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2014年2月26日 (水)

実力なき者のたどる道

東京都知事選挙が終わり、

ソチオリンピックが終わって、

短い2月も終わろうとしている。


くすぶっているのはサムラゴーチ氏のゴーストライター事件くらいか。

 


なおも話題になっているのは、ウソつきや虚言について

誰もが少なからず関心を持っていることの証であろう。

 


インパクトのある長いお名前なので、以下サムラ氏と書かせていただくと、

サムラ氏は、当初、役者志望であったとされている。

ところが、狭き門であったのか、才能のある人物が多かったのか、

役者はあきらめねばならなかったようだ。

 


役者として売れなかったこと。

これがサムラ氏の虚言道への第一歩であったと私は思う。

 


売れるためなら何でもすると考えたようだ。

その中には当然ウソも含まれていたであろう。

 


私の知る限り、ウソつきは、根性なしであることが多い。

 


じっくりと腰を据えて何かひとつことを学ぶとか、

技術が向上するようにと、繰り返し練習するとか、

習得し、完成をみるまで、孤独に耐えて、黙々と努力するとか、

水鳥の足のように目に見えない修練を重ねることは苦手なようだ。

 


だから、下積み不要で一足飛びに誰でも出来る仕事に飛びつき、

簡単に結果が出せないと知れば、努力せず、途中で投げ出す。

 


例えば、演技や歌や楽器の演奏など、自力で、しかもその場で

観客に見聞きしてもらい、実力で世の中に出ようとするならば、

じっくり基礎から学び、指導を受け、稽古をつけていただいて、

努力によって培った自信を携えることが最も大切であろう。

 


ところが、ウソつきな人物は、手っ取り早く結果を欲しがる。

だから、本物になろう、まずは実力をつけなければなどとは

さらさら思っていないようだ。

 


では、どうするか?

 


自分より実力のある人間たちを上手に利用するのである。


つまり、他人をうまく利用するという生き方に尽きる。

 


人数を集めたい時には、来てくれ、おまけもつくよ、とおねだりし、

何かを買ってほしい時には、買ってよ、聞いてみてねとおねがいし、

事前に根回しをして、権力のある他者から引き立ててもらえばいい。

 


だから、努力もせず、安易に成功ばかりを求めているウソつきな人物には、

舞台やステージに単独で立ち、実力が求められる仕事は回って来なくなる。

 


たとえば、どんなに多くの機会に恵まれ、舞台に上がる日が与えられたとしても、

歌唱力を磨く努力なしには、ファンを酔わせ満足を与えるような歌は聴かせられず、

演技力を鍛錬せずには、観客の心を打ち震えさせるような役は演じられないからだ。

 


そんな、実力も自信もないウソつきであったとしても、

若いうちであれば、適当に何とかやり過ごすことが可能であったかも知れない。

 


だが、年齢を重ねるうちに、ごまかしもきかなくなり、その場で発表することによってその人物が本物かどうか、つまり、その人物単独での実力が問われるようなまったなしの仕事は、徐々に回って来なくなっていく。

 


そして、ウソつき自身も、その場で実力を発揮しなければならないような舞台から遠ざからざるを得なくなっていく。


声をかけても、実際に、観客が集まらなくなっていくからだ。

 


いつまでもお子様芸のままで成熟せず向上もしなければ、観客も年々離れていき、芸のない人物の関係者にしても、儲けさせてもらえるどころか、無駄な経費ばかり発生し、年々出費が嵩み、売れない在庫の山を抱え込まされる金食い虫に手を焼く結果となり、結局、何かを発表したい、何かを売りたい、何かに出たい、目立ちたいのは本人だけで、出来れば自費でやってほしいものだと皆がうんざりするような大赤字という状況を結果として残して来てしまったからだ。

 


そこで、サムラ氏のように、他者の実力を借りての「作曲」という、その場で自分の実力が問われなくて済むような世界、つまり、自分の作品かどうかが容易には発覚せず、世に出されるまでの過程をとらえることの出来ないような世界へと逃げ込むしかなくなるのであろう。

 


また、ウソつきが何としても世に出ようとする場合、その作品や芸風が地味で無骨なものであることは、きわめて稀であるように見える。

 


サムラ氏も「第2の矢沢永吉」「耳の不自由な作曲家」「現代のベートーベン」といった派手なキャッチフレーズを周囲にばら撒いていたようだ。

 


これも、自分の実力のなさに起因していると思うのだが、注目を集めるためであれば、耳目を引く著名人や大きな存在とのつながりや共通点をことさらに強調する点も特徴として挙げられる。

 


他者が刻苦勉励して実力を身につけ、自力で切り開いて栄光を勝ち取った世界であっても、その他者と親しい関係にあることを盾に、臆面もなくずかずかとまったく実力がないにもかかわらず、その世界に足を踏み入れて行き、他者の力を借りて君臨しようとしている人物の姿に驚かされたこともある。

 


サムラ氏も、「石原軍団の専務が親戚にいる」などと親族を利用して、自分を大きく見せようと吹聴し、悪役商会という芸能事務所に所属していた時には、そちらの役者さんのお嬢さんと同棲をしていたとも報道されており、世に出るためであれば、利用できるものは何でも利用する人物との感を深めた。

 


「そうまでして……」とは、必死になって認められたい、実質以上に大きくみせかけたい、もっと、もっと仕事がほしい、ともがいている人物を見るにつけ、口をついて出て来る常套句だが、人を欺き、人の実力を借りて、大ウソをついてまで手に入れたいものとは、その心とは一体何なのだろうか。

 


それは、「名聞利養(みょうもんりよう)の心」であろうか。

 


すなわち、前述したとおり、何としても世に出て名声を得ること。


そして、利益を得ることである。

 


名聞みょう‐もん 〔ミヤウ‐〕 【名聞】 とは、

[名・形動]
名声世間に広まること。世間での評判・名声。ほまれ。「―を求める」
名声を求めて
世間体をつくろうこと。また、そのさま。「この大将は…、―になどぞおはせし」〈大鏡・師尹〉

他の人の目に映っている自分の姿 世間体

 


利養とは

り‐よう 〔‐ヤウ〕 【利養】
仏語。実質的な利得。また、利をむさぼり、私腹を肥やすこと。「名聞(みょうもん)―」

 


実力もないのに、その都度、自分以外の人々の実力を自分の実力として名声を得て、他人の権力や実力に甘えながら世に出て、うまく世渡りすることで成功し、お金を得られたとしても、当の本人は、内心、真の実力が備わっていないとの自覚から逃れることができず、不安がつきまとっているに違いない。

 


だから、その人物は、年齢的には成熟した大人であるにもかかわらず、現実から目をそむけようとして、常にきょろきょろと頼りがいのある他者を求めては、その都度、借り物競争のように、他者の権力や実力を丸ごと借りて詰め込んだ、重くて大きな「真っ赤なウソ」というランドセルを背中に抱えこんでいなければならなくなる。

 


そのうえ、決してその場では実力を発表させられることのない道、つまり、自力で作品に取り組んでいないという大ウソがばれないような世界、すなわち、実際の自分の能力の無さを消費者である顧客から直接確認されずにすむ世界を選びながら、偽りの道を進んで行くこととなろう。

 


ウソつきが住まねばならない世界、それは、大観衆のもとで実力が明確に試される、潔いオリンピック選手たちの世界とは真逆の、湿った暗黒大陸のようによどんだ沼地のようなものに感じられる。

 


崇高な精神と、たゆみない努力を重ねて来た実力の持ち主の胸に、ご褒美として大きなメダルが輝くように、人々を欺き、巧みに陥れて、上手に大金を得ようとする大ウソつきが進む道の果てには、破滅という大きな落とし穴が待っている。

 


反省なき大ウソつきには必ずや天罰が下るであろう。

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