誰もが好きなおやつ……それを食べ過ぎた後に失う物はとてつもなく大きい。
実はテレビが好きだ。
パッと点けた時に流れていた画面が、その時の自分に少なからず影響を与えることもあり、テレビ占いのように感じられる時がある。
先日は往年の美人女優、星百合子さんの主演されていたドラマ「緑川警部VS“殺人トランプ”」の再放送が画面に映し出された。
「お母さんはお金としか暮らせない人」との厳しい非難の声とともに、星百合子さんの子供たちが、星さん演じるところの資産家と思しきやり手の人物から、次々と立ち去って行くシーンに変わった。
車椅子に座った星さんは、多くの富を抱えながらも、空疎で貧相な役どころを演じていらした。
今日も作業の手を休めてリモコンを握りパッとテレビを点けてみた。
すると、今日は往年の歌手、橋幸夫さんが何とコメンテイターとしてワイドショーに出演していて意見を求められていたのだった。
フリップには、松居一代さんがお金に執着心が強いという話題が提示されていて、橋幸夫さんは、松居さんはお金にこだわり過ぎたから、船越さんが逃げちゃったのではないでしょうか、お金、お金では、男は嫌になりますよ、といった趣旨の発言をされていたようだった。
これはかなり前の話になる。
主人と私は、就業時間が終わるのを待ちかねて、IBM本社からほど近い溜池のケーキ店に、当時アルバイトをしていた若い女性たち3名を伴って、美味しいスイーツを求めて行った。
好物のチョコレートパイを堪能しながら得意の馬鹿話トークを炸裂させて女性たちを笑わせていると、ひとりの女性が手をあげてコーヒーをお代わりした。
ああ、コーヒーのお代わり、無料なのねと気づいた。
それからもその女性は、さほど長居をした訳でもないのに、5~6杯どころではないお代わり注文を、こまめに繰り返したのだった。
帰り道で、いくらタダだからって、ちょっと……いただけないよね。と主人が軽くつぶやいた。
お代わりの手を挙げ続ける女性が、いささか不快に映っていたようだった。
桜の花の枝を無料配布する仕事に回った人が、「ひとり1本だけですよ」と注意されても聞かず、1回もらった桜の枝をどこかに置いて再度並ぶ者、もっといい枝に代えようとする者などを見ていて、「こういうあさましい連中にだけはなるまいと思った」と強く憤りを伝える記事を読んだことがある。
また、他者の家に招かれ、今が旬の貴重な食べ物を提供されて、「1回〇個までにしてください。でないと、お腹をこわします」と言われても聞かずに、食べたいだけ食べた者の記事もあった。
これは何も本当に食べている人のお腹具合を気にして与えた注意ではないと思われ、もしかすると、そのご家庭やご家族にも少し取っておかれたい、残しておきたいお気持ちもあり、残しておいて欲しくて「お腹をこわしますよ」と注意を呼びかけたのかも、釘を刺したのかも知れない。
或いは、いくら美味しいからといって、〇個以上も頬張ってはレディとしての慎みに欠けますよ、と婉曲にやんわりと伝える大人のメッセージだったのかも知れない。
自分の姿にはなかなか気がつかないものだが、桜の花も食べ物も、無料で提供されているからこそ、配布者からの注意や、提供してくださっている家主さんからの注意には素直に応じて、感謝とともにありがたくいただきたいものである。
閑話休題。冒頭の松居一代さんの話題に戻ろう。
一連の離婚騒動についての報道で、私の目に留まった出来事があった。
それは、2010年2月にお妹さんを、7月にお母上様を、船越英一郎さんが、次々と亡くされたという、無常の風が吹きすさぶが如く酷な出来事であった。
船越さんは、一時、顔面神経痛を患ってしまわれたとの報道もあった。
ウィキペディアには、同年4月、妻である松居さんは、「愛媛女子短期大学健康スポーツ学科特任教授に就任。「マツイ棒」の作り方や夫の操作術、ピンチ脱出法などを「ライフスタイル研究1」講義で伝授する。」と公表されている。
教授に就任したばかりで浮き足立ち、ビジネスに頭と神経を集中させるあまり、船越さんのご心情に寄り添って過ごす時間がどうしても少なくなってしまわれたのではないだろうか。
本来は、お掃除が大好きな、明るく賢い奥さん、しかも悪態をつきながらも根本は、船越さんのことが大好きだからこそ過度の焼きもちを焼いていると伝わって来るだけに、おおらかで、聞き上手な、やさしいご主人と何とかもう一度やり直せないものかと、他人事ながら思えてならない。
又、これも昔パッと点けたテレビだったが、渡辺篤史さんが聞き手となって、素敵なお宅を訪問して回わり、間取りなどを見せていただくという番組「渡辺篤史の建もの探訪」の中で、お料理上手な奥様が開く料理教室用のとても広くて使いやすそうな快適なキッチンと大きなテーブルが置かれた部屋が眼下に見渡せる小部屋の中からの映像が映し出されていたことがあった。
小部屋には小さなガス台が置いてあり、メガネをかけた若いご主人は、料理教室の間はそこでカップラーメンなどを食べて過ごすと言っていた。
毎日のことではないにしろ、こうした光景を見るにつけ、どこぞの女性議員ではないが、「違うだろー」と私の心が小さく叫ぶ。
一体何が大切なのだろう。
大切なものはお金だと言い切る人もいる。
だから、お金という誰もが好きなおやつを差し出されると、主人の好きな時代劇でもなく、私の好きな西部劇でもない、今の御時世、おやつを持っていない人物などくるりと背を向けて寝返られ、考えるいとまもなく、いくつでもおやつを差し出してくれる相手方へと躊躇なくつき進んでゆくことを、私は知らされた。
だが、調子に乗ってこのおやつを食べ過ぎた者を待っているのは、使い古された台詞だが、金言どおり「お金では買えないもの」を失った時の空しさであろう。
お腹はいっぱいで、満たされている筈なのに、心は乾き、愛に飢えている自分の痛みを知った時、はじめて愛を、情を、そして何よりも大切な、人々の心を置き去りにして金と欲に走ってきた自分をいやという程知り、後悔の念に苛まれるのではないか。
私はそう思っている。
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