2017年7月25日 (火)

女性の『本物』は育ちにくい-「かわいい」はたまた「東大出」が通用するのは20代までと心得よ-

「可愛いから許す!」

 



この言葉は、何と、天野ベラこと、この私に対するお言葉である。

 



驚かれているだろうが、人は、誰も婆さんとして産まれるわけではない。

 



婆さんになるのだ。

 



それで、だ、私にも人並みに可愛く見えた時代があって、

 



その時に掛けていただいたお言葉が冒頭のご発言であったのだ。

 



ところが、この一瞬前には「馬鹿もーん!!」との怒声を浴びていた。

 



いきさつを説明しようか……

 



新入社員の私は、朝早く出社して上司や先輩社員の机を拭いていた。

 



すると、隣の部屋から、「馬鹿もーん!!」と大きな声がした。

 



「こんな、明るい日に、電気なんか点けるんじゃなーい!!」

 



他にも出社されていた社員の方がいらしたこと、そして電気を点けたのがいけなかったことに一瞬にして気付かされた22歳の私は、雑巾を置くと直ちに電気を消して、キャビネットで仕切られた隣の部屋に走った。

 



大声の主は高いお席に座していらして、後にその方が大御所であることを知った。

 



広い机の前に立ち、「申し訳ありませんでした。」と頭を下げた私は動かなかった。

 



するとそのご老人はバツが悪そうに「何だ、君だったのか……〇産業のおばさんかと……」と小声で言うが早いか、

 



「可愛いから許す!」とおっしゃったのだ。

 



早朝の出来事であり、この話を知る社員がいたとしても極僅かな筈であり、私に向けて言われた言葉と知る社員はいないと思われるのだが、なぜかこの言葉はこれから先、社内で流行ることとなった。

 



だが「可愛い」で許されるのは20代まで。

 



もっと言えば「はたち」までであり、成人を過ぎたら「かわいい」では済まされないと気を引き締めるべきである。

 



事と次第にも寄ろうが、実際には「可愛いからと言って到底許されるものではない」と訴訟資料の如くキツイ調子で心に刻まなければならない。

 



つい最近知人が、「最近はロクな女性政治家がいないわね。昔は土井たか子さんとか市川房江さんとかいたのに……蓮舫はカッコいいけど、三原じゅん子は嫌いだわ」と言ったので、「でも三原じゅん子さん、キレイじゃない」とつい軽くかわしたところ知人は、

 



「それがいけない」と怒った。

 



確かに女性は、可愛いければ、そして、そんな人から上手に甘えられ、おねだりをされたりすれば、男性に限らず女性でも姉御肌であれば、無下に断れなくなる。

 



そして、「ま、いいか」「仕方がない」「喜んでくれるのだからいいじゃないか」とお茶を濁して大目に見ることとなる。

 



その女性が若かったりすればさらに点数は甘くなり、限りなくワガママな要望や特別扱いを求めても応じられるだろう。

 



かくして「おねだり光線」の威力に安住した可愛い子ちゃんは、実力を磨く時間より美を磨く時間、切る前髪の長さに悩むような時間ばかりを増やすことになりかねない。

 



一方で、東大を出た弁護士で、防衛大臣となった女性政治家、東大を出て、ハーバード大学の大学院を卒業した女性政治家、それぞれの虚言と暴言が話題を集めている状況も見過ごせない。

 



「東大出」であることの立証趣旨は、言うまでもなく「頭脳明晰であること」である筈だが、その実態はと言えば、連日の報道から推して知るべしであろう。

 



「可愛い」も「東大出」も、その外見や経歴に眩惑されることなく、その女性たちの実力と言動という真実の姿、すなわち実際にその女性が何を言い、どんなことをして来たのか、公言して来たことに実行は伴っていたのか、どういう信念を持って人生を歩んでいるのかなども含めて、その女性の包装紙ではなく、その「中身」と「内面」に目を向けるという本質的なことが疎かにされ、後回しにされてはいけないということである。

 



実際の言動に注視し注目して、真の姿を見極めない限り,特に女性は、実力を蓄えた「本物」が育ちにくいのではないかと思う。

 



年になっても、「私は可愛い」

 



だから私の「甘え」「おねだり」の呼びかけは許されると勘違いをし続け、

 



「私は東大出」

 



だから私は「頭がいい」だから「私以外は全員馬鹿」、「私の言うこと以外は総て誤り」との三段論法によって、東大卒というクッションの上に胡坐をかく倨傲な態度が中年になっても抜けていないとすれば、真の実力が育っていない証拠と解すべきであろう。

 



研鑽を積み、懊悩や呻吟の時をも越えて、外見や経歴を突き抜けた力を蓄えない限り、本物には近づけない。

 



ちなみに私が本物と思う女性は2人いて、どちらも故人であり、芸術家である。

 



ひとりは越路吹雪さん。もうひとりは山口洋子さんである。

 



おふたりとも可愛くはないし、一流大学を出ている訳でもない。

 



だが、真の実力者こそが持つ威厳そして選ばれし者が持つ恍惚と不安に満ちたどこか儚げな憂い、つまり私が最も好み重視するところの「ペーソス」を含んだ表現や作風、そして人間性に限りなく魅きつけられるのである。

 



努力して本物に近づき、「あの人なら!」と誰もが納得の出来る形で、輝かしい栄光、相応しい結果など、実力に伴って与えられるご褒美を徐々に増やしながら、着実な地位を築いていくことが望ましいのではないか。

 



私はそう思っている。

2017年7月19日 (水)

池澤春菜さん第48回星雲賞ノンフィクション部門おめでとうございます。

池澤春菜さん第48回星雲賞ノンフィクション部門おめでとうございます。

 

http://www.sf-fan.gr.jp/awards/2017result.html

 


前年の受賞は「サンリオSF文庫総解説 
編集:牧眞司氏、大森望氏」



今年も牧眞司氏、大森望氏が、さらに牧眞司氏が、単独でエントリーしています。

 

 

さて本日は民事訴訟に提出した証拠等が

 盛りだくさんのサイトを紹介いたします。

 

よろしければご高覧ください。


 

https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/訴状-声優池澤春菜氏の母親-池澤ショーエンバウム直美こと池澤直美氏からの訴訟/

 



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/new-同左判決/




https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/控訴審-上申書/

 



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/法律事務所ヒロナカhp-費用/

 



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/原告の記事-カウンターのすすめ/

 




https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/原告の記事-元いた所に立ってごらんよ/

 



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/原告の長女の焼いたタルト台の写真/

 



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/声優-池澤春菜の母親の運転が犯罪レベルな件/

 



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/黄色のラインマーカー部分の削除を求められている甲1/

2017年7月 9日 (日)

安心して叩ける者を叩く言論は無価値である-松居一代氏への集中攻撃に加わるような,誰にでも書ける言論を書くことなかれ-

7月になった。早いね…

 


このところ,芸能人や政治家等安心して叩ける者への集中攻撃が目立っている。

 


この行為は「みんなで叩けばこわくない」という集団リンチの感覚に似ている。

 


「みんな」から叩かれている人を躊躇なく叩く言論は,どれも似たりよったりだ。

 


https://twitter.com/kazuyo_official/status/883388165578309632

 


松居一代氏は,今や可愛さ余って憎さ百倍になってしまったが,もともとは最愛の夫であった船越英一郎氏から裏切られた,船越氏を偽善者と感じているようである。

 


だから,多くの人たちに船越氏の実態を知らしめたいとの強い思いで,同氏の「裏の顔」を暴露する行為に躍起になっているように見える。

 


そんな思いが炸裂した松居氏のブログや動画を批判することは容易い。

 


だが,ツイッターの投稿の中に,少しでも投稿者自身の実体験が盛り込まれていて,そうした体験に基づいた投稿でもあるならば,それは読むに値すると思うが,そうした建設的な意見や斬新な指摘,鋭い批判,何らかの意味のある投稿はほとんど見られない。

 


だったら,「みんな」に叩かれている人をよってたかって叩く,似たり寄ったりの言論など,「みんな」に任せておけばいい。

 


多くの非難が集まっている芸能人や政治家を選んで叩いている限り,名誉毀損として訴えられるリスクは低いだろう。

 


そうした意味においても,「みんな」で松居氏を叩く言論を投稿することは,あまりにも容易い。

 


だが,そんな言論の表明に一体何の価値があり,いかなる意義があるのだろう。

 


ある時,質屋さんが共同で開催しているバーゲンセールがあると,テレビのニュースが知らせていた。

 


画面には,ヴィトン柄の大小さまざまなバッグが山と積まれている会場の一角に多くの女性たちが群がり,手に取っては選び,とっかえ,ひっかえしている姿が映し出されていた。

 


持ちたいのだろうか?



みんなと同じものを?

 


そう感じた。

 


これは、ツイッターで松居氏をバッシングする夥しいコメントに対する感覚に近い。

 


書きたいのだろうか?



みんなと同じことを?

 


との冷めた思いである。

 


私が男性だったら,それも西部劇に登場するクリント・イーストウッドのような男性であったなら,書き込もうとしている者にこう言うだろう。

 


「誰にでも書けるようなことは書くな。そんなこと,他の誰かにやらせておけ。」

 


そして酒場の柱にマッチを擦りつけて煙草に火をつけると,黙って立ち去る。

 


実際に価値ある言論とは、権力批判の言論である。

 


権力者や社会的強者に対する批判であり,そうした者たちによる気づかれていない悪事,悪徳,不正に対する正当な批判であり,世間に知らしめなければならない巧妙な偽善,偽装,虚偽などに対する誠実な糾弾である。

 


叩いても安心な者や弱っている者を選んで叩く言論は、ズルくて小さい,つまらない言論である。

 


しかも,匿名で,袋叩きに安心して乗っかって言論を表明している者は,叩かれている人よりずっとカッコ悪いことを知るべきであろう。

 


さらに,「
『日本に帰ってきてすぐに豊田議員の(報道を)見て大爆笑。その後、松居一代さんで大爆笑!なんか“ババアの熱い夏”みたいな!(って)』と豪快に語った。」と野沢直子氏が発言したと報道されているが,これにも呆れた。

 


片や傷害事件,片や離婚調停から訴訟に及ぶ事件であり,どちらも大爆笑できる問題ではない。

 


そもそも,野沢直子氏も54歳。決して若いとはいえない。

 


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170707-00000078-dal-ent

 


デイリースポーツは「豪快に語った」と記載するが,この種の発言に「豪快」の表現はそぐわない。

 


「毎年夏休みになると出稼ぎ帰国することが恒例となっている」野沢直子氏が,
叩かれている女性たちの「モノマネを練習中だと明かした」との報道もある。

 


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170707-01851657-nksports-ent

 


だが,夫婦間にいかなる理由があるにせよ,最愛の夫から離婚の申し出を突き付けられて別居を余儀なくされ,苦悶の渦中にある女性や,傷害罪として被害届まで受理された加害女性を,お笑いの材料にするならば,非常識きわまりない。

 



日本に出稼ぎ帰国して動画で見た人物のモノマネを練習中だとすれば,それは取りも直さず「よしもとエージェンシー」所属のお笑いタレントとして出し物に飢えているということであり,常日頃から芸を磨いていないから,芸の引き出しがないということではなかろうか。

 



私はそう思っている。

2017年6月30日 (金)

人格も容姿も生き方も、総てが美しかった小林真央さん、どうか安らかにお眠りください-豊田真由子議員の暴言は、心を殺す殺心罪!・度を超した野心家の女性は凶暴である-

先週は対照的な30歳代の女性2人の、驚くべき出来事が報道された。

 

ご立派なのは学歴と肩書だけとしか思えない、美から遠くかけ離れた豊田真由子議員のどす黒くも腹黒い暴言事件。

 


そして、そっと散った白い薔薇の花びらのような、小林真央さんの急逝である。

 

このところ名優の方々や才能ある美女が次々に身罷られて落胆させられる。

 


小林真央さんは、若く美しく才能もありながら、自惚れていい気になっているところもなく、調子づいているような浮ついたところもなく、嫌味な発言も全くなく、自然体で誠実な印象を持った。

 


誰もが憧れるニュースキャスターの職に就き、「ニュースZERO」という高視聴率のサブキャスターを任されるようになってもなお背伸びをせず、良くできた可愛らしい、どこか古風なお嬢さんの枠を超えず、悪い噂も聞かず、どこまでも健全かつ純真であり続けた。

 


そのうちに、何と、平成の色男などと呼ばれるあの市川海老蔵氏から求婚されて妻となり、潔く仕事を止めて裏方に回わることを決意し、海老蔵氏を支えるようになった。

 


真央さんの清潔な美貌が単独で視られる回数はほとんど消え、歌舞伎座に青い色無地の和服で向かわれる姿や、海老蔵氏暴行事件における謝罪の姿など、海老蔵氏と伴に生きている姿しか視られないようになった。

 


でも、みんな、実はもっと真央さんの、あの笑顔、作り声ではない自然な声、大きな瞳、長い髪、心がそのまま映し出されたような悪気の微塵もない態度、常に自然体だった姿、

 


そして、巧まざる完璧な可愛らしさと、何よりもその根源になっている澄み切った心の清らかさに触れて、笑顔になり、ずっと活躍を応援していたかったのだろう。

 


そんなみんなに対して、時にあまりにも意地悪で、どこまでも残酷な神様は、こんな形で、真央さんが最後の最期まで可愛らしく、そして勇敢であり強くもあった姿を、応援し、たくさん見る機会を与えられたということだ。

 


闘病中の真央さんを応援せず、真央さんの急逝を悼まない者はいないだろう。

 


これは、日本全国が心をひとつにしたということであり、小林真央さんが、容姿も、人格も、生き様も総て美しかった証であろう。

 

 

真央さんはごく自然に注目され、目立つべくして目立ち、有名になるべくして有名になり、自ずと脚光を浴び、歌舞伎の大スターまでが惹きつけられ、日本国民のほとんど全員から惜しまれつつ亡くなったのである。

 


真央ちゃん、いつも主人とそう話していたから、そう書かせていただきます。

 


これからもずっと忘れません。美しい真央ちゃんのこと。

 


ゆっくりとお休みになってください。

 



さて…真央ちゃんに比べて、豊田真由子議員といったらどうだ。

 


豊田真由子議員の同級生は、下記のように語っている。

 


何か自分が目立ちたい、有名になりたい、カッコよくいたい思いが強い人

 


https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20170627-00010009-jprime-soci&p=3

 


そうだ。

 

 

暴言を吐く者は、目立ちたい、上に立ちたい、長が欲しい、先生と呼ばれたいという欲望と野心の強過ぎる者が多い。

 


支配力、名誉欲の強さで他を圧倒しているという事実があり、真実である。

 


2010年1月17日、中止を求めても暴言を繰り返して止めないという被害を受けた経験が私にはある。

 


「体にも悪いし」「それはもうよくわかったから」と懇願して暴言の中止を求め、「きれいにお別れしましょう」と低姿勢で呼びかけ、和解したうえでの決別を伝えても聞き入れず、「よく何回も言えるね」と私が呆れてもなお、「言えるよ、何回だって!」、「何回でも言うよ」と嫌がらせの暴言を吐き続けたのだ。

 


豊田真由子議員ほどの学歴も地位もないが、この暴言同級生も、目立とう精神だけは桁外れに旺盛で、とにかく偉そうであった。

 


中学になると、誰から推されたわけでもないのに、早速、生徒会の役員に立候補した。

 


何で〇〇〇が出るの?と思うほど同級生から人気はなく、友人もいなかったから、案の定、他のクラスから推されて出馬した同級生が当選し、暴言同級生は大差をつけられて落選した。

 


暴言同級生の父親が、とある学校の教員をしていたせいか、とりわけその学校に関して暴言同級生は偉そうで、より高圧的・好戦的な態度を示し、その学校の文化祭に出かけたおとなしい同級生と、当時私が入っていた手芸料理部の後輩にあたる口下手な下級生をロフトのような作りの角部屋だった中学3Dクラスの教室前の廊下に呼び出して謝らせ、大泣きさせるという信じ難い出来事を発生させたこともある。

 


そんな暴言同級生は、中学の生徒会選挙に落選したとはいえ、中高一貫校という特性から、大々的な選挙活動によって名前が売れていた。

 


つまり、実情については知られていないが、知名度だけはあったというわけだ。

 


そこで、高校において、再度懲りずに生徒会役員に立候補し、既に〇〇がその役員に名乗りを上げて立候補していたにもかかわらず、成績優秀で難のない〇〇ちゃんを担ぎ出して対抗させることによって自分の売り込みに利用したのかどうかは判然としないが、「〇〇ちゃんと〇〇〇をよろしく!」とセット販売の形で名前を連呼しながら上級生のクラスを回って来たと後に親しい先輩から伝えられて驚いたこともあった。

 


その結果、同級生からの人気はなかったものの、下級生や上級生からの票を得て、ようやく長年の夢と希望と憧れであった生徒会役員の座を暴言同級生は3年越しで叶えたのであった。

 


目立とう精神はクラス別の合唱祭においても遺憾なく発揮された。

 


暴言同級生は、当然別クラスの指揮者にも名乗りを上げたという。

 


クールな生徒の多かった別クラスでは、指揮者をやりたがる者は誰もいなかったそうだ。

 


暴言同級生はすんなりと指揮者になれた。そこまでは思い通りだっただろう。

 


だが、ここでもあまりにも意地悪で、どこまでも残酷な神様は、暴言同級生への思いもよらないしっぺ返しを、こともあろうに晴れ舞台の当日与えられたのであった。

 


講堂に置かれた台に上がった暴言同級生は、客席に尻を向け、癖のあるくねくねとした前屈姿勢で手を上げ始めた。

 


すると、その度に、黒く長いスカートの中から、少女らしい可愛らしい花柄やリボンのパ〇〇ではなく、何とも古めかしい、大正生まれであった私の亡母でも履いていないような、長い、ズロースとでも呼べばしっくりするような下穿き(したばき)が、客席に座っていた他のクラスの同級生全員に丸見えになってしまったのだ。

 


「愛のわざ」という合唱曲を観賞するどころか、前世期の遺物といえる何とも言えない代物を観賞させられる羽目となり、客席からは小さな笑い声すら漏れ出す始末で、一度きりの晴れの舞台は、敵ながら思い出すのも気の毒な赤恥の結果に終わったのだった。

 


何につけ、上に立ちたい、目立ちたい、長が欲しいという、支配力の強い暴言同級生は、自分のことを『先生』と呼び、ブログにも自ら『先生』と記載して公開するようになり、最後の電話での通話中に、私が「普通に話せない?」と伝え「落ち着いて」と呼びかけた時も、「昔から『先生』落ち着いてるよ」と語り呆れ果てたものであった。

 


暴言を吐く者の特性として、相手を自分より「格下」と見下して、軽んじていることが挙げられる。

 


だからこそ、この豊田真由子様に向かって、先生と呼ばれるこの私に向かってといった根拠不在のまま、自分の方が上に立っている、自分の方が学歴がいい、自分は議員で先生と呼ばれている、社会的身分が上いう差別意識を全面に押し出して、相手を威圧するのである。

 


相手を格下と見下している者は、相手の意見や立場に耳を傾けよう、相手の言い分も理解し尊重したうえで、和解して気持ち良く袂を分かとうといったスポーツマンシップに近い喧嘩の治め方を知らず、落としどころを計りながらの知的な冷静さを宿した会話を交わそうとせず、平和的解決を目指す心のゆとりもない。

 


単細胞で暴力的に一方的な感情論をぶつけるだけである。

 


暴言を受けた際、もはやこれまでと、電話で縁を切った。

 


ところが、暴言同級生は、縁を切ってもなお私宛に手紙を出し続けたのであった。

 


2010年1月27日に1通。

 


2010年2月 6日に1通。

 


身体に悪いので開封せず、そのまま縁を切った暴言同級生宛に差し戻した。

 


すると、


2010年3月19日には、さらに2通の手紙が届いたのだった。

 


2010年3月19日に届いた2通のうち1通には、封筒の裏に、手紙を受け取れと義務なきことを強要する文言が、暴言同級生の直筆で記載されていた。

 


中学時代から見慣れたこの文字は、私にとって特に恐ろしいものであった。

 


かつてどこの誰からも受けたこともなく、男性からであっても、パワハラ上司からも聞いたことのない、アクの強いドスのきいた声による暴言による通話時の苦痛だけでも想像以上に強く、7年以上が経過した今でも夢にうなされる程の衝撃が残っている。

 


きわめて悪質と感じられる行為は、電話で確実に縁を切る約束を交わしたにもかかわらず、暴言同級生が、その約束を守らず、1月から3月まで4通の不必要な手紙を送り続けて来て、手紙の受取りを拒否したにもかかわらず、最後には封筒の裏にまで受取りを強要する文言を記載して見せたことである。

 


電話で確実に縁を切ったにもかかわらず、さらなる嫌がらせとして4通の手紙まで送りつけられたことで私は体調を崩し、食欲も失くなり、食事が徐々に喉を通らなくなっていった。

 


その結果、2010年8月26日には「虚血性腸炎」で10日間の入院をすることになった。

 


当時の激しい腹痛と下血は、とりもなおさず心が殺された証であり、暴言によって心身が受けた傷の深さをあらわしている。

 


暴言は、確実に、人の心を殺す。

 


暴言は、いつまでもトラウマとなって心に残る、殺人罪ならぬ殺心罪(さつしんざい)である。

 


格下と見る相手に対して弱者の心をブルドーザーで弾き殺すような暴言を吐いて平気でいられる女性は、おしなべて『嚢中の錐』と呼ばれる存在ではない。

 


人気がなく、目立ちたくても目立たず、推されて自然とその立場や地位に就いた訳でもなく、上に立ちたい、長がほしい、先生と呼ばれたいという邪悪な野心ばかりが大きく空回りしひとり歩きをして膨れ上がった結果、何とか先生と呼ばれたとしても、実力、人間性、一般常識が伴っていない。

 


だから、内面の自信の無さ、余裕の無さによって、暴言を吐くのである。

 


偉そうな女性から許せない暴言を吐かれて、心身に深手を負わされたら、迷わず傷害罪で訴えることだ。

 



傷害罪の時効は10年。

 


それにしても、今回「週刊新潮」に元秘書であった男性が暴言による被害を通報するまでには、100人もの秘書が同様の被害を受けて辞めて行っていたというのであるから信じ難い。

 


豊田真由子議員の悪性を知りつつ野放しにして容認し、いい気にさせ続けてきた100人の秘書たちにも、多大な責任があるのではないか。

 

私はそう思っている。

2017年6月23日 (金)

天野コグちゃんに462万円、天野ベラに2832万5000円及び遅延損害金を請求された、池澤ショーエンバウム直美氏の提起した名誉毀損訴訟における原審において、私たち夫婦が提出した、池澤ショーエンバウム直美氏のブログ記事を公開しています。

天野コグちゃんに462万円、天野ベラに2832万5000円及び遅延損害金を請求された、池澤ショーエンバウム直美氏の提起した名誉毀損訴訟における原審において、私たち夫婦が提出した、池澤ショーエンバウム直美氏のブログ記事を公開しています。


まず、「法律事務所ヒロナカ」の弘中絵里弁護士からいきなり届いた不意打ち「訴状」は以下のとおり。内容証明郵便等による事前の交渉は一切ありませんでした。

 

http://kogchan.asablo.jp/blog/2016/01/11/7987920

 

 

原審において提出した膨大な数の証拠は殆ど採用されず、認められておりません。

そこで、私たち夫婦が提出した池澤直美氏のブログ記事・証拠のごく一部をご紹介いたします。

 

さらに、最下段では、私たち夫婦が提出した「天野ベラのブログ」「天野ベラのホームページ」「kogchan blogの削除された記事部分を復活させた証拠を紹介します。


この証拠には原告が訴状段階で「全て事実摘示」との主張を、私たち夫婦に弁護士が就いた時点から「論評」と改めた箇所【
〔原告準備書面(4)第1〔2頁〕】に下線がひかれています(判決書では裁判所が下線を削除しています)。

 

https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/原告のロフィール/

 

 

https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/池澤ショーエンバウム直美のインターナショナル-セレブレッスン座/

 

 

https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/原告記事-カウンターのすすめ/

 

 

https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/の記事-元いた所に立ってごらんよ/

 

 

https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/の記事-やっぱり私はこっちの世界/

 

 

https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/原告の記事-what-a-hospitarity-anaに物申す/

 

 

https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/の記事-たとえハチドリの一滴でも/

 

 

https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/キャリアフェ講義録/

 

 

https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/原告の事-アメリカ不動産事情/

 

 

https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/原告の記事-放牧のお勧め/

 

 

https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/原告の事-待ち受け画面はどうぞ笑顔で/

 

 

https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/原告の記事-なんとありがたいこと-雨の日に地球を歩く/

 

 

https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/原告の記事-わがアクシデントの日々/

 

 

https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/告の記事-受け継がれた-銀座学/

 



また、原判決は、原告が提出した訴状別紙の「記事」欄をそのまま採用しています。

 

「記事」欄は、原告が意図的に「天野ベラのブログ」「天野ベラのホームページ」「kogchan blog」の記事中にある意見ないし論評の前提事実(殆どは原告および原告の娘らのブログ記事の引用)を削除しています。



そのため、私たち夫婦は、「天野ベラのブログ」「天野ベラのホームページ」「kogchan blog」の削除された記事部分を復活させた証拠を提出しています。

 


私たち夫婦が提出した「天野ベラのブログ」「天野ベラのホームページ」「kogchan blogの削除された記事部分を復活させた証拠はこちらです。


この証拠には原告が訴状段階で「全て事実摘示」との主張を、私たち夫婦に弁護士が就いた時点から「論評」に改めた箇所【
〔原告準備書面(4)第1〔2頁〕】に下線がひかれています(判決書では裁判所が下線を削除しています)。

 



「天野ベラのブログ」1月分


https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/名誉毀損記事-乙127の1/

 


「天野ベラのブログ」2月分


https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の2/

 


「天野ベラのブログ」3月分


https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の3/

 


「天野ベラのブログ」5月分


https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の4/

 


「天野ベラのブログ」6月分


https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の5/



「天野ベラのブログ」7月分


https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の6/

 


「天野ベラのブログ」8月分


https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の7①/



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の7②/



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の7③/

 



「天野ベラのブログ」9月分


https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の8①/



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の8②/

 



「天野ベラのブログ」10月分


https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の9①/



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の9②/



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の9③/

 


「天野ベラのブログ」11月分


https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の10①/



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の10②/



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の10③/

 


「天野ベラのホームページ」



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の11/

 



kogchan blog



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の12①/



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/乙127の12②/

 


私たち夫婦が提出した控訴審の「上申書」はこちらをご覧ください。



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/審-上申書/

2017年6月16日 (金)

バタバタと忙しがっているのは、まことに品がない、分別のない老人との、自戒をこめたエッセイが忘れられません。-野際陽子さんのご冥福を心よりお祈りいたします-

アクション映画やドラマが好きな私は、日本では千葉真一さんが好きだった。

 


だから「キイハンター」も好きで、よく見ていた。

 


当時箱根にあった別荘を訪れて、早雲山からロープウェイに乗る時はいつも


「途中で止まっても、千葉ちゃんが助けに来てくれるから大丈夫ね!」と
言って、


両親や同行した友人たちを笑わせた。

 


フランス人のような野際陽子さんの美貌と、エンディングに歌われる気だるいテーマ曲も魅力的であった。

 


いつからか、野際さんが母校である立教女学院中学・高校の大先輩であることを知り、親近感から誠実な関心を寄せて出演される番組を視るようになった。

 


今から10年前の2007年4月、ある小冊子のエッセイに、


野際陽子さんは、
香り高き老後を目指して」と題され、

分別のない老人-を副題に、

 


仕事は定年がないのをいいことに、相変わらずバタバタと忙しがっていて、まことに品がない。

 


今年こそ何とか“脱・分別のない老人”を目指し、一日一日を噛み締めながら品よく生きていきたいものだ。

 


などと記載して公開なさっていた。

 


野際陽子さんは、NHKのアナウンサーから女優に転身されて以来、女優業ひと筋に専念され、その演技力を買われて次々とお仕事が舞い込み、最晩年に至るまでお忙しく過ごしていらした。

 


アナウンサーや女優になりたいと必死になって頑張ってみたところで、声も、顔も、頭も良くなければ、アナウンサーにも女優にもなれないのだから、自己顕示欲だけは人一倍強く、目立ちたがりで出しゃばりだが実力に欠けた女性にとって、野際陽子さんは大いなる嫉妬の対象であったことだろう。

 


知的で、美しく、誰の目にも上品にうつり、野際さんでなければ演じられない役どころを選ばれて、お仕事をされていたと感じられるが、それでも野際陽子さんは、「定年がないのをいいことに、バタバタと忙しがっている」老人の姿を、「まことに品がない」と自虐的に語ることによって、それとなく戒められたのかも知れない。

 


そして、「分別のないバタバタ老人」から脱して、「品よく生きていきたいものだ」とエッセイを結んでいらした。

 


やれアンチエイジングだ、やれダイエットだ、とビジュアルにばかりこだわって、少しでも若く見せなければならないと必死になって、少なくなったまつ毛にまでエクステをつけに飛び込むような、過度の若づくりをする老人がいる。

 


休みなくはたらけることは恵まれている、生涯現役で仕事を続けることこそ生きがいだと掲げて、必死になって、ここと思えばまたあちらとばかりに、五条大橋の牛若丸のように、あたふたと、ハイテンションで、忙しなく、過剰な活動に奔走する老人もいる。

 


当のご本人は、いつまでも若々しく見えて、忙しく、休みなくはたらいている自分の姿を他の者が見れば、間違いなく幸せに見えると盲信している。

 


だが実際には、「えげつない」、「そうまでして…」、「品がない」と他人の目には痛々しくうつっているものである。

 


「年甲斐」を辞書でひくと、「
年齢にふさわしい思慮や分別」と解説されている。

 


野際陽子さんはクールな外見に相応しいエッセイで、



加減の良い強さで吹く風のように、


「誇り高い老後を目指すには」、

 


「アンチエイジングやダイエットも結構ですけれど、年甲斐だって必要ですよ。」

 


「年齢にふさわしい思慮や分別をお持ちなさいな」

 


と示されて、

 


颯爽と天国に旅立たれたのではないか。

 


私はそう思っている。

2017年5月26日 (金)

「控訴理由書」の提出期限を延長していただきました。-力強い花束のパワーに照らされて-

何と2659頁に及ぶ膨大な判決書に対する「控訴理由書」の作成に、昼夜を問わず粉骨砕身して鋭意努力しております。

 

通常の控訴理由書提出期限である50日間では到底時間が足りないことから、24日に「上申書」を提出して期限の延長をお願いし、本日(5月26日)認められました。

 

「上申書」をご高覧ください。



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/控訴審-上申書/

 


「判決書」をご高覧ください。



https://litigationwithnaomiikezawa.jimdo.com/new-同左判決/

 


「控訴状」提出後は、通院の予約もキャンセルし、買い物もままならず、自宅でパソコンに向かう日々を余儀なくされています。

 


すると、思いがけず、絢爛豪華な花束が拙宅にやって来ました。

Photo

 


珍しいお花を含む大きな花束は、瞬時に拙宅を文字通り華やかに照らしてくださいました。

 

Photo_2



寝食を忘れて作業に没入し、「体を壊すからもう寝て」と頼んでも耳を貸さずに黙々と入力を続けるこぐちゃんも、「これはすごいね!」と大きな瞳を輝かせながら、しばし作業の手を止めて、お花を選んだり、切ったりして、いくつかの花瓶に生ける作業を、嬉しそうに手伝ってくれました。

 


これまでは、たおやかで繊細なお花に魅かれて選び、お送りし、買い求めては飾ってきたものでした。

 


ですが、今回は存在感のある力強いお花によって与えられる活力を実感し、大いに見直すこととなりました。

 


お花のパワーに支えられながら、「控訴理由書」の鋭意作成を続けます。

2017年5月 7日 (日)

愛情で結ばれたご夫婦はいつも一緒!-ご結婚39周年を、心よりお祝い申し上げます-

愛情で結ばれたこのご夫妻は美しい!



もう39年が経ったのでしょうか。

 


実は私も、この仲良しご夫妻の豪華披露宴にご招待いただいて出席しました。

 


まだ若い頃で、緊張しており、そして、あまりにご新郎ご新婦が素敵過ぎて

何と、せっかくいただいた引き出物を一瞬どこかに置き忘れてしまいました。

 


直ちに気付いて急いで取りに戻ったほど、夢うつつの中で時間が過ぎました。

 


会場には、今は亡き松田優作さんや加藤剛さんのお姿もあって、記念写真を

ご快諾いただきました。


大スターの故三船敏郎さんもいらしていたとのことですが、お目にかかれず

残念でした。

 


愛情だけで結ばれたこのご夫妻は、39年経った現在も、愛情に満ち溢れた

生活の様子を、奥様が日々のブログ記事から明るいオーラで発信しています。

 


本当に好きなお仕事をひと筋に続けられる傍ら、お孫さんを可愛がり、

何匹もの猫ちゃんを飼って、季節の花を愛で、美味しそうなお料理や、

海外でのお買い物と豪華なホテルでの様子を、自然体の文章で多くの

ご家族写真とともに伝えてくださっていて微笑ながら愛読しています。

 


愛情深い方のブログには、大切な家族の写真がたくさん載っています。

 


私も、コグちゃんと私の写真は、たとえ東京地裁前での記念写真でも、

撮るのも撮っていただくのも、後で眺めるのも、楽しくて大好きです。

 


あと僅かの人生だと言うのに、忙しくて、写真を撮る暇もありません。

 


軽井沢や伊豆のお気に入りの場所に立って、その景色をコグちゃんと

満喫しながら撮影した写真を眺める幸せを味わえれば嬉しいのですが…

 


私はそう願っています。

 

http://ameblo.jp/kathy-nakajima/entry-12271803606.html

 

http://ameblo.jp/kathy-nakajima/entry-12272168190.html

2017年4月29日 (土)

女の勲章 女の欲望

先日コグちゃんと「女の勲章」というドラマを視た。


http://www.fujitv.co.jp/kunsho/index.html

 


山崎豊子さんの原作だけあって、なかなかであった。

 


服飾の世界で成功するデザイナーの女性主人公Aに強く思いを寄せる野心家の男性Bがいる。

 


そして、主人公の女性Aが強く思いを寄せる、過去をひきずる熟年男性Cがいる。

 


最後に、主人公の女性Aは、強く思いを寄せる熟年男性Cから、こう言われる。

 


Bは卑劣だがたくましい。

 


あなたにもBと同じたくましさがある。

 


僕が弾(はじ)き出されるのは当然だね。

 


そう言うとCは、さっさとAのもとを去って行く。

 


切なそうに、辛そうに、さめざめと泣き崩れるA。

 


その後の結末に仰天させられる。

 


Aは断ち切りハサミを自らの首に突きたてて自殺をしてしまうのだ。

 


これは、あなたの思い通りにはならない、あなたには勝たせないとの


策略家のBに書き残した遺言に表されるとおりBへの強い抵抗である。

 


と同時に、あなたとともに生きたい、


あなたの傍にいるだけで幸せですと


Cに告白したAの、Cに対する抵抗でもあったろう。

 


それは、私はたくましくなんかありません。

 


Cさん、あなたは私を誤解なさっています。

 


あなたを弾(はじ)き出すたくましさなど私にはありませんし、いりません。

 


と、自死よりほかに、わかってもらえる術を選べなかったのだろう。

 


女性にも「勲章」と呼べるようなものがあるとすれば、それは、


生き馬の目を抜くようなビジネス社会で名を成し財を得るために


卑劣なことをしながらたくましくのし上がってゆくことではなく、


傍にいれば幸せと感じるようなどなたかと共に生きていけること。

 


それをこのドラマは教えているように感じた。

 


一方で、少し前に「女の欲望」を凝縮したような女性の画像を見た。

 


http://www.news-postseven.com/archives/20170427_527481.html?IMAGE&PAGE=1

 

Photo


Photo_2


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Photo_7


お金・若い男性・タイでの生活・露出度の高い服装……


60歳代にはとても見えないし、悪い人にも見えない。

 


きっと実際に接した人は可愛らしい女性と思うのだろう。

 


こういう女性だったのか……と気づいた時は既に手遅れだ。

 


だから、せめて、こういうタイプの女性には気をつけようと心して


画像を見て、肝に命じておくことくらいしか、注意のしようがない。

 


そういった意味でも、テレビやネットで容疑者や犯罪者の人相や


服装、性格、声、物腰を凝視して警戒することが必要ではないか。

 


私はそう思っている。

2017年4月27日 (木)

心無い者、真剣味のない者、デリカシーの無い者は、復興に関わる資格はない!

「あっちの方だからよかった」

 


辞任に追い込まれた今村雅弘元復興大臣の発言。

 


つまり「東京」ではなくて「あっち」だったから「良かった」ということ。

 


これを平気で聞き流せる人も、そうでない人もいるだろう。

 


私は聞き流せなかった。

 


そして、官僚の作文ではなく本人が何気なく述べた発言にこそ、その者の本質が浮上するものだ。

 


これは、極論すれば、弱者である「あっち」と、強者である「こっち」を比較して、或いは病身である「あっち」と、健常者である「こっち」を比較するような行為、つまり、自分自身や自分の置かれている立場や環境より劣悪であったり、苦労をしていたり、災難に遭っているような人々と比較して、「あっち」でなくて良かったと結論づける恥ずべき差別発言である。

 


自宅を教室にしている知人がいる。

 


その者が2008年に書いたブログ記事にもこの種の発言があって、

 


よくこんなことが書けるな、と即座に感じた。

 


その記事とはこうだ。

 


その者の住まいがある棟のエレベーターが、雨によるショートを原因に止まって、学生3人がその中に長時間閉じ込められて、救急車と数台の消防車までが出動する大事件となったそうだ。

 


そして、その時、その者は、

 


自分の「生徒さんでなくて良かった」と記載して公開した。

 


その記事には、ピョンピョンと飛ぶウサギの絵文字が付けられていた。

 


さらにその者は、介護保険で「要介護」に認定されているお年寄りが入所している老人ホームを訪問した記事を2009年に書いた。

 


「お年寄り、歌いますよ~~もちろん、自由に」と書いたその記事には、舌を出して笑う顔の絵文字が付けられていた。

 


そして、老人たちが思い思いに歌う、音程を気にしない自由闊達な歌声につられて楽器を弾いた生徒の言葉を、「わけがわからなくなったそうです」と書き、「聴いちゃダメです、老人ホームの場合は」と記載して公開した。

 


ボランティア活動を実践している姿をアピールする記事だったが、お年寄りを小馬鹿にしているとの印象を持った。

 


これは、この時に作成した動画である。



https://www.youtube.com/watch?v=ycybLErJjQU

 


老いた人、病に倒れた人、傷を負っている人、不幸のうちにある人々に直面した時、もし自分自身が健康体であって、災害に遭遇することもなく、幸運であることを内心では大変嬉しく感じていたとしても、自分はこの人たちとは違う、自分にはこうしたことが出来る、自分はこの人たちにはしたくても出来ないことが、あれも出来る、これだって出来る、自分は元気だ、健康だ、ハッピーだなどとつらつら並べ立て、そうした思いを講演会で話したり、文章にして公開したりする行為も、傲岸不遜な比較であり、慎むべきと私は強く感じるのだ。

 


これは譲れない見解の相違である。

 


事故や災害では、自分たちが体験していない被害に遭われた人々がいて,現実として、そこに暮らさなければならない人々がいる。

 


そうした方々が抱える苦悩やさまざまな困難を、同じように苦しみ、実際に体験することは出来ない。

 


何も出来ない自分には、せめて、思いを知るように努めて同情し、よく考えて共感すること、ささやかなご送金による激励くらいしか出来ることはない。

 


だからこそ、弱者や打ちひしがれている人々、そして老・病・死がしのび寄っている人々に対しては、少しでもきつい言葉をかけることや、冷淡な態度を見せることは、何にも増して、決して許されないと思えてならないのだ。

 


実際には気の毒と感じるまで深く考えたこともなく、何か少しでも出来ることはないだろうかと真剣に心を砕いた経験がないからこそ、「あっちの方だったから良かった」といった発言が軽く飛び出すのであり,困っている人たちを心底応援して何とかお助けはできないだろうかとしばし立ち止まって考え、沈思黙考する中で生じた心情や、ひと時でも明るくなってもらうため、喜んでもらうための僅かな工夫やアイディアや発想などもまるで出て来ないから、無責任に上滑りする言葉だけを次々と述べたり、書いたり、口にしたりするだけで、心から湧き上がる熱意のこもったあたたかい発言や行動が伴わないのだろう。

 


自分に何か出来ることはないかと本気で思っている人は、その思いを決して声高に叫ぶことなく、黙って被災地や施設に、実際に、送金などをしている。

 


そして、手書きの御礼状や慈善団体のシールをもらったりすることで、少しでも役に立てたのなら良かったと気持ちを軽くして、小さな善行を続けるだろう。

 


「復興大臣」に任命された時、
今村雅弘氏は、「私は弱者の気持ちがわからない冷たい人間で、復興支援のリーダーとして適任ではありませんから辞退させてください」と言うだけの自覚に欠けていたのではないか。

 


私はそう思っている。

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