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2014年1月 3日 (金)

「記憶がなければ人間はただのケダモノ」

 

それは二本立ての映画の一本だった。

 


私のお目当ては、後に上映される方だったのだが、

何の映画が観たくて出かけたのかも今は覚えていない。

それ程強烈な映画を、私は、ついでに観せられてしまった。

 


その映画とは「ミッドナイトエクスプレス」

監督は、あのオリバーストーンであった。

 


脱獄もので、筋書きは忘れてしまったが、

若かったせいもあったろう、

広い映画館の中に、まるで稲妻が落ちてきたような

強い衝撃を受けたことを、題名とともに覚えている。

 


そのオリバーストーン監督が、昨年来日し、TVで

「記憶がなければ人間はただのケダモノ」と発言した。

 


監督は、広島の平和記念式典を訪れた際、近くの川に

「記憶は文明をつなぐ細い糸である」と書いた灯篭を流したという。

 

その真意について問われたことから、下記の発言がなされたそうだ。


「記憶は歴史の根幹です。記憶がなければ人間はただのケダモノ」


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36893

 


その後、監督は長崎も訪れていた。

そして、「一番ショックだったのは、当時の日本人がそのような被爆地の現実をほとんど知らなかったということ。」と語った。


http://www.huffingtonpost.jp/2013/08/13/oliver-stone_n_3752018.html

 


昨年、広島の被爆被害について描かれた漫画「はだしのゲン」に過激な描写があるとして、松江市の教育委員会が、閲覧を制限したことがあった。

 

その後閲覧制限は解除された。


だが、若者たちに知ってもらいたいとの思いから描かれた漫画が閲覧制限され、被爆展示をしても、残酷だ、衝撃的すぎる等として公開が制限されることを、被爆者たちは一体どのように思うかについては、考えてみたことがあるのだろうかと私は思った。

 


俺たちは、熱線を浴びて、身体中から血が噴き出したんだぞ!

背中が溶けるような痛みや苦しみがわかるか!

聞いてほしいと思っても、伝える力すら残されていないかも知れない。

 


若い時には、楽しいことだけを追いかけながら生きるのもいいだろう。

自分と自分の周りの大切な人たちだけの幸せを願うのもいいだろう。

 


だが、少し視点を変えて、生きる時代を変えて、考えることが出来れば、

自分だって爆弾を投下されていたかも知れないと、思うことが出来れば、

もっともっと傲りを捨てて、せめて事実を知ろう、苦しみを理解しようとはたらきかけることくらいはできるだろう。

 


私が過去に読んだ総てのブログの中で、

最も嫌悪した言葉を、わからないように(笑)ご紹介しよう。


それは、「自分は誰よりも恵まれている」と胸を張った発言であった。

 


これ以上の傲りがあるだろうか?

 


人生は、幸せだけでも、不幸せばかりでもない。

 


産まれてからずっと幸せばかりという人がいないように、

死ぬまで不幸続きだったという人もいないと思っている。

 


その都度、日々、刻々と、その時々でうつりかわっていくのが人生である。

そう私は考えている。

 


「楽あれば、苦あり」それが人生。

褒められもすれば、たしなめられもする、それが人の道。

 


酸いも、甘いも、どちらもじっくりと、五臓六腑で味わい、

網膜に焼き付け、記憶を正しく脳内に留めることが人生であろう。

 


人様の老・病・死は、明日の自分の老いであり、

明日の自分の病気であり、終わりと考えることだ。

 


たまたま、自分が五体満足に産まれ、

たまたま、自分が快適な環境で過ごせていて

たまたま、自分の総てに満足していたとしても、

 


他人をかわいそうな人と見下して

自分で自分がどんなに恵まれているかを高らかに公言し、

宣言することほど愚かなことはない。


人生の何たるかを知らない幼児性を自ら晒して公開する、無知な発言である。

 


私たちは、年齢を重ねることによって、少しでも、他人の苦しみ、悩みを聞き取り、悲しみに寄り添い、他人の痛みに共感し、なさけをもって手を差し伸べられるよう努めるべきであり、そんなことにすら思いが馳せられないようでは、何の価値もない、ただ食べて眠るだけの、それこそケダモノ同然であろう。

 


上記に揚げたオリバーストーン監督の発言にまつわる記事の中に、任務の内容を知らずに細菌学を学んでいた部隊の隊員が、ホルマリン漬けの白人男性の生首を見てしまってからというもの、悪夢にうなされながら苦悩とともに生きて来たことが書かれていた。


http://gendai.ismedia.jp/articles/-/36893?page=2

 


この隊員さんは、生体実験というご自身の体験について人前で語る行為を通じて、誰かに聞いてもらうことによって、ようやく長い悪夢の歴史から解放されたと書かれていて、それがせめてもの救いに感じた。

 

 

ケダモノではなく、人として生を受けた以上、自分が体験した現実を受けとめ、それらをきっちりと記憶して、必要があれば伝え残しておかねばならない。

 

それこそが個々の人間に与えられた義務であり人生における使命であろう。

 


そして、自分と家族がたまたま、今現在幸福であるならば、それを誇示して見せつけるのではなく、自分が不幸であった時の過去の記憶をも正しく呼び起こして、時に立ち止まり、時に振り返ることが出来れば、傲慢で不遜な「自分は誰より恵まれている」発言を慎むことができるようになるのではないか。

 


幸福ではない他人が傍にいるなら、せめて、その人の話を聞くべきであろう。

 


自分は幸福だと世界に向かって咆哮するのではなく、時には他人が語ろうとしている苦悩にも耳を傾け、他人の悪夢からも目をそらさず、吐き出させてあげよう、汲み取ってあげようとする努力を示しても良いのではないか。

 


それが出来ない限り、幸と不幸が紙一重であると知らず、いつまでも自分と家族の幸福だけを星に願い続け、飽食と惰眠を貪り、年ばかり取ったまま棺桶に入ることとなるであろう。

 


恥知らずなケダモノとして……

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