2016年8月29日 (月)

恩返しのできる男性・恩知らずの自覚すらない女性

登山家の野口健氏は、「『恩返し』は何よりも大切な精神です。」と述べています。

 


野口氏は過去に受けたご恩を忘れず、その方のお嬢さんである小池百合子氏にお返しした、義理難く律儀な男性です。

 
ツイッターやブログ等からURLとともにご紹介させていただきます。

  


小池百合子さんにお会いするう〜んと前、僕が小学生の頃カイロに住んでいたが小池さんのお父さんはカイロで日本レストランを経営。その頃、母ちゃんが男をつくって家を出ていった。親父が毎日ぼくの弁当を作ってくれたが…。心配してくれた小池パパが学校まで立派な弁当を届けてくれたのは忘れない。

小池百合子さんにお会いするう〜んと前、僕が小学生の頃カイロに住んでいたが小池さんのお父さんはカイロで日本レストランを経営。その頃、母ちゃんが男をつくって家を出ていった。親父が毎日ぼくの弁当を作ってくれたが…。心配してくれた小池パパが学校まで立派な弁当を届けてくれたのは忘れない。小池百合子さんにお会いするう〜んと前、僕が小学生の頃カイロに住んでいたが小池さんのお父さんはカイロで日本レストランを経営。その頃、母ちゃんが男をつくって家を出ていった。親父が毎日ぼくの弁当を作ってくれたが…。心配してくれた小池パパが学校まで立派な弁当を届けてくれたのは忘れない。


https://twitter.com/kennoguchi0821/status/761343708247699456

 

 


親父さんが作ってくれた弁当にも感謝していたけれど毎日全く同じ。ご飯に塩鮭に目玉焼き。子どもは敏感だから『野口の母ちゃん、いなくなったらしい』とカイロ日本人学校で噂になっちゃって肩身が狭かった。そんな時に小池パパが学校まで手作り弁当を持ってきてくれて『ケンちゃん、大丈夫』と。

 


https://twitter.com/kennoguchi0821/status/761346606889209856

 

 


東日本大震災の時にはイタリアにも助けて頂きました。今度は我々の番。

『恩返し』は何よりも大切な精神です。皆んなで募金しましょう。

 


https://twitter.com/kennoguchi0821/status/769458103389597696

 

 


小池百合子さんを応援するわけ


http://blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/51306523.html

 

 


台湾大震災の時に、真っ先に動いたのは小池百合子さん


http://www.noguchi-ken.com/M/2016/07/post-863.html

 

 


受けた教育や人間性の違いと言えばそれまでですが、世間には、他人を利用し尽くした挙句、利用価値がなくなれば無視してポイ捨てするという自己中心的な薄情者が確実に存在します。

 
マダムリリという方のブログに注目すべきご意見があります。


URLとともに下記にご紹介いたします。



「男性に大切にされない女は、恩知らずで周りの人を大切にしない」

 


自分が人にしてもらったことに気がつかず、自分の聞きたいことだけ聞けたら逃げてしまうような女は、きっと普段の生活にもそんな“自己中心的な部分”がでているのだと思う。

 


http://www.madameriri.com/2016/02/03/hi-mote-woman/

 


ある女性が大きなガラスの花瓶を割って必死で掃除していた時、気づいたご主人は、片付けを手伝わなかったそうです。

 


もし私が軽率な行為によって何かを粉々に割ったなら、コグちゃんは「危ないよ」と言うが早いか素早く近寄って一緒に片付けてくれるか或いは「いいからあっちにいて」と言って独りで片付けをしてくれるでしょう。

 


ある女性のご主人は、デリカシーがなく、時間
をかけて煮込んだスープを捨てようとしたり、ホームパーティ後の汚れたお皿を台所に運ぶだけだったそうです。

 


家事を手伝ってくれない、何もしてくれないと不平をこぼす一方の女性は、普段の生活が自己中心的となっていることに気がつかず、お願いしたい時だけ甘え、利用できる時だけ使って世話はしないなど与えずに奪うばかりでご主人をないがしろにし、大切にしていないのではないでしょうか。

 


恩知らずな者は、何であれ人のせいにして生き永らえており、悪いのは常に他人でしょうから、自分が恩知らずとは思ってもいないでしょう。

 


したがって、恩知らずな者はえてして世間知らずであり礼儀知らずであるとともに、論語読みの論語知らずでもあるのです。

 


恩を知らず、何でも人のせいにして生きている限り、いかに長寿であろうと、どこで何をどう学ぼうと、上辺だけで、真実を見据えられず、実体験が伴わないでしょう。

 


ですから、人生の本質や人の思考の真意がさっぱり理解できず、人間的深みに欠け、熟さず、渋さもなく、軽くて薄い浮かれた人間性のまま朽ち果てることでしょう。

 


私はそう思っています。

2016年8月27日 (土)

フォトギャラリー・冷淡な乾いた時代を憂いて-「なれど、こらえきれなんだわ」-

時代劇・鬼平犯科帳に「おれの弟」と題する作品があります。


この作品には、剣の道ひとすじの高潔な男性と、美しくしとやかな女性とが織りなす哀切な純愛のみならず、


Photo_2

Photo


義侠心、

Photo_3


非道(果し合いでのだまし討ち)、

Photo_5


Photo_6

Photo_7

親の権力を盾にした悪事とその隠蔽、

Photo_8


敵討ちなど、

Photo_9


時代を問わず日本人の心に沁み込むと思しき内容が凝縮されています。

 


鬼平こと長谷川平蔵の思いがこめられた台詞を一部ご紹介いたします。


悪者:「石川源三郎と知ってのことか」



「去年のことを覚えていような」

「わしも生まれて初めての敵討ちじゃ、しくじりはせんぞ」

Photo_10

   悪者:「敵討ち?」



「弟の敵討ちじゃ」

「おのれに弟をだまし討ちにされて、怒りを鎮めようとしたが、なかなか鎮まらん」

「おのれのような奴を生かしておいては、後々庶人が迷惑をする」

 

Photo_11

   悪者:「おい、源三郎の父は御側衆を務める石川筑後守なるぞ」



「なればこそ、なおさらに生かしてはおけん」

 

Photo_13


「お役にある者のなすべきことではなかったやも知れんな」

「なれど、こらえきれなんだわ」

Photo_14


他者の心情を慮る暇などない、真意を理解するよう努める必要などないとばかりの冷淡な言論が横行し、ドライアイならぬ「ドライハート」が際立つ昨今の風潮を遺憾に感じ憂慮しています。


インターネットを検索して次から次へと最新の情報を得るのも、ゲームに明け暮れるのも結構ですが、時には映画、テレビ、スポーツ、音楽、文学を観賞し、血沸き肉躍る熱き思いに駆られ、失われた情緒、枯渇した感性、他者の考えに共感する心、他者を称賛する言葉を育てる時間が必要ではないでしょうか。

 


私はそう思っています。

2016年8月19日 (金)

フォトギャラリー「束の間の夏休み」-お墓参りと軽井沢とオリンピック観戦-

前後賞ならぬ前後訴訟合わせて『総額6千万円』もの大金、超高額を請求されている身との現実をしばし忘れて、束の間の夏休み。

 


まず墓参です。

Dsc00014


ピンクとパープルの色彩でまとめた美しい供花、両親が好んで食していた素朴な和菓子、喉を潤してスカッとしてもらう冷たいビール等々、大荷物を両手に抱えてお墓へと向かいました。

 


お供えの花は出来合いの仏花にすることなく、亡母をイメージして、上品で優美な花々を選んでつくっていただいています。

 


迫り来る太陽光線にひるみながらも気合を入れて、お墓の前まで一歩一歩、足を進めました。

 


「無理しないでね。もういいから……」制する私の声をよそに、コグちゃんは、焦げ付きそうな日差しの中で、滝のように汗をしたたらせながら、私たち夫婦が建立した両親の墓石を何度も力強く雑巾で拭き磨いてくれて、感動しました。

 


どんな時も余計なことを考えず、手抜きなしで全力投球するコグちゃん。

Dsc00019

知り合って以来変わらずに尊敬しています。そして、ずっと大好きです。

 


しばし休憩と仮眠を取り、夜のロマンスカーで東京の家に帰宅しました。

Dsc00015

Dsc00016



次は軽井沢です。

Dsc00021

年々近代化し、整然としてゆく中軽井沢駅。

Dsc00029


Dsc00028


そびえる木々はたおやかで風情があり、いつ訪れても静穏で洗練された好ましい環境です。

 

Dsc00050

Dsc00052_3


せせらぎの音色が心地良く耳に触れ、例年以上に水の冷たさが実感できました。


管理事務所の方が申されますには、別荘地に供給される水道水は湧き水で、濾過が不要な非常に良い品質とのこと、確かに軽井沢滞在中は二人とも手指が滑らかで肌も一瞬垢抜けたように思われます。

 


エアコン無しの涼やかな生活は殊のほか快適で、応訴で奪われた英気を養うことが出来ました。

 



コグちゃんが「命の洗濯だね~」としばし寛ぎながらオリンピック観戦を堪能できたことは何より喜ばしく感じられました。

 


健闘する選手たちの姿やインタビューでの潔い発言に、何度も二人でもらい泣きをしました。

 


一流の選手たちはストイックに自分自身を追い込み、必要以上に自分を責めることはあっても、間違っても他人に責任を押し付けたり、自分のミスや失敗を認めずに、相手のせいにして逃げることはありません。

 


彼らの技術力・精神力は、大いなる称賛に価します。

 


卓球の福原愛選手は、「負けの責任はすべて私にある」


http://news.livedoor.com/article/detail/11891128/

 


「足を引っ張ってばかり」と泣きながら述べました。


http://rio.headlines.yahoo.co.jp/rio/hl?a=20160817-00000003-tospoweb-spo

 

レスリングの吉田沙保里選手に至っては、「ごめんなさい」と謝ったうえに、「取り返しのつかないことになってしまって」とまで述べて悔し涙にくれていました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160819-00050038-yom-spo

 



他人に責任を押し付けて、逃げてばかりいる人は、スポーツの嫌いな人、

スポーツをまったくしない人、スポーツ観戦も一切しない人ではないでしょうか?

 


スポーツ選手たちが自らのたゆみない努力によって、困難に耐えながら打ち克ち、試行錯誤により実力を蓄え、自信をつけて栄冠を勝ち取った喜びは、何にも増して誇らしいものであり、生涯に亘って残せる結果であり、かけがえのない実績となることでしょう。

 


楽しみなのは週末に行われる男子400メートルリレー決勝。

 


私たち夫婦の声がリオまで届くように熱烈応援する予定です。

 


そして、伊豆の室内や庭で、大好きな卓球やバドミントンをコグちゃんと楽しむことの出来る日、伊豆の家から、ゴルフの練習に出かけられる日、近くのコートで、初心者としてテニスの練習を始められる日も、やがて訪れることでしょう。

 

私はそう願っています。

2016年7月29日 (金)

ボケもんによる揶揄と自民党都連の恫喝文書に,「頑張れ小池百合子さん!」と思わず檄を飛ばしたくなる人情

三つ巴の乱戦が展開されている東京都知事選。

 


注目していると,都議会のドンと呼ばれる人物,

自民党東京都連・内田茂幹事長にぶち当たった。

 


その内田茂氏なる人物が,元都議会議員の故樺山卓司氏を

自殺に追い込んでいたことが同氏の,のし袋に書かれた

遺書から明らかとされた。

 


2011年7月1日未明,自宅でポリ袋をかぶって自殺した

元都議会議員である故樺山卓司氏(享年61)の遺書が,

自殺から1年後に同氏の妻の部屋から見つかったという。

 


https://twitter.com/inosenaoki/status/753239596608073728?lang=ja

 

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/185668

  


内田,許さない。人間性のかけらもない。来世で必ず報復します

 


の文字が痛々しい。

 


同氏の妻は,

 


議会で内田氏に逆らった夫は,都議の集まりの中で嫌がらせ的に罵倒されたり,議長になれたのにならせてもらえなかったり,いじめ抜かれた

 


内田氏は私利私欲のために自分の配下を作り,思い通りの都政をしている。

 

でもそれは民主主義ではない

 


などと自殺の2年前から,遣る方の無い憤懣を毎日のように語るようになったと伝えている。

 


小池百合子氏の応援に立った同氏の妻は,

 


「今回の都知事選でも自民党推薦の候補のバックには内田さんがいる。これが続くとどうなるか分かりますか」

 


と声を枯らして訴えたそうだ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160728-00000170-sph-soci


私は,特段小池百合子氏を応援している訳ではなかった。

 


だが,
自民党都連が告示前に手回し良く,

 


「党推薦候補以外の立候補者つまり増田寛也氏以外の立候補者を支援した場合には親族も含めて除名を含めた処分とする」との文書を配布した時点で,

 


嫌悪感が走った。

 


そうまでして……と嘆息させられたのだ。

 


ちなみに「そうまでして……」とは,

 


私の人生におけるキーワードである。

 


党推薦以外の立候補者を支援した場合には,親族も含めて除名処分とする行為。

 


これの一体どこに民主主義が,自由があるというのか。

 


これこそがファシズムであり,巨悪の典型と言えよう。

 


政党とは一線を画した候補者独自の政策実行が不可能と思われる,沈香も焚かなければ●もお出しにならないような与党推薦候補を都知事にして,思い通りに動かし,従前どおり都政を牛耳り,少しでも長く生き永らえようとする,出し切れない膿の如き都議会のドンの魂胆が,恫喝的な配布文書にも浮上している。

 


さらには,政治の世界から引退した筈のご隠居老人までが「ボケもんGO」とばかりに暑い中をわざわざ出て来られて,「厚化粧」「大年増」との実に陳腐なオジサン的発言で,マスコミをにぎわせている。

 


小池百合子氏が掲げる公約や政策そして過去の実績や失敗などがあれば,それについて鋭く言及するのはいい。

 


だが,それらのいずれでもなく,一女性としての外見や年齢を揶揄するに至っては,増田氏の応援でもなければ,かつて東京都知事だった者の演説でもない。

 


このご老人は「男の粋な生き方」なる著書を上梓し,


「タフであれ。優しくあれ。」と,まるで亡くなられた


高倉健さんであるかの如きカッコ良過ぎるメッセージを


男性諸氏に贈っている。

 


ところが,実際に出て来て言うことはこれかと,失望させられた聴衆も多かったのではないだろうか。

 


これは,自らの発言を意識する力,認知する力が鈍っているとしか言えない有様であり,己の口から流れ出たよだれに気づかず拭うことも出来ないようなものであって,最早ボケもんと言わざるを得ない。

 


つまりこれは「失言」と言うよりむしろ「粗相」と言った方が近いだろう。

 


権力を有するか過去に有していた男性が一匹狼としてではなく

徒党を組んで対抗する者を排除しようとする意地の悪い言動を

ここまであからさまに見せつけられては,

 


同性として,弱者であり,孤軍奮闘している小池百合子氏に,


「頑張れ」「負けないで!」と檄のひとつも飛ばしたくなる。

 

それが人情というものであろう。

 


人情に加えて小池氏の「今日は薄化粧で来ました」


笑いをとって聴衆を沸かせた神対応をお見事と感じた。

 


怒りを笑いに変換する機転は,知的魅力に富んでいる。

 


この発言で私は小池氏を見直した。

 


まさにピンチはチャンスであり,暴言を逆手に取った切り返しが奏功した。

 


小池百合子氏は器用な生き方の出来るタフな女性だから,組織票によってたとえ増田氏が当選したとしても,さほど落ち込むこともなく切り替えて次の目標に向かって邁進するに違いない。

 


だが,生真面目過ぎる人間,繊細な神経を持ち精神的に脆弱な人物に,ピンチをチャンスに変え,暴言を逆手に取る器用な生き方を期待することは,無理な相談である。

 


だから独りで苦悩し,とことん思い詰めて,やがて身体を壊してしまう。

 


既に述べたとおり,元都議会議員・故樺山卓司氏の遺書には,

 


「内田,許さない。人間性のかけらもない。来生で必ず報復します」

 


とつづられていた。

 


この心情やお気持ちを私はよく理解することが出来る。

 


だが,61歳という尊いお命を,自ら絶つくらいなら,

 


来世などない。今しかない。と冷静に判断して,

 


なぜ許さないのか,

 


どこに人間性のかけらもないと感じたのか,

 


それらを具体的かつ克明に書き残すか或いは

動画にしてでも世間に伝えるべきであったのにと

悔まれてならない。

 


無念を抱えながら亡くなられた方々のご遺志は

すぐには理解されず,長いこと闇に葬られるだろう。

 


だが,いつの日か,きっと,

 


「許さない」と悔しい思いをこらえながら亡くなられた方の言葉が,

 


「人間性のかけらもない」と大声で言ってやりたかった無念の声が,

 


「来世で必ず報復します」としか書けなかったか弱い最期の文字が,

 


真実とわかってもらえる日が,日の目を見る時が,

 


必ずやって来ると信じたい。

 


自民党東京都連・内田茂幹事長
のプロフィールには,

 


内田茂氏が政治家を志したきっかけ前篇・後編が公開されている。

 


そして政治家こそがその制度を確立し,困った人を救えるのだと。

 

これが,私が政治家を志す切っ掛けとなったのです。」

 


私は政治家として千代田区を良くすることで恩返ししようと決めました。」

 


それでも『困った,どうしよう』ということは,どこの誰にでも起きうるのです。私はそんな時,本当に支えることのできる制度を東京に根付かせたいと思っています。」

 


http://uchida-shigeru.com/profile/

 


政治家として,困った人を救う,恩返ししようと決めた,

 


「困った,どうしよう」という人を,本当に支える制度を東京に根付かせたい,

 


政治家として,こうした言葉を堂々と公開している内田茂氏が,

 


実際には,他の都議を困らせ,どうしようと深く苦悩させて,

 


憤りの遺書を残して,自殺にまで追い込ませていたとすれば,

 


内田茂氏の公言は画餅であり,きれいごとに過ぎないのではないか?

 

同氏のプロフィールには「昭和14年3月15日生まれ」と公表されている。

 


したがって,内田茂氏の星座は「うお座」である。

 


ちなみに,「うお座」の性格鑑定には,こう記載されている。

 


3
311日~320日生まれの人は火星に支配されています。

  
特に二面性をもちとても神経質なタイプです。

  
自分の身を守るため嘘もつけますし,裏工作をしたりする傾向もあります。

 
https://welq.jp/14453

 


二面性を持ち,

 


保身のために嘘もつき,

 


裏工作をしたりする傾向もある,

 


そんなうお座の内田茂氏が,

 


未来永劫,上に立ち続けていたいのであれば,

 


鑑定に描かれた悪質な側面が顔を出さぬよう,

 


政治家を志したきっかけを忘れず,

 


困っている人たちを救うために粉骨専心すべきであろう。

 


私はそう思っている。

2016年7月27日 (水)

最も醜悪な弱者イジメの言動

見栄を張るために整形をして

 


そのメインテナンスのために

 


しばしば同じ国ばかりを訪問し,

 


写真を見せずに,旅のレポートを重ねる者……

 


発熱した子どもを,翌日の日中に

 


己のエゴで連れ回わして外食をさせ,

 


食べ物屋さんで嘔吐させ,熱をぶり返させて

 


長時間並ばなくて済む夜間救急で診療を受けさせる者……

 


思わず,親の顔が見てやりたくなる。

 


そうした者たちは,

 


自分のことしか考えられないナルシストであり

 


本人と家族以外の誰もが気づいている愚か者たちである。

 


だが,そうした,馬鹿者,くだらない者,幼稚な者への怒りなど

 


かすんでどこかに行ってしまう程までに

 


比較しようもなく,どうしようもなく悪質な者がいる。

 


それは,言うまでもなく,弱者イジメをする者だ。

 


しかも,口頭や文書のみならず,

 


実際に,暴力をふるう者,殺人を犯す者である。

 


さらに,無抵抗で動けない弱者を狙っての,計画的な大量殺人。

 


これはどんな悪事をも凌駕する,想像を絶する狂気の業である。

 


これを機に,ずっと思っていたことを書こう。

 


ネット上にも,弱者に対するイジメや攻撃の言論が溢れている。

 


弱者の訴えを代弁すべきジャーナリストたちも

 


切れ味のいい清々しい言論や

 


まっすぐだった初心を忘れて,

 


強い者や権力に阿った記事を平気で公開するようになる。

 


お金にでも転ぶのだろうか?

 


情報や仕事を回してもらえるのだろうか?

 


論客を自認しているらしき好戦的・高圧的な者が

 


コメント欄やツイートを利用して,激しく攻撃するのは,

 


著名人でもない。

 


悪人にも見えない。

 


もっぱら,激越でもない,言論のたどたどしい人。

 


名もなき弱者である。

 


自分より弱い者と見れば,

 


ささいなことでヒステリックになり,

 


一方的に攻撃を仕掛けているのだ。

 


これだから,

 


強者たちや権力のある者たちばかりがのさばる。

 


私腹を肥やす。

 


巨悪が幅を利かせてふんぞり返る。

 


ワルたちにとって住みやすい社会が拡がっていく。

 


強い言論を誇る攻撃的な論客たち,

 


そしてジャーナリストは,

 


自分より強い立場にある者や

 


権力のある者たちに対してこそ,ペンの力を奮うべきだ。

 


強者や巨悪を叩いてこそ,批判の言論は生きる。

 


そうした者たちの悪をこそ,徹底的に書くことだ。

 


弱者を上から目線で見下した態度や行動…

 


そしてそれに伴う言論ほど醜悪なものはない。

 


私はそう思っている。

2016年7月23日 (土)

記事も 出でずば 書かれまい -弘中惇一郎弁護士らが週刊文春編集部に抗議文-

今回のタイトルは「雉も鳴かずば撃たれまい」を引用しました。

 


雉も,鳴かなければ,居所を知られず,撃たれることもなかったのにとの意味から,自ら目立つ言動をしたことによって災いを招いてしまった喩えとして使われます。

 


淫行に関する記事も,鳥越氏が東京都知事選挙に出馬していなければ,書かれていなかったかも知れません。


 


http://www.sankei.com/affairs/news/160721/afr1607210011-n1.html

 


しかしながら,立候補した鳥越氏について,「実はこういう人物です」,

「どうかだまされないで下さい」と,鳥越氏の素顔や生き様について真実を知る人物が通報する行為は,攻撃でもなければ,誹謗中傷でもないと私は思っています。

 


週刊文春の取材に対して鳥越氏側は「事実無根」と回答し、女子学生だった女性のご主人は,「あの男が都知事選に出るときいて、この十年あまり我慢してきたことが、抑えられなくなりました。絶対に許すことはできません」とコメントしていますが,その心情や気持ちはよく理解できます。

 


「弁護士に一任している」と述べて,自己責任も,説明責任も果たそうとしない鳥越氏の態度は,上に立とうとする人物としての適格性に欠けているのではないでしょうか。

 


元大阪市長の橋下徹氏は,鳥越氏について,「自らの口で説明しない態度が公人失格」と述べています。

 


http://www.sankei.com/politics/news/160722/plt1607220016-n1.html

 


ちゃんと釈明しなさい」「こんな程度で逃げ回っているようでは」との声も上がっています。

 


http://news.livedoor.com/article/detail/11799050/

 


一方で,鳥越氏の弁護団が週刊文春編集部に出した抗議文は下記のとおりです。



抗議文
(引用)


週刊文春編集部 御中


弁護団抗議文 東京都知事候補である鳥越俊太郎について、明日発売の週刊文春が、『疑惑』と見出しを打った記事を掲載することがわかった。


記事にある『疑惑』と称する案件については、事前にFAXによる取材があり、本人に確認の上、弁護団から事実無根であると文書で明確に否定する回答をするとともに、無責任に記事化すれば選挙妨害になると強く警告した。しかしながら、記事は、一方的な証言だけに基づき、『疑惑』がいかにも真実であるかのごとき印象を与えるものとなっている。


記事は、『疑惑』が事実であるとは断定せず、一方的な証言と思わせぶりな記述だけで、あたかも『疑惑』が真実であるかのような印象を与えるものとなっている。こうした手法で有権者に事実と異なる印象を与えようとする行為は、明確な選挙妨害であり、公職選挙法1481項但書によって禁止される「虚偽の事項を記載し又は事実を歪曲して記載する等表現の自由を濫用して選挙の公正を害」する行為に他ならず、同法235条の2に規定する罰則の対象にもなりうる行為である。また、刑法2301項の名誉棄損罪を構成する。


弁護団は、週刊文春に対し、強く抗議する。また、明日にも東京地検に刑事告訴すべく準備を進めていることを申し添える。


なお、本件に対する問い合わせなどの一切は、弁護団が対応する。くれぐれも、鳥越本人の選挙運動に対し、これ以上の妨害とならないよう、求める。


2016
720日  
弁護士 弘中 惇一郎
弁護士 藤田 謹 也(引用ここまで)

http://buzz-plus.com/article/2016/07/21/defense_counsel/


むしろ,こうした鳥越氏の対応こそ攻撃ではないでしょうか。

 


なぜなら,鳥越氏は,自分自身で言葉を尽くして説明をしていない,

弁明してもいない,

 


自らに恥しい歴史があるとすれば,そうした過去と真摯に対峙していない,

 


一切を弁護士らに委任して総て丸投げする,

 


弁護士らから,事実無根だ,名誉毀損だと刑事告訴をさせる,

 


自らを被害者の立場に置き,開き直り,居直って,弁護士を使って攻撃させる

 


これは,責任感の欠如を露呈させるとともに,都知事の候補者としてはもちろん,言葉を司るジャーナリストたる者として,病み上がりどころか末期の症状と言えるのではないでしょうか?

 


ご自分のことを書かれて,ご自分の言葉で反論ひとつ出来ないような人間に,都政が任せられるでしょうか?

 


都政においても都合の悪いことが発生した場合は,弁護士に一任するおつもりなのでしょうか?

 


たとえ還暦を過ぎても精神的に未熟な者たちは,未成年者が親に付き添われなければ責任が取れないように,過保護なまでに権力者の影に隠れ,権力者の後ろ盾に縋って,都合の悪い真実を隠蔽してもらわなければ,自己責任が取れないということでしょうか?

 


そもそも,雉も記事も,鳴いたり出しゃばったりしなければ,撃たれたり書かれたりしないように,隠したい忌まわしい過去,消してしまいたい恥ずかしい歴史があるとすれば,堂々と表に出て来て社会的活動に従事したりお山の大将になって上に立とう,目立とうなどとせず,過去を反省して一隅を照らしながら生きていれば,過去を取沙汰されることも批判をされることもないのにと思えてなりません。

 


しかしながら,一般論として,そうした者ほど勉強不足で,地道な努力を怠り,粘り強さに欠けていながら,功名心だけは強く,目立ちたい,お金が欲しい,名を売りたい,もっともっと仕事が欲しい,もっともっと有名になりたい,という名誉欲が人一倍激しく渦巻いているようです。

 


欲望の強い者たちが犇めき合い,マネーゲームや権力闘争が絶えない世の中において最も得をするのは,きっと,そうしたギラギラした者が過去に犯して来た過ちという真実を,黒から白に上手に塗り替えてくれる人生のリフォーム術に長けた弁護士たちということになるのでしょう。

 


それにしても,こうした人物,こうした事件に接する度に

 


そうまでして
と嘆息せずにいられません。

 


もっともっとと求め続ける自我…


もっともっと美味しい物が食べたい…


もっともっといい暮らしがしたい……


もっともっと功成り名を遂げたい…


最後に一旗上げたい…


最後に一花咲かせたい……


等など……

 


果てしなく飽くことも枯れることもない欲望の人生から


卒業することが出来ないまま老いさらばえてゆく男女は


とても哀れであり不幸なものであり滑稽にさえ見えます。

 


そうした者の人生に「満足」の二文字はないでしょう。

 


私はそう思っています。

2016年7月16日 (土)

フォトギャラリー-「ちょっとだけでも清々しかった・来宮神社」-

応訴関係で外出した僅かな時間を利用して,

熱海の来宮神社に立ち寄ってみました。

 

Dsc06936_2



Dsc06936_1

http://www.kinomiya.or.jp/keidai.html

 


主人は高校生の時から囲碁に関心を持ち始め,

独学でアマチュア最高峰の八段段位を取得し,

現在は囲碁インストラクターです。

 


私は幼稚園の頃に日本舞踊を,小学生で書道を,

中学・高校時代には本格的に茶道を学びました。

 


そうした過去の歴史による影響でしょうか。

 

私たち夫婦は古風で,長閑な自然や静寂な環境と非常に良く調和します。


日本独特の風景に魅かれ,和食を好み,時代劇の衰退を残念に感じます。

 


来宮神社の境内には,小洒落たカフェが併設されていて,

ひと息つきたいところ,多忙につき,本堂までで引き返しました。


http://www.kinomiya.or.jp/oyasumidokoro.html

 


しばし足をとどめただけでも清々しい気分になれたね,


本当にそうね,良かったねと


ありふれた会話を交わしながら足早に立ち去りました。

 


7月14日~16日のちょうどこの3日間は

「例大祭」と呼ばれる行事があったようです。


http://www.ataminews.gr.jp/event/342/

 


応訴が一段落したら,日本の名所を少しずつ訪れたいね,

 

私たち夫婦はそう話しています。

2016年6月12日 (日)

フォトギャラリー-「Simple 伊豆 Best. ・コグちゃんと紫陽花」-


応訴の合い間
を縫って、晴れ晴れとしたひと時を過ごしました。

 


海も空も爽快。

Dsc06924


Dsc06928


 

主人の写真をたくさん撮りました。

Dsc06906

Dsc06913

Dsc06916

Dsc06920

Dsc06921

 

いつ見てもコグちゃんは可愛い!

Dsc06917


紫陽花は今がご覧になり頃です。

Dsc06923

2016年5月14日 (土)

タカリは一生治らない-自らの生き様を精査・確認せよ-

タカリ癖。

 


それは一生治らない。

 


名だたる政治家も、まあまあの著名人も、誰であれ同じことだ。

 


タカリとは、他人のお金ないし他の目的に使用するためのお金を

自分ないし自分の家族らのために、目的以外の使途で使うという、

大それた行為である。

 


こうした大それた悪事を平気でやってのけることのできる感覚。

 


指摘されるまで一体何がいけないのかについてさえ気づかない感性。

 


バレるまで罪悪感を持たないような、常人には太刀打ちのできない神経。

 


並外れた図図しさ、

飛び抜けた無神経、

けた違いの図太さ。


これらは当たり屋ならぬ「タカリ屋」に共通する特異性であろう。

 


別格であるオレ様。

 


特別扱いされて当然なワタクシ。

 


自己満足は自己に酔いしれる恍惚感に代わる。

 


規則を乱しルールから外れることに抵抗もない。

 


秩序を破壊してゆく優越感。

 


そこにあるのは、極端に肥大化した自己愛である。

 


自己愛の強さ。これも、タカリ屋たちに共通する。



オレは忙しい、

 


ワタクシ大雑把なの、

 


いちいち管理なんかしてられるか。

 


細かいことはどうでもいいんだよ、

 


タカリ屋たちは、そのうそぶき方もまた似たりよったりである。

 


人様のお金、人様のためのお金を、私的に流用する行為。

 


これは、タカリ屋たちが、人を人とも思っていない

傲慢な人物であるという事実を認めて、

自ら立証する行為にほかならない。

 

人様のお金で食べることが大好きなタカリ屋たちは

文字通り「人を食った存在」である。

 


もっと言えば、

 


人にタカる者ほど自分のお金には細かく自分のお金を出さない。

 


さらに言わせてもらうと、

 


人にタカる者は異性関係にも汚い。

 


人にタカる者は他人のために動くことをしない。

 


自分が動くのは、それがビジネスにつながる時だけ。

 


つまり自分に利益が生じる時は人一倍活発に動く。

 


人にタカる者ほど、ビジネス以外では、人様のお金で、

ゆったり、たっぷり、のーんびりとしているのである。

 


だからこそタカリ屋たちは、

いつだって誰より元気に食べかつしゃべり、

疲れを知らない子供の様に人一倍活動的だ。

 


そうだ。健康過ぎること。これもタカリ屋たちの共通点だ。

 


タカリ屋たちに良心という名の臓器が内在されているのかどうか。

 


それは判然としない。

 


だがタカリ屋の良心が痛みを知らず

無傷であること。それだけは確かだ。

 


とりわけ、タカリ行為が大好きで、

嬉々として実践してきていながら、

何年も経ってから、

相手のせいにするような者に

ろくな者はいない。

 


食べ物や飲み物を、
拒んでも押しつけてくるのです。

 


こんなことが平気で言える者。

 


そうした者こそ正真正銘の良心なき人物である。

 


私はそう思っている。

2016年3月17日 (木)

自己愛以外の愛情を知っていますか?

応訴作業・応訴活動に余念のない日々が続いている。 

 

そんな明け暮れの中、私が繰り返し読んでいるのは

 

 

「良心をもたない人たち」という著書である。

 

 

商品の説明

 

内容(「BOOK」データベースより)

 

平然と嘘をつき、涙で同情を誘い、都合が悪くなると逆ギレをする―本来、人間に備わるはずの良心をもたないがゆえに、他者への思いやりが絶対的に欠落し、手段を選ばずに自分の欲望を満たそうとする人たちがいる。25人に1人いるとされる“良心をもたないサイコパス”の実態を心理セラピストが明かす。

 

彼らの被害者にならないための見分け方と対処法を教える一冊。 http://www.amazon.co.jp/%E8%89%AF%E5%BF%83%E3%82%92%E3%82%82%E3%81%9F%E3%81%AA%E3%81%84%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1-%E8%8D%89%E6%80%9D%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%B5-%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%88/dp/4794219296

 

  

良心とは何か?

 

 

追いつめられたサイコパスが取る行動とは?

 

 


折に触れ、内容をご紹介していきたいと思う。

 

 

***

 

 

良心はおこなったり、考えたりするものではない。私たちが感じるものだ。

 

 

言葉を変えると、良心は行動でも認識でもない。良心は本来、〝情動〟すなわち一般に感情と呼ばれているものの中に、存在している。(41頁

 

 

心理学的に言うと、良心はべつの生き物(かならずしも人間とはかぎらない)ないし人間の集団、あるいは人類全体への感情的な愛着から生まれる義務感である。

 

 

良心はだれか(あるいはなにか)との感情的な愛着なしには存在しない。

 

 

つまり良心は、いわゆる〝愛〟と呼ばれる一連の感情と密接にかかわっているのだ。

 

 

この結びつきが、良心にエネルギーをあたえる。

 

 

人が駆りたてられるのは、その燃料が強い愛情であるからにほかならない。

 

 

そして良心の行為を見聞きするとき-たとえそれが犬に餌をやるなどの平凡なことであっても-私たちがうれしくなるのは、良心にもとづく選択が、その奥にあるやさしいきずなを思い起こさせるからだ。(42乃至43頁

 

 

得意わざは空涙(127乃至129頁) 

 

人はサイコパスの演技力にも惑わされる。 

 

良心なしに人生を組み立てるには、欺瞞や幻想が必要になる。 

 

そこで知的サイコパスは演技が巧みになり、プロの役者なみのテクニックまで駆使する。

 

 

そして皮肉にも、自在な感情表現がサイコパスの第二の天性になる。

 



相手の悩みや情熱にたいする興味津々な態度、胸を叩いて訴える愛国心、正義感あふれる憤り、謙虚に赤らめる顔、悲しげなすすり泣き。

 



思いどおりに流す空涙は、サイコパスの得意わざだ。

 

 

サイコパスは、相手に自分の正体がばれそうになったとき、とりわけ空涙を使う

 

だれかに追いつめられると、彼らは突然哀れっぽく変身して涙を流すので、道義心をもつ人はそれ以上追及できなくなってしまう。

 

 

あるいは逆の出方をする。 

 

追いつめられたサイコパスは、逆恨みをして怒りだし、相手を脅して遠ざけようとする

 

 

生まれついての役者である彼らは、社会的・職業的役割をフルに利用する。 

 

それがすばらしい仮面になってくれるからだ。 

 

人は異常な行動を目にしても、それをしたのがたんなるドリーン・リトルフィールドではなく、ドリーン・リトルフィールド博士であれば、疑いをもつことはめったにない。

 

博士という肩書は、明確なプラスの意味をもっており、人は博士と呼ばれる人物についてあまり詮索をしない。

 

 

おなじことが会社組織、宗教組織、教育組織の中で役割と肩書をもつ人物、あるいは国家の指導者や親にも言える。

 

 

役割の持つ意味で個人を判断してしまうからだ。



そしてまた、相手にやさしさや、創造力や、鋭い洞察力を感じたとき、人は相手の実際の行動から目をそらす傾向がある。

 

 

たとえば、私たちは動物が好きだと言う相手を、いい人と思いがちだ。




そして芸術家や教養人を感じさせる相手には、点が甘くなる。



ひとつには、そういう人たちに異常者はいないと思っているからだ。



そのような見方は、一般的には前向きなのだが、ときには真似のうまいサイコパスに扉を開くことになる。

 

***

«「弁護士界談」さんのツイート

フォト
無料ブログはココログ
2016年8月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31