「綺麗事を言う人 かなりずるい人が居る。」-もっと早くこの言葉を知っていれば良かった!-
大昔に読んだ「美味礼賛」という本の言葉が印象深い。
「ふだん何を食べているのか言ってごらんなさい、そうすればあなたがどんな人だか言ってみせましょう」
普段おかしな料理ばかり食べている者は、おかしな人間であり、変わった料理を好む者はやはり変わった者なのであろう。
家庭における食事の内容も、小学校での給食や遠足でのお弁当や中学・高校でのお弁当のおかずなども教育の一環であり、食育は心身の健康づくりに重要な役割を果たしている。
或るご高齢女性のツイッターのお写真は、毎日のたゆみない食事づくりとその摂取の大切さを伝えてくれている。
正しい食事は正しい考えを形成すると日々立証してくれてもいるようだ。
この方のツイートは、ピリっとしたご提言を、ご自身の実体験から、自然体の文章で、押し付けがましくなく表現している。
例えばこんな具合だ。
綺麗事を言う人が横行するとその影で救われない人がいる。
綺麗事を言う人かなりずるい人が居る。
綺麗事を言う人は無視した方がいい。関わらない方がいい。
バシッと言い切っておられる。
正にそのとおりである。
https://twitter.com/kikutomatu/status/794957528475893760
https://twitter.com/kikutomatu/status/794959493217939456
ご年齢を重ねた方なればこその実体験を交えたツイートに共感する。
何より説得力がある。
実際に体験していないことは簡単には書けないと思うからだ。
説教についても激しく同意する。
人に説教する人大嫌い。
https://twitter.com/kikutomatu/status/794636464155860992
ツイッターを見ていて醜悪に感じるのは、自分自身の欠点について知らず、仮想敵のごとく常にどこかの誰かに何かしら説教をしては一方的に噛みついている高齢者の姿だ。
それは月にでも吠えているとしか言いようのない空しい遠吠えを重ねている姿である。
説教の内容はと言えば、その者自身が抱えている最大の欠点にぴったりと当てはまっているのだが、悲しいかな当のご本人はそのことにまったく気づいてはいない。
自分自身の最大の欠点をあたかも他人事のようにとらえて他者の欠点として説教をし続けている姿は救いがたい。
ツイッター等で頻繁に他者に説教をしている高齢者において必要なことは、少なくとも自分自身が説教の対象ではないこと、自分自身はそうした者とは違うのかどうかについてくらいは十分過ぎるほど精査し確認したうえで公開するということに尽きるだろう。
年金の未納について「未納3兄弟」と他者を強く非難していた政治家に、自身の未納が発覚し、さらに次々と未納の事実が発覚した政治家連中の、あのみっともなさを思い出せばわかることだ。
そうでなければ「自分自身を知らない愚か者」との謗りを免れず、「自分が改善すべき点をいきおい他者に向けることによって目を背け誤魔化している臆病者」と思われることを覚悟しなければならない。
自分を知らない高齢者はえてして実体験に乏しい。
長い人生において、配偶者や子供など身近な人間との会話を疎かにして自分勝手に過ごしてきた者が多く、人間同士の心のふれあいによってしか感じとることのできない人情や温情といった情感に思いを致す機会を遠ざけてきたのではなかろうか。
冷ややかに心の中で自分との会話を交わすだけのひとりよがりな決めつけと独断で行動し、他者の心情には見て見ぬふりをして、やり過ごしてきた冷淡さが感じられてならない。
そうした者は学校や職場での人間関係におけるコミュニケーションを軽視してきた者が多い。
人と触れ合わなければわからないこと、それが人の「心」であり「情」である。
情報過多で「頭」ばかりが大きくなり、それに反比例して「心」は狭く小さくなり、「情け」などとうの昔にどこかに捨てて来たような者、そしてそんな自分の中にある、身の毛がよだつ程の冷たさに、気づいていない者がいる。
人間ドックを受診して体内の悪い臓器などについて詳細に知ることはできても、自分の内面に欠落している大切な何かを教えてくれる相手に恵まれなかったのだろうか、両親や教師や配偶者や友人知人などが授けてくれる辛くて苦い意見にはことごとく耳を塞いで排除し、背を向けてきた結果かも知れない。
自分についてよく知ろうとしない者は他人についてよく知ることもないだろう。
自分自身について知らず、多くの他人についても知らないような者が、説教をしたい者についてだけ的確に捉えて、正当かつ痛烈に説教をすることなど出来るわけがないと思うからだ。
仮に他人に説教をしているにしても、それは的外れの一方的な説教に過ぎず、理解と共感を呼ぶだけの説得力に欠けているのではないだろうか。
同じ高齢者でも、実体験に欠けたツイートは、マンションのモデルルームの皿や果物のようにただ置かれている静物画に過ぎず、空疎で何も伝わって来ない。
そういう意味で、貴重な実体験を踏まえて他者について語っておられる年齢を重ねられた方のツイートは、気取りのない日々の素朴な食事にも似て、湯気が立ち上ってくるような温かさが感じられるとともに、我が意を得たりとばかりに力が与えられる。
だからこそ、前述したご高齢女性のツイートは、誰からも愛されていて人気が高く、老いられてなお多くの老若男女とツイッターで楽しく会話を交わされることにより、さらに実体験を増やされて、多くの共感を呼び起こす豊かなご提言を配信してくださるであろう。
私はそう思っている。
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