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2017年1月17日 (火)

どうしようもない人が母親だった時、子どもはどうすればいいか-「愛を乞うひと」を視て-

テレビドラマ「愛を乞うひと」を視た。

http://www.ytv.co.jp/aikou/


どうしようもない母親を、どうしようもなく愛していました」との宣伝文が、実話をドラマ化したこの作品を簡潔ながら言い得ている。


虐待は私の想像をはるかに超えた世界であり、残念ながら同情することも共感することもできない。


愛情がない筈はないのだから内心は虐待母も辛かっただろうなどと思いながらも、到底理解するには及ばなかった。


だが親と子については考えるところがあった。


子どもが見ているのは親の背中のみではない。


子どもたちは親の総てをじっと見つめている。


親の表情やしぐさから、考え方や言動に至るまで、その総てを子どもたちはつぶさに観察しながら日々成長していく。


親がどうしようもない人間で、常人には太刀打ち出来ないような桁外れの悪性があった場合、それを子どもが反面教師として覚めた目で冷静に捉えず、取り込まないよう努力もせず、抵抗せず無批判にやり過ごしてきたとすれば、その子どもは親の悪性を受け入れたも同然である。


その結果、許し難い親の欠点をそっくりそのままその子どもが受け継ぐ事態になりかねない。


このドラマ(実話)の場合、母親の悪性が「虐待」というわかりやすい形で顕著に露見していたため、子どもは「虐待は恐い」「虐待によって死ぬことがある」「虐待は何よりも残酷である」「虐待はきわめて悪質な行為だ」と自らの実体験によって明確に認識することが可能であった。


もしかすると虐待された子どもたちの中には「虐待は悪」と認識していながら母親と同じように我が子を虐待する道を辿ってしまう者もいるだろう。



だがドラマの子どもは強く賢かった。


初めてのお給料を片手に、勇気をもって、虐待母から逃げ出したのだ。

 もっとも逃げ出した原因は、その子のお給料を「出しな。給料日だろう、出しな」「仕事に行くんだからさぁ、とっとと出せって言ってんだよ!」と声を荒げながら、虐待母が夜の仕事に出かける前に、その子の給与袋ごとむしり取り、中から硬貨だけをお小遣いと称して畳の上に叩き付けたことにあり、取り戻そうとしたその子に暴力を振るって、大きなたらいの水を頭からかけたことにあった。

 

死に物狂いでお給料を取り戻しそのまま逃げようとするその子に、異父きょうだいにあたる弟が必死で手を貸したお蔭で、何とかその子は逃亡に成功した。


逃げ出したその子は苦労が報われて、心優しい男性と結婚し、やがて授かったひとり娘と打って変ったように心穏やかな日々を過ごすようになる。


努力と忍耐力の甲斐あって、波風の立たない平穏な日々を獲得したのだ。


虐待母の下から逃げ出したその子は、虐待母の子どもでしかなかった人生から、配偶者にとっての妻として、ひとり娘にとっての母親として、女性としての新たな人生を自力で切り開いた。


猛々しく荒々しい母親と同じ血が流れている事実を実体験によっていやでも知り得ていたその子は、母親の持つおぞましい人間性を振り払って微塵も譲り受けていないしとやかな女性に成長した。


人生に疲れた風情こそ残ってはいるものの悟りを得たように静かで和やかな女性となった姿に安堵するとともに、「このまま何ごともありませんように……」と祈りたい気持ちでいっぱいになる。


何気ないながらも配慮に満ちた母と娘の会話、だらりとした姿でゆらゆらと並んで歩いている母と娘の姿は、「ああ、平和とはまことにこうしたものだ……」と感じ入る瞬間だ。


かつてその小さな両の手に、包丁をしっかりと握り締め、まだ発達していない小さいその顎に、刃先を突き立てて自死をも決意させるほどまでに追い込まれ、殺気立つ修羅場と化した家の中で何度となく死の危険に直面させられてはその都度それらを乗り越えてきた後に、亡父の祖国であり、お世話になった亡父の親友の故郷でもある台湾の茶畑を、ごく普通の服装をした、気負いもなく、衒いもなく、ゆったりとした自然体で、母娘が訪れる場面を視ていると、そこで再会した木村多江さん独特の何とも言えない憂いある情感と相俟って、涼風が漂ってくるような光景へと変わっていった流れは、視ている者にとっても大きな救いであった。


後味の悪い思いもなく、総てを払拭することができたからだ。


主演の篠原涼子さんは胸元を強調したセクシーな若い母親役から老女役そして二役の女性(成長した娘)役までを見事に演じきった。特に最後に見せてくれた白髪交じりのロングヘアーを束ねて生活に疲れ果ててやさぐれた老け役は実にあっぱれであった。


親と子に限らず、教育を論じる時に思い浮かぶのは、「人に授けるに魚を以ってするは、漁を以ってするに如かず」(
「授人以魚 不如授人以魚」)という老子の言葉である。


これは「誰かに魚をあげれば、その人はその日一日は食べ物に困らないだろう。

だが、魚釣りのやり方や、魚の捕り方を教えてあげれば、その人は食べるのに困らなくなるだろう」といった内容だと思う。


欲しい物を親から与えられて、もらってばかりだった甘えっ子は、いつまでたっても親の力をあてにして成長するであろう。



教えて学ばせるより何でもしてあげることの方がずっと簡単であり、欲しがるものは何でも与えてあげる方がよっぽど楽で手間もかからない。親が無条件で子を助け、親の力を貸し続ける限り子どもと言い争うことはなく、揉め事もなくて済む。



だがそこで敢えて親が手を貸さず子どもを突き離して物事のやり方を教えるにとどめ、後は子どもの努力によって子ども自身にやり方を学び取らせ、正しいやり方を習得するのに必要な忍耐力を養わせ身に着けさせることに教育の意味があると私は解釈している。


私の亡き母の話をしよう。


亡母は『京都のホテル王』と呼ばれた故西彦太郎氏の秘書を務めていた。


勤務先は一流ホテルであったから、ちょっとコーヒーや紅茶などをいただくだけでも母が用意するのではなく、それどころか選ばれた礼儀正しいボーイさんが恭しくやって来て、母の分まで銀の食器やスプーンとともに供してくれるなど環境も待遇も良かったそうだ。



西彦太郎氏が亡くなられた後は京阪神から応募者が詰めかけて殺到したというロート製薬の社長秘書に私の母が選ばれて面接を受けた結果ひとりだけ見事採用されたとの報せを受けたそうだ。親族らなど周囲が喜んでいたところ、何とかして母と結婚したいと願っていた私の父が強く反対し、その後結婚することになったそうだ。


父との結婚を決意した母は、周囲の誰からも惜しまれながらきっぱりと仕事を卒業した。



そして潔く家庭に入り、それ以来、悩んでいる人たちへの奉仕は惜しまなかったが、西彦太郎氏の秘書を退いてからは一度たりともお金をもらう仕事をしたことはなかった。



母はいつも家の中にいた。



何ごとにおいても人一倍優れた母は、目立つことや派手なことを嫌い、自分で編んだセーターや白いブラウスにカーディガンなど質素な服装で、私たちのために、いつも家の中にいてくれた。



英語が堪能だった母が米国人パイロットのジェニー氏と流暢に話す姿は私の目にも馴染み深いものだった。当時は身近に英語を話せる女性などいなかった時代だったから幼な心にも鼻の高い思いがした。



だが何よりも私の母は書道の大家であった。


ホテル王と呼ばれた西氏の依頼を受けて、三笠宮親王や、ライプツィヒ大学四羽烏として西氏と親しくされていた武者小路実篤氏や鳩山一郎氏、他1名は誰だったか忘れてしまったが、そうした著名な方々に巻紙に毛筆で頻繁に書状を書かされたそうだ。


そんな亡き母だが私に書を教えたことはなかった。


小学校低学年になった私は、昔住んでいた家の近所に現在もある町民館、今で言うところの地元のコミュニティスペースのような所で開かれていたごく普通の書道教室に毎週欠かさず通った。


和服を召されて髪をアップに結われたご年配の女性の先生と、そのお隣にはやはり和服とお年の両方をお召しになり、眼鏡をかけられた枯れた感じの男性の大先生のお二方が高いお席に並んで正座をしていらした。


与えられた二文字又は四文字の言葉を書いて、まず女性の先生に見ていただく。


女性の先生は、オレンジ色の朱墨汁をたっぷりと含んだ筆で、赤ペンならぬ朱筆を入れて直してくださり、正しいきれいな形にして、半紙を返してくださる。


直していただいた部分を見ると、確かにこう書いた方が正しく美しいと即座に納得のいく素晴らしい文字であった。


後方の席へと戻り、座わり直して居ずまいを正し、注意を守って今度こそはと気合を入れて書き直しては又お直しをしていただく。さらに書いては又、白い半紙がひらひらしないようにと気をつけながら畳の上をすべるように前進する。


このように座敷の後方から高いお席への移動を何回も繰り返すことになる。


それを根気があると呼ぶべきか、はたまた極めて我慢強かったのかは不明だが、ほとんど何をさせても「飽きる」ということのなかった私は、他の子どもたちが途中で私語を話し出すようになり、お菓子をもらったりしなければ硯に向かって真っすぐに座わらないようになってもなお同じ練習を苦も無く繰り返すことができたのであった。


そうこうしているうちにようやく女性の先生が「良くできました」と微笑まれ、大先生にお見せなさい、さあさあ隣にどうぞと態度で示してくださる時がやって来る。


勇んでお隣まで移動すると、大先生は、筆を高く上げられて全部の文字に大きな二重丸をつけてくださった。


さらに「ここは勢いよくハネる、ここをもう少しタメて長く書くと、さらに力強くなって、より良くなりますね」などと丁寧なご説明とともに見事な朱筆がお手本としていただけるのだ。


お教室が終わると二重丸のついた半紙を少しでも早く母に見せたかった私は、長い坂道を弾丸のように転がり下りて帰宅した。


この時も母は家の中にいて喜んで私を迎えてくれた。


ほんの少しでも遅くなると心配して門の前に佇んでくれていて私の居る場所まで迎えに来てくれることもしばしばであった。



美しい母の姿とりわけ母の笑顔を見ることは私にとって最大の喜びであった。


ある時、年賀状だったのか?お月謝か何かの連絡であったのか?御礼状だったのか何であるかは不明だが、何らかの形で母の書いた物が書道教室の女性の先生のお目にとまったことがあった。


女性の先生はたいそう驚かれると同時に「あらまあ!あなた、お母さまから習われたらいいのに!」と恥ずかしそうにおっしゃった。


小学校低学年の書き初め大会が始まるようになると、大人さながらの達筆な文字が揃って講堂に貼り出された。その時も或る先生からこっそり「お母さんに書いてもらえばいいのに…」と、何故あなたはそうしないのかと言わんばかりの不思議そうな面持ちで囁かれたことがあった。


母に書いてもらいさえすれば確かに毎年最優秀賞が取れるだろう。

だが私は一度も母に書いてもらったことはない。


母に書いてもらってまで賞を取る気もなかった。


習字は、鉛筆を尖らせるだけでノートに書けるような手軽な文字とは訳が違う。


だから、ろくに練習もせずいきなり習字の上手く書ける達筆な子どもなどいない筈であり、黒板やノートに書く字は下手なのに書き初めの習字ばかりがたいそう立派な子どもの作品は、本来なら誰が観賞してもおかしいと思われる筈である。


それでも当時の私はこうした行為を特におかしいと感じることもなく違和感を覚えることもなかった。それは、同じ作業を続けることつまり少しずつ練習を繰り返すことによって基礎的な力がつき必ず上達するということ、積み重ねによって実力が養えるということを既に書道のお教室で自ら実践し体得していたからであった。



小学校高学年になると、未熟な作品ではあったものの毎年入賞するようになり両親を喜ばせた。


母は「ママは崩した書体で早く書くばっかりだから読みにくいでしょう?ベラちゃんはきちんとした楷書が書けるから羨ましいわ」と遜って私の字を褒めてくれた。


アラビア石油に入社してすぐ新入社員だった私は大量の書類を渡されてお清書を任された。入社した当時はワープロもない時代だったから大急ぎで何枚も書かなければならない仕事が多くあり書き損じは許されなかった。


お蔭様でIBMの意地悪な人事部長からも「あなたの字はきれいだ。電話メモも丁寧で読みやすいね」と文字だけは褒められた。


中学・高校時代のお笑い仲間に誕生日プレゼントを伊勢丹から贈った時、配送伝票の送り状を見て「アマノの字、学生時代から全然変わってないね~。筆圧が強くてしっかりしてて。肩に力が入り過ぎなんだよ!ハハハハ!」とからかいながら礼の電話を掛けてきた。


文字は性格を反映しているといえそうだ。



最も身近な存在である親に甘えて与えてもらうばっかりで育った子どもは、努力せず、飽きっぽく、忍耐力に欠ける。


物質的にも、精神的にも、他人に与えることを知らないまま成長した子どもは、欲張りながめつい大人になるだろう。


そして、いくつになっても他人に甘えては上手に他人を利用する手口ばかりが増えることになってしまうだろう。


例えば芸能人が手軽に整形を重ね、小顔に見せるため頬や顎の骨を削る、気軽にレーザー光線をあてて色白に見せるなど、ビジュアルにばかりこだわり、小手先のテクニックを駆使してその場を凌げば、努力せずともキレイに見せかけることは可能であろう。


そうすれば、出し物の数ばかりが増えていき、いかなる手法で数打とうと、常連の取り巻き連中にしても、一体どこが、どのように良かったかなど具体的かつ的確な感想を述べることが出来ず、ただ諸手を挙げて無条件で5つ星をつけて誉め称えるだけという、見る目がなく、聴く耳をもたない座頭市や耳無し芳一ら烏合の衆たる偽りの常連賛美者たちばかりが追随する結果となり、何ら実のあるアドバイスは届けられず、今後の成長のためにも将来の発展にも繋がらない。


贋作に酔い痴れる愚か者はいくらでも存在するだろうしそうした者たちをだますテクニックを示すことも至極簡単であろう。


だが基礎から鍛錬した結果、その者自身が学び取り掴み取ったもの、何年もコツコツと積み上げて自ら習得したものが何ひとつとして存在せず、本格的なレッスンも受けず、定期的な練習に通って訓練を積むこともなく、総て気分次第の自己流を押し通して、お金も支払わず、時間もかけず、手っ取り早く目立つことや小銭を稼ぐことばかりを目指して活動をしてきたとすれば、本当の自信を持つことなど一生かかってもできはしないだろう。


親の力に限らず、実力ある者に頼り、権力ある者に依存して、他人の力に縋っては利用してきた者は、何度檜舞台に立とうと素人の域を離れず、自信に満ち溢れた輝かしい気持ちで観客に臨むことは困難であろう。


最後の最期まで暗雲に覆われたまま、澄みきった爽やかな晴天を仰ぐこともなく、コソコソと弁解や言い訳に満ちた言葉をいくつも並べなければ振り返ることもできないような後ろ暗い生き方ばかりしてきた結果であろう。


畢竟、何であれ自分の力で出来ることは極力自分ですべきであり、みだりに人様の力(やお金)をあてにすべきではないということだ。


そしてもしあなたの母親に、他を圧するほどのとてつもない悪性を見出したならば、そのような母親の力など決して借りてはならない。


そのような母親を頼りにせず、その悪質な血をせめて自分の中にまで取り入れないよう精進し努力するしかない。


そして、母親の悪しき血が自分にも流れており,母親の悪性を自分も宿しているという、動かし難い現実から目を背けることなく受けとめて向き合い対峙し、意識してその悪い血を受け継がないよう忍耐強く自分をコントロールしていくより他に生きる途はないであろう。


それが「どうしようもない母親」を持ってしまった『どうすることもできない子ども』の宿命であり宿痾ではないだろうか。


私はそう思っている。

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