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2015年11月25日 (水)

「渡来人」をあっさりと認めている成功者に「あっぱれ」!

渡来人について

 

韓半島につながる出自に目覚めたのは高校生のとき。船橋市国際交流協会などを通じて講演を頼まれると、「われわれは韓国からの渡来人との混血で、親子兄弟も同じ。仲良くしなければならない」と説いている。http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&newsid=18692


「行基と渡来人文化―朝鮮半島から猪名川流域へ」

米山学長と辻一郎同大学教授との共編で、朝鮮半島から渡ってきた渡来人が日本に残した足跡を追った内容が大半となっている。

http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&newsid=1677

 


開催にあたって神奈川韓国綜合教育院の金洪斤理事長は、かつての渡来人が大磯に移り住んだ故事を例に「先人たちの遺した共生、共栄の精神を受け継いでほしい」と述べた。

http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=0&newsid=3673

 

*****

 


韓国・朝鮮からの渡来人は、差別によってがむしゃらにのし上がり、

貧困によって食への執着心が人一倍強くなった人たちが少なくない。

 


ハングリー精神から文字通り食に執着し、仕事に熱中して人生を歩むようだ。

 


渡来人を理由に差別や貧困があっても、それらを乗り越え、過去を振り返って晩年にあっさりと認め、語れる人物になるのか、それとも秘匿し隠蔽したまま、人生最期の時になっても誤魔化しを重ね、嘘をつき通し、逃げ切って終わるのか。

 


それはひとえにその人物の度量の大きさと、現在成功して満足感を得ているかどうか、つまり精神的に余裕があるか否かに依拠するだろう。

 


プロ野球選手であられた張本勲氏はこう述べている。

 


私の両親は、日本の植民地だった朝鮮の慶尚南道から渡来しました。

 


張本氏の場合は人の何倍も練習を積まれ、ご本人の努力によってご家族に楽をさせ、ご自身が得たお金で美味しいものを思う存分食べられるようになった。

 


だからこそ、過去の自分を、ありのままの自分を、認めることが出来るのだろう。

 


日本に移り住んだ渡来人ではなくとも、男女を問わず、門地家柄や出自による差別、ご先祖様、祖父母、両親の稼業や職業、血を分けた家族や親族に傑出した人物が存在しない、高学歴者が存在しないことに強い劣等意識を抱きながら育った虚栄心の強い人物、貧困によって、金持ちになりたい、偉くなって見返してやりたいとの思いを抱きながら成長する人物は多く、伝記や自分史にそうした心情を吐露する章や頁が含まれていることも多い。

 


悔しさをバネにしてそれを乗り越え、努力によって克服し、才能を開花させ、実力を発揮して成功を治めた人を素晴らしいと思わない人はいないだろう。

 


誰からも称賛され、尊敬に値することについては、論を待つまでもない。

 


一方で、いついかなる場合においても実力を養おうとせず、努力を嫌い、自分の力ではなく、実力のある者や権力のある者を上手に利用して、もっともっと仕事を回してもらおうとする者がいる。

 


好きなことを一心不乱に続けて、地道に努力しながら実力を身につけていけば、自ずと注目されるようになっていくと思われるが、そうした者は概して我慢強さや落着きなど鼻から持ち合わせていない。

 


中学・高校時代に同じ部に所属していた先輩は、私の冗談にいつも大笑いをしていた。当時から先輩は体育館の鏡に向かってダンスの練習をしていて、その時ばかりは私も黙って見つめていた。真剣な姿を見かける度に「この先輩は将来成功するに違いない」と確信していたところ、やはり振付界の第一人者となられて現在も活躍していらっしゃる。

 


中学・高校時代に同じクラスだった旧友は、合唱の指揮を通してみんなをまとめた。合唱会の当日いつも通りの可愛らしい微笑を浮かべながらこちらを向いて指揮をする彼女に応えようと精一杯唄った。


声を枯らして、帰ろうと小さな靴箱の蓋を持ち上げた時、思わず目を瞠った。


そこには彼女からクラス全員へのねぎらいのメモと「いちごみるく」という飴が入っていた。これを見た私は「この同級生は、ひと味もふた味も違う。大人物だ。将来必ず成功するに違いない」と確信していたところ、やはり超一流外資系企業の現地役員となってキャリアを積み、退職後はご主人とニューヨークに在住するかたわら、日本の子供たちのキャンプと盛大なクリスマスパーティを主宰するため年に二度帰国している。正真正銘のインターナショナルセレブとなった現在もナチュラルな笑顔に変わりはない。

 


振付師の先輩が出版した著書を読み、ニューヨークのマスコミから注目されて採り上げられた同級生の記事を読んだことがある。

 


そこには先輩にもこんなご苦労が……あの旧友にこんな時期があったとは……と感じ入り、しばし心をこわばらせるくだりも述べられていた。

 


だが、それは、苦悶した時期や認められなかった時代をあっさりと語れる度量と、自分の力を信じて努力し成功した人物ゆえの余裕とが、好ましく思う先輩と同級生に存在することの証でもあった。

 


他者を利用しては次々と飛び石のように乗り換え、実績として書き残す生き方を好む者を支えているのは、大ボラを吹き続ける継続の力、立て板に水の如き巧みなハッタリ、傾聴による戦略ないしは謀略であろう。

 


少しずつ進歩し段階を踏んで向上してゆく喜びを知ろうとせず、コツコツと積み上げる努力を怠り、粘り強い根性を養わず、実力を培うのはダサいこととばかりに追いやって、「艱難汝を玉にす」を心に刻みながら脆弱な精神を鍛えあげることなど真っ平ごめんという者には、重みもなければ渋さもない。

 


吹けば飛んでしまうお粗末くんとでも呼びたい輩である。

 


えてしてそうした者は人前に出ることや人に見られることを生きがいとしておりビジュアルが命である。

 


形式的、表面的で、目に見えるもの、形のあるものばかりにこだわり、内容や実質、真実など二の次、三の次で、その場さえ良ければ後はどうでもいいのであろう。

 


つくり話ときれいごとで構成された自慢話の得意な者とじっくり話したいと思うものだろうか。そうした者たちは、年を取れば取る程病膏肓に入り、得られるものなどひとつもないどころか、こちらが逆さにされて総て奪われてしまうくらいが関の山であろう。

 


そして、そうした者が人の善いご高齢の権力者に上手に取りついて離れず、ご高齢の権力者が死に直面し灰になる直前まで利用し尽くす様子はひどく残酷である。

 


「ごゆっくりなさってください。おからだをおいといください」とねぎらって休養を勧めるどころか「まだまだ金は稼げるだろう」、「名のあるうちに、もっともっと何かさせなくては」と繋いだご縁を握り締めて離さず、実績に結び付けたいとの野心から、やはり自分が取りついているご高齢者が営む小さな会社を訪ねてはご高齢の権力者を引き合わせて、双方を利用し、傍で上手におだてながら仕事を完成させて、双方から協力費を受け取ったりするのだろう。

 


さらに、ご高齢の実力者が主催した展覧会会場に頼まれてもいないのに出かけて行き、自主的に手伝っておきながら、その手伝いをも仕事の実績に加えて公開しなければ気が済まない者もいる。


こうなれば仕事を質より量としか考えていないように思えてくる。

 


自分の懐が温まり、自分の実績を増やすためならば、どこにでもすぐ飛んで行き、何だってしますという利己的な者は間違いなく金の亡者と言える。

 


自己の力で克服できなかった劣等感を晩年になっても抱えたまま、てっとり早く他者から奪う形で埋めて一時的に満たしていく者、いわば他者が実力で勝ち取った化粧まわしに素早く目をつけて、それを巧みに奪っては身につけることによって、人生の土俵で相撲を取り続けてきた者は、人生の土俵なり、リングなりに堂々と自分一人の力で上ることは出来ない。

 


自己満足という熨斗紙(のしがみ)を付けたキレイキレイな包装紙にくるまれて、つくり笑顔の人生を終えるだろう。

 


だが、いつだって自分が一番楽をして他者を上手に欺き、他者を踏み台にして飛び石のように乗っかり、後を振り返らず、けじめをつけずに、渡り歩いていく者は、自分に誠実さの欠片もないこと、実力が無いこと、劣等意識の塊であること、レンタルの人生でやり過ごしてきたこと、驚く程の野心家でありながら自分が望む成功を収められずにいることを、実は誰よりも自覚していて、誰よりもいまいましく思っていて、地団太を踏みながら歯噛みをしているかも知れない。

 


そうした者は、張本氏のように堂々と「渡来人」を認めることが出来ず、中学・高校時代の先輩や同級生のように堂々と「苦悶していた時代」について真実を語ることも出来ない。

 


私はそう思っている。

 


*****

 


読売ONLINE(2015年8月9日)

「熱風私をかばった母」元プロ野球選手 張本勲さん 75

「私の両親は、日本の植民地だった朝鮮の慶尚南道から渡来しました。翌1940年、私は広島市で生まれた。韓国は生みの親、日本は育ての親のようなものです。」

敗戦時の日本には、朝鮮出身者が200万人以上いたとされる。日韓併合以来の土地再編などで生活基盤を失った人や、労働力として渡来してきた人もいた。広島に落ちた原爆では、数万人もの朝鮮出身者が被爆した。張本さんの家族もそうだ。

http://www.yomiuri.co.jp/matome/sengo70/20150808-OYT8T50000.html

 


毎日新聞の「夕刊ワイド」(2015年5月8日)

「私は広島生まれの広島育ちです。韓国籍ですが、外国人だというような感覚は一切ありません。僕はね、もう、モンゴルあたりから日本まで全部同じ民族だと思っているんです。日本は島国だし、多くの人はどこかしら『渡来人』です。だから日本人を語る時、私は同じ日本人の立場で語っているつもりです。」

 


毎日夕刊「レジェンドインタビュー」(2015年11月21日)

「野球で有名になろうというのには、二つ大きな目的があった。一つはおいしいものを腹いっぱい食べたい。もう一つは、お袋をトタン屋根の6畳一間から連れ出して、小さな家でも作ってあげたい。僕はお袋の寝た顔を見たことがないんだ。朝早く起きて、夜遅くまで働いているから。お袋を楽にしたいと思えば、人の2倍、3倍、練習せざるを得ない。

 


http://article9.jp/wordpress/?p=5949

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