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2013年12月25日 (水)

クリスマスに寄せて-巧言令色鮮し仁・「奪う」から「与える」へシフトチェンジを-

今日はイエス・キリストの降誕日とされています。

 


イベント中毒者は、いい年になっても何かと口実をつけて集まり、酒食に耽るばかりで、イエス・キリストがどこで産まれ、どのように育ったかについては知らない輩が大半なのではないでしょうか。

 


私は決してキリスト教信者ではありませんが、立教女学院という中学・高校で6年間「聖書」の授業を受け、毎日「聖歌」を歌ってきましたので、キリスト教についての知識が少しだけあります。

 


イエスキリストは、馬小屋(家畜小屋)でひっそり産まれたとされており、私の好きな聖歌に、こういう一節があります。

 


その頭には 冠もなく
その衣には 飾りもなく
貧しく低き 匠として
主は若き日を 過ぎたまえり

 


イエスキリストは、冠も、飾りもなく、貧しく、低い、一介の職人として、若い日を過ごされたという歌詞です。

 


中学生だった私は、既に「人を、肩書(冠・飾り)や貧富の差、身分や職業で判断することは卑しい」との考えを内在させていましたが、この聖歌によって、より確かなものになったのかも知れません。

 


そして、崇高な魂の持ち主は、むしろ、肩書や貧富、身分や職業などを披瀝しない、地道な努力家の人々の中にこそ見出せると考えるようになりました。

 

 

キリスト教の正典において、八つの枢要(すうよう)罪とは、「暴食」、「色欲」、「強欲」「憂鬱」「憤怒」「怠惰」「虚飾」「傲慢」であるとされていることを鑑みれば、むしろ、クリスマスには、「暴食」を慎み「虚飾」を戒めて、地味に質素に迎える方が、しっくり来るような気がします。

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前述の通り、昔から、人を、肩書・身分・貧富・職業で差別することはありませんでした。何らかの攻撃を受けない限り、私の方から、人を、出自や国籍によって差別することもありません。

 


「剛毅木訥」(ごうきぼくとつ)で、飾らない、素朴な、言葉がたどたどしくて、時にちょっぴり口も悪く、ごく普通の表情をして、ぼさっと立っていたり、時に気が利かなかったり、抜けているところもあるけれど、いつも胸を張って、心がピカピカに輝いていて、無色透明な、何の悪気もない、子供のように自然な可愛らしさのある人に、魅かれます。

 


そんな私が苦手なタイプのひとつに、自分を「飾り立てる人」が存在します。


「巧言令色」(こうげんれいしょく)という形容詞がぴったり当てはまる人物と言えるかも知れません。

 


「巧言令色」な者たちとは、仁の心、すなわち誠実さや真心に欠けた人物ということになるようです。

 


巧言」とは、口先巧みに言葉をあやつること。
令色」とは、人にへつらうような愛想のよい顔つきのこと。

さらに解説を見てみましょう。

 


小学館のデジタル大辞泉によれば、「巧言令色」とは、言葉を飾り、心にもなく顔つきを和らげて、人にこびへつらうこと


http://kotobank.jp/word/%E5%B7%A7%E8%A8%80%E4%BB%A4%E8%89%B2

 


巧言令色鮮し仁

言葉巧みで、人から好かれようと愛想を振りまく者には、誠実な人間が少なく、人として最も大事な徳である仁の心が欠けているものだということ。


http://kotowaza-allguide.com/ko/kougenreisyokusukunashi.html

 


四字熟語図書館

巧言令色

言葉を巧みに飾り、顔つきをやわらげてうまく取り繕うこと。
巧みな話しぶりと人あたりのよさでへつらうこと。
人の真心のない様子をいう。
巧言は口先だけで巧みに言いまわすことで、令色は相手に気に入られようと媚びへつらう顔つきのこと。


http://www.kokin.rr-livelife.net/yoji/yoji_ko/yoji_ko_9.html

 


前述したとおり、私自身は、もともと、在日コリアンの方々に対する偏見は、微塵も持っておりませんでした。

 


ところが、両親や我が身に降りかかったさまざまな実体験や、いきなり提起された乱暴な訴訟等を通じて、昨今の日本において、「自由」とか「人権」という言葉は、権利ばかりを声高に主張する『悪い在日コリアン』のために存在し、『悪い在日コリアン』を擁護するための組織や団体・協会が、殊の外多く思えてならないようになりました。

 


在日コリアン人権協会

http://www.koreanshr.jp/about.html

 


「コリアNGOセンター」の記事の中には、新宿と大阪の御堂筋で、「仲良くしようぜパレード」が開かれたと書かれています。

 



コリアNGOセンター

私たちコリアNGOセンターは、在日コリアンを中心に「人権」「平和」「共生」を理念として、活動をおこなっているNPO法人です。
それに続き、プラカードや横断幕、「仲良くしようぜ」と書かれたカラフルな風船、チマチョゴリやピエロ姿などのにぎやかな仮装の参加者もいて、沿道の通行者の目をひいていた。

http://korea-ngo.org/kyosei/kyosei01.html

 


しかしながら、日本人を、都合良く財物を交付させる手段として利用するばかりで、本音を固く秘匿したまま、決して本心からは日本人と仲良くしようとしない『悪い在日コリアン』の存在にこそ問題があるのであり、『悪い在日コリアン』が巧みに使い分ける二枚の舌こそが、日本人との紛争における根本原因になっているのではないかとの思いが払拭できずにおります。

 


『悪い在日コリアン』が、その最大の特徴である『巧言令色さ』を悔い改め、虚心坦懐に、日本人と本音でフランクに接する努力を怠り続けて、利益を得よう、得をしようと謀り続けている限り、搾取されるだけの日本人と、搾取が発覚した悪い在日コリアン、詐取されるだけの日本人と、欺罔行為によって日本人を陥れる悪い在日コリアンという図式の対立や紛争は絶えないであろうと考えるに至りました。

 


畢竟、私が偏見を抱いている『悪い在日コリアン』は、内心『最も優しくない人間たち』と言えるでしょう。

 


なぜなら、言葉巧みに日本人から、否、他人から、何かを「奪う」、「もらう」、「分捕る」、「受け取る」こと、つまり、他人を利用し尽くすことばかりを考えて、自分の利益だけを考えて他人に近づき、損得だけで人生を歩んで来た、狡猾な人物だからです。

 


利益と損得づくで人に擦り寄っては暴飲暴食を貪り、虚飾に満ちた人生を歩むような卑しい者たちを悪い見本として、他人に何かを、「あげる」、「授ける」、「譲る」、「手離す」ような、「与える」人生へのシフト・チェンジを心がける人々が少しでも増えてほしいと、十字架にかけられ尊い命を捧げられたイエス・キリストを記念するクリスマスの夜に、心から望むものです。

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