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2017年4月 9日 (日)

☆春の訴訟祭り第八弾!☆-「陳述書(15)・「私の父を『偲ぶ会』でのいきさつが真実であること等」の公開-

本日は、平成28年2月22日に提出した「陳述書(15)」を公開いたします。


なお、プライバシーに配慮して、一部伏せ字にしてあります。

*****

 

陳 述 書(15)

平成28年2月22日


東京地方裁判所民事第49部合C係 御 中

 


被告本人  天野ベラ

 


.「すごかった」直美氏の言動(乙3の5)


  
私が実際に見聞きし体験した直美氏の言動ひいては生き様について陳述していく前に,まず2006年9月20日に直美氏が記載して一般に公開されたフジサンケイビジネスアイの直美氏のブログ「Shall We Afresh?」における「元いた場所に立ってごらんよ!」と題する記事(乙3の5)について述べます。


 これは,直美氏が大学生だった当時,パンナム機内専用の備品として配布された毛布を持ち帰った時のことについて述べられ公開されたものです。



 「
何年か前の『同窓会』で自分では全く忘れ去っていたことを仲間の一人から聞きました。秦ちゃん(私の旧姓)ってすごかったよね。パンナムの機内で配られた毛布をやたら気に入って,欲しくて欲しくてスチュワードに食い下がったよね。『私,この毛布がすごく好きなんです。だって,柔らかくて素敵な色で…..(等々,様々な理由を述べたらしいのです)。どうか1枚私にください。』とか言ってさ。最初は『この毛布は売り物ではありません。』と頑として突っぱねていたスチュワードが,結局は秦ちゃんの熱意に負けて『しょうがない,いいでしょう。1つお持ちなさい。』って言ってくれたよね。」私はいったいその毛布をかかえて常夏の南の島々を旅してまわったというのでしょうか。そこらへんの記憶が全く薄れているのですが,どうも門外不出,いえ機外不出の毛布を分捕ってしまったことは本当のようです。」(乙3の5)



 この記事
は,乗客に一時的に貸与されたパンナム機内の毛布を,欲しくて欲しくてたまらなかった直美氏が,首尾よく持ち帰るまでの流れが述べられています。その時の言動について直美氏は「全く忘れ去っていたこと」「そこらへんの記憶が全く薄れているのですが」と述べています。このパンナム機内専用毛布の場合,直美氏が手に入れるまでの一部始終を実際に近くで見ていて,直美氏に「すごかったよね」と確認した方は,直美氏にとって好ましい友人の男性でした。だからこそ直美氏は「どうも門外不出,いえ機外不出の毛布を分捕ってしまったことは本当のようです」と認めています。



 ところが,同じ話をもし私がしたとすれば,一体どうなることでしょう。「事実無根です」「お金があったのですから毛布くらいいくらでも買えます」「架空のお話です」「妄想です」等と否認されているに違いありません。仮に直美氏が毛布を手にして持ち帰った写真を探し出して来て,動かぬ証拠として裁判所に提出したとしましょう。それでも直美氏は「私が拒んでも押し付けてくるのです」「内心では困惑しながら毛布をいただいていたことを気づいていらっしゃらないようでした」「そもそも,他の乗客の方々が回りにたくさんいらっしゃる飛行機の中で,どうして私だけが『どうか1枚私にください』などと一体どうすれば言えるものでしょうか」と述べ,「趣味でもない,材質の悪い,機内用の毛布を,原告が分捕ることなどありえない」「真実性は認められない」と弘中絵里弁護士ともども居直られて,頑として譲らず,私が「ウソつき」にされてしまうことでしょう。



 しかしながら,「すごかったよね」と後々まで語り継がれ思わず目を瞠るような,常人であれば決して実行できない「すごかった」としか言いようのない言動を直接近くにいて見聞きし,実際に体験した者は,多大な衝撃を与えられます。その結果,驚きとともに網膜に強く焼き付いて離れず,脳にも心にも深く刻まれて記憶に留まり,薄れたり忘れることなどありません。正確に言えば,薄めよう,忘れてしまいたいと思っても決して忘れられるものではないということであり,直美氏の言動は,そのどれもが,直美氏より10歳近く年少の当時独身であった私にとって,あの時は「すごかったよね」と,後々まで念を押したくなるような凄まじい発言や,驚くべき行動であったことを,まず第一に申し上げておきます。

 

.直美氏の長女がファンの男性を名誉毀損罪とストーカー規制法違反で通報し,逮捕・起訴された事件について(乙112の9・資料第408号)



 2009年7月10日
,直美氏の長女であり私の親族でもある池澤春菜氏(以下,春菜氏と書きます)がファンの男性を訴え,当該男性が名誉毀損の罪とストーカー規制法違反で警視庁町田警察署に逮捕され,同30日に起訴された事件(乙112の9・資料第408号)がありました。



 ネットによれば,当該男性は春菜氏のことを「気分で物事を言うほら吹き」,「春菜はうそつきで世間知らずなところがある。俺の気を引くためにそういう所を見せたがる」,「春菜の嘘つき癖は病的。俺宛に手紙を出しているのに出してないと言い張る」(乙112の9・資料第409号)などと投稿していたそうです。直美氏の長女である春菜氏が当該男性を名誉毀損で刑事告訴し,直美氏の次女である渡邉摩耶氏(以下,摩耶氏と書きます)は摩耶氏専用の匿名掲示板を設置され,そこに批判を投稿した人たちの開示請求をして名誉毀損で民事提訴しました。母親である直美氏は,平成18年から東京の拙宅近隣住民らを当時直美氏が勤務していた神聖な学びの場であり社会人講座の開催場所である学校法人恵泉女学園「恵泉銀座センター」に集めては警視庁やら××警察に足を運んで私たち夫婦を告発し,平成24年2月には私たち夫婦を成城署に告発し,さらに平成25年4月には私たち夫婦を名誉毀損で本件民事訴訟を提起しました。



 このようにして,直美氏母子3名は,いかなる批判であろうと過剰な拒否反応を示し,直ちに「攻撃の開始」(訴状25頁)「誹謗中傷」ととらえるだけで,相手と話し合おうとするどころか,批判された相手には倍以上の仕返しをして,逮捕をさせるか金銭面で償わせるかをしなければ気持ちが済まないようです。ですが,直美氏と娘らは,自分たちについて書かれている言論の内容と,一度でも真摯に向き合い,立ち止まって深く考えてみたことがあるのでしょうか。春菜氏のファンになり後に犯人となった男性が春菜氏について「気分で物事を言うほら吹き」「うそつき」「嘘つき癖は病的」などと何の根拠もなく書きこんだところで,一体何になるでしょう。好意を持ってファンになったからこそ「ほら」を吹くのを止めてほしい,「うそ」をつかないでほしい,「嘘をつく悪癖が病的になっている」と感じたから何とかして止めさせたい,そう感じる気持ちが混入していないとは言い切れないのではないでしょうか。さらに,当該男性が春菜氏について表現した「気分で物事を言うほら吹き」「うそつき」「嘘つき癖は病的」との言論は,私が直美氏に対して抱いている思いとまったく同じであるということです。



 実際の直美氏の言動や社会的活動など直美氏の生き様について述べるにあたり,「ホラ吹き」「ウソつき」「×××」等などこれらに類する表現を使用しないことには,適切な表現は他に見つかりません。直美氏は,その時々の気分やその場その場で置かれている状況や立場に応じて,何年も経過してから都合の良い虚偽の事実を話しては伝え,書いては一般に公開し,陳述書の形にして裁判所に提出までしています。こうした直美氏の生き様を実際に見聞きした者や身近で接した者たちが「よくこんなことが書けるものだ」と感じ,「これは酷い」と義憤に駆られて,「ホラ吹き」「ウソつき」「×××」等と批判したとしても,それは当然の成り行きであり,特に直美氏自らが一般に向けて公開した先行する2件のブログ記事,直美氏自身のプロフィール,直美氏の通名と顔写真が表示されて広告され宣伝された商品,直美氏が代表となって開催した社会的活動についての批判は甘受し反省し謝罪しなければなりません。ところが最近の直美氏は,単なる「ウソつき」にとどまらず,直美氏とその娘らにとって都合の悪い言論が存在すると知れば,批判された内容についてはさておき,手紙であれ,電子メールであれ,コメントであれ,直ちに過剰な拒否反応を示し「攻撃の開始」「誹謗中傷」と受けとめて,無視したまま,真実を書いた者や批判した者を激しく逆恨みするだけで,話し合いもせず,弁護士を雇い入れておいて,いきなり不意討ちで訴訟を提起させ,恫喝させて,多額の金銭を請求させることによって,真実を無きものとし,批判の言論を委縮させようとします。そして,今後二度と直美氏とその関係者に対する真実と批判を一切書かせないようにさせて遠ざけようとまでする論外の行為に走る「邪悪さ」をも備えるようになりました。



   2006年10月,私は一般に公開されていた有限会社ユニクックにおける「ボン・サンス」の「池澤ショーエンバウム直美のインターナショナル・セレブレッスン講座」(乙2の3)を閲読しました。そして直美氏のプロフィールに「ウソ」が書かれて公開されていたから「削除」を要求しました。「カウンターのすすめ」(乙3の1)における「皿洗い」との職種はもとより「ほんの短い期間」,「週に一度」,上司や同僚とのまことしやかな会話の内容など「ウソ」が書かれて公開されていました。また直美氏の祖母について「横須賀で運送会社を立ち上げた女社長」と一般に公開している記事「徳を積むということ」(乙112の3・資料第287号)には,直美氏の祖母が「運送会社を立ち上げていた」「○○組」「太った常務さんに全部取られちゃった」などと記載していますが,これも,直美氏が亡母と私に対して,ホテルニューオータニの薄暗いバー「カプリ」において語った内容とはまったく異なる「ウソ」の内容を記載して一般に公開したものです。



  一般に公開された「インターナショナル・セレブレッスン講座」「カウンターのすすめ」「徳を積むということ」はほんの一例です。直美氏は,私生活について,拙宅を訪問された時,亡母と私を外に呼び出して外食をした時,「琥珀」でアルバイトをしていた時,直美氏と私,もしくは直美氏と私たち母娘がどのような情景の中で,いかなる会話をしたかについて具体的に述べたことがおありでしょうか。直美氏は,私が,ブログ,電子メール,準備書面,陳述書に書いた直美氏との出来事において,そこで交わした会話や直美氏の言動について,そのほとんど総てを証拠もなく否認し,ある時は内心では困惑していたなどと,何年も経過してから,弁護士と相談を重ねた後に陳述しています。



 しかしながら,ご一緒に出かけて同じ場所で過ごせば,双方に会話が成立していた事実は明らかです。ですから,ここでこんな出来事がありました,私は公子氏とベラ氏にこのように話しましたなどと具体的に述べることが可能であると思います。過去に直美氏とお会いしてきた場所であるニューオータニのバー「カプリ」や成城学園大学のミスコンテスト等,私が提出してきた場所については否認せず,その場所において直美氏自身が実際に話された内容やその場所で実行された直美氏自身の行動については総て事実無根であり私の捏造だとおっしゃるのであれば,亡母や私とお会いした時の会話やその場の情景を直美氏から具体的に述べていただきたいと思います。



 さらに,陳述書(甲49,甲63)に直美氏自身が述べている直美氏の姿は,裁判所向けに優等生の神妙かつ沈鬱な内容で構成されていますが,実際の直美氏は,直美氏自身の2件のブログ,直美氏の娘である春菜氏と摩耶氏がブログやツイッターから暴露した記事,特に「実体験から」と題した「天野ベラのホームページ」の記事(甲12の1乃至18)において顕著であり,そこに描かれた直美氏の姿こそ素の直美氏であり真実の直美氏です。



 これからも直美氏は上手に「ホラ」を吹き,「ウソ」をつき,「××××××」の記録を更新させ続けるのでしょう。しかしながら「ウソ」の言論や不適切な内容の言論を一般公開し続ける限り,私のように直美氏の「真実」を知る者,私の主人のように直美氏のブログ,TV番組での紹介,雑誌,社会的活動における「ウソ」「不正」「不適切な寄付金の管理」「杜撰な調理法」「癒着」「公約違反」等を許さず,「危険運転」や「奇行」「愚行」など非常識なことを止めさせたいと考える厳しい者から「批判」され,「訂正」や「削除」時には「反省」や「謝罪」を求められることは当然の成り行きであると思います。世の中は,直美氏から上手におだてられて思い通りに動く老人や「結局一番楽をしているのは私」(乙99の25)と称して憚らない直美氏の振る指揮棒どおりに歌っては踊らされる友人ばかりではないからです。



 そして「批判」の言論のみならず,直美氏自身から取沙汰された私の亡母の遺言(乙43乃至44)についての私からの質問や,直美氏自身がブログに記載して一般に公開したアメリカの友人からの寄付金(乙94の1乃至2)についての主人からの質問等については,当然直美氏の自己責任であり,ご自分で考えて答えねばならないことです



 ところが,直美氏は,「法律事務所ヒロナカ」を経由して,弘中絵里弁護士らに「不意討ち訴訟」を提起させ,準備書面(1)や陳述書(甲72),別紙データでの反論を利用して回答しています。批判であれ,質問であれ,直美氏にとって都合の悪い言論,回答に窮する言論に遭遇すれば,何でも弁護士を利用し,訴訟を提起させて,証拠もなく,恫喝と断言の2本立ての暴力的な言語によって,強引に口を封じさせて黙らせようとするのです。このやり方は不当極まりないものです。直美氏が「ホラ」「ウソ」「××」(含む虚栄)「無責任」を慎まない限り,最後の最期まで永久に悪循環が続くことを予告しておきます。

 

3.私の父を「偲ぶ会」でのいきさつが真実であること



 私の記憶が正しいことについては「本人が忘れているぐらいの些細なことまでしっかりと留めておける記憶力」(甲49・18頁12乃至13行目)と述べられて,対立する当事者である直美氏自身によって立証されています。一方の直美氏は「お世辞にも論理的とは言えない私」(乙104の170)と自ら述べており,
記憶で蘇らせることのできる情報はたぶん1%もないかもしれないのですから。(乙99の5)と自認している事実を忘れないでください。

亡父を偲ぶ会でのいきさつは,繰り返し,一貫して,直美氏本人にも,裁判所にも述べ続けて来たとおりです。直美氏から拙宅に電話があり,偲ぶ会とはどういう形式でするのかとの問い合わせがあった事実,「私が話をしてあげましょうか」と直美氏からもちかけられた事実,「当日は必ず参加します」と伝えられ電話が切られた事実があります。その後,偲ぶ会が開催されるまでの間,拙宅(東京の家である「アマノビル」の現住所)に背の低いバスケットに入った白い花が直美氏から届きました。黒いマジックで「直美」と手書きで書かれた横書きのメッセージカードが透明のカードピックで留められていました。供花は,亡父の友人知人だけでなく亡母と私の友人知人など直美氏以外の全員の方が,偲ぶ会の会場に直接お送りくださっていましたが,直美氏だけは拙宅に届いたのでよく覚えています。また,「当日は必ず参加します」と宣言した直美氏のために,私はその供花を当日会場に運んで飾らなければならなかったからです。


 偲ぶ会の当日はタクシーを拾って拙宅前の私道まで乗り入れ,そこで亡母と愛犬を乗せてからペットホテルにうかがいました。そちらに愛犬コロちゃんをお預かりいただいてから,偲ぶ会の会場へと向かいました。亡母は私がタクシーに乗り込んで直美氏の白い花を膝の上に置いたのを見ると,「あら,コロちゃん置き忘れたのかと思ったわ」と言ったので二人で微笑みました。会場に入ると既に多くの花輪と美しい供花がひしめき合って飾られ並んでいました。最前列には,当時六本木のIBM本社に勤務していた私が頻繁に利用していた「日比谷花壇・全日空ホテル店」から××××氏と縦書きの毛筆で記載された札名の正式なアレンジメントの供花が置いてありました。私は直美氏の供花をその隣に置きました。なお偲ぶ会に読経・焼香はなく,代わりに「献花」としました。(乙112の9・資料第410号)。



 直美氏は「参列している元親戚らに池澤夏樹との離婚の経緯等を尋ねられるのも辛かったため」(訴状24頁)「針のむしろ」(甲63・11頁)などとまことしやかな主張をしていますが,直美氏が「偲ぶ会」への参加を「針のむしろ」と考えていなかった事実は明らかです。なぜなら,まず参列者についてですが,これまで何度も書いてきたように,池澤夏樹と直美氏が離婚に至る前の6年間にも及ぶ長い別居生活が始まった当時から,亡母と私は血縁関係にある池澤夏樹を敵と見做してまで直美氏に同情し直美氏を擁護して直美氏の娘らも含めて物心両面で「出来るだけのことをしてあげましょうね」との亡母の思いを酌んで精一杯支援する側に回ってきたと言い切れます。そのため,それまで親しくしてきた亡母の親族とは疎遠になっていき,亡母は毎年年末に参宮橋で開かれていた母方の親族会にも参加しなくなっていました。ですから,亡父を偲ぶ会について亡母の親族にお知らせすることもなく,井上博夫妻がいらしてくださっただけだったからです。直美氏は2016年1月24日付けの陳述書において初めて「公子さんからご連絡を受けたので公子さんを思って参列はさせていただきましたが」(甲63・11頁)と述べています。ですが,亡母は偲ぶ会の手配やご連絡について私に一任していました。当時私は厳しい会社で秘書をしており手続に慣れてもおりました。しかも直接お声をおかけしてお手伝いをお願いしなかったにもかかわらず,心ある賢明なIBMの親友が私の情況を忖度して拙宅まで駆け付けてくれて,葬儀会場その他について勤務先にFAXを送るなど,関係者へのご連絡を,黙々と手伝ってくれました。



 そもそも,私の亡父を偲ぶ会に参列してくださるとすれば,亡母と血縁関係にあり,生前の父とも親族会で何度か顔を合わせてきた池澤夏樹が参列するのが普通でありながら,直美氏が参列したこと自体,天野一家が直美氏を支援してきた真実を立証しています。池澤夏樹と私は親族でありながら一度も面識を持つこともなく,池澤夏樹と何度も面識のある亡父そして池澤夏樹の親族であり池澤夏樹本人とはもちろんのこと,その実父である福永武彦と従兄妹関係にあり幼少時から親しんできた貴重な歴史がありながら,そんな亡母の訃報すら池澤夏樹に伝えられなかった現実に,直美氏は一度でも思いを馳せてみたことがおありでしょうか。直美氏は,私のブログが原因で,友が離反した,グローバルキッチンの参加者が減って痛手となったなどと訴状や陳述書でことさらに騒ぎ立てて損害賠償請求の材料にしていますが,つくづくくだらないと軽蔑せずにいられません。



 直美氏の境遇に同情し,直美氏の立場を尊重したことによって,亡母が失った人間関係の重みと,直美氏は一度でも比べてみたことがおありでしょうか。



 直美氏は,亡父を偲ぶ会に,私の母方の親族である池澤夏樹の親族がたくさん集まると思っていなかったからこそ「私が話してあげましょうか」ともちかけてきたのでしょう。逆に池澤夏樹の親族が参列していたとしても,直美氏は平気で公子氏の妻としての献身的な長い介護ぶりや,私の仕事と看病の両立が大変だったことなどを上手に盛り込んでお話しをされたと思われます。平成28年1月に直美氏は,「そもそも私はベラさんのお父様のことあまりよく存じ上げませんので,何か話をしろと言われたとしても,お話できることは何もありません」(甲63・11頁)と述べていますが,これは主客転倒の陳述です。平成21年5月の前回の訴訟において「他の弔問予定客らと比べて遥かに原告(私)の亡父と親しい関係にはなかった。にも関わらず『ご挨拶させて』との電話が事前にあったため原告は承諾した」(甲28・前回訴訟「訴状」9頁)と私が記載したとおり,亡父のお見舞いにも訪れず,亡父についてよく知らないにも関わらず,「私が話してあげましょうか」と持ちかけてきたことを指摘したのは私です。拙宅に直美氏からかかって来た電話に出たのが私だったことから,直美氏は「お仕事と看病で大変だったものね」と述べて,私が仕事の傍ら昼休みと終業後に六本木から築地の聖路加国際病院に通って亡父を見舞い続けていたことについて話されるような口ぶりでしたが,実際には亡母について話されたと思います。電話を切る直前に直美氏は「当日は必ず参加します」と明確に述べられて実際にお見えになりました。私が手紙(甲17)で伝え,ブログに記載し,裁判所に提出してきた直美氏との具体的かつ一貫した会話の中で,「針のむしろ」「公子さんからご連絡を受けたので,公子さんを思って参列はさせていただきました」(甲63・11頁・17乃至19行目)との直美氏の姿はどこにもありません。


 さらに私はアラビア石油時代の青山葬儀所における小林中氏の大規模なご葬儀の係に始まり,数多くのご葬儀をお手伝いさせていただきましたが,その際には見たこともなかった「持参せず」との文字が直美氏の参列者カードに書かれているのを葬儀が終わった後で見ました。それでお香典代わりに供花を拙宅に届けてくださったことがわかりました。葬儀には,大人であれば通常1~2万円か最低でも5千円は持参するのが通常です。それが供花であれば3千円程度で送ることが可能です。直美氏には東京の自宅近くに「タカハシさん」という友人のお花屋さんがいらっしゃいますので,サービスもしてくださるでしょう。「お香典をお渡しし」(甲63・11頁)との「ウソ」を直美氏はことさらに陳述していますが,持参された事実はありません。



 会場内を見渡しても,贈られた花輪に表示された貴社名とご尊名からも,亡父のために会場でご弔辞を述べてくださったご来賓のお顔ぶれからも,ご参列客のほとんどが社交家で顔の広かった亡父の友人・知人の方々であり,井上夫妻以外に直美氏の元親族が参列していなかったことを,直美氏は当然気づいていらしたと思われます。ご弔辞を述べていただく予定に入れさせていただいていた亡父の主治医であられた当時聖路加国際病院内科医長でいらした××××医師がご多忙を極められる中をお越しになってくださったそうで,「もしもお見えになられたらぜひお言葉を賜りたい」と司会者と担当者の方に申し渡しておいたことから,お話ししていただくことができました。最後に話していただく予定にしていながら時間の都合で割愛された直美氏には,式次第で弔辞の後に続く献花に先駆けてその他のご来賓の方として「国際基督教大学広報課長 池澤直美様」と司会者から紅一点でご紹介されました。

  直美氏は中央の通路に出て,後方に一礼された後,前に進み出て,一般のご参列客に先駆けて献花をなさっています。直美氏は,
「ご焼香をさせていただき」(甲63・11頁19行目)と陳述していますが,偲ぶ会では「ご焼香」の代わりに「献花」としました。直美氏のお名前のみならず所属先と役職名まで葬儀会場で司会者が紹介したことも直美氏は「事実無根」とおっしゃいますか。


  腹の虫が収まらなかったのでしょうか。その後の直美氏の姿は,夫と父親の死に直面した悲しみ一色で淀んだ私たち母娘のうつろな目を一瞬にして括目させ,「すごかったよね」(乙3の5)と後々まで語り継げるほど激しいものでした。エレベーターの前に立つ亡母と私を凍りつかせた直美氏の最後の顔は私の網膜に焼き付いて離れません。直美氏が立ち去った後,母たちをエレベーターに乗せてから大勢のお客様方を粗餐の整った二階に誘導しつつ階段を上がっていく時,かけがえのない父の死という受け入れ難い,嚥下困難な塊のような大いなる悲しみの中に,何かの小骨が喉に突き刺さって取れない状況にも似た如何ともしがたい不快感までが伴って,果てしなく私を苦しめました。この時から,少しでも早くこの重苦しい塊を除去して,心身ともに楽になりたいと煩い続けてここまできました。

重苦しい不快感は当然の如く亡母も感じていました。自分のこと以上に他人に気を遣い,遜って最大限の配慮を尽くせずにいられない亡母は,父の死と連日の疲労とで憔悴しきっていました。偲ぶ会が終わった後も思い出話が尽きず葬儀会場を追われるようにして亡父の友人方や友人を二次会の会場にお連れした私が,亡父の好きだった「知床旅情」を合唱しながら泣いたりして,遅くなってそっと帰宅すると,亡母はまだ寝ておらず,横になってもおらず,紺色のガウンを着て日本間の文机の前に座わり「直美ちゃん何だかとっても怒っていたみたいだったから……」と直美氏を気にして手紙を書いていました。会場でも立っていられない程疲れていて,座っているか私かどなたかに支えられて歩いていた亡母が,横たわりもせずに手紙を書かずにいられなかったことからも,直美氏の表情や態度を見た私たち母娘が,後々まで気にせずにいられなかった,何とかしなければと思っていた事実は明らかです。



 さらに「偲ぶ会」における過去の直美氏についての私の記憶のみならず,毎月更新されている直美氏のオフィシャルサイトにおける最新活動情報や活動履歴・実績から知り得た現在の直美氏は,多くの人の前に出て話をし,司会進行をすることが仕事や社会的活動の中心となっています,これは,1999年に偲ぶ会を開いた時にも,2006年に私が直美氏に手紙(甲17)を書いて出した時にも想定できなかったことです。あの時の表情と態度は,自分の思い通りに物事が進まなかった時に直美氏がどう振る舞うかを象徴しており,直美氏の生き様が最も顕著に表出した出来事であったと今の私は思っています。



 私は母が書いた直美氏宛の縦書きの白い封筒を持って,偲ぶ会の翌朝早い時間に近くの郵便ポストまで行って手紙を投函するとすぐに戻って来て休みました。しかしながら1か月以上が経過しても直美氏から返事が届くことはありませんでした。拙宅はビル形式の×階建てで,結構な数のしかも外階段を上った×階の部屋に,亡母はコロちゃんと過ごしておりました。そのため,会社から帰宅したついでに一階の門扉に設置された郵便ポストと宅配ボックスとを確認するのは私の役目でした。母の手紙は私自身が投函しましたので,いつ返事の封筒が届くかと思って待っていたからです。直美氏は平成21年5月の前回の訴訟において,亡母の手紙について「原告(引用者注:私のこと)の実母から手紙がきたことについては,現在は記憶がない」(乙29・4頁・前回訴訟答弁書)と主張して惚けてはいましたが,直美氏の訴訟代理人が兼川真紀弁護士だった7年前の時点では「私はそのようなお手紙を受け取ってはおりません」(甲63・11頁)と証拠もなく「ウソ」をつき通す「邪悪さ」まではみられませんでした。亡母の手紙が届かなかったとすれば,拙宅の住所を記載した封筒が返送されて拙宅宛に戻ってきますが,返送されて戻ってはきませんでしたから,亡母の手紙は,確実に直美氏の手許に届いていたと言い切れます。



 直美氏が怒った表情や態度を見せなかったと言うのであれば,直美氏は母に電話をかけてくださるなり,返信の手紙或いは葉書を出して,16年も経過させることなく,1999年という早い時点で誤解を解いてもらうことが可能であったと思われます。直美氏が逆恨みを募らせていたからこそ,亡母に挨拶ひとつせずに立ち去り,手紙が届いていても開封したか読んだどうかもわからせようとせず,返事も出さずに,私の葉書(乙40)や私の手紙(甲17)類と同様に,届いていながら完全無視したまま放置して逃避したのでしょう。しかも直美氏は,移動しようとしていた亡母と私たち母娘が立っていたエレベーター前までわざわざ近付き,そばに寄って来てもいながら,くるりと踵を返して素早く立ち去ったのです。あれほど慕っていた筈の亡母を目の前にしても慰めのひと言もなく,挨拶すらせずに立ち去られた事実からも,捨て台詞こそ吐きませんでしたが,直美氏が自分の思い通りにならなかったことに立腹して,偲ぶ会会場を後にした事実は明らかです



 偲ぶ会に参列されてからの直美氏は,亡母が気に病んで手紙を書いても,私が父に続き愛犬と母の急死を伝える葉書(乙40)をお出ししても,良かれと思って慶事にご招待しても反応は一切無くなり,偲ぶ会を最後にぷっつりと途絶えたままでした。偲ぶ会を開く前には電話で通常の会話を交わしており,偲ぶ会にも参列されたことから,どう考えてもご弔辞の一件以外に私が無視され続ける心当たりは何ひとつありませんでした。そこで,これまでのごく普通の関係に戻したいと考えて,結婚することをお伝えし,華やかな晴れがましい席でのスピーチをお願いすればきっと喜ばれるだろうと考えて真っ先にご招待状をお送りしましたが,それでもなおご出欠の葉書すら拙宅には返送されませんでした。翌年には写真付きの年賀状に「●花嫁です」との自虐的なひと言を書き添えて,例年にならって,直美氏だけでなく「春菜様,摩耶様」と入力し印刷してお出ししました。写真を付ければ今度こそ祝福してもらえると思っていましたが,それでも無しのつぶてでしたので,絶縁されたと判断して,以降の連絡は断念しました。

後に私は,空港のラウンジや,銀行の窓口,ATM機の前で規則にのっとった対応,マニュアルに従った扱いを受けた直美氏が,望みどおりの対応をしてもらえなかったことにいたく立腹して,カウンターの女性や銀行員らに文句を言い,「これが完璧なホスピタリティというものでしょうか」と憤慨して,最後に,「私は力いっぱい良い仕事をしている」「私の仕事は規則もマニュアルもない仕事だ」と述べた直美氏のブログ記事(乙4の47乃至48)を読みました。これらの記事からは,空港で,エコノミークラスのチケットの直美氏が,入場する資格もないのにビジネスクラスのチケットを持つ後夫と同じ待合室に入ろうとした時に,特別扱いをしてもらえず止められたこと,銀行で,直美氏が取り扱えない手続をしようとして,春菜氏のお金を直美氏が引き出せずに止められたこと,直美氏の操作ミスが原因で後夫のキャッシュカードが無効となり,後夫のお金を直美氏が引き出せなかったにもかかわらず,今すぐ下ろさせろと言って断られたこと等について,反省するどころか,逆に腹を立てて,捨て台詞とともにその場を後にする直美氏の姿を知りました。

さらに,「はしばみ色の目の老婦人」(乙112の9,資料第411号)と題する記事では,ケンブリッジ大学の卒業生たち15名程度のごく内輪の集まりに交じっていた直美氏が,思うような会話を卒業生たちとすることが出来なかったことに対して,おおよそそこに居たエリートたちが,ちょっと離れて眺めてみれば,みんなきわめて内輪の話に終始しているのです。」失望した私は中座をして,ロビーの片隅の桜の下で売店で買ったばかりの本を読み始めることにしました。『Excuse me. ちょっと化粧室に行ってきます。』と言って席を立ったまま,いつまでも帰らないなんていう不作法は,後にも先にも初めてのことでした。」と述べており,これは,直美氏が,自動車教習所で指導教官の態度に腹を立てて路上教習中であったにもかかわらず怒って帰ってしまったと春菜氏がブログ(乙101の11)に公開し暴露していた直美氏の姿にぴったりと重なるものでした。これらの記事から,段取りが悪く場当たり的な偲ぶ会の司会進行によって,お話が出来なかったことに対して,直美氏が立腹しない筈がないことを後に悟りました。

2006年10月11日(水)に一般公開されたフジサンケイビジネスアイの直美氏のブログ「Shall We Afresh?」における「3000円の贅沢」と題する記事(乙3の3)を閲読した私は,「自分らしく無理をせず情で生きていきましょう」と記載して公開していながら,実際には,情で生きていくどころか,亡母と私に非情と非道を貫いた直美氏の真実の姿に違和感を覚えました。さらに,「池澤ショーエンバウム直美のインターナショナル・セレブレッスン講座」(乙2の1乃至3)とのタイトルで直美氏の通名が前面に打ち出された講座が開設され一般に公開されていて,直美氏の顔写真付きで「日本航空株式会社在職中に芥川賞作家池澤夏樹氏と結婚。(のちに夏樹氏とは,27年の結婚生活を円満に解消し,無二の親友としての愛情を育む」「お茶の水女子大学を卒業と同時に,芥川賞作家の池澤夏樹氏と結婚。」「後,氏との婚姻関係を解消し,お互いの意思を尊重する最高の親友へと…」(乙2の2),と公開し,「そんな素敵なサプライズを起こせるレッスンが,沢山詰まっているのが,インターナショナル・セレブレッスンです。」「長年の海外経験と,各国のVIPとの社交を経験している講師だからこそ,本物のインターナショナルを皆様にレッスンいたします。もちろん,ご主人様お独りの秘密のレッスンで,奥様にサプライズをお贈りになることも素敵ですしカップルで,ご受講いただける楽しいレッスンもございます。」(乙2の3)と直美氏自身の言葉で述べられている文章を閲読しました。文中には,「豪華客船でのクルーズ」「豪華客船の中で」「将来,是非豪華客船に乗って素敵な旅を…」と述べられて,「豪華客船」の文言を3回表示して強調したうえで「皆様の夢を池澤ショーエンバウム直美が応援いたします。」と結ばれた文章を公開している記事に著しい違和感と虚偽の事実を読み取りました。

いつもながら直美氏は直美氏のプロフィールや講座内容の紹介文について,有限会社ユニクック(現在の有限会社×××××)に全責任を押し付けていますが,無理があります。「池澤ショーエンバウム直美の」と明記して公表し,直美氏の通名を冠とする講座名であり,顔写真を付けて通名とともに文章が一般公開されていたのですから,当然直美氏も合意の上であり,直美氏にも責任がある事実は否めません。長い別居生活を余儀なくされた直美氏のために,亡母は血縁関係にありながら池澤夏樹と絶縁しました。そうした経緯や事情をよくよく知っている筈の当の直美氏が,芥川賞作家の前妻であったとの事実を最大限に利用している宣伝・広告文を一般に公開していた表示に対して,私はどうしても納得がいきませんでした。


 そこで何度も推敲を重ねたうえで直美氏に手紙(甲17)を書き,「配達記録郵便」にして2006年10月25日に出しました。同年同月の11日に公開されていた記事(乙3の3)を閲読してから甲第17号証の手紙を出すまでに2週間(14日)の日時が経っていることからも,私が決して一時的な感情や,攻撃を開始しようと思って手紙を書いたのではなく,長く抱えて来た重く苦しい心の腫瘍を摘出したいと悩んだ末に手紙を認(したた)めた事実については,直美氏とそのブレーン以外の方であれば,どなたにでも理解していただけると信じています。

亡母が出した最期の手紙,父に続く愛犬と母の死をお知らせした葉書(乙40),結婚式と披露宴のご招待状,そして前年に池澤夏樹と離婚していた直美氏に配慮して「花嫁です」と書き添えて出した年賀状(乙112の1・資料第80号)と立て続けに無視され続けた実体験があったからこそ,私は,前述したとおり,用心深くわざわざ郵便局まで行き,「配達記録郵便」にしてこの手紙(甲17)が直美氏に届いているかどうかが確実に把握できるように手配をしなければなりませんでした。面倒なひと手間をかけねばならなかったのも,直美氏が「ウソ」をついて話をややこしくさせて長引かせるからです。

この手紙の文中には,1999年の大晦日に亡母が急死した事実を知らせても,直美氏からお悔やみの葉書一枚届かなかったこと,亡父を偲ぶ会で段取りが悪く,直美氏にマイクが渡らなかったこと以外に,偲ぶ会以降直美氏から背を向けられ続けている理由が思いあたらないこと,また仮に偲ぶ会で直美氏が話すことができなかったことが無視をされている理由であったとしても,それは亡母の訃報に接した直美氏の非礼と無視とを許す理由には到底なりえないこと,結婚したことを私が直美氏に通知したこと,結婚を知らせても直美氏から無視されたことなどについて書きました(甲17)。直美氏が主張するように,偲ぶ会の前後に起こった出来事が事実無根であるとすれば,甲第17号証に書かれている内容の手紙を,私が直美氏に書いて出すことなどできません。


 ましてや,前回の訴状(甲28)に,事実無根の内容を書いて原告となって裁判所に提出することなどできるものではありません。さらに,エッセイ教室に通っていた時「葬儀」というお題をいただいた私は,
平成16年(2008年)10月19日に「ハイヒールの音」(甲3の26,乙39)と題する作品を提出しました。「ハイヒールの音」に記載した内容は私の実体験であり総て真実です。文中には「父と縁が深かった方が多数いらしたため,彼女にマイクが渡らなかったこと。原因はそれしか考えられない。苦い気持ちで階段を上った。」との一節が含まれています。



 両親と愛犬の死と密接に絡んだ直美氏にまつわる一連の苦しさを伴う不快感から早く逃れたい,直美氏の心情を理解することが出来て,弔辞が原因であればお詫びして,直美氏を許すことが出来て,心身ともに解放されることが出来ればどれ程楽になるだろうと煩悶した末に出した手紙であり,訴状25頁に書かれている「攻撃の開始」との意図などどこにもありませんでした。

今回の訴状から,私の手紙(甲17)を見た直美氏が,私から「攻撃が開始された」ととらえていたことがわかりました。だから直美氏は,直ちに私への反撃を考えて沈黙したのでしょう。手紙に過剰反応せず,落ち着いて,大人として静かに向き合い,真意を汲み取ってくれていれば,円満に解決することも,円満に関係を解消することもできたお話だったと思えてなりません。


 さらに2000年のお正月明けに出した私の葉書(乙40)を見た直美氏が,「ベラさんの連絡ぶりからして,ベラさんが私との交流や私の弔問を望んでいるとは思えませんでした」(甲63・12頁)ととらえていたこともわかりました。葉書は「単なるお知らせのようなもの」,「個人的な手紙等は一切ついていませんでした」(甲63・12頁)と陳述しています。

確かに私の葉書(乙40)は「単なるお知らせのようなもの」であり,お出しするのが精一杯で,葉書の余白に個人的なひと言を書き込む余裕も当時の私にはありませんでした。しかしながら,「単なるお知らせのようなもの」をご覧になられて驚いてご連絡をくださり,駆けつけて来てくださった多くの方々がいらしたこと,そして,なぜ,「単なるお知らせのようなもの」に過ぎない一枚の葉書に反応して,直美氏以外全員の方が,残された遺族である私に,何らかの弔意を示してくださったのかについて,一度でも考えてみたことはおありでしょうか。

それは,いみじくも藤井紀子氏の名言が示唆しているように,直美氏に欠けている「心」(乙104の7乃至8・反訳書)が直美氏以外の方にはおありになったからでしょう。私はそう思っています。


                                                                  以 上

*****

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