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2017年6月30日 (金)

人格も容姿も生き方も、総てが美しかった小林真央さん、どうか安らかにお眠りください-豊田真由子議員の暴言は、心を殺す殺心罪!・度を超した野心家の女性は凶暴である-

先週は対照的な30歳代の女性2人の、驚くべき出来事が報道された。

 

ご立派なのは学歴と肩書だけとしか思えない、美から遠くかけ離れた豊田真由子議員のどす黒くも腹黒い暴言事件。

 


そして、そっと散った白い薔薇の花びらのような、小林真央さんの急逝である。

 

このところ名優の方々や才能ある美女が次々に身罷られて落胆させられる。

 


小林真央さんは、若く美しく才能もありながら、自惚れていい気になっているところもなく、調子づいているような浮ついたところもなく、嫌味な発言も全くなく、自然体で誠実な印象を持った。

 


誰もが憧れるニュースキャスターの職に就き、「ニュースZERO」という高視聴率のサブキャスターを任されるようになってもなお背伸びをせず、良くできた可愛らしい、どこか古風なお嬢さんの枠を超えず、悪い噂も聞かず、どこまでも健全かつ純真であり続けた。

 


そのうちに、何と、平成の色男などと呼ばれるあの市川海老蔵氏から求婚されて妻となり、潔く仕事を止めて裏方に回わることを決意し、海老蔵氏を支えるようになった。

 


真央さんの清潔な美貌が単独で視られる回数はほとんど消え、歌舞伎座に青い色無地の和服で向かわれる姿や、海老蔵氏暴行事件における謝罪の姿など、海老蔵氏と伴に生きている姿しか視られないようになった。

 


でも、みんな、実はもっと真央さんの、あの笑顔、作り声ではない自然な声、大きな瞳、長い髪、心がそのまま映し出されたような悪気の微塵もない態度、常に自然体だった姿、

 


そして、巧まざる完璧な可愛らしさと、何よりもその根源になっている澄み切った心の清らかさに触れて、笑顔になり、ずっと活躍を応援していたかったのだろう。

 


そんなみんなに対して、時にあまりにも意地悪で、どこまでも残酷な神様は、こんな形で、真央さんが最後の最期まで可愛らしく、そして勇敢であり強くもあった姿を、応援し、たくさん見る機会を与えられたということだ。

 


闘病中の真央さんを応援せず、真央さんの急逝を悼まない者はいないだろう。

 


これは、日本全国が心をひとつにしたということであり、小林真央さんが、容姿も、人格も、生き様も総て美しかった証であろう。

 

 

真央さんはごく自然に注目され、目立つべくして目立ち、有名になるべくして有名になり、自ずと脚光を浴び、歌舞伎の大スターまでが惹きつけられ、日本国民のほとんど全員から惜しまれつつ亡くなったのである。

 


真央ちゃん、いつも主人とそう話していたから、そう書かせていただきます。

 


これからもずっと忘れません。美しい真央ちゃんのこと。

 


ゆっくりとお休みになってください。

 



さて…真央ちゃんに比べて、豊田真由子議員といったらどうだ。

 


豊田真由子議員の同級生は、下記のように語っている。

 


何か自分が目立ちたい、有名になりたい、カッコよくいたい思いが強い人

 


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170627-00010009-jprime-soci&p=3

 


そうだ。

 

 

暴言を吐く者は、目立ちたい、上に立ちたい、長が欲しい、先生と呼ばれたいという欲望と野心の強過ぎる者が多い。

 


支配力、名誉欲の強さで他を圧倒しているという事実があり、真実である。

 


2010年1月17日、中止を求めても暴言を繰り返して止めないという被害を受けた経験が私にはある。

 


「体にも悪いし」「それはもうよくわかったから」と懇願して暴言の中止を求め、「きれいにお別れしましょう」と低姿勢で呼びかけ、和解したうえでの決別を伝えても聞き入れず、「よく何回も言えるね」と私が呆れてもなお、「言えるよ、何回だって!」、「何回でも言うよ」と嫌がらせの暴言を吐き続けたのだ。

 


豊田真由子議員ほどの学歴も地位もないが、この暴言同級生も、目立とう精神だけは桁外れに旺盛で、とにかく偉そうであった。

 


中学になると、誰から推されたわけでもないのに、早速、生徒会の役員に立候補した。

 


何で〇〇〇が出るの?と思うほど同級生から人気はなく、友人もいなかったから、案の定、他のクラスから推されて出馬した同級生が当選し、暴言同級生は大差をつけられて落選した。

 


暴言同級生の父親が、とある学校の教員をしていたせいか、とりわけその学校に関して暴言同級生は偉そうで、より高圧的・好戦的な態度を示し、その学校の文化祭に出かけたおとなしい同級生と、当時私が入っていた手芸料理部の後輩にあたる口下手な下級生をロフトのような作りの角部屋だった中学3Dクラスの教室前の廊下に呼び出して謝らせ、大泣きさせるという信じ難い出来事を発生させたこともある。

 


そんな暴言同級生は、中学の生徒会選挙に落選したとはいえ、中高一貫校という特性から、大々的な選挙活動によって名前が売れていた。

 


つまり、実情については知られていないが、知名度だけはあったというわけだ。

 


そこで、高校において、再度懲りずに生徒会役員に立候補し、既に〇〇がその役員に名乗りを上げて立候補していたにもかかわらず、成績優秀で難のない〇〇ちゃんを担ぎ出して対抗させることによって自分の売り込みに利用したのかどうかは判然としないが、「〇〇ちゃんと〇〇〇をよろしく!」とセット販売の形で名前を連呼しながら上級生のクラスを回って来たと後に親しい先輩から伝えられて驚いたこともあった。

 


その結果、同級生からの人気はなかったものの、下級生や上級生からの票を得て、ようやく長年の夢と希望と憧れであった生徒会役員の座を暴言同級生は3年越しで叶えたのであった。

 


目立とう精神はクラス別の合唱祭においても遺憾なく発揮された。

 


暴言同級生は、当然別クラスの指揮者にも名乗りを上げたという。

 


クールな生徒の多かった別クラスでは、指揮者をやりたがる者は誰もいなかったそうだ。

 


暴言同級生はすんなりと指揮者になれた。そこまでは思い通りだっただろう。

 


だが、ここでもあまりにも意地悪で、どこまでも残酷な神様は、暴言同級生への思いもよらないしっぺ返しを、こともあろうに晴れ舞台の当日与えられたのであった。

 


講堂に置かれた台に上がった暴言同級生は、客席に尻を向け、癖のあるくねくねとした前屈姿勢で手を上げ始めた。

 


すると、その度に、黒く長いスカートの中から、少女らしい可愛らしい花柄やリボンのパ〇〇ではなく、何とも古めかしい、大正生まれであった私の亡母でも履いていないような、長い、ズロースとでも呼べばしっくりするような下穿き(したばき)が、客席に座っていた他のクラスの同級生全員に丸見えになってしまったのだ。

 


「愛のわざ」という合唱曲を観賞するどころか、前世期の遺物といえる何とも言えない代物を観賞させられる羽目となり、客席からは小さな笑い声すら漏れ出す始末で、一度きりの晴れの舞台は、敵ながら思い出すのも気の毒な赤恥の結果に終わったのだった。

 


何につけ、上に立ちたい、目立ちたい、長が欲しいという、支配力の強い暴言同級生は、自分のことを『先生』と呼び、ブログにも自ら『先生』と記載して公開するようになり、最後の電話での通話中に、私が「普通に話せない?」と伝え「落ち着いて」と呼びかけた時も、「昔から『先生』落ち着いてるよ」と語り呆れ果てたものであった。

 


暴言を吐く者の特性として、相手を自分より「格下」と見下して、軽んじていることが挙げられる。

 


だからこそ、この豊田真由子様に向かって、先生と呼ばれるこの私に向かってといった根拠不在のまま、自分の方が上に立っている、自分の方が学歴がいい、自分は議員で先生と呼ばれている、社会的身分が上いう差別意識を全面に押し出して、相手を威圧するのである。

 


相手を格下と見下している者は、相手の意見や立場に耳を傾けよう、相手の言い分も理解し尊重したうえで、和解して気持ち良く袂を分かとうといったスポーツマンシップに近い喧嘩の治め方を知らず、落としどころを計りながらの知的な冷静さを宿した会話を交わそうとせず、平和的解決を目指す心のゆとりもない。

 


単細胞で暴力的に一方的な感情論をぶつけるだけである。

 


暴言を受けた際、もはやこれまでと、電話で縁を切った。

 


ところが、暴言同級生は、縁を切ってもなお私宛に手紙を出し続けたのであった。

 


2010年1月27日に1通。

 


2010年2月 6日に1通。

 


身体に悪いので開封せず、そのまま縁を切った暴言同級生宛に差し戻した。

 


すると、


2010年3月19日には、さらに2通の手紙が届いたのだった。

 


2010年3月19日に届いた2通のうち1通には、封筒の裏に、手紙を受け取れと義務なきことを強要する文言が、暴言同級生の直筆で記載されていた。

 


中学時代から見慣れたこの文字は、私にとって特に恐ろしいものであった。

 


かつてどこの誰からも受けたこともなく、男性からであっても、パワハラ上司からも聞いたことのない、アクの強いドスのきいた声による暴言による通話時の苦痛だけでも想像以上に強く、7年以上が経過した今でも夢にうなされる程の衝撃が残っている。

 


きわめて悪質と感じられる行為は、電話で確実に縁を切る約束を交わしたにもかかわらず、暴言同級生が、その約束を守らず、1月から3月まで4通の不必要な手紙を送り続けて来て、手紙の受取りを拒否したにもかかわらず、最後には封筒の裏にまで受取りを強要する文言を記載して見せたことである。

 


電話で確実に縁を切ったにもかかわらず、さらなる嫌がらせとして4通の手紙まで送りつけられたことで私は体調を崩し、食欲も失くなり、食事が徐々に喉を通らなくなっていった。

 


その結果、2010年8月26日には「虚血性腸炎」で10日間の入院をすることになった。

 


当時の激しい腹痛と下血は、とりもなおさず心が殺された証であり、暴言によって心身が受けた傷の深さをあらわしている。

 


暴言は、確実に、人の心を殺す。

 


暴言は、いつまでもトラウマとなって心に残る、殺人罪ならぬ殺心罪(さつしんざい)である。

 


格下と見る相手に対して弱者の心をブルドーザーで弾き殺すような暴言を吐いて平気でいられる女性は、おしなべて『嚢中の錐』と呼ばれる存在ではない。

 


人気がなく、目立ちたくても目立たず、推されて自然とその立場や地位に就いた訳でもなく、上に立ちたい、長がほしい、先生と呼ばれたいという邪悪な野心ばかりが大きく空回りしひとり歩きをして膨れ上がった結果、何とか先生と呼ばれたとしても、実力、人間性、一般常識が伴っていない。

 


だから、内面の自信の無さ、余裕の無さによって、暴言を吐くのである。

 


偉そうな女性から許せない暴言を吐かれて、心身に深手を負わされたら、迷わず傷害罪で訴えることだ。

 



傷害罪の時効は10年。

 


それにしても、今回「週刊新潮」に元秘書であった男性が暴言による被害を通報するまでには、100人もの秘書が同様の被害を受けて辞めて行っていたというのであるから信じ難い。

 


豊田真由子議員の悪性を知りつつ野放しにして容認し、いい気にさせ続けてきた100人の秘書たちにも、多大な責任があるのではないか。

 

私はそう思っている。

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