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2017年9月24日 (日)

お詫びの言葉ひとつで変わる人間関係-あなたは必要な謝罪のできる賢い女性?それとも最後まで謝罪のできない愚かな女性?-

このところ女性の謝罪会見が目立っている。

女優さんから東大法学部卒のセンセイまで。

W不倫に暴言と謝罪の理由は人それぞれだ。


もし,何らかの不手際や失敗があった場合,そしてそれを相手から指摘され,批判された場合には,時を移さずに詫びればいいことだ。

それがまともな人間関係というものであろう。



逆に私はこう問いたい。

謝れば,それで済む話ではないの?

何故,謝って,終わりにしないの?

THE・ENDにしたくはないの?

何故,愚図愚図と引き延ばすの?!

謝罪が出来ないからこそ,話がややこしくなって,捻じれ,こじれ,感情的対立が深まり,泥沼化して,悪化の一途を辿ることになるのではないの?!

一方,思いがけず誠意ある謝罪が得られた場合,心を動かされ,相手を見直して,好感を持つこともあり,自ずと早期解決に向けたはたらきかけに繋がっていくこともある。

「ごめんなさい。」

「すみませんでした。」

「申し訳ありません。」

これらは荒れた肌を優しくお手入れしてくれるエステティシャンの卓越したマッサージのように頑なさを揉みほぐして心に深く沁み入ってくる,感動を呼ぶ言葉であり,人間関係を変えてくれる効果的なマジックワードである。

なぜなら,これらは,短くてありふれた言葉でありながら,わだかまりを一気に雲散霧消させてくれる力があるからだ。

たとえ相手に対するキツイ批判の記事を公開していたとしても,否,むしろ厳しい批判の文章を公開していればこそ,その書き手はかえってその文章を早く消そうとの思いに駆られるのではないだろうか。

エピソードをひとつ語ると,私は,脚本家であり作家であられた故林秀彦氏と文通をさせていただいたことがある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%97%E7%A7%80%E5%BD%A6

http://kogchan.asablo.jp/blog/2011/12/18/6249140

林秀彦氏は常に何かと闘っていらした。

そしてその思いを歯に衣着せぬ辛辣で過激な著書にして出版されていた。

だが,当のご本人は決して意地悪でもなければ冷たい人物でもなく,むしろその真逆の熱い心を秘めた人情家であられ,人一倍傷つきやすくデリケートで,どこまでもナイーブな人物であられた。もっと言えば女性に大変よくおモテになる人物でもいらした。

林秀彦氏は誠実で生真面目な方でいらしただけに,日本を憂い,若者を憂い,「どうしてこんなこともわからないんだ!」と文机を叩き,深酒をされては,嘆きとともに眠りに落ち,目覚めてはまた,「ああ!今日こそ,どうにかして,このことをあの野郎どもにわからせてやらなければ!」との切実な思いから,呻吟していらしたようであった。

林秀彦氏は,わかりきったことすらわかっていない者,つまり自明性を失った者たちに対する迫力ある澄み切った怒りで漲った作家であられたように思う。

オーストラリアに移住された時,ご自宅を訪問してきた肩書の立派な女性が長居をして奥様の手料理を楽しみ,帰国しても御礼状ひとつ届かなかった不作法に対してであっても,同氏の筆に容赦はなかった。

「食うだけは豚のように食ったが」との威力ある一行に,度肝を抜かれた。

自明性を失った者たち,それは,行うべき当然の義務を果たそうとせず,けじめをつけず,きちんと生きることのできない,いい加減で,だらしのない者たちである。

その姿は,借りたお金を返さずにいられる者たちと,まったく同じである。

するべきこと,言うべきことをどこまでも引き延ばして時が流れるのをじっと待ち,無視したまま逃げ切ってしまうような卑怯者,つまり,行くべき義務のある場所に行かず,言うべき義務のある言葉を伝えず,守るべき約束を果たさずに平気でいられるような図図しい者たちが多数存在することはこの世の常である。

そして,そうした者たちに上手にしてやられる一方で,晴れることなき曇り空の心を抱えている者たちが多数存在することもまた,この世の常であろう。

謝罪や御礼の言葉が素直に言えない者たちは,謝罪すべき相手,感謝の言葉を伝えるべき相手に対して,何らかの名状し難い私怨なり負い目があり,あの男にだけは頭を下げたくない,あの女にだけはありがとうと言いたくないという悔しさというある種の嫉妬心を抱いているのではないだろうか?

だからこそ,あっさりと謝罪し,素直に感謝の気持ちを伝えて,状況を好転させ,前に進めることを阻むのだろう。

なぜなら,相手に対する根深い私怨がなければ,すぐにでも謝罪して早期解決を望み,お世話になりました,ありがとう,と伝えて,相手の批判や指摘から解き放たれ,一刻も早くお互いに負の感情から自由になりたいと思うのが通常人の感覚であり,一般的な人間関係だと思うからだ。

必要な謝罪や感謝が伝えられない者の側にこそ,根深い私怨があるというのが私の見解である。

私怨や負い目などがあるからこそ,最後の最期まで相手を無視し,必要な謝罪や感謝の言葉への抵抗という無言の攻撃を与え続けるのである。

特定の誰のことでもなく一般論として,例えば,配偶者の女性が,配偶者の男性からのDVに我慢ができなくなり,離婚の意思を明確に伝えて,一日も早い別離を求めているにもかかわらず,けじめをつけようとせず,いたずらに時間を稼いで,早期円満解決を望まずに,ぐずぐずと離婚を引き延ばし続けているとすれば,それは嫌がらせ以外の何ものでもない。

離婚を求めている配偶者への未練が断ちきれず,執着心という名の身勝手な愛情がない交ぜになった私怨が怒涛の如く渦巻いて,「離婚に応じてなどやるものか」との自我から,相手の愛情はとっくに覚めていることに気づかない振りをして自分をだまし,現実を受け入れたくないとの自己愛が先に立って,蛇の生殺しのように,何年も離婚届に判を押さず,離婚に抵抗し続けて嫌がらせをしているヤカラと同じである。

このように考えると,事と次第にも依るが,迅速なアクションを取ることが相手に対しての誠意であり,トラブルにおける好ましい態度と言えるだろう。

何でも自分の頭で考えて素早く決断して,自己責任を果たすことが出来て,機を見るに敏であり,臨機応変に対処できるような,凛とした決断力のある人物がトラブルの相手であったとすれば,幸運である。感情がこびりつくこともなく,争いが長期化することも少ないと思われるからである。もっとも,そのような人物は滅多にトラブルを発生させないが。

人間である以上誰しもミスがあり,己の弱さから過ちを犯すこともあれば,自覚なしに他人を傷つけることや,気づきもせずに勘違いをしていることもあれば,誤って覚えていることもあるから,トラブルの発生は避けられない。

歳を重ねれば,真面目な私だって,きっと,遅刻や失念も発生させるのだろう。

だから,「お互い様」として,宥恕すべきは宥恕することが肝要であろう。

だが,心ならずも,不作法,非礼,非道などを発生させて,相手からそれを指摘された場合には,気持ち良くお詫びを述べられるようでいたい。

指摘した相手にしても,一日も早く相手を許す機会が与えられ,速やかに双方が心の着地点を見出して前に進めるよう望んでいることに間違いはなく,それ以上の怒りや争いへと悪く変化させるものがあるとすれば,それは,正当な批判や指摘を無視したまま解決に尽力しようとしない何らかの負い目や私怨が原因であろうというのが私の見解である。



四捨五入すれば私も60代。

中学・高校時代のように,コグちゃんをはじめとする周囲の人たちを笑わせることを楽しみに,老後の人生を過ごせるような,そんな婆さんになっていきたい。

私はそう願っている。

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