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2012年7月25日 (水)

芸能人の妻に前妻としての在り方を学べ

先ごろ重体となられて、現在も予断を許さないご容態の続く桑名正博氏の前妻アン・ルイスさんは、桑名氏の新しいご家族に配慮して来日を控えているそうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120722-00000064-dal-ent

新しいご家族とは、とりもなおさず桑名氏の新しい妻とお子さんのことを指している。アンさんがお見舞いに駆け付ければ断られる筈もなく、もしかすると最期の対面になるかも知れないのだから、アンさんはすぐにでも来日したいという張り裂けんばかりのお辛さと闘っていらっしゃることであろう。だが、前妻であり、知名度のある彼女が来日すれば、マスコミがすぐさま殺到するだろうし、現在は恋愛感情がないにしても、前妻の立場をわきまえて、病室の桑名氏に呼びかけたり、手を握ったり、泣いたりすることは控えなければとのお気持ちから、見舞いたい思いを封じ込めて我慢しているのだろう。

これが仮に池澤ショーエンバウム直美氏だったらどうするか。直ちに厚化粧を施し、若づくりで見舞いに押しかけ、現在の妻よりも強い立場で、マスコミを集め席を設けさせて、喜々としてインタビューに応じるに違いない。

もうひとつの例は、先月の15日に亡くなった伊藤エミさんである。彼女は、ジュリーこと沢田研二氏の前妻であった。エミさんは、沢田研二氏との離婚後も、再婚することなく、生涯沢田姓を名乗り続けたと書かれている。

http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2012/06/28/kiji/K20120628003561920.html

好きで結婚したのに、相手が不倫に走り、心ならずも不本意な離婚という結果に至ったというのであれば、自らは相手への変わらぬ愛情を貫き、生涯独身を通して、相手の名前を守り続けるという生き方ならばあっぱれである。前妻の立場としても、ひとりの女性としての生き方としても、一本筋の通った芯の強い凛とした美しさが感じられるからである。

ところが、直美氏は現在もなお池澤夏樹を求めており、13年経っても未だに池澤夏樹に離婚を迫られ、離婚に至ったという動かし難い事実が受け入れられずに、池澤夏樹の亡霊とともに暮らしていると言っても過言ではない。なぜなら、直美氏は、再婚していながら、池澤夏樹との思い出や、池澤夏樹に関する記事を、時にはこじつけと思えるほど、自身のブログに執拗に登場させているからである。

通常であれば、再婚して、その再婚が楽しければ、前夫の話題などそうそう出るものではない。ところが、再婚のお相手が米国人で、しかも老人男性だから、直美氏のブログには無関心で読まないであろうことを見越した直美氏は、前夫池澤夏樹について、「益々いい顔になった」「格好いい生き方だ」「実にいい男だ」「ブラボー!」「尊敬しています(2011年4月18日付コメント欄)」などとぬけぬけと褒め称えている。そうした記事を読むにつけ、一線を画し、背筋を伸ばして生きられない直美氏の幼児性を感じるとともに、それほど池澤夏樹が好きならば、なぜショーエンバウム氏と再婚したのかと問いかけざるを得ず、スポンサーを求める「打算婚」と捉えられても仕方がないであろう。後妻ならぬ「後夫」として過去の遺物とも言える不必要な「池澤」姓のまさに後ろに、付け足しのように置かれた「ショーエンバウム」という姓を見るにつけ、事情を何も理解出来ていないと思われる異国のご老人が滑稽にも哀れにもなる。

直美氏はつい最近の2012年7月16日の記事にも、

http://blog.platies.co.jp/article/57084409.html

そんな時にいつも口をついて出るのは、私の好きな詩の中の、最初の2行と最後の2行です。

人の目が見ていなくても
風景はあるものだろうか
人の耳が聞かなくても
風は椰子の葉を鳴らす 

過去の2009年2月25日にも、まったく同じ池澤夏樹の詩を引用している。

http://blog.platies.co.jp/article/27178170.html

こんな詩の一節が口をついで出てきました。

私の大好きな詩集の中の「ローラ・ビーチ」という詩の最初の2行、そして最後の2行です。
人の目が見ていなくても
風景はあるものだろうか
人の耳が聞かなくても
風は椰子の葉を鳴らす (池澤夏樹『塩の道』 1978年)

http://blog.platies.co.jp/article/25885161.html

朝から読む時間がなかった朝刊を広げました。ページを繰っていくうちに突然慣れ親しんだ顔に遭遇。
別離の哀しみの中にたゆたう頃は、それだけで動揺して新聞を閉じてしまったかもしれませんが、今はちがいます。「年をとって益々いい顔になったなあ」とか、「元気で頑張ってるんだなあ」とか、「格好いい生き方だなあ」とか、「実にいい男だなあ」などと思いつつ、何食わぬ顔で読んでいけるのです。

先日飛び込んだ映画館で手にしたパンフレットにも、何人かが寄せたコメントの中にその名を見つけました。他のどの言葉よりも、私の混沌としていた感動を整理してくれて、「ブラボー!」と感謝をしたくなりました。
今よりもずっと未熟だった私の長い年月、夫としてそばにいてくれた人にこうした形で出会う時、私も随分大人になったあと思います。

http://blog.platies.co.jp/article/28314856.html

「何かを終わらせ何かを始めるためには、一つの積極的な意志が要る。」
土曜日の朝日新聞の夕刊で、池澤夏樹さんが 「終わりと始まり」 と題する素敵なエッセイを書いています。

http://blog.platies.co.jp/article/29498053.html

「狩人」「 アレクサンダー大王」 「シテール島への船出」 「蜂の旅人」 「霧の中の風景」 「こうのとり、たちずさんで」 「ユリシーズの瞳」 「永遠と一日」。。。。。。。。。これらは池澤夏樹という稀代の翻訳家を得て、その詩情が日本語の字幕となりました。

http://blog.platies.co.jp/article/44433350.html

またやって来たからといって
春をうらんだりしない
例年のように自分の義務を
果たしているからといって
春を責めたりはしない
わかっている
わたしがいくら悲しくても
そのせいで緑の萌えるのが
止まったりはしないと
これは、4月5日の朝日新聞夕刊のエッセイ、池澤夏樹さんの「終わりと始まり」で、彼が引用していたポーランドの女性詩人シンボルスカさんの言葉です。春の日が美しければ美しいほど、優しければ優しいほど、心に深く染み入ります。

http://blog.platies.co.jp/article/35729576.html

私はやっぱり「私たちの家」に足を向けてしまいました。

たくさんの、たくさんの思い出が切なく心をよぎります。
長いこと思い出すことさえなかった数々の思い出たちが。
完璧に幸せな時代でした

http://blog.platies.co.jp/article/50819758.html

彼女らの父親は私に輪をかけての冒険家であり、私と違って自然科学にも通じた人でしたから、娘たちの「自然体験」はかなり豊かで、かなりユニークなものとなりました。うっかり机の引き出しをあけようものなら、ペットのイモリが飛び出してくることなどは日常茶飯事でした。小さな娘たちを連れて、家族4人で、ポンペイ島からコスラエ島まで、何日も何日も貨物船に乗って航海をしたこともあります。昼は大海原に糸を垂れ、荷物を下ろす小さな島々で身体を洗う水を借り、夜は豚や鶏と一緒に満点の星を見ながら甲板で眠りました。島に着けば着いたで、マングローブの中の水路を、小さなボートで進みました。

アン・ルイスさんも、亡くなられた伊藤エミさんも、どちらも前妻としての「けじめ」を自らに課していらして清々しい。自己愛、見栄、そして甘えによって、果てしなく前夫への関わりを一方的に持ち続ける直美氏という前妻から池澤夏樹が解放される日は、一生来るまい。

直美氏が、人生の最後の最後に、たった一度だけ、自分に正直に生きるチャンスがあるとすれば、ショーエンバウム氏と別れて、恥も外聞もかなぐり捨てて池澤夏樹と現在の妻に頭を下げ、復縁の検討を迫るしかないだろう。どうしても前妻という立場に収まりたくないのであれば池澤夏樹と復縁するしかない。

「池澤夏樹との復縁」、これこそが嘘偽りない直美氏の真実の願いであると私は確信している。

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