽さを書き記し、甦らせなければならない。



人の道を外れた者の言動をいつまでも忘れずに覚えていて指摘し続けること、過去の真赤な大ウソや、他者を利用してばかりの世渡りを続けてきた非道の数々を、正論をもって批判し続けること。



それらは、記憶力が悪いと装って、悔悟もなければ、謝罪もせず、平気で切り抜けて来たような、狡猾で自己中心的な者たちにとって、最も耐え難い苦痛となるに違いない。


私はそう思っている。

天野ベラの最新記事春の××祭り第三弾☆××××(×)の公開!

http://beraamano.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-1284.html

2017年3月 9日 (木)

こんなところでも名誉会長!!渦中の安倍昭恵夫人が、2017年3月3日,4日,5日、蔵王で、スキー&ディスコパーティを主催していた!

ご自身の言動が原因で、ご主人が国会質問に窮している最中に、渦中の昭恵夫人は、山形蔵王温泉スキー場でスキー&ディスコイベントを企画・主催していた。



名誉会長ご挨拶


今シーズンも、第3回「私をスキーに連れてかなくても行くわよ」を
 
蔵王温泉スキー場で実施させて頂く運びとなりました。

 
1回、第2回目共に多くの皆様にご参加頂き大盛況、大好評のうちに終了する事ができました。
 

イベントの盛り上がりを通して、あの頃の楽しかったスキー場やアフタースキーでの気持ちの盛り上がりを思い出して頂けたのではないでしょうか。

 
このイベントを通して私たちは、地元の方々と一緒に楽しみながら東北を応援するひとつのかたちを模索してきました。

 
すべて手作りで、地元観光協会の皆さんや青年会議所の皆さん、スポンサーやボランティアの皆さん、そして参加者の皆さんと一緒に作り上げることが出来たのは大きな喜びです。
 

そしてこのイベントが一度きりで終わらずに継続事業となり3回目を迎えられたことが、東北のみなさんとの絆を深め、復興に向けた一つの切っ掛けとなれば、こんなに嬉しい事はありません。

 
80
年代から比べるとスキーは進化しています。
 
マテリアルの向上でずっと楽にターンが出来るようになりました。
 
そして大人のスキーヤーとなった私たちは蔵王自慢の温泉や東北の味覚など地元の魅力をより深く楽しめるようになりました。
 

このようなイベントをきっかけに、ブランクのあった元スキーファンが進化したゲレンデに戻ってくることが、地方活性にもつながることでしょう。

 スキーは自然との対話と動力を使わないスピードが魅力のスポーツです。
 
2回のイベントでは雪不足の影響もあり、予定していた「かまくらバー」が設置出来ずに「スノーバー」となるなどの不測の事態もありましたが、自然を受け入れ、楽しめたのではないでしょうか。
 

パウダースノーや晴れた日のダイアモンドダスト、真冬の樹氷や春先の雪解け水。
 
スキーは豊かな自然の恵みに感謝し、次世代に伝えて行く術を考えるきっかけを与えてくれます。

懐かしい80年代の輝くような思い出を胸に、誰もがタイムスリップできるディスコ、全日本代表を務めた一流のスキー講師陣、東北の美味、蔵王自慢の温泉、雪原を埋め尽くす樹氷、そして地元の皆さんや参加者同士の交流を楽しみに、滑る方も滑らない方も、今年もみなさんのご参加をお待ちしています

署名安倍昭恵



http://ski80s.jp/outline.html


安倍昭恵夫人と行く80年代のスキー復活 東北の観光を応援しよう!


このイベントは今年で3回目だそうだ。


2016年3月に開催されたハイライトシーンを撮影した6分の動画の最初と最後に「名誉会長 安倍昭恵(内閣総理大臣夫人)」と明記されて昭恵夫人が登場する。

イアリングを揺らしながら、輝くような80年代の思い出を胸に?楽しそうに踊る昭恵夫人の姿も動画に見ることが出来る。



スキーが好きでディスコがお好きな昭恵夫人。


もしかして、出好き、派手好き、遊び好き?!


http://ski80s.jp/


音楽好きの私・天野ベラは、DJOSSHY(オッシー)氏こと押阪雅彦氏の、危険な印象がなく不良性の感じられないDJぶり、爽やかな笑顔、会場の雰囲気やダンサーたちをひたすら盛り上げる徹底したサービス精神をTVで見て、好感を持っていた。


それだけに、プロフィールには、やや複雑な気分だ。



安倍首相夫人御用達DJ


http://profile.ameba.jp/osshy/


安倍内閣総理大臣
主催「2016年桜を見る会」招待DJ

 
安倍昭恵
首相夫人主催 東北復興蔵王スキーイベントオフィシャルDJ

 
https://ja.wikipedia.org/wiki/DJ_OSSHY


森友学園にまつわる昭恵夫人の言動が、国会は当然ながら、ニュースでもしきりに報道され、SNSはこの話題でもちきり、今や金正男殺害事件や豊洲土壌汚染問題同様に取り沙汰され、ご主人の安倍総理が毎日の答弁にきりきり舞いして叩かれ、追及され続ける中、よくスキーやノリノリのディスコ・ミュージックを楽しめるものだと、むしろ昭恵夫人の心臓の強さを羨ましく思ったほどである。


DJOSSHY氏は、ご自身のブログから素直な言葉で昭恵夫人に配慮し激励しているようだ。

昭恵さんや、参加者の皆さんから、
 
OSSHYのおかげで本当に元気になれたー!!」と何度も何度もお礼を言われました。

とても嬉しかった。

「人生の使命」として、この仕事を続けてきていますが、

少しはその使命を果たせたかもしれません・・・・・。


とにかく参加者皆さんが一つになった現場でしたが、今回、

「ディスコ・ミュージックで元気と笑顔」 を一番お届け出来た相手は、
 

昭恵さんだったのかもしれません。(^^)/

http://ameblo.jp/osshy/entry-12254543814.html


センスのいい楽曲と軽快なおしゃべりで、昭恵夫人のみならず、多くの老若男女に元気と笑顔を届けて、人生の使命を果たし続けていただきたい。


音楽は、疲れた心と身体をリフレッシュさせてくれる最高のプレゼント。


私はそう思っている。


☆天野ベラ前回ブログ記事☆

http://beraamano.cocolog-nifty.com/blog/2017/03/post-c1ed.html

2016年11月11日 (金)

人様からのお金で思いっきり楽しむチャリティイベントは最低最悪のタカリ行為-お饅頭に目が無い者に、お饅頭を集めさせることなかれ-

慈善活動になど平素は目もくれず、出すものは舌でも惜しむような手合いでありながら、災害の発生を機に、積極的に募金や寄付、義援金などの窓口となって人様からお金を集め、慈善活動への協力を広く呼びかけ、自ら社会的活動のリーダーに名乗りを上げて活動するような者は信用できない。

 


なぜなら被災地などで困っている人々にお金を送りたい、助けたいと本心から思うような人は、他人からお金をかき集めようとして、それが集まったら送りますと言う前に、黙ってさっさと自分のポケットから経済状態に見合うだけのお金を出すなり送金する。その方が早いからである。

 


もっと言おうか。

 


私の周辺について言えば、強欲で、しみったれで、財布の紐が固い、いわゆる「がめつい女」たちほど人様からお金を集めようとする。

 


人様のお金であれば景気よく使うが、ことご自分はと問えば、時折頭をかきながらペロリと舌だけを出し、軽い口ばかり出して来るという調子が良くて小ズルい輩(やから)どもである。

 


人様からの、しかも被災地に届けるためのお金をふんだんに使って、普段はおよそ立てないような大きな舞台を会場にして、何日にも亘って借り切り、人様のための、被災地に届けるための、困っている人たちのために届いたお金と知り得ていても、その貴重な人様からのお金をイベントにつぎ込み、自分たちばかりが目立っておいて、一緒に楽しい時を過ごせたのだからいいじゃないかと居直る姿は噴飯ものである。

 


他人の苦しみや悲しみに寄り添おうとせず、自分の快楽を求める生き方を通して来たような者であれば、本来の目的を見失うのは当然であろう。

 


こうした者に限って、自分の身に何かあった場合は大袈裟に騒ぎ立てて相談をしたり、知恵を借りたり、他人の力に縋ったりするのである。

 



9日、心臓病の甥がアメリカで心臓移植を受ける必要があるとして、募金への協力を呼びかけた記者会見の内容が『虚偽』と発覚した事件が報道されていた。

 
報道によれば、その女性は「注意欠陥多動性障害(ADHD)」だと言う。



今回私の嘘でたくさんの人に迷惑をかけたことを深くお詫びします
と謝罪はしている。

 


お金を集めるなら『子ども』がいいと思った
と説明しているとのことだ。

 

 

だが、この種の話はもっともっとたくさんあるに違いない。

 


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そもそも人の善意や善行とは、災害発生を
奇貨居くべしとばかりに利用して、己の存在を目立たせようとする軽薄で派手好きな者とは相容れない。

 


奉仕は地道な活動であり、日々の生活に根ざした地味な心がけにある。

 


通院先の病院には、私よりご高齢の女性がエプロンをかけて、ボランティアとして受付の近くに静かに立っていらっしゃる。

 


次はどこに行ったらいいのか、これから何をしたらいいのか、初診の用紙はどこにあるのかなど、慣れない病院には不明なことも多い。


困った表情の患者たちが多数見受けられる。


病院であるからご高齢者が多い。

 

採血や検査で脱ぎ着をされた後の上着にお荷物がひっかかって落とされたり、支払いを終えられたばかりの小銭入れから釣り銭が飛び出したり、再診の診察券を入れる場所がわからなかったり、杖を置いて立ち去られたり、日傘をお忘れになったりする。

 


病院の中では主人や私も俄かボランティア職員になり、転がった硬貨を拾って差し上げたり、置き忘れられた品物を小走りで手渡しに行ったりする。

 


はっきり言おう。



金もうけ以外の面倒くさいことが大嫌いで、自由でいたいような者、口先だけで実行の伴わない綺麗ごとばかりさえずっているような者は慈善活動には手を出さずに遊びほおけていろと。


ほんの出来心で奉仕の場に足を踏み入れたところで大迷惑であるとともに、本気で活動している人たちの善意の呼びかけにまで疑義を持たれる原因の作出者となり、真摯に慈善活動を続けている団体にとっても、被災地の方々にとっても、有害でしかない存在だからである。


もっと言えば、いい加減な心ないやり方の一部始終を見せられることで、大いなる憤りと義憤をも覚えさせられるからである。



煎じ詰めれば、人一倍お金が好きな者にお金を集めさせるなということだ。



それは、お饅頭が大好きで目が無い者に、世界中のお饅頭を集めさせれば一体どうなるかを考えれば答えは自ずと明らかであろう。


児童のためとの名目で、人様からかき集めたお金を、何ひとつ困ってもいない己らのために使う、見下げ果てた恥知らずな者たち。

 
そして、悪いことをしたとの自覚すらない、良心を失った者たち。


そんな輩こそ最も軽蔑すべき存在であり唾棄すべき存在ではないか。



私はそう思っている。


*****

<心臓移植>虚偽の募金会見、女性が謝罪

毎日新聞 11/9() 20:33配信


 厚生労働省内で8日にあった、心臓病の児童が心臓移植を受けるための募金への協力を呼びかける記者会見の内容が、虚偽だったことが9日分かった。会見を開いた東京都内の女性(36)が虚偽を認めて謝罪した。会見の内容は、一部の新聞やテレビなどですでに報道されていた。

 女性は児童の親族。移植を支援する団体の代表として記者会見を開いた。児童が米国で心臓移植を受けるため、親族で5000万円を集め、あと1億5000万円足りないとして協力を呼びかけていたが、児童が病気ということ自体が作り話だった。



 女性によると、注意欠陥多動性障害(ADHD)のため今年5月に働けなくなり、生活に困窮し、うその募金を思いついた。10月に団体のホームページを開設したところ、支援者から記者会見をするようアドバイスを受け、引くに引けなくなったという。


 児童の両親には無断で、ホームページに児童の写真や作り話、寄付金の振込先を掲載し、記者会見を開いていた。両親は弁護士と対応を検討している。女性は報道各社や児童の家族に向けた謝罪文を発表し「食べていくにも困っており、父から『死にたい』と言われ、うその募金を思いついた。大変申し訳ない。寄付があれば全額返金する」とした。

【山田泰蔵】


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161109-00000112-mai-soci

 

http://wadaitokimeki.blog.so-net.ne.jp/2016-11-10


http://ツイ.net/post-2486/


http://news-wakaru.com/archives/4511


http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/ann?a=20161110-00000013-ann-soci

2016年11月 3日 (木)

「法律事務所ヒロナカ」が高畑裕太氏事件の示談成立後に公開したFAX文書がもたらした被害女性への深刻かつ重大な2次被害-事実関係が確認できていない状況で、一方的に独自の見解を公開し、事件後産婦人科にまで行ったとの被害女性を追いつめ、精神的苦痛を深めさせた「法律事務所ヒロナカ」の弱者叩きは許されない-

それでも人権派弁護士率いる法律事務所といえるのか?!


「法律事務所ヒロナカ」が示談成立後に一方的な見解をマスコミに公開したFAXを読んで、私はそう思った。


その「法律事務所ヒロナカ」が請け負った高畑裕事件に関する「週刊現代」の記事が、先日来ネットに2件ほど公開されており、
被害女性の告白が掲載されている。

 


以下に抜粋しよう。


相手方の弁護士のFAXのコメント内容を知ったとき


全身から血の気が引くのを感じました


まるで私がウソをついたかのようなことが書かれていました


私が悪かったというのでしょうか。


なぜ加害者のように扱われるのでしょうか……。


二度目のレイプをされたような気持ち
です。


悔しくて悔しくて涙が止まりませんでした


示談後、加害者側の弁護士は一方的に強姦ではなかった。合意があった』というような主張をしていますが事実ではありません


真実を知ってほしいと思いました

 


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50023

 


開き直りともとれる加害者側弁護士のコメントを知り
、怒りを覚えます

 


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50077

 


「法律事務所ヒロナカ」に所属する加害者側弁護士らの一方的なコメントを知って、被害女性は、


「全身から血の気が引くのを感じた」

「ウソをついているかのように書かれた」

「加害者のように扱われた」

「二度目のレイプをされたような気持ち」

「悔しくて、悔しくて、涙がとまらない」

と述べており、


「法律事務所ヒロナカ」に所属する加害者側弁護士らの一方的なコメントについて、被害女性は、


「一方的に事実に反する主張をしている」

「真実を知ってほしいと思った」

「開き直りともとれるコメントを知って怒りを覚えている」

と述べている。


示談成立後に「法律事務所ヒロナカ」が一方的にマスコミに提出し公開したコメントに対する被害女性の憤りの深さが伝わる。


そして、現在の被害女性にとって、「法律事務所ヒロナカ」の不意打ちFAXによって与えられた精神的苦痛は、加害者である高畑裕太氏に与えられた肉体的・精神的苦痛以上に重く、深く、より一層苦しみ、悩まされているということがわかる。


そこで、矢も盾もたまらず、週刊誌に心情を吐露したことが読みとれる。


示談が成立した後で、わざわざマスコミに向けて、被害女性に何のことわりもなく公開した9月9日のFAXの内容が、高畑裕太氏事件の被害女性にさらなる追い討ちをかけ、より重く深い精神的苦痛を与えるということに、「法律事務所ヒロナカ」に所属する弁護士ら5名は、誰ひとり気づかなかったのか?!

 


被害女性にとって正にセカンドレイプであり深刻かつ重大な2次被害としか言えない行為である。

 


「自由人権協会」の元代表理事であり、人権派を標榜する弘中惇一郎弁護士が代表を務める「法律事務所ヒロナカ」としては、何よりもまず被害女性に配慮すべきであり、むしろこうした内容を公開することは人権侵害にあたり問題があると判断して、一般公開しないようFAXの送信を中止すべき立場にあったのではないだろうか?

 


芸能人や政治家など著名人の人権は過剰なまでに保護するが、無名の素人の人権は無視して配慮しようとしないのが「法律事務所ヒロナカ」のやり方と言わなければならないだろう。

 


しかも、示談が成立し、いわば双方において、民事訴訟でいうところの和解をした後になって、加害者を手厚く擁護するFAXを出し抜けに送信した行為自体、被害女性の裏をかく卑怯かつ卑劣な行為と言えるのではないか?

 

さらに、FAXには、「私どもは、高畑裕太さんの話は繰り返し聞いていますが、他の関係者の話を聞くことはできませんでしたので、事実関係を解明することはできておりません。」と述べられている。

 


依頼人の話だけを執拗に聞いており、肝心の被害女性の話は一切聞けていないと述べて憚らない。

 


そして、そのような状況をものともせずに「法律事務所ヒロナカ」は、一方的に下記の主張を公開した。

 

「しかしながら、知り得た事実関係に照らせば、高畑裕太さんの方では合意があるものと思っていた可能性が高く、少なくとも、逮捕時報道にあるような、電話で『部屋に歯ブラシを持ってきて』と呼びつけていきなり引きずり込んだ、などという事実はなかったと考えております。つまり、先ほど述べたような、違法性の顕著な悪質な事件ではなかったし、仮に、起訴されて裁判になっていれば、無罪主張をしたと思われた事件であります。以上のこともあり、不起訴という結論に至ったと考えております。」

 

私が被害女性なら、FAXに記載された内容を、名誉毀損で訴えるだろう。

 


事実関係の解明は出来ていない。

 


だがそんなことなどどうでもいいと言わんばかりである。

 


事実関係がどうあれ、つまり、真実がどうあろうと、依頼者である高畑裕太氏から話を聞いたとして、その結果、「違法性の顕著な悪質な事件ではなかった」との見解を一方的に公開している。

 


さらに、相手の話は聞くことができていないことを前提に、「私たちの知り得た事実関係に照らせば」として、何に照らしたかについての具体的根拠や合理的理由は述べない、当然ながら証拠も提出しないの『ナイナイづくし』で言い切り、強引に「違法性の顕著な悪質な事件ではなかった」と押し通しているのである。

 


告白記事にはさらなる酷い内容も公開されている。

 


事件後に被害女性が、
群馬大学医学部附属病院の産科婦人科に行って診察や採取などを受けていたことが記載されているのだ。

 


そのくだりを引用してご紹介しよう。

 


*****

 


自分がされたことを知人に打ち明けた瞬間、はじめて涙が出てきて、泣き崩れました。必死に我慢していたものが、一気にあふれてしまったのだと思います。私の話を聞いた知人は、


「それは明らかなレイプ事件だよ。傷つけられた人が我慢することなんてないよ」


と言ってくれ、被害届を出すようにアドバイスしてくれました。


しかし私は、警察に事情を説明することも嫌でした。そこで知人が、


「俺が警察に電話するから」


と言って通報し、そこで警察の指示に従い、ホテルに引き返しました。ホテルに着くと、すでに警察の方がいて、空いている部屋で事情を聴かれました。


病院に行くことになったのも警察の方からの指示です。

その際、「体内に(加害者の)精液が残っているのであれば、それは証拠になります。一緒に病院に行きましょう」

という説明がありました。

警察の車に乗り、女性警察官の方と一緒に群馬大学医学部附属病院の産科婦人科に行ったのです。

病院では、膣内に残っている精液を採取された後、用意されていたアフターピルを服用しました。

病院を出たのは、午前8時か9時頃だったと思います。その後、知人と一緒に前橋署に向かい、再び事情を聴かれました。

 

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/50077?page=2


*****


こうした経緯をふまえれば、第一に被害女性に与えられた肉体的苦痛はいかばかりであっただろうかと心底から配慮し、真に思いを致さねばならないだろう。

 
十分な休息とともに心身両面でのあたたかく手厚い時間をかけたケアが必要なことは私ごときが言うまでもないことだ。

 


「法律事務所ヒロナカ」には、×××××××と、渥美陽子弁護士の××の×××××が所属している。

 


いずれも10代・20代の小娘ではない。

 


事件後ただちに産婦人科に連れて行かれて、そこで、すぐさま受けなくて済む筈の受けたくもない診察を受けさせられ、さらには屈辱的な採取まで受けなければならなかったという事実関係について、「法律事務所ヒロナカ」の弁護士らは警察から説明されていた筈である。

 


女性として決して受けたくないことが明らかな診察であり、事件さえなければ決して受ける必要のなかった産婦人科での急な採取という事実関係までが存在したと記事は報じている。

 


被害女性が実際に体験したこうした事実関係について知り得ていながら、高畑裕太氏から何度も聴いた話だけに照らして、被害女性に合意があったと言わんばかりのFAXを公開したとすれば、弁護士としても、それ以前に、人間としても、最も大切な心が欠落したままで成長してしまったと言わなければならない。

 


FAXを読んだ被害女性は、どうにも我慢ができず、週刊現代に心情を吐露した。

 


つまり「法律事務所ヒロナカ」が示談成立後にFAX文書さえ送信しなければ、被害女性が新たにここまでの精神的苦痛を与えられることはなかったのである。

 


何のための示談だったのか?!

 


しかも、「法律事務所ヒロナカ」が不意打ちで一方的なFAX文書さえ送信しなければ、被害女性は、悪夢のような被害状況を振り返り、それらの一部始終を克明に記者に告白して一般に公開しなければならなくなるような事態を招くこともなかったのだ。

 


「法律事務所ヒロナカ」の5名の弁護士らは、自分たちの行為がいかに他人の心情を踏みにじるかを、事前に気づいて過激な言動を慎むことは出来なかったのだろうか?!

 


「法律事務所ヒロナカ」の弁護士らは、なおも下記の新たなコメントを10月14日に公開した。

*****

 

 週刊現代に掲載された記事について


 本日発売の週刊現代の記事について、高畑裕太さんの弁護人のコメントは以下のとおりです。


 週刊現代の記事では、被害者とされる女性は、平成28年9月9日付弁護人コメントにおいて、「性行為の合意があった」との見解を公表したと認識されているようでしたが、この点は誤解があります。


 弁護人コメントにおいて、弁護人は、高畑裕太さんにおいて、当時女性の拒否の意思を認識できておらず、合意があると思い込んでいたことから、仮に起訴された場合には、犯罪の故意を否定し、無罪主張をする事案であったという内容を説明しました。


 強姦罪の成立には、女性の反抗を著しく困難にして性行為を行うという客観的な要件と、強姦であることを認識しながら行為をするという強姦の故意という主観的な要件が必要です。弁護人コメントは、被害の主観的な要件について特に言及したものです。


 また、週刊現代の記事に記載された女性のお話は、弁護人としても初めて認識したものであり、当方が認識している事実関係とは異なる点も多々ありますが、この女性のお話を前提としても、初期段階で多数報道されていた「手足を押さえつける」という暴行を行ったとする内容と、「電話で歯ブラシを持ってくるよう呼びつけた」とする内容は含まれておりません。


 また、記事において、女性は高畑裕太さんの目つきが怖かったこと等を理由に大声を上げるといった抵抗はされなかったとお話しされていますが、この点も例えば「騒ぐと殺す」と脅迫する、口を押さえつけるといった男性側が当初から明らかに強姦であることを認識している事例とは異なるものです。女性のお話によっても、このような明らかな暴行や脅迫は認められないものと認識しています。


 いずれにしても、弁護人の見解としては、平成28年9月9日付の弁護人コメントから変更はありません。


 高畑裕太さんについては、逮捕から不起訴釈放に至るまで、連日のように事実誤認を含む報道がされたうえ、既に大きな社会的制裁を受けております。これ以上の過剰な報道は慎んで頂きますようお願い致します。


平成28年10月14日


弁護士 渥美 陽子


弁護士 小佐々 奨 



(引用者注:テレビ放映されたFAXの文字が不鮮明なため、誤記があるかも知れません。)

 

*****


被害者はどちらなのかと言いたくなるような、木で鼻をくくった文章である。

 


過剰な報道は慎んでくださいと結んでいるが、約1か月前の9月9日に「過剰な報道」に拍車を掛けるような一方的な内容のFAXを送信したのは、ほかならぬ「法律事務所ヒロナカ」ではないか。

 


そもそも加害者の行為は社会的制裁を受けて当然であろう。

 


「法律事務所ヒロナカ」には紛争を平和的解決に導こうと努力する姿勢がまったく感じられない。

 


「法律事務所ヒロナカ」のこうしたサディスティックなやり方に直面して強い憤りを覚えているのは、決して被害女性ばかりではない。

 


相手から巨額の「お金」を奪うぞと恫喝するか、相手に巨額の「お金」を与えさせるなど巨額の「お金」だけをもって事件を解決しようとしているように見えてならない。

 


その結果、人間にとって最も大切な「心」と「情」つまり人間の「心情」が置きざりにされることとなる。



「法律事務所ヒロナカ」は、著名人や政治家、成金を含む「お金」のある者、権力を有する者たちなど、社会的強者は過保護に遇する。

 


その反面、何の力も無い者や無名な者など、社会的弱者への情け容赦はない。

 


心ない姿は今のところ表沙汰にされていない。

 


しかしながら、今回の「週刊現代」のように、名も無く、力も無い被害女性のインタビュー記事などが出回ることによって、「法律事務所ヒロナカ」の非道かつ非情な実態を知る者は確実に増える。

 


「法律事務所ヒロナカ」の普通ではないやり方が世間一般に知れ渡り、広く人口に膾炙して、心ある人々から強く糾弾される日もやがて訪れるのではないか。

 


私はそう期待してやまない。

 

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