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2014年1月24日 (金)

小人物の愛はどこまでいっても自己愛。-故・淡路恵子さんの一途な愛情に寄せて-

先日、淡路恵子さんのご葬儀をTVで拝見した。

  

 

綾戸智恵さんらしく関西弁で「聴いとってくださいよ」と語りかけてから、低い声で歌い出したAmazing Grace

 

「タバコの吸い方日本一」と断定した高橋英樹さんのご弔辞は最高の褒め言葉であった。

 

淡路恵子さんは、萬屋錦之介氏を愛し抜き、同氏との離婚後も再婚せず、独身を貫いた。

  

 

大女優であった淡路さんは、萬屋氏との結婚を機に、潔く女優業を引退した。

  

 

ところが、同氏のプロダクションが倒産し、莫大な借金を抱え、さらに同氏が病魔に襲われるという不運に襲われたのであった。

 

 

だが、男性としてだけではなく、役者としての才能を愛し、人間としての同氏をも心底愛していた淡路さんは、六本木の「シナーラ」というクラブで、雇われママとなって働き、献身的に看病を続けながら、徐々に借金を返済していったと書かれている。

 

http://convenience.typepad.jp/naze/2012/04/%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E6%81%B5%E5%AD%90.html

 

 

 やがて、難病を克服した萬屋氏は、淡路さんの親友とされる女性と同棲を始め、離婚へと至ったとされているが、淡路さんへの慰謝料は支払われなかったとされている。

 

あれ程の大女優であったのだから、言い寄る男性も多かったと思われるが、その後は、再婚もせず、男性の力に頼ることなく、最後まで萬屋氏との愛を貫き、独りで生きた。

 

 

「元・萬屋錦之介の妻」というレッテルを貼らなくても、自らの演技力という実力だけで、テレビや映画の世界に復帰して、生きていくことが出来た。

  

 

しかしながら、親友と思しき女性に愛する男性を奪われ再婚までされてしまったとすれば、淡路さんの内面はいかばかりであったことか。

  

 

心中を察するにあまりある。

  

 

だが、世間体、再婚相手への腹いせ、女としての悔しさといった幼い感情から、社長とか、医者とか、政治家といった、役者・萬屋錦之介氏に負けないだけの肩書の男性と再婚して、その男性の職業だけをひとり歩きさせ、事ある毎に自ら誇示しては喧伝して回ることによって、置き去りにされた自らのプライドを満足させようとするようなあざとさや小賢しさは、淡路さんには一切なかった。

 

 

それは、淡路さんが大人物だったからであろう。

  

 

大人物は、相手に注ぎ込む愛情も大きい。

  

 

小人物は、他者ではなく、自己を愛する。

 

愛する男性から逃げられた私。

 

愛する男性を他の女性に寝取られた私。

 

愛する男性から離婚を迫られた私。

 

愛する男性に離婚されて他の女性と再婚された私。

 

 

 そんな私のまま生きるなんて恥ずかしい。

 

冗談じゃない。何とかしなくちゃ……

 

これが自己愛というものであろう。

 

そこで、手っ取り早く世間を黙らせることが可能な肩書を持つ相手をごく身近から選び出して自ら言い寄り、取り急ぎ己のちっぽけなプライドを満足させ、人様の目に映る自分の姿を想像して、ようやく優越感に浸れるのだろう。

  

 

本物の愛情であれば、たとえ相手から去られようと、相手がどうあろうと、自らは同じ異性を心底愛し抜き、生涯独身を貫くことが可能であると思う。

  

 

自己愛塗れの人間は、本物の愛情の何たるかを知らず、他者への愛に全力を尽くさないまま、人の目に映る自分の姿ばかりを気にしながら、偽りの人生を終えるのではなかろうか。

  

 

淡路恵子さんの最晩年のお姿は、余分なものを削ぎ落されたようにスリムでクールであった。総てを達観され無欲恬淡としたお姿は、どこか枯れていて、人生の悲哀を知る者に共通する孤独の影が見え隠れしながらも、一人の男性への愛情に生き抜いた女性としての揺るぎない自信で溢れていた。

  

 

世間体を整えることで躍起になり、自己欺瞞に満ちた愛情によって人生をやり過ごしてきた女性は、最期には、本当に愛したひとりの男性へ惜しみなく愛情を貫くことが出来なかった人生に対して、後悔の念に苛まれるのではないだろうか。

  

 

後悔ほど人生において辛いことはない。

  

 

毎日の生活の中で、ごく自然に相手への愛情を注いでいれば、たとえ、どちらかが先に向こうの世界に旅立ってしまったとしても、寂しさや悲しみ、苦しみは尽きないだろうが、後悔することはないであろう。

 

なぜなら、愛し抜いた相手と共に生き、愛し抜いた相手と共に過ごしてきた密度の濃い時間のさまざまな思い出に浸りながら、独りの時間を過ごすことができると思うからである。

 

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